【収束】


 未弥は僕と紗織さんを交互に見ながら、ちょっと不安な顔になっている。


「心配することはありません。この屋敷の施薬院には最高の設備が整っています。治療はあっというまに終わりますから、すぐにおうちに帰れますよ」そういって紗織さんは未弥を安心させるためかニッコリと笑顔を見せた。


「はい」未弥もそれで安心したのか、笑顔を取り戻して返事をした。


 それにしても紗織さんの笑顔を久しぶりに見た。ふだんほとんど無表情だと、この笑顔にはやっぱりくるものがある。


 無意識のうちに、僕はニヤけた顔になっていたようだった。気がつくとものすごい形相でめぐみが僕をにらみつけている。


 僕は咳払いをして表情を引き締めたが、めぐみのやつはまだ何かを探るような目つきで僕を見ている。


「それでは私たちも早くこの場を離れましょう……といいたいところですが……」


 見回すと、ここには合計九人いる。山吹一台には全員乗れそうにない。


 最初に紗織さんに同行した侍従警団の三名がずいと前に出ると、ポローニャに、


「われわれデコポーナ、パンプキン、ドクソモリスカヤの三名は、しばらくここに残って現場検証いたします」


「そうかツル。わかったツル。すぐに迎えを寄越すように連絡を入れとくツル」


 そうポローニャが答えると、デコポーナ、パンプキン、ドクソモリスカヤはポローニャにサッと敬礼した。


「あなたがたにはたいへんな苦労をかけてしまいましたね。申し訳なく思います」


 紗織さんが三人にねぎらいの言葉をかける。


「いえ、お嬢さまがご無事で何よりでした」そう答えたのは美人だが格闘家のようなガッシリしたガタイの女性だった。


「そうか、きっときみがドクソモリスカヤだね」よせばいいのにすっかり気のゆるんだ僕がついつい口を挟むと、女はジロリと僕をにらみ、


「パンプキンだ」


「あ……どうも失礼しました」よけいな口をきいてしまった。


「じゃあ、そろそろ行きましょう」


 紗織さんに促され、僕たち六人は、やっとこの場を離れるべく山吹に乗り込んだ。前席にルベティカとポローニャ、うしろの席には紗織さん、めぐみ、僕、未弥の順に座った。多少窮屈だがしかたがない。


 山吹が鉄橋から浮き上がると、紫苑と同じように暗黒の断崖絶壁を、最初はゆっくりと、次第に加速しながら上昇していった。


 残ったデコポーナ、パンプキン、ドクソモリスカヤがこちらを見上げながらずっと敬礼しているのが目に入る。ポローニャとルベティカもポッドの中から軽く敬礼を返した。


「お父さま、さようなら……」


 眼下の闇を覗き込むようにしながら紗織さんが小声でつぶやいた。


「……」


 そのつぶやきは全員に聞こえたようで、ポッド内がちょっとしんみりした感じになった。


「あ、紗織さん」


 おずおずとめぐみが紗織さんに声をかける。


「あの……母のこと、よろしくお願いします。ひどい迷惑をかけてしまったけど、あれでもやっぱり私のお母さんなんだ。家に帰ってきてほしいんだ。罰ならかわりに私が受けるから」


「罰などと、とんでもありません」紗織さんは穏やかな表情で答えた。「鶯谷さんのお母さまは、はからずもニコゴリさんのおかげでヒプノティの気はほとんど抜けたように思えます。期せずして風切の一刀が荒療治になったのでしょう。見たところ致命傷でもなさそうだったし、あとはこちらでちゃんと治療して完全に治しますから安心してください」


「ありがとう、紗織さん。それから」と僕のほうを向き、「ありがとう、ニコゴリ」


「僕は……」言葉につまる。


 果たして自分にお礼などいわれる資格があるんだろうか。


「僕は……おまえの母さんを……」殺そうとしたんだぞ。でも最後までいえなかった。


「だって」こちらの気持ちを察したのか、めぐみが「それはしかたないよ。ニコゴリがあの時ああしなかったらあたしも紗織さんも今ごろは深い崖の底に落ちてたんだよ。お母さんだって元の姿に戻らなかったんだよ。結果オーライじゃない。あたし、一生あんたに頭が上がらないくらい感謝してるんだよ。もうニコゴリはあたしと対等だよ。子分を卒業させてあげるよ」


 まだそんなこといってんのかよ。「だから最初から子分じゃないって……」


 そういった僕の口から、思わず苦笑が漏れてしまった。つられてめぐみも笑った。こいつが僕を元気づけようとしてそういってくれたような気がした。こいつや紗織さんを元気づけなきゃいけないのはむしろこっちのほうだっていうのに。


 でも、おかげで僕にも明るい気持ちが戻ってきた。


 人を斬ったという事実は揺るがないけれど、袈裟懸けにおもいきり風切を降り下ろしたにもかかわらず鶯谷響子の命を奪わずにすんだのは、僕の心のどこかに多少躊躇する気持ちが残っていたからのような気がする。本当に死なずにすんでよかった。めぐみのいうとおりすべて結果オーライってことでいいんじゃないだろうか。


「あそうだ未弥、すっかり忘れてた」僕はさっきから神妙に座っている左どなりの未弥に声をかけた。


「……え、なんですか」


 僕はポケットから未弥の携帯を取り出した。「見つかったよ」


「ああっ」未弥が目を剥き、僕から携帯を受け取った。


「どこにあったんですか?」


「必死に探し回ったんだよ」本当は寿司山喜三郎からもぎ取っただけで自分で探したわけじゃないんだけれど。


「ありがとうございます! ニコゴリさん」


「いいっていいって」


 未弥は本当にうれしそうだ。やっと取り戻した携帯を裏から見たり表から見たりしている。


「ところで、そこに貼ってあるシールの名前は誰が書いたの」僕は疑問に思っていたことを未弥に聞いた。


「はい、これはお婆ちゃんが書いてくれました」


 やっぱりそうだった。未弥はお婆ちゃんっ子だったんだ。きっとあの字は亡くなったお婆ちゃんの思い出の痕跡だったんだ。


 すると何かを察したのか未弥は、


「おかげさまでお婆ちゃんはすごく元気です」


 といって微笑んだ。


「あそ。そら悪かった」


 いいことだ。いい孫も持ってお婆ちゃんもさぞかししあわせなことだろう。


「未弥、もしこれ以上イジメにあうことがあったら僕をたずねてこいよ。僕はいつでも力になるよ。僕は矢岳田高校二年B組の煮凝大作戦だ」


「はいっ、ありがとうございます」未弥は元気よく答えた。「私、ニコゴリさんのこと、ずっと忘れません」


「あ、ああ」


 何だか未弥のやつ、キラキラした目で僕を見つめてくるじゃないか。


(惚れられたかな……)内心そのようなことを思いながらも態度には出さず、


「イジメなんかに負けるなよ」そういって励ました。


「はいっ」


 何だかいい感じだ。この山吹号の中に一気に幸福感が満ちてきた気分だ。


 その割には、車窓の風景は相変わらず暗黒のまっただなかで、その中をいくつもの鉄橋をやりすごしながら、ひたすらに僕たちはどこまでも上昇していった。



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