6

一瞬の沈黙の後、聖王が口を開いた。

「君を利用したのはね反乱分子の抹殺が目的では無い。その逆だ。楼欄の民はね死人も同然の状態。生きる目的も無く、貴族どもは、密かな殺戮に酔いしれ、市民は怒る事を忘れ、与えられた仕事をこなすだけ。そんな人間に生きる資格は無い。そこで、私は君に賭けたのだよ。君の体の秘密をでっちあげ、それを裏の世界に流した。案の定、彼等は食いついて来たよ」

「コクシ・ジオの事か」

 俺は、伝助が持って来た服を着終えて、聖王に応える。レイは虫の息で、窓の外に倒れている。

「コクシ・ジオだけではない。楼欄中の反乱分子が決起して、君を追い始めた。予想以上の反応だった。瞬く間に、楼欄中に、双竜穴放棄の思想が生まれ始めた。企業と手を組んで、君から免疫機能を奪い取ろうとした連中も現れた。良くも悪くも、楼欄が活気づいたのは、何百年か振りだったよ」

「俺は、あんた達の噛ませ犬だったって訳か」

 まんまと、利用された訳だ。聖王が、俺に働いてもらう、と言っていたのは、この事だったのか。

 別に、怒っちゃいないが、お役に立てて嬉しい、なんて事も思っていない。

 聖王が助けた命だ。彼がその命の権利を主張し、利用しようとするのも、わからなくもない。

「すまないと思っているよ。しかし、レイに知られるとどんな妨害を受けるか分からなかったからね。彼女は楼欄が産み落とした、鬼子さ。何しろ、彼女の最初の生贄は、彼女の両親なんだからね。レイは双竜穴の中でしか生きられない。この閉鎖された空間で、力を誇示する事しか出来ないのだよ」

「どうしたいんです、あなたは。双竜穴を破棄するのですか」

「そうだ。我々の先祖の考えが間違っていた。無菌室に逃げ込んでは駄目だったのだ。人は外界からの刺激により、成長し進化して行くものなのだ。それが刺激の無い世界に逃げ込んだために、人としての機能を失ってしまった。このままでは、後、何十年ともつまい。だから、楼欄の民の志気を高め、その後、双竜穴を破壊する。それで、人類が死滅しようとも、人としての志を持って死ねれば、それで良い」

 聖王の目頭が、うっすらと濡れている。

 俺が聖王に、言葉をかけようとした時、レイの苦しげな声が響いた。

「勝手な事ばかり言うんじゃないわよ……あんたの先祖が作ったんじゃない……そこに適応しただけなのが、悪いって言うの……皆、道連れにしてやる……」

 虫の息だったレイが、最後の力を振り絞り、窓硝子に銃を乱射した。

 俺は床に伏せたが、聖王は逃げようとはしなかった。

 レイの撃った閃光が聖王を捕らえた。聖王はその場に倒れた。

 銃撃がやみ、レイの様子を見る。

「これで……結核き……飛散して……皆死ぬの……正夢あんたも……」

 レイはついに事切れた。

 しかし、レイには悪いが、俺は結核には感染しない。俺の左肩に残るケロイド痕。BCG。子供の頃にうけた、結核の予防接種の痕だ。下手な医者がやると、打ち所が悪く、服の袖などで擦れて、痕が残るのだ。

「聖王様に病原菌を撒けと言われた時、旦那様の感染しない病気と思って、結核菌にしたんです」

 予防接種なんて、行われなくなって、何百年と立つのだ。レイが知らなくても仕方がない。しかし、伝助の記憶回路には残っていたようだ。よりによって、大嫌いな注射に助けられるとは、皮肉なものだ。

 俺は聖王を抱き起こす。何とか、急所は外れている。

「君には、最後の仕事をして欲しいのだ。この茶番劇の主役に君を選んだのは、双竜穴を破壊して欲しいためだった。さすがに、私には、この手で先祖が創った物を破滅するなんて、出来ないからね。その点、君なら、ためらい無くやってくれると思ったんだ。言っただろ、君には期待しているって。人類の未来は、君に託す。頼む引いてくれ、進化の引き金を」

 聖王は、よろけながら立ち上がり、レイの倒れている方へ歩き出した。

「あんたは、どうするんだい」

「私の天命は尽きた。レイと一緒に、ここにいるよ。思えばレイも、犠牲者の一人だ……どうやら、私も感染したらしい……破壊の仕方は、伝助に教えてある。さあ、早く行きたまえ……」

 レイと重なるように倒れ込んだ聖王の言葉に従い、俺はミドの遺体を担ぎげて、部屋を出た。聖王とレイの亡骸の側で、下されるはずのない命令を、健気に待ち続けるリンデを一人残して。


 歩きながら、ミドの体に刺さった針金を抜いてやる。死んでいるせいか、血は余り出てこない。針金はそれこそ、無数に刺さっていて、全部抜くのにひどく時間がかかった。刺されている間に精神が破壊していたに違いない。

「死後硬直からみて捕獲された直後ですね。ハイドロフ先生が連絡して来た時にはすでに亡くなっていたんですね。可哀相にミドさん」

 俺が楼欄で出会った人間の中で、ミドが一番純粋な人間だったかも知れない。純粋に開放のために戦い。純粋に外の世界に憧れていた。グロブが俺の事を純粋な悪と言っていたが、ミドは純粋な希望といったところか。せめて、亡骸だけでも外に連れていってやりたい。

 伝助が先導に立って、さっきいたフロアの下の階に連れて来られた。

「ここが、双竜穴の心臓部。極超短波送電装置の制御室です。軌道上に打ち上げられた太陽発電衛星が発電した電力を受取り、極超短波に変換して、地上にある受信装置に送電しています」

 下の階を全部使っての制御室で、部屋の中には、補修ロボットや作業ロボットがひっきりなしに蠢いている。

「ここで、裂鬼界の発生装置を始め、楼欄の全電力をまかなっているんです。でも通常は、ここには入れないのですが、聖王様が開けて下さったんです」

「お前はどうして、聖王と一緒だったんだ」

 俺はミドの遺体を、壁を背にもたれさせた。

「ええ、旦那様が出て行かれた後、私も別の通路から行こうとした時、聖王様と出会ったのです。それで旦那様の立てた作戦を話して」

「ちょっと待て聖王が敵だったらどうするんだ。この馬鹿」

 下手をしたら、俺は今頃、レイの餌食じゃないか。

「しょうがないんですよ。楼欄で正規に作られたロボットや電子頭脳は、聖王様には絶対服従なんですから。それで聖王様は双竜穴の中にあるもう一つの軌道エレベーターを復活させて上がって来たんです。私たちの行動は全て補修ロボットに化けた監視ロボットによって聖王様に報告されていたんです」

 しかし、ここまで手のひらの上で踊らされると、怒りよりも、笑いがこみ上げて来る。やってくれるな、あのオヤジも。

 唐突に目の前が明るくなった。

「これを見て下さい」

 目の前には地球の立体映像と、それを取り巻く無数の人工衛星の画像が浮かびあがった。

 地球の周りには小さな三角柱がたくさん浮かんでいる。子供の頃に遊んだプリズムみたいな奴だ。これが太陽発電に使われる人工衛星だ。それに軌道エレベーターらしき物も見える。

「人工衛星の内、太陽発電衛星は、全部で八0基あり。発電効率は九九%。送電効率は九0%。この内の半分で、楼欄の全電力をまかなっています。その電力を各軌道エレベーターを通じて虚空に集め、それを極超短波に変換して、虚空の隣に浮いている大開口空中線で地上の受信所に送っています。その全てを管理、運営しているのがこの制御室です」

 と言う事は、ここを破壊すれば双竜穴も消えてなくなる。

 でもどうやって破壊するかだ。爆弾などはレイに取り上げられて、どこにあるのかもわからない。装甲車もここまでは来られない。

「旦那様。聖王様がこれを」

 渡されたのは、プラスティックのような、金属のような、手のひら大のカードだ。カードには、皇家の紋章が入っている。

「これを使えば、ここの管理体系が、旦那様の支配下におかれます。そうすれば、各衛星に搭載されている軌道逸脱時の緊急自爆装置が作動させられます」

 俺はカードを手に取った。

 二匹の竜がお互いの尻尾に噛みついている紋章。無限を意味するとも破滅を意味するともとれる紋章だ。

「こちらへ」

 伝助の案内で俺は大きな操作卓の前に来た。

「ここへ、カードを差し込んで下さい。そうすれば、今より旦那様が虚空のいえ楼欄の支配者です」

 伝助の指示通り、カードを差し込み、暫くすると、部屋中に、コンピュータの合成音がが響いた。

「ご命令を。聖王様」

 権力を手に入れる儀式は、呆気なく終わった。

 伝助とは違って無気質な電子音だ。それに反応して補修ロボットが俺の前に整列する。悪い気分じゃない。

 俺は、おもむろにロボット達を見回して口を開いた。

「最初で最後の命令だ良く聞け。全太陽発電衛星を自爆させ、その後、虚空を軌道エレベーターから離脱させろ。双竜穴および保管しているウイルスを放棄する。以上だ。全員、長い間ご苦労だった」

 俺はロボット達に敬礼をした。俺に出来るのはこれくらいしかない。

「命令は、一時間後に開始されます。それまでに、待避して下さい」

 無気質な電子音が、空しく響く。

「急ぎましょう。シャトルはこの下です」

 俺はミドの遺体を再び担ぎ上げて伝助に続いた。


 伝助は忙しく発進準備を進めている。俺は隣の座席に座って体を固定して見ているだけだ。

 ミドも座席に座らせてやった。何の意味も無いが、レイにやられた傷をテープで塞いでやる。体に穴が空いたままでは俺も心が痛む。ミドの首にはグロブの首飾りをかけてやる。

「どこに降りますか」

「どこでも良い。それよりお前はどうするんだ。俺なんかと一緒にいたって良い事なんてないぞ。地上に降りたら楼欄に帰れ。そしで新しい旦那様を見つけた方が良いんじゃないか」

「いいえ。私は旦那様と参ります。旦那様は楼欄の人達を絶滅の危機に追いやるのです。その人達にとってはグロブさんの言うように旦那様は悪魔ですよ。私にはその悪魔の末路を後世に伝える義務があります。これまでの経緯を伝承して行くのが私の使命なんです。だから、旦那様からは離れません。それに、一人じゃ寂しいでしょ。旦那様の死に水は私が取ってあげますから心配しなくて良いですよ。ですから、これからは殴ったり蹴ったりしないで下さいね」

「勝手にしろ。バカ」

 プログラムに決められた行動なのか、感情があって言ってるのかは知らないが面白い奴だ。まあ、こいつといれば、退屈だけはしないだろう。それに俺の悪行が後世に伝わるというのも悪くない。

 伝助が照れ臭そうに俺から目を逸らし、再び発進準備をしながらさっきの話題に戻った。

「ところで、日本なんてどうです。聖王様が言ってました。日本には人間が残っている可能性があるって」

「何だって。本当か」

 だとすれば、人類の生存の可能性は飛躍的に上がる。双竜穴の外にいたのなら免疫機能は残っているはずだ。

「ええ、双竜穴を建造する時に、日本は態度が曖昧だったために見捨てられたそうなんです。でも、お互いに接触が不可能なので、生存しているのか、死滅しているのかわからないんですよ。当時の日本の資源量から推測すると、双竜穴を飛び越えるロケットを頻繁に飛ばすなんて無理です。だから、日本にいる人はどこにも行けずに、独自の進化をしているはずです。勿論、生きていればの話しですけど」

 まことに日本人らしい。

「そうか、面白い。日本に決めた」

 双竜穴の外もまた閉ざされた世界だったのだ。同じ閉ざされた世界で、どう違う進化の過程をたどったのか、それとも同じような腐った世界を構築しているのか、これは見物だ。

 突然の衝撃波が虚空を揺さぶる。衛星の爆破が始まったのだ。早く逃げないと巻き込まれる。

「発進準備完了。発進します」

 伝助の合図と共にシャトルが飛び立つ。

 遠くで閃光が走る。

 地球に目を落とすと、錆色の双竜穴が薄れて行く。

「楼欄の人達は、やはり死滅するのでしょうか」

「人間はそんなに弱いものじゃないよ。病原体に対しても、もともと抵抗力を持った奴もいるはずだ。数は激減するだろうが全部が死ぬなんてありえないと思う。楼欄の人間は、病気を恐れすぎたんだ。奴等に必要なのは、病気から逃げる事じゃなく病気と向き合う事だ」

 危険要因があり、それを取り除けば確かに、安全かも知れないが、全く危険を無くしてしまっては、物に対する畏怖の念が失われ。やがては自制が利かなくなり、レイのような人間を生み出すのだ。人は恐怖を回避する知恵を使う事により、成長、進化して行くのだと俺は思う。

 病気が怖ければ病原菌のいそうな場所には行かない事だ。エイズもエボラも、奢り高ぶった人間が他の生物の縄張りを犯した結果人間界に蔓延した。本来は人間がかかる病気では無かったはずだ。他の生物の生き方を否定したツケが回って来たのだ。共生する事を放棄した報いなのだ。

「ねえ、旦那様。日本はどうなってると思います。住みやすい所だと良いですね」

「さあ、どうだかな」

 そうさ、日本人どころか人類そのものが死滅するのか、素晴らしい進化の道をたどるのかそれは神のみぞ知るだ。

 そんなもの、悪魔のこの俺が知るよしもない。


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シャルギエル 武内秀眞 @hotuma196439

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