第15話 魔女の条件(完)

 「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 民衆の魔女に対する興奮状態はピークに達しようとしていた。

 自分は安全地帯にいる。裁かれる側にはなりたくない。この少女が本当に魔女かどうかは関係ない。一致団結して憎悪の集中砲火を浴びせることが安全にこの場をやり過ごす手段だ。


 「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 扇動したアンリ・ベルノ異端審問官らはつとめて冷静を装いつつ、ショーのクライマックスに下卑た期待を抱いていた。

 兵士が少女を十字架にくくりつける。白いドレスの美しい少女は何もかも諦めきった表情で唯々諾々としていた。つい数時間前までは平凡なお針子だった自分が、今稀代の魔女として処刑されようとしている。これを現実として受け止めるくらいなら、いっそ狂ってしまえばどんなに楽だろう。


 「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ」


 理解も得心もいってないが、少女は全てが終わることだけを願う。

 そう待たないうちに訪れるであろう死を願う。それで解放される。

 

 でも……もう一度だけでいいからあのひとに会いたかったな……。



 ウィップアーウィルは町へ向かって駆けていた。

 すでに魔力を取り戻した彼はドミノマスク、革の上下衣装、籠手と一体化した手袋に黒いブーツの『正装』になっていた。リボンで一房にまとめ上げた長髪が彼の動きに合わせて尻尾の如く上下する。

「間に合ってくれ」

 


「主の御名において地上の代理人であるローマ教会は、魔女アンヌ・クロフォードに対する刑の執行を宣言する」

 アンリ・ベルノは民衆の目が注がれている高々と上げた右手をスッと振り下ろした。

 教会が神の御子、救世主として崇める男と同じように十字架にかけられた少女の脇腹に向かって左右から槍が―――。



 ウィップアーウィルは町の広場に群がる民衆を乱暴に掻き分け奥へ奥へと進む。

 大半の者は奥に視線を向けて興奮状態にはあったものの、先ほどまで連呼していた「殺せ」を口にする者はいなかった。

 静かなる興奮が、祭りの余韻のような散漫な空気に少しずつ変わっていく中をウィップアーウィルは進んだ。

 そして最前列を突き抜けた時、高々と十字架にかけられている少女と相対した。

 宇宙や次元を行き来する強大な邪神を前にしても威風堂々を崩さなかった男が驚愕と絶望を理由に硬直するとは。

 


 既に力なくうなだれ、華奢な全身は十字架の縦木と横木にくくりつけられた縄によって支えられた状態の少女。

「アンヌ……違う、ルイーズ!どうして!」

 ウィップアーウィルは異端審問にかけられたのはアンヌだと思い込み、彼女を救出するつもりだった。しかし、蘇った超感覚がこの少女はアンヌに非ずと告げているのだ。


 ―――今頃、町では金色の髪に白い肌をした青いお目目のお人形さんが―――


 ナイアルラトホテップの化身ナイ・フォールの言葉が思い起こされる。


 奴の言ってることは間違ってはいなかった、しかし、これは間違っている!

 なぜルイーズが磔にされて槍で突かれなくてはならない。

 アンヌのことは気にかかったが、今はルイーズを最優先に考えなくてはならない。

「ルイーズ!ルイーズ!」

 もう永遠に動かないと思われた金色の髪が微かにゆれ、そろそろととてもゆっくりと少女は顔をあげた。美しく化粧された顔は血と汗と涙で汚れていた。

「ウィップ、来てくれた……目は治ったの……」

「ああ!今助ける」

 その時、異端審問の兵士2人が左右から槍を突いて来た。最小限の動きで捌き、両手でそれぞれの槍をグイと掴む。人間離れした怪力でその槍の先端部分をへし折る。

 2つの槍の穂先は赤く赤く染まっていた。誰の血であるかは言うまでもない。

「お前達……この娘に何のとががあるというのだ。答えろ」

 ウィップアーウィルが飛び道具を持ってないとみて安心したバウル神父が安全地帯から叫ぶ。

「主と教会の栄光を汚す魔女であること、これ以上の罪があろうか」

 槍をへし折られた兵士らは慌ててアンリ・ベルノのいる方へ逃げた。


 声が降りてきた。十字架の上から。

「ウィップ、私どうしてこんな目に遭うの?……あなたの旅に」

 そこで口から吐血した。顔色は大量の出血により蒼白になっている。助けると言ったが打つ手はなかった。遅かった。

 それならば、少女の、ルイーズの最期の告白を聞くのは自分の役目であろう。

 ここには僧侶を名乗る者は何人もいるようだがルイーズを看取る資格のある者はいないのだから。

「あなたの旅についていきたいばかりに『魔女にでもなんでもなってやる』なんて言った罰が当たったのかな……もうそろそろね……死ぬ前にあなたに見てもらえてよかった。わ……私のドレス姿……赤いシミがたくさんついちゃったけど……綺麗かな?」

 ウィップアーウィルは右手を伸ばしてルイーズの頬を優しく撫でた。

「綺麗だ、ルイーズ」

 ルイーズは心から幸せそうな笑みを浮かべ―――

「嬉しい……」

 と目を閉じた。


 兵士が矢を放った。ルイーズの死に顔に気を取られている正体不明の賊に命中するはず―――があっさり手刀で叩き落とされてしまった。

「な、なんだあの不届き者は」

 アンリ・ベルノは椅子から立ち上がってじりじりと後ずさり始めた。

 バウルが歩調をあわせて後退しながら、

「まさか、あ奴こそ悪魔。魔女を奪回に来たのでは」

 異端審問官達の動揺は、群衆にも伝わり始めた。今まで「殺せ」を連呼し、残酷な笑みを浮かべていた者達は得も言われぬ恐怖を共有することになった。


 ウィップアーウィルの強力なテレパシーがクロフォード館に向かって発せられる。

「ショゴス!いつまで寝ているつもりだ!とっとと起きろ!」

 大地を馬よりも早く無限軌道のように進んできた、黒い巨大な粘塊は群衆の最後尾を呑みこんだ。それ―――ショゴスは膨張と収縮を繰り返して手当たり次第に人を吸収していく。ショゴスが通った後は何も残らない。半月以上の睡眠から目覚めたショゴスは栄養を欲していた。

「寝起きで腹が減ってるだろう。許可する。ここにいるけだものを残らず貪り喰らえ」

 ウィップアーウィル、正義の使徒に非ず。邪神の手先も醜悪な人間も滅ぼす対象なり。

「あ、あああああーーーーっ」

 バウルを喰らっている隙にショゴスから少しでも遠ざかろうとしたアンリ・ベルノであった。自分だけは馬車で逃げ切るつもりだった。

 ヒュウッ

 自分の腹が熱くなり、矢が突き出ているのを見た。ウィップアーウィルが、自分が叩き落とした矢を拾ってアンリ・ベルノに投擲したものだ。

「あぐうっ」

 痛みに負けて膝をついた。

 背後からブチュルブチュルとゼリー状のものが肉や骨を圧搾する音が近づいてきた。

 異端審問官アンリ・ベルノが耳にした最後の音であった。



 ウィップアーウィルは十字架からおろしたルイーズの亡骸を地面に横たえた。

 もうすぐ消滅する予定のこの町では安らかにはなれまい。ルイーズが夢に見ていた異邦の地で眠らせてやりたかった。

「ルイーズ……」

「無垢な貴族の娘アンヌ・クロフォードは魔女の濡れ衣を着せられてかわいそうな最期を遂げました、としたかったのにあなたが町の人間を全滅させたら誰もこの悲劇をつたえられないじゃない」

 ウィップアーウィルのよく知った声。接近する気配すら気づかせず。


 確信をもって振り返る。

 この狂気じみた惨劇を仕組んだ脚本家が微笑んでいた。

 

 ウィップアーウィルが初めて目にする彼女の第一印象は、なんと美しく―――邪悪。


 彼女の容姿は聞いていたが、視覚以外で

 金色のさざ波が舞い踊るような艶やかで長い髪。

 ブリテン島の白い岸壁もかくやといわんばかりの抜けるように白い肌。

 かつて出会ったルネッサンス時代の画家達ですら絵筆で再現できるかわからない美貌。

 ウィップアーウィルの故郷の空を思わせるあおい瞳。

 ルイーズとは対照的な黒いドレス姿の彼女は間違いなく、そして想像以上の美と悪を兼備したアンヌ・クロフォード。


 ウィップアーウィルの超常視覚『青い視界』に切り替えると、禍々しいオーラが華奢な体を幾重にも取り巻いているのが確認できた。

 つまり彼女は人間ではない。人の心を捨てた代わりに邪神の刻印の入った魂を受け取った魔女王ウィッチクィーン


「初めまして、ウィップアーウィル。アンヌ・クロフォードよ。そして、おめでとう。視力と魔力を回復できたのね」

 アンヌはドレスの裾を両手でちょこんとつまんで淑女らしい一礼をしてみせた。どこの宮廷に行っても居並ぶ男どもを骨抜きにする妖しい魅惑が襲う。

だ」

「魔女になったのはいつからか?ということかしら。それならあなたと出会う前から

 超感覚と視力を失っていたとはいえ、俺がまったく気づかないなんてことがありうるか?

「ここまで覚醒したのはつい先日。それまでは資質だけはあったけどそれを引き出せない並以下の魔女。それが私に対する評価だった。でもで目覚めることができた」

 彼はアンヌの言っていることの意味がわからなかった。


 アンヌはルイーズの亡骸を示した。

「混乱してるようだから、きちんと説明してあげる。まずそこの娘のこと。身の程知らずにも私からあなたを奪おうとしていた腹の立つ女。私の身代わりになって処刑される悲劇のヒロインになってもらったわ。私はこの町の全員に暗示をかけた。ルイーズなんていう娘は存在しない。その娘は領主のアンヌだとね。アンヌはいつも白いドレスを着ている麗しのお姫様。滑稽だったわよ。助けを求める娘の目の前で、実の両親までもが『私達には娘なんかいない』と本気で証言してたんだから」

 アンヌは口元をおさえて笑う。夜鷹の心に怒りが少しずつ膨れ上がっている。だがまだだ。

「私はもう深窓の令嬢に飽きてしまったの。魔女として永遠の時を生きる方が素敵じゃない?そう、あなたのようにね。だから、私はこれまでの人生に一度かりそめの終止符を打つ必要があった。この魔力を更なる高みに引き上げるため、世界中を見て回り、あらゆる土地の魔術を習得するわ。何十年、何百年かかってもやり遂げたいの。そう、あなたのようにね」

 アンヌがウィップアーウィルを見つめる目にはかすかな憧れの光が灯っていた。

「そんな人生もあるんだと、道を示したくれた神父様、いいえ、ナイ・フォールには感謝しているわ。ねえ、出ていらしたら」

 アンヌの隣の空間が黒く凝り、僧服をまとったナイ・フォールが現れた。


「この世界は天も地も邪悪に満ち満ちているねえ、ウィップアーウィル」

「お前がアンヌを魔道に落としたか」

「ちょっと違うんだな。私は人間の美しく邪悪な欲望をかなえてあげることに無上の喜びを感じる性格の化身でね。彼女は窮屈で自分の意志が何も通らない貴族の生活を捨てたがっていた。魔女として覚醒するためにナイアルラトホテップ――私の本体だね―――を崇める邪教に入信し、私を召喚する儀式にも参加していたのさ。そしたらどうだい、召喚された私にいきなり通りすがりのウィップアーウィルが襲いかかってきたじゃないか。その戦いのとばっちりで信者は全滅。ただ一人難を逃れた彼女が3日後におそるおそる結果を見に来たら、すべてを失ったお前さんを見つけたってことさ」

「普通、貴族の娘があんな奥地にお供もなしに遊びに行くわけないでしょう。虹の根元にあなたが倒れてたのは事実だけどね」

「私は、お前という『外から来た魅力的な男』を軸にアンヌとルイーズが互いに嫉妬しあうことを望んだ。

嫉妬という感情は、彼女の中に眠っていた魔女を目覚めさせる条件トリガーとして有望だった。そう、アンヌという魔女王を覚醒させたのはお前自身なのだよ、ウィップアーウィル。あとは私が教誨という形で薪をくべ、後押しをさせてもらったよ」

 ナイ・フォールは嬉しそうにアンヌの顔を見た。

 アンヌは『このおじさんはしゃぎすぎ』と顔をそらした。

「わかるかね?この細い体に人間として最高の魔女の素質が眠っているのを知った時の私の感動を!お前とも共有したかった。仕上げは猜疑心と残虐性に煽られた愚民達の手によって、何ら罪も汚れもない少女を生贄にする悲劇。これで覚醒の儀式は完了し、最強の魔女アンヌ・クロフォードは生まれたのだ!」

「き・さ・ま!」

 最も機略に富み、奸智をもって人や神を嘲弄するナイアルラトホテップにふさわしい演出と言えた。

 しかし、ウィップアーウィルは勝手に舞台に出演させられたこと、まったく関係のないルイーズがこんな惨たらしい最期を迎える配役をされたことに対して、更に怒りと哀しみを膨らませていた。

「人間というものは本当に救いがたい。しかし、操って眺めるには最高のおもちゃだよ」 

「あら、ナイ・フォール。私の父を殺して、悲しんでいる私をへ来るよう教誨していた時も、そう思っていたのかしら」

 アンヌの父がナイ・フォールの演出に必要だという理由で殺されたことを彼女は知ってたのだろうか。ウィップアーウィルの寝台に忍び込んできたときに見せた孤独に震える魂にいつわりはなかった。人間アンヌ・クロフォードの愛や哀しみの全てが失われる前に、思いきり彼に刻み込んでおきたかったのだろうか。既にアンヌ本人からは消えてしまったそれは世界でただ一箇所、ウィップアーウィルの心にある。託さされた彼女の愛を仮面の夜鷹は永遠に守り続けるだろう。


「うーむ、どうかな。まあ、今の君は私のおもちゃではない。自分の邪悪に誠実な独立した魔女だ。誇りをもって――――ぐああああっ」

 ナイ・フォールの両目に2本の槍の穂先が突き刺さっていた。兵士から奪い取った穂先を隠し持っていたのを抜く手も見せずに投げつけた夜鷹の神業。

「あら、ナイ・フォール。痛がっちゃって大げさなんだから。まあ、この穂先に盲目の呪いが込められてるわよ。大変」

「ぐぬああー。解除ディスペルのかかりが悪いぞ。なぜだ?」

「その穂先についたルイーズの汚れなき血と俺の怒りが貴様の視力を削り取った。おそらく永遠にだ。この先はずっと眼鏡が必要になるな、ナイ・フォール」

「おのれ、ウィップ!」

 ナイ・フォールは激昂しつつ、背後に現れた空間転移のカーテンの陰に逃げ込み退場した。

 夜鷹の憎悪による弱視の呪いは数百年にわたって効果を発揮し、この一件以来ナイ・フォールという化身は眼鏡をかけ続けることになる。

「ウィップと呼ぶんじゃねえ!」


 不愉快な闖入者が去り、その場にいるのは再び仮面の夜鷹と魔女だけが残った。「あら、ナイアルラトホテップは行ってしまったわね。で、どうするのウィップ」

「一度は愛したかもしれない女が、この先にしでかす災厄を見ていられるほど俺は冷徹ではないんでね。不本意ながらもお前の覚醒に一役買ってしまった責任はとる」

 魔力と闘魂クンフーを込め、アンヌの細い頸を斬りおとさんと手刀を放った。

 アンヌはよけようとしなかった。しようと思っても無理だろう。

 数本の金髪がはらりと地に落ちた。

 ギリギリのところで手刀は止まり細かく震えていた。頸に撃ちこまんとする意志と撃ちこめない感情がせめぎ合っているがゆえに。

 アンヌはかえってその白い喉元をウィップに見せつけるようにして言った。

「どうしたの?今ここで私を倒しておかないと、きっと後悔するわ。私はどんどん強くなって、あなたはじきに私に勝てなくなる。そのあとは大いなるクトゥルー、シュブ=ニグラス、ツァールにロイガー、ガタノソーア。邪神をみーんな復活させるの」

 ……。



 アンヌは今までで最も美しく優しい表情で、夜鷹の目を覗きこんだ。

「それとも殺せない?」

 夜鷹の仮面の奥の目の動揺が答えだった。

 アンヌは細く引き締まったドレスの腹部を一撫でする。

「ウィップ。あなた、魔術の眼で見えてるんでしょう。

 そう、。この子は黄色い印の兄弟団イエローサイン最高の戦士と魔女の血をひく最高の素材。どの邪神に捧げても素晴らしい生贄として称賛されること間違いなし」

「本気で言ってるのか、魔女アンヌ

「さあ、どうかしらね。考えておくわ……また会うこともあるでしょう。そのときまでさようならオ・ボワール


 アンヌ・クロフォードは愛する男に背中を向けて深い森の方角へ歩き出した。

「私を背中から殺してもよくてよ。何ひとつ防御魔術は使っていないわ。今ならあなたに殺されても後悔はしない。愛なのかしらね、これも」

 アンヌの言葉は真実だった。

 ウィップアーウィルの青い視界にはアンヌが魔術を使用している痕跡は見当たらない。

 そして、アンヌの下腹部に小さな光が脈動しているのもまた真実であった。

 

 アンヌ・クロフォードの後ろ姿は小さくなっていき、じきに森の中へと消えていった。


第15話 完(次回 第一期エピローグ)

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