【終局】
「ポローニャ団長、藤花鉄橋が見えてきました」
山吹を操縦しているルベティカが、となりのポローニャに告げた。
「ようやくツルね」
山吹は鉄橋の上に乗っかるように浮かぶと、次に線路に沿って飛行しはじめた。
じきにポッドは屋敷の廊下の中に入っていく。
それはまるで、探査機が宇宙ステーションに帰投するかのような、そんなSF映画のワンシーンのようなイメージを想起させた。
飛行ポッドと板敷きの廊下、それに漆喰の壁の組み合わせは本来なら見た目に不釣合いなことこの上ないが、どのみち床には銀色のレールが埋め込まれているのだし、ずっとこの屋敷の中をさまよい続けてきたものだから、今ではすっかり奇妙な統一感をもって眺めることができた。和洋折衷どころかまったくこれほど変わった屋敷もない。今さらながらそう思う。
ずっと単調な膝栗毛屋敷の廊下の上を飛んでいると、そのうちなんだか妙に眠くなってきた。疲れがドッと出てきたようだ。
見ると、両どなりのめぐみと未弥は、いつのまにかふたりとも軽い寝息をたてながら僕の肩にもたれかかるようにして眠っているじゃないか。
無理もない。あれだけの経験をしたのだから緊張感もハンパなかったろう。それが一気に解放されたんだ。
それでも窓際の紗織さんだけはキリッとした表情でまっすぐ前を向いている。
めぐみの無防備な寝顔を見ながら僕はふと思い出した。まだ自分が弱虫でイジメられっ子で、めぐみが僕のナイトのような存在だった幼いころのことを。
ある夏の日、一緒にプールに行った帰りのバスの中、ぐったり疲れためぐみが僕の肩に頭を乗せてスースー眠っていたことがあった。いつも自分を助けてくれていた頼もしい彼女が僕にすっかり体をあずけて頼りきっているその感じに、僕は妙に誇らしい気持ちになったもんだった。
そう、その時にはめぐみの母、鶯谷響子も同じバスの中にいた。僕たちふたりのことを微笑ましそうに見ていたっけ。やさしそうな笑顔だった。
あれから何年たったんだろう。みんな変わって別々の方向に行ってしまった気がするけれど、あの時と同じようにめぐみが僕の肩に頭を乗せて無防備に眠っている姿を見ると、実はあのころからみんなそんなに変わっていないのかもしれないとも思えてくる。そうさ、鶯谷響子だってきっともとのやさしいめぐみのお母さんに戻って彼女の元に帰ってくるさ、きっと……。
過去の追憶とともに僕のまぶたも急激に重くなってきた。もういいだろう。少し眠ろう。
ふと操縦席のコンソールパネルから何者かの声が聞こえてきたので、ふと閉じかけていた瞼が開いた。
「お嬢さま。ご無事ですか」声はそう問うてきた。
後部座席の紗織さんがその場から返事をした。「星垣さんですか。全員無事です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
「よかった……」声は心から安堵した感じの声を漏らした。
……?
誰だ。
「今のは乳母の星垣です」紗織さんが僕のほうを向いて答えた。
ああ、そうなのか。乳母……。
でもこの声、どこかで聞いたような……。
どこで聞いたんだったかな。
「あ、思い出した」
「えっ」
「……あ、いや」
そうだ、今の声は一番最初に膝栗毛屋敷を訪問した時、インターホンから聞こえてきた声と同じものだ。
あの時、応対したのは紗織さんの乳母だったのか。
冷たい受け答えに頭にきて、それが屋敷侵入のきっかけになったんだ。そうだ、はっきり記憶がよみがえったぞ。
でも、乳母の星垣さんにしてみればそれどころじゃなかったんだろうな。あの時は紗織さんが行方不明になって一週間が経過していたのだから。
今ならあのそっけない応対ぶりも理解できる。僕なんかが急に来たって逆に迷惑に思えたのに違いない。
「私は、ここにいるクラスメイトの煮凝さんと鶯谷さんに危ないところを助けられたのです」紗織さんが前の座席のパネルに声をかけた。
「そうだったんですか」パネルから星垣さんの声が聞こえる。「煮凝さん、鶯谷さん、聞こえますか。私からもお礼申し上げます。本当にありがとうございました」
「スカーッ、ムニャムニャ」めぐみは口を開けて気持ちよさそうに人の肩を枕にして寝息をたてている。
「いやあ、紗織さんは僕らの大切な友だちですから」代表して僕が星垣さんに答えた。
「お嬢さまは本当にいいお友達をお持ちですね」
「ええ、いいお友だちを持てて、私はしあわせです」
「……」星垣さんは急に黙った。そして感極まったように「でも本当によかった。ご無事で……」
こっちもよかった。と僕は思った。和解できて。最初はすごく感じが悪かったが、これですべてチャラになった。まあ向こうは僕の声なんておぼえてないだろうけど。
星垣さんとの通信が終わり、ふたたびポッド内は静かになった。僕の瞼はふたたび重くなってきた。
「あっ、あいつ何者ツル!」
ポローニャがいきなりおおきな声を上げたので、僕はびっくりして目を開けた。今度はなんだよ。
めぐみと未弥も驚いた顔で両目を剥いている。ふたりともすっかり目がさめたようで、おかげで僕の両肩も軽くなった。
視線を前方にやると、延々続く膝栗毛屋敷の廊下の上を、ひとりの人間がこちらに背を向け、巨大なリュックを背負ってとぼとぼと歩いているのだった。
「ジイサン……」
まぎれもなくそれは寿司山喜三郎だった。
「生きてたのか……」
あの時、巨大イカの足みたいなのに絡みつかれて水中に引きずり込まれたのにもかかわらず、しれっと助かってる。さすがはサバイバーだ。
喜三郎ジイサンはうしろから迫り来る山吹に気がつくとあわてて走り出した。逃げるといっても廊下はずっと一本道だ。
どうやらこの屋敷の中を十年以上も不法侵入しさすらい続けてきた男にもとうとう年貢の納めどきが来たようだ。家人に見つかっちゃおしまいだ。
と思ったら、壁に障子戸が見えてきた。つまり部屋の入口がそこにあった。喜三郎ジイサンはあわてて障子戸を開けると部屋の中に飛び込み、ピシャッと戸を閉めた。
しかしこんなの逆効果だ。わざわざ自分から追いつめられに行ったのも同じだ。
山吹は減速し、部屋の前で停まろうとしている。
でも、今は寄り道してるヒマなんかないはずだ。一刻も早く未弥を検査、治療させなきゃいけないのだから。ここは不法侵入者にかまってる場合じゃない。
「ねえルベティカ停まらないで。未弥のこと忘れたんじゃないだろう」
「お嬢さま、いかがいたしましょうか」ルベティカが前を向いたまま紗織さんに聞く。
「とうぜん麻崎未弥さんの治療が先です」
「了解しました」
ルベティカはふたたび山吹を加速させ、部屋の前から離れていく。さすらいびと喜三郎は間一髪助かったようだ。
(ジイサン、未弥に感謝しろよ)
僕はうしろを向くと、山吹の半透明ドーム越しに過ぎゆく廊下を眺めた。
すると、障子戸を開けていつのまにか廊下のまん中に喜三郎ジイサンが出てきていて、僕たちの飛行ポッド向かって手を降っているではないか。
どこまでも食えないジイサンだなあ。
「ん?」
よく見るとジイサンは、もう一方の手で何かを抱くようにしている。
犬のようだ。
確かに犬だ。
待てよ、あの犬、どっかで見たことあるぞ……。
「あ……あいつ」
そうだった。あの時、靴を片方くわえながら結果的に僕を膝栗毛屋敷の中へと誘ったあの張本人だった。いや、張本犬? 何でもいいや。まさかこんなところで再会するとは……。
あのふたり、いつのまになかよくなったんだ。
いや、違うぞ。ひょっとしたら、ジイサンとぶち犬は最初からツルんでいたのかもしれない。あの犬に生活必需品を屋敷のあちこちから調達させていたのかもしれない。
真相はわからない。まあいいけど。
ぶち犬のやつ、何か口にくわえているぞ。
ジイサンも同じものをくわえ、もぐもぐと口を動かしている。
イカの足だった。
いや、おそらくあれはイカに似た巨大怪物の足の先っぽだった。
暗闇の水の中で襲われた時、返り討ちにして食料にしたんだ!
さすがに僕は、その冒険指数の高さに感心せざるを得なかった。
ああいう手合いこそ膝栗毛卓也氏がもっとも迷惑に思っていたはずの存在なんだろう。でも僕にはあのジイサンが妙に憎めない。ジイサンもはぐれ者という点では卓也氏と共通している。
ふと前に向き直ってポッド内に視線を移すと、操縦しているルベティカを除き、皆がドーム越しに過ぎゆくうしろの廊下をじっと見つめ、背後の喜三郎に注目しているのがわかった。
「あの男、頭にくるツルねえ。今度見つけたら絶対捕まえてやるツル」
不法侵入者に対して、早くもポローニャは対決の闘志をむき出しにしている。
僕もふたたび背後に目をやると、どんどんちいさくなっていくジイサンはまだ僕たちに手を降っていた。
(さよならジイサン、ぶち犬)
僕は思った。膝栗毛卓也イコール膝栗毛屋敷だと考えるとすると、そのどこまでも妖しい力に引き寄せられた点では寿司山喜三郎も結局のところ鶯谷響子と似たもの同士なのかもしれないと。
いや、それをいうなら僕とめぐみだってそうだ。紗織さんのことが心配だっていう理由づけでその実巨大屋敷の持つ魅力に負け、吸い込まれるようにして中に入り込んできてしまった。脱出しようしようと焦ってばかりだったけれど、そのうちどこか心の片隅で屋敷内をさまようことが、むしろ死ととなりあわせの快感に変わっていった側面があったんじゃないだろうか。今ならそんなふうに思える。まさにそれこそが伝説の大スター、膝栗毛卓也が発するあらがえない呪縛のオーラだったのだ。
でも僕たちはジイサンと違う。前を向いて、もうこの屋敷から出ていかなくちゃならない。膝栗毛卓也とは訣別の時なんだ。
山吹は廊下の角を曲がり、さらに角を曲がり、T字路を曲がり、三叉路を過ぎ、五叉路を過ぎ、またしても角を曲がった。
ちょうどその時、急にあたりの明るさが増したように思われた。
「……」僕は息を飲んだ。
それは決して照明のせいじゃなかった。そんな人工的なものじゃなく、すべてを白日のもとにさらすような、そんな根元的な明るさだった。
窓だった。
廊下のはるか前方におおきな窓があった。
そこから太陽の光が差し込んでいたのだった。
僕だけじゃなく、めぐみの顔も、未弥の顔も、自然光に周囲が照らされているのに気づくと、急にパッと輝いた。
妙な感動が自分の中からわき上がってきたのがわかった。
この屋敷に来てから、はじめての太陽の光だった。
「おい、めぐみ、未弥……」僕は前を見ながらふたりにいった。
「うん」
「はい」ふたりは同時に返事をした。
「やっと終わったな」
「うん」
「はい」
僕たちは見つめ合い、微笑みあった。
「私、明日からまた学校に行きます」すると紗織さんも口を挟んできた。
「うん。……よかった」僕は頷くと、紗織さんの顔を見た。
紗織さんも僕を見て、またあの輝ける笑顔を見せた。
めぐみと未弥もすっかり笑顔だ。もちろんこの僕、煮凝大作戦もだ。
そうして飛行ポッド山吹は、光の方に向かい、前へ前へと進んでいった。
(終)
彼女の自宅はほとんど最凶の迷路 北口踏切 @983_224
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