5月

人形屋の奏でた狂想曲[1]

 一年生が部活動に入れるのは五月に入ってからだけれども、ゴールデンウィークまでの間であれば、仮入部を受けつけている。連休前には本入部届けが生徒に配られて、連休明けから部活動が始まるのだ。人形のことを考えていて、まだ仮入部をしていなかったナナは、五月になるとすぐに仮入部の届出を出した。

 朝一番に職員室まで届出を出しにきたナナに、担任のサエキはいたく感心したようだった。いわく、

「クラスの皆はホームルームの終わりに出してくるから、顧問の先生に連絡するのが大変なんだよ。部活が始まる前にあっちこっち走り回らなくちゃならない」

 らしい。

「お家の事情は校長先生から聞いているよ。あまり無理をしないで、ゆっくり学校に馴染んでいけばいいからね」

 サエキは、未だにナナに友達がいないことをすっかり見抜いているようだった。新任の、若い教師だと聞いていたけれど、ナナの事情を知ってよく気にかけてくれていたのだと、ナナはこのときになって初めて知った。ナナはサエキの心遣いに感謝しながら、「はい」とひとつ返事をして職員室を後にした。


 放課後、手芸部の部室のドアを叩いたナナを出迎えたのは、優しそうな顔をした女の先生だった。長い髪を背に流し、きれいな髪飾りで頭の後ろに留めてある。

「いらっしゃい、一年生のカツキナナさんかな? 私は手芸部の顧問のシラカワです」

「あ、はい。今日はよろしくお願いします」

「はい、こちらこそ」

 頭を下げたナナを見て微笑みながら、シラカワはナナを手で部室の中へ促した。

 家庭科室でもあるその部室には、白くて長い机が六つあって、そのどれもが部屋の奥の黒板に向かって、真っ直ぐに伸びている。普通の教室よりも元々大きくできているものの、余計に奥行きを感じさせるような配置だった。今は十人前後の人がまばらに座っていて、それぞれミシンや裁縫道具を広げて何かを作っているけれど、人がいなくなったらどんなに広くて寂しい部屋になるだろう。そう想像したナナが思い出したのは、今朝もみたあの人形の夢だった。

「手芸部の活動内容は見てのとおり、布とかを使って作品作りをするの。廊下に作品を飾ったり、市民展示室に展示したりもするのよ」

 その他にも、年に一度だけ、部員全員で共同制作をするのだという。今までずっと一人で手芸をしていたナナは、これには驚いた。お裁縫なんて、一人でやるものだとばっかり思っていた。どうやら、共同制作では教室の壁ほどもある大きなキルトを製作するらしく、ナナはそれを素直に楽しそうだと思った。

 顧問のシラカワは、あらかたの活動内容を説明をしてから、ナナの顔を見た。

「今日は裁縫道具とか、何か作りたいものの材料とかは持ってきてある? なかったら、こっちで用意しておいたものがあるけれど」

「大丈夫です。どっちもちゃんと持ってきました」

「そう。それじゃあ好きな席に着いて作業をしていてくれていいから」

 言われて、ナナはなんとなく、部屋のすみにある誰もいない机に向かった。窓際の日当たりのいい席に座ると、少しだけ開いた窓から柔らかい風が吹きこんでくる。小学校のクラブ活動でもそうだった。ナナの定位置だった席は窓際で、春には心地よい風がナナの髪を揺らして、冬には暖かい日差しが背中を温めてくれた。あのときは一人用の机を四つ集めてくっつけただけの机で、前の席には「ミっちゃん」が、その隣の席には「ユウコちゃん」が、それぞれ座っていた。ナナの隣の空いた席は荷物置き場と決まっていたけれど、時々顧問の先生が座ったりすると、四人で話しながらマスコットを作ったりもした。

 ナナは背負っていた革の鞄をおろすと、裁縫箱を取り出して中のものを広げ始めた。今日、ナナが作ろうとしているのはフェルトのテディベアで、完成すると手の平にのるくらいの大きさになる。フェルトは家で型紙に合わせて裁断してきたから、後はパーツごとに縫い合わせて綿を詰め、それから個々のパーツを繋げ合わせるだけだ。


 ナナは、もう何度も同じテディベアを作っている。クラブで初めて作ったら、「ミっちゃん」や「ユウコちゃん」にすごいすごいともてはやされて、自分にも作ってくれないかと頼まれた。ナナが快く引き受けたら、それをどこからか聞きつけた可愛いもの好きの女子たちが、わたしにもわたしにもと名乗り出てくる。ナナはそれを断りきれずにうなずいてしまったため、手の指では足りないくらいの数を作る羽目になり、今となっては作り方もすっかり覚えてしまった。

 だからきっと、ナナの手際は先輩たちの目に留まるくらいには、よかったのだ。仮入部員を見回りながらアドバイスや世間話をしていた先輩たちは、ナナの机のところまでくると、足を止めては「すごいねえ」だの「これ、テディベア? 上手いねー」だの「あたしたちより上手いよ、この子ぉ」だのと、ナナが恐縮してしまうくらいに褒めちぎる。もっともっと小さいころのナナだったら嬉しくてたまらなかっただろうに、今は真っ赤になって「ありがとうございます」と縮こまりながら言うのが精一杯だった。


 真っ赤なフェルトと銀の針。針に通った緋色の糸で、生地と生地を繋ぎ合わせて裏返す。少し柔らかめになるようにと綿は少なめに詰めて、コの字閉じで口を縫う。一つ一つの部品を慣れた手つきで縫いあげていく。

 と、不意にナナの前の席で物音がした。顔をあげてみると、同じ仮入部員の女の子が、手に裁縫道具を持って立っていた。見覚えがある。たしか、同じクラスの女の子だ。いつも長い髪を頭の後ろで一つに結っている。

「えっと――」

「ねえ、ここ座ってもいい?」

 ナナがかける言葉に迷っていたら、女の子の方からそう言ってきた。

「う、うん、別にいいけど」

 ナナがうなずけば女の子はぱっと笑って、持っていた道具を机におろした。木製の椅子に座り、それから作業を始めるのかと思ったら、ナナの方をじっと見てくる。ナナはその視線にたじろいで、思わずどもってしまった。「な、何?」

「いやね、先輩たちがさっきからすごいすごいって騒いでるからどんな子かなあと思ったらさあ、同じクラスの子なんだもん。ちょっと話してみたくなって」

 間延びした口調で喋りながら、女の子は両手で頬杖をついて、にんまりと笑う。

「ナナちゃんだっけ? 苗字はたしか、カツキだったと思うんだけど」

「知ってるの?」

 驚いて尋ね返すと、女の子は「うん」と、うなずく。

「ほら、出欠のときに名前呼ばれてるから」

「あ、そっか」

「あたしは呼ばれるの後ろの方だから覚えてないかもしれないけど、ヤザワユキっていうんだ」

 よろしくねと言われて、ナナもはにかみながらよろしくと返す。なんだか、久しぶりに同じ歳の子と話しているような気がして、少し照れくさかった。

「ナナちゃんって、いつも一人でいるよね。どこの小学校から来たの?」

「たぶん、ユキちゃんは知らないと思うけど……ショウセイ小学校っていうところだよ」

 針を針刺しに戻してナナが答えると、ユキは「あ、やっぱり」と言った。何がやっぱりなのかとナナが聞けば、その子は笑って、

「この辺って小学校が一つしかないんだよ」と言った。

 カミシキ小っていうんだけど、と続けて、そのまんまだよねと笑う。

「だから、カイセイ中に来るのもみんなカミシキ小の生徒でさ、大体は顔見知りなんだよ。ナナちゃんは見たことなかったから、もしかしたら別の町から来たんじゃないかなあって思ってたんだ。あ、あたしのことは気にしなくていいから作業続けててよ」

 にこにことしながら言うだけ言って、ユキはナナに作業をするよう手で促す。ずいぶんとマイペースな性分の子らしかった。

「ユキちゃんはやらないの?」

 ナナが苦笑して言うと、「だって、あたし不器用なんだもん」と言う。

「手芸部で用意されてた材料でマスコット作ろうとしてみたんだけど、全然だめ。あたしにはこんな細かいこと無理に決まってるのに」

 挙句、そんなことを言って、からから笑った。それならどうして仮入部なんてしたのかと聞いてみたら、

「色んな部活を体験できるのって今だけだし、片っ端から仮入部してみようと思ってさあ」

 なんて答えが返ってくる。もっとよく話を聞けば、ユキは今日のこの手芸部でカイセイ中の部活を全部制覇したことになるのだという。ナナはテディベアの制作を再開しながら、ぽつりと呟くように言った。

「なんか、ユキちゃんって変わってるね」

「よく言われるー」

 屈託なく笑うユキの顔に、ナナは不思議と太陽の香りがするのを感じた。


 仮入部も終わるころ、ようやくできあがったテディベアは、緑色の木製ビーズを目に使った真っ赤なテディベアだった。

「あたしもナナちゃんみたいに器用だったらよかったのになあ」

 できあがったばかりのテディベアを見つめながら、羨ましそうにユキが言う。その手元には、作り終わらなかったマスコットの材料が残っていた。作りかけのマスコットも、どことなくいびつで、縫い目が粗い。けれど、ナナは苦笑して首を振る。

「でも、私にはユキちゃんみたいな行動力はないよ」

 歌、踊り、お芝居――今まで裁縫以外のことに興味を持ったりしたことはたくさんあったけれど、ナナにはその全てに手を出せるくらいの行動力がなかった。どれもたしかにやってみたいと思ったけれど、実際に挑戦してみたことなんてなかった。

 今度のことだって、同じだ。仮入部だけならもっと別の――ダンス部だとか、合唱部だとか、そういうものにしたってよかったし、それこそユキみたいに色んな部活に申しこんだってよかったのに、結局のところ申しこんだのは手芸部だけだった。やったことがないことだったから、手を出すことをためらってしまったのかもしれない。

 色んな部活を体験できるのって今だけだし――そう言ったユキの、その行動力が、ナナには少しだけ羨ましかった。

 小さなテディベアは手のひらにのせると、柔らかいフェルトの手ざわりがして、心なしか、少しだけ温かい気がする。本当は、いつもお世話になっているハルミにあげるつもりだったのだけれど、

「よかったらこれ、ユキちゃんにあげる」

 そっとナナがテディベアを差し出すと、ユキは驚いたように目をぱちくりさせる。

「いいの?」

「うん。ユキちゃんと話すの、楽しかったから」

 ナナは、ゆっくりとうなずいてみせた。ユキは少しためらうようなようすで手を伸ばして、そっとテディベアを受け取った。

「えへへ、ありがとうナナちゃん」

 嬉しそうにはにかむユキの顔を見て、ナナもなんだかむずがゆい気持ちになる。一瞬だけ、「ミっちゃん」と「ユウコちゃん」の顔が頭に浮かんだ。

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