人形屋の奏でた狂想曲[6]

 その日は結局、時間が遅くなってしまって、人形専門店に行くことはできなかった。また明日の帰りにでも寄ろうと決めて眠りについたナナは、久しぶりに夢をみた。暗い闇の夢の中、少女の歌う声がする。


 優しいてまり 良いてまり

 怖いてまり 悪してまり


 困りごとがあるのなら

 暗い道の奥の奥 誰もこられないお家を訪ねてごらん

 てまり ころころ 笑ってる


 歌う声は、そこでふつりと途切れると、闇に浮かんだのは一人の少女。白い蝶の柄が描かれた赤い着物を着るその女の子は、腰まである艶やかな髪を無造作に流し、じっとナナを見つめていた。両の手の平に収まるのは、赤地に金糸で花の刺繍をほどこされた手まり。人形のように白い頬の少女は、やがて先ほど歌っていた声と同じそれで語りだす。

 ――あたしはユウヅキ。あなたもよく知ってる、お人形。

 ユウヅキと名乗るその声は、人形に宿ったチトセの姉のものと、全く違わない。

 ――夕方、皆の時間をおかしくしたのは、あたし。ちぃちゃんの身体を借りて話しかけたのも、あたし。だけどね、本当はやってはいけないことなの。

 くすくすと笑いながら、ユウヅキはだからと言った。人形屋さんには絶対に秘密ね、と。それから、赤い手まりを闇の底に落として、てんてんとつき始めた。薄い紅の塗られた唇からは、また歌が紡がれる。


 優しいてまり 良いてまり

 怖いてまり 悪してまり

 みんな悲しく寂しい子

 だけど 困りごとがあるのなら

 暗い道の奥の奥 誰もこられないお家を訪ねてごらん

 てまり ころころ 笑ってる


 手まりは歌に合わせて、跳ねて踊る。ユウヅキは手まり歌を歌って、手まりをつく。


 まずは右へ 左へ また左

 黒い鳥の群がる林に出たのなら 右右左 右左

 小川を越えれば すぐそこに


 優しいてまり 良いてまり

 怖いてまり 悪してまり

 みんな悲しく寂しい子

 困りごとがあるのなら

 暗い道の奥の奥 誰もこられないお家を 訪ねてごらん

 てまり ころころ 笑ってる

 てまり 主と笑ってる


 そのとき、ふいにユウヅキの声のトーンが下がった。夜中の屋敷に忍びこんだ泥棒のように、あるいはナナに聞き逃すなとでも言うように。何か、注意を促させるように、ゆっくりゆっくりと紡がれる。


 だけど 黒い鳥には お気をつけ

 可愛いてまり 良いてまり

 たちまち 壊されてしまうから


 歌の終わりと同時に、ユウヅキと手まりは溶けるように暗闇へ消え、ナナはそこでやっと目を覚ました。

 その日のナナは、学校にいる間中、今朝みた夢のことを考えていた。昨日、チトセに届けた人形によく似たユウヅキと名乗る女の子。まるで、ナナに語りかけるかのような手まり歌。あれもやっぱり、ただの夢だとはどうしても思えなかった。ナナは食べ終えたばかりのハルミの弁当を包み直しながら、考えを巡らせる。

 「暗い道の奥の奥」という言葉で、ナナの脳裏をよぎったのはチトセをさがして迷いこんだ商店街脇の裏道だった。客はおろか、通行人ですら通りそうにないあそこには「人形専門店」があった。

 仮にユウヅキが歌った「誰も来られない家」というのが、あの人形専門店だというなら、全てつじつまが合う。「てまり」は人形の比喩表現だったとして、妙に案内じみた歌だった理由も、困りごとがあるのならそこを訪ねるように勧めた理由も、合点がいく。あんな入り組んだ道では案内なしに行くのは困難だし、人形専門店ならば人形について詳しい人間がいてもおかしくはないのだから。

 そこで、ナナははっとした。そういえば、ナナはあそこで誰かの笑う声を聞いている。もし、あれが人形の笑う声だったのだとしたら、人形の主というのは人形専門店にいたあの眼鏡の青年――

 きっとあの歌は、チトセの人形の――ユウヅキなりの恩返しだったに違いない。ナナはとっさに、自分の制服のポケットをまさぐった。ところが、一向に目当てのものが出てこない。ポケットを広げてナナが中を覗きこんでみても、そこには何も入っていなかった。青年が書いてくれた簡易地図が、ない。

 反対側のポケットもさがしてみたけれど、見つからない。おかしい。昨日、ちゃんとポケットにしまったはずなのに。

 まさか、また落としてしまったのだろうか。昨日、地図を落としたときにアリサが拾ってくれたのを思い出しながら、ナナはきょろきょろと教室の床に目を走らせた。ちらほらと見えたのは配給される牛乳のストローの袋と、くしゃくしゃと丸まった折り紙がいくつか。けれど、その中にそれらしきメモ用紙は見当たらない。

 スズについては知りたいことがたくさんあるし、スズの持ち主のことだって気になる。それだというのに、これでは人形専門店への行き方が分からない。一度は自力で行ったとはいえ、もう一度あの入り組んだ路地に入って無事に辿り着ける自信なんてなかった。愕然とするナナの頭に、けれど唐突に夢の中で聞いたユウヅキの手まり歌がよみがえった。一言一句違わずに、ユウヅキの声が頭の中で繰り返される。今なら、まだ辿り着くことができる。ナナは、わけもなく確信した。


 帰りのホームルームが終わってすぐ、ナナはクラスの誰よりも先に教室を出た。何にも目もくれず、足早に帰宅する。重い鞄をいつもどおり机の横に置き、制服から私服に着替えた。そうして、この日は大人しく机の上に座っていたスズを手提げに入れ、慌ただしく玄関へ向かう。

「ナナちゃん、どこか出かけるの?」

「うん、夕飯までには帰るから」

 靴のつま先で床を蹴って履き心地を調節しながらハルミに答えると、ナナは外へと飛び出していった。

 そして再び、ナナはいつかも来たあの商店街の路地の前に立つ。チトセをさがしに来たときと少し違うのは、ナナが私服だということと、入り口にあるゴミ箱から漂う臭いが以前にも増してきつくなっていることだろうか。温かくなってきたとはいえ、今の時期それほど気温は高くないのだから、中の生ゴミが腐ったということはあまり考えられない。どうやら、あれからまた新たに生ゴミが増えたみたいだった。

「……迷わなければいいけど」ひとりごちて、ナナはユウヅキの手まり歌を口ずさみながら、薄暗い路地に進んだ。

 路地に入って五分と経たない内に、ナナは一つ目の分かれ道に出た。灰色の壁に分かたれた二つの道の先は、どちらも同じで薄暗い細道。

 ――まずは右へ、左へ、また左。

 ナナは頭に浮かんだ歌詞のとおりに右へ曲がった。角を一つ二つと曲がりながら、ナナは歌のことを考える。右、左、左へと進んだ後。歌では黒い鳥の群がる林にでることになっていた。そこから五つの分かれ道を曲がって、最後に小川を越えれば、人形専門店に着くと。

 黒い鳥は、カラスか何かのことだろうとナナは考える。けれども、こんな裏路地に「林」や「小川」なんてあるのだろうか。少なくとも、以前ナナが運良く人形専門店まで行ったときには見なかった。これも何かの比喩表現なのかもしれない。

 しかし、それ以上にナナが気になるのは、ユウヅキが最後に歌った言葉。

 ――だけど、黒い鳥にはお気をつけ。可愛いてまり、良いてまり。たちまち壊れてしまうから。

 黒い鳥はカラスだとして、どうしてカラスが「てまり」――もとい、「人形」を壊してしまうのだろうか。人間ならともかく、カラスが意図的にものを壊そうとする話なんて聞いたことがない。


 細い路地は、少しずつその幅を広めていき、壁には何やら細いパイプのようなものが並ぶようになった。三十センチほどの長さのものから、一メートルを軽く超える長さのものもある。太さもさまざまで、直径二センチくらいのパイプが一番多いようだったが、十センチくらいのものがたまに混じっていた。けれど、そのパイプのほとんどが壁に固定されているわけではなく、ただ立てかけられているものばかりだったものだから、ナナはそれを倒さないように、おっかなびっくりで進む羽目になった。

 がらんと音を立てて、四十センチの鉄パイプがアスファルトに転がった。ナナの肘がぶつかって倒れてしまったようだ。一瞬、ぎょっとしてその場に足を止めてしまう。

 けれど、幸いにも倒れたのはそれだけで、その隣にある赤く錆びたナナよりも背の高いパイプはびくともしなかった。思わずため息を吐く。なんだか心臓に悪いところだった。これでは、先が思いやられる。

 ナナがもう一つため息を吐いて、倒れたパイプを拾いあげたときのことだった。力強い鳥の羽ばたきが聞こえた。なんだろうと思いながら、ナナは音のした後ろを振り返る。そして、青い空から滑空してくる黒い影を見た。

「きゃあっ!」

 驚いて、思わず尻餅をついてしまったナナの頭上すれすれを、一羽の黒い鳥が通りすぎていく。その場に座りこんだまま、ナナがそれを目で追うと、鳥は建物の屋根に留まった。緑色に光る黒い羽で身を包むその鳥は、太く鋭いくちばしを開いて、があと低く鳴く。カラスだった。

 屋根に留まったカラスは、顔の側面についた小さな瞳をナナに寄こしながら、そのようすを伺っているようだった。けれど、カラスはその一羽だけではなかった。いつの間にか、路地を囲む建物の屋根の上にずらりと並ぶ無数のカラスたちを見つけて、ナナは顔を青ざめさせた。

「そんな、どうしてカラスがこんなに……」

 呟いてから、ナナはやっと気がついた。辺りに立ち並ぶパイプの影が、何かに似ていることに。

 天まで真っ直ぐに伸びていくパイプたちが、ナナの頭の中で空を目指して成長する林の木々と重なった。

「ここが、黒い鳥の群がる林だったんだ」ナナの震える声が、灰色の壁にぶつかって反響する。

 とにかく、どうにかしてここを抜けなくては。このままでは、カラスに突かれて痛い目をみるだけでは済まされない。ナナは手の平に収まったままの冷たいパイプをぎゅっと握った。立ちあがって、一気に通路を駆け抜けていく。


 パイプを手放さなかったのは襲ってきたカラスを追い払うためだったのだけれど、驚いたことにカラスたちはナナを襲ってこなかった。気にせずに走り抜ければよかったのだというのに、不思議に思ったナナは上空のカラスたちを仰いでしまった。瞬間、足元に転がっていた太いパイプにつまづく。視界がぐるりと回って、気がついたときには地面に倒れこんでいた。その拍子に、ナナの手からスズの入った手提げと鉄パイプが宙に放り出される。

 ナナがつまづいたパイプはごろごろと転がり、傍に立てかけられていた一本のパイプにぶつかった。ぶつかった衝撃でパイプが傾いて、ナナの頭上に影を落とす。けれど、ナナは動けなかった。パイプが近くなる。ほとんどはげてしまった水色の塗料が目に映る――

 ところが、ナナの頭上一センチかそこらというところで、パイプは動きを止めた。ナナの視界の端から生えてきた一本の腕によって。

「危ねえ、危ねえ。君、大丈夫か?」

 頭の上からナナに声をかけてきたのは、髪が外側に跳ねた快活そうな顔の青年だった。

「だ、大丈夫です。ありがとうございます」

 ナナがなんとか答えて体を起こすと、青年は「気にすんなよ」と笑って、パイプを元の位置に立てかけた。そのようすを見ていて、ナナはふと青年が見覚えのあるエプロンをつけているのに気づく。よく見れば、あの人形専門店で会った眼鏡の青年が付けていたものと同じものだった。

 以前、行ったときにはいなかったのだけれど、この青年もあそこの店員なのかもしれない。

 そう考えたナナが「あの、」と声を出したとき、何か細くて長いものがぐるぐると回転しながら降ってきて、けたたましい音を立てて地面に転がった。がらがらという大きな音が、壁中に反響してこだまする。ナナはびっくりして肩をすくめた。

「なんでパイプが空から降ってくるんだ?」

 驚いたような青年の声にはっとして音のしたほうを見ると、そこにはさっきナナが放り出してしまったパイプが転がっていた。

 そういえば、あの手提げはどうなったのだろう。鉄パイプと一緒に放り投げてしまったスズの入った手提げ袋。あれは一体どこへ飛んでいってしまったのだろうか。ナナが辺りを見渡せば、手提げは案外あっさりと見つかった。だけれど、少しばかり場所が悪かった。

「どうしよう――」

「なんか困ったことでもあったのか?」

 ぽつりと呟かれたナナの言葉を、青年は耳ざとく聞きつけたようだった。

「あの、実は…」

 困惑するナナの視線の先を追って、「ああ」と納得した声を出す。二人の目には、そびえる壁から飛び出したでっぱりに引っかかってぶら下がる、ナナの手提げ袋が映っていた。

「あれ、君のか。ちょっと俺でも届かないな。あの中には何が入ってる?」

「えっと、人形、なんですけど」

 ナナが答えると、青年は「あー、そうか」と、がしがし頭を掻く。それから、困ったように腕を組んで言った。

「こりゃ、店長呼んで来ないと駄目だな」

「店長?」

「そう。この先で人形店を経営してる」

 ナナの疑問の声に、青年は路地の先を指差して答えた。

「俺は、そこでアルバイトしてるツジっていうんだ」

 案の定、人形専門店の店員だった青年は、言いながらエプロンについた白い長方形のプレートを指した。そこには、たしかに名乗られたとおりの名前が黒いインクで印刷されてある。

「ま、とにかくついて来いよ。俺が店長に話してやるから」

 そう言われて、ナナが断るはずがなかった。「よろしくお願いします」と頭を下げたナナに、ツジは「おう」と笑って答えた。

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