③出会い

 ──レクトール=バルカニア。十五歳。何でもない、ごく普通の平民の生まれ。


 小さい頃から負けん気はとても強く、何かに付けて年の近い周囲の人間と揉め事を起こして近所で有名になっていた。しかし其れと負の相関関係にあるかのように、勝つ方が珍しいと言えるほどに喧嘩はかなり弱く、毎度の如く負けて擦り傷や打撲を作って帰り、家で悔し泣き。そんな彼を、六つ年上の姉が喧嘩で生じた怪我を治療し、慰めてくれていた。そしてそんな姉に対する感謝と尊敬の気持ちが、いつしか彼を心も身体も強い人間へとのし上げた。成長期に入り体格も一気に大きくなり、平民で彼に喧嘩を売る真似をする人間は居なくなった。


 しかし『平民のくせに』と集団で口撃してくる貴族階級のクラスメート数人を、全く加減しない魔法で病院送りにするなど、『問題児』としてのエピソードは数知れず。しかし停学や退学にならなかったのは、本当の彼は人情に厚く友達思いな人間で、周りからの評価が良いものばかりだったことに因る。“友達は大切に、レットには其れができる”、──姉の言葉は常に彼の心にある。

 姉の言葉には、まるで其れが世界の決まりであるかのように二つ返事で素直に従う。彼の中で、其れほど姉は大きく正しい存在だったから。


 二年前に、そんな姉は嫁いでいった。そのとき、彼女の幸せを祝福してあげたい一方で、何か心にはモヤモヤしたものがあった。しかもその結婚相手が貴族だということを知り、レットは生まれて初めて彼女に不信感を覚えた。


 ──まさかあの姉さんが貴族と、結婚なんかするなんて。


 しかし現実は自分が見てきたものとは違い、レットは自分の視野の狭さを思い知らされた。彼女が選んだ人生の伴侶とその家族は、今まで自分が見て、関わってきた貴族とは、全く異なった存在だったから。

その誠実で謙虚な人となりには、ただただ感服するしか無く。何で姉が彼を選んだのか、すぐに理解できた。平民を嫁に取る事で、後ろ指を指される事くらいは自分にも分かる。だが彼は、其れでも姉を選んでくれたのだ。


 其れだけでは無い。

姉が彼に頼んでくれたお陰で、成績の都合上進学先の選択に四苦八苦していた自分が、誰もが羨むヴォルティル学院へ入学できる事になった。国立とは言え、値段は馬鹿にならない。そんな後押しを受けたからこそ、苦手な勉強も二人の為に努力しようと思えた。


「レット、お金のことは気にしないで良いよ。君の大切なお姉さんに嫁いで貰った以上、もう僕らは家族なんだからね。その代わり…一つだけ約束してほしい。何か一つ、、人生の道になるような、大きな何かを見つけてきてほしい。君の人生の指標になる何かをね」


「……ありがとう、カイト義兄さん」


 そして、彼はフェインと出会う。後に互いが互いを親友だと言って憚らなくなる人間に。


 フェインとの初めての接触は、入学式の前日、場所は寮だった。入寮手続きを済ませ、一応両隣の部屋の人間に挨拶をしようとノックをしたところ。

 自分が何か悪いことをやらかしてしまったのかと思うほどに、変にビクビクした紅髪の少年が、扉の隙間からひょこりと顔を出した。


「あ、あの、その……」


「よ、俺は隣の部屋のレクトール=バルカニア。レットって呼んでくれよ」


「あ……はい。よ、宜しく…」


「…お前何でそんなにおどおどしてんだよ? 同級生だろ?其れにお前を取って食う訳じゃねぇんだし」


 いくら宥めようと試みても、彼は恟恟としたまま。彼の態度は一向に変わらなかった。これでは、もう一つの用も済ませられない。レットは痺れを切らして強攻策を取った。


「よし……決めた」


「え、何を……」


「お前の態度が変わるまで、其方に泊まる」


「……え、ちょっと、何を勝手に……」


「文句は言わせねェ。お前がそのビクビクした態度を止めるまでは、いつまでもそうするからな」


 部屋主のフェインに有無を言わせず、彼はずかずかと部屋へと上がりこんだ。視界に入るのはどの部屋にも付属している勉強机、テーブル、ベッド。それ以外にある家具、つまり彼の家から持ってきたらしいものは、高さ凡そ一メートルほどで四段の、木製の本棚しかない。白塗りの塗装は所々剥がれかかっており、年季を感じさせる。そしてそこに綺麗に詰めて並べられた本は、神話やら様々なジャンルの小説やら。

これだけの本を態々持参するくらいなら、彼の目的も果たせそうだった。約束を果たすためには、やらなければならない事がある。


「なぁ、お前って勉強できる方なの?」


「え、えっと、いつも真ん中の上くらいだったけど……」


「お、マジかよ。 じゃあ、勉強教えてくんね?」


 颯爽と吹き抜ける暖かい春風の中、彼の歓喜に満ちた声が部屋に響く。ばちん、と両手を確りと合わせて何度も頭を下げて頼み込むレットの様子に、フェインは暫く悩みつつも頷いた。


 一概に『魔法学院』とは言っても、学ぶのは別に魔法だけではない。数学も学べば、国語も理科も学ぶ。もっとも、魔法に関係する授業に比べれば其れらに充てられた時数は少ないのだが。


 初等、中等教育ともお世辞にも成績がいいとは言えない状態で過ごしてきたレクトールにとって、それらはまさに不安因子以外の何物でもない。中等教育までの彼なら、適当にやり過ごしていただろう。だが、真摯に勉強に取り組み充実した学院生活を送らなければ姉夫婦に顔向けができない。


 相変わらず自信が無さげで頼りない態度ながらも丁寧に教えてくれる赤毛の少年を眺めつつ、彼の教えを乞う。態度からは想像も付かない程に教え方は上手く、何時しかレットの方から質問が投げ掛けられる様になっていた。

 そんな中、頭をさするように掻きながらフェインは突如として黙った。


「ん?」


「あ、あのさ、僕の……僕の教え方で、大丈夫? 分かりにくかったりしない、かな?」


 何やら訝しさと不安が入り混じった表情で、彼は俯きながら呟いた。レットからすると有意義な時間でしか無く御礼を言いたいくらいなのだが、今の発言で理解した。自分に自信が持てていないから、此れ程におどおどしてしまっているのだろう。

 フェインには何処か、儚げで悲しい雰囲気を纏っている。そして其の根源はきっとあまりに深く、光が当たらないほどに暗過ぎる場所なのだ。



「何だ、そんなことかよ。大丈夫だって。寧ろお前、先生に向いてるかもよ。すげー分かりやすかったし」


「え? そ、そうかな……」


 ――自分と会ってから、初めて笑った。

 まだ、自信のなさそうな自嘲気味の小さい笑顔だったが、確かに彼はその固かった表情を緩めてくれた。自分に対する壁を、少しでも取り除いてくれたのだろうか。


「よし、お前が教えてくれた部分は大体分かったような気がする。サンキューな」


「う、うん……」


「これからも、分かんないのあったら教えてくれるか?代わりに俺にできる事があったら何でも言ってくれよ」


 彼はレットの要求を受けて少し黙った後、今度は先程よりも明るめの笑顔を見せた。そしてフェインが頷くと同時に、部屋を一陣の春風がふっと突き抜ける。

 入学式というイベントを明日に控え、少なからず緊張していた自分はもういない。片田舎からたった一人で出てきた自分にとって、こっちでできた友人は何より心強い存在となった。

其処からは勉強は放り投げ、話に花を咲かせた。互いが持つ魔法の素養の事、趣味の事、──ただ、家族の事になるとフェインは口を噤んだ。其れが何故なのかはレットには分からなかったが、話したくない事なのだというのは直ぐに分かった。


そして、翌日の入学式を迎えた。


 体育館に綺麗に並べられた銀色のパイプ椅子に、新入生二百名が各々腰掛けている。クラスは、五組ある中での三組。フェインも同じクラスであることが分かり、互いに喜んだ。昨日出会ったばかりとは言え知り合いが同じクラスだというのはやはり心強い。

 国内で最も由緒正しく有名なヴォルティル学院の入学式とあって、来賓には王家に関わる者や国会議員も数多くその名を連ねている。色んな人から見られているのだと思うと、無性に焦る。多分、フェインは自分以上にそうだろう。


「新入生の皆さん、入学おめでとう。……」


 学長や後援会会長、そして来賓代表の挨拶を終え、担任の紹介が行われた。

 三組の担任は、ロッティ=ブレスモというらしい。今年で教員三年目、と本人は言った。パチリと開いた両目。その瞳は恐らく濃い緋色。さらりと肩付近まで真っ直ぐに伸びた黒色の髪は、彼女の艶めかしさを強調させる。

自分が担当するクラスに目を向けると彼女は微笑み、軽く手を振る。其の振る舞いに男女問わずひそひそと声が交わされた。其の声は喜びから来ているものだと言うのは、当人たちの顔を見ずとも分かる。

 そして担任の紹介を終え、漸く入学式が終わった。それぞれの担任に引き連れられ、教室を目指す。

 純白を基調とした校舎は、まさに『中央学院』の高貴さ、清楚さを嫌というほどに漂わせている。教室にしても、机やブラックボード以外は全てが白。生徒の中にも、この状態に呆気に取られている者がちらほら。いるだけで気が滅入ってしまいそうだ。


「はい皆、番号順に席についてね」


 担任である彼女の声に促されて窓際から三列目、そして前から三番目の席に腰掛けると、左隣にはフェインの姿があった。朝から続く幸運に思わず顔が綻び、彼に視線を移して声を掛ける。


「フェイン、これから改めて宜しくな」


「う、うん……」


「? どうかしたのか?」


「な、何でもないよ」


 ――明らかに、彼の様子がおかしい。

まるで、何かを恐れているかのようにそわそわしている。其れは昨日初めて会ったときのおどおどしていた態度に比べても異質だった。

 何かあるというのなら、昨日の恩を返すために助け舟を出してやりたいのだが、肝心の彼がこうではどうしようもない。

すると、ロッティが口を開いた。


「はい、じゃあ折角だし先ずは皆の顔と名前を覚えたいから…1人ずつ立って、自己紹介宜しくね」


 その指示通り、出席番号が早い順に自己紹介が始まる。しかし、あることに気がついた。フェインの番が近付く度に、その顔がどんどん青ざめていくのだ。息も荒くなっている。人見知り、或いは単に緊張しやすい性格だけかも知れないが、これでは流石に心配だ。周囲に聞かれない程度の声で、レットは彼に尋ねた。


「お……、おいフェイン。大丈夫かよ。気分悪いなら保健室行くか?付き添うし」


「だ、大丈夫だから。有難うら心配しないで……」


 彼はそうは言うものの、ただ強がっているようにしか見えないのが現状である。そして、いよいよ彼の番がやってきた。


「次、フェインくんお願いね。……気分悪そうだけど、大丈夫?」


 ロッティも流石に彼の異常に気が付いたのか、彼の前へと足早に移動すると其の額に手を静かに当てて熱の有無を確認した。クラスメートも、訝しげに彼を見つめている。緊張が、教室一帯を包む。


「先生、済みません。有難うございます、……フェイン=ヴァンドゥルムです。み、皆さん、宜しくお願いします」


 この言葉が発された途端、静寂が支配していた空間が突然騒がしくなり出した。これこそが、フェインの怖れていた事態だった。


 ――おい、聞いたか。

 ――ヴァンドゥルムって、あれだよな。

 ――あぁ、あのノルンさんの弟か。そう言われれば顔が似てるよな。

 

 驚いたのは、何も周りだけではない。自分も狐につままれた、という表現が正しいのか分からないが、確かにびっくりした。魔法を扱うならば、ヴァンドゥルム──其れを知らない者などいないくらいに、今やあまりに有名過ぎる名前だ。この学院で教師を務めるノルン・ヴァンドゥルムと同じだから。周囲が口々に発する言葉を耳で拾い、彼が先ほど青ざめていた訳がようやく分かった。


 きっと。きっと彼は、『ヴァンドゥルム』の名を口に出すことによる影響を危ぶんでいたのだ。そうしてしまうことで、必ず周囲は自分と天才と呼ばれる兄・ノルンとを比較し始めるだろうから。


(そういうことか。だから昨日も……)


 昨日もフェインは自分に『フェイン』としか名乗らなかった。自分も昨日会ったばかりの人間に過ぎないのだ、“兄を引き合いに出されてしまうのではないか”という不信感があったのだろう。

 しかし自分には、そんなことをするつもりなど毛頭ない。彼は経験上、自分の先入観がどれほど無意味なものかを、既に知っているのだから。



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