第15話 魔女の条件(7)

 町の市場に隣接した広場にて公開の異端審問が開かれていた。

 魔女であることを認めない被告のために用意される数々の拷問は、相手が貴族であることから省略された。

 それは良いこととは言えまい。なぜなら、すでに被告の運命は判決の前に決められていたのだから。館中をくまなく探したが黒衣の悪魔は見つけられなかった。異端審問官としてはせめて少女を魔女として裁くことで溜飲を下げるしかなかった。

 兵士達が手馴れた様子で大きな木材を組み合わせた十字架をつくり、地面に掘った穴に差し込む作業に勤しんでいるのを見てルイーズは半狂乱になって暴れた。

 しかし、結局ジルベールらによって後ろ手に縛られた姿にされ、アンリ・ベルノ審問官の前に立たされた。

 椅子に深く腰かけたアンリ・ベルノは今まで何度もそうしてきたように横に立つバウル神父に、被告の嫌疑を挙げるよう指示する。

 バウルは集まった民衆達の隅々まで聞こえるように告発した。


 一.被告は主の教えを冒涜する行為を数々なしてきたこと

 一.被告は悪魔に魂を売り、忌まわしい呪いの力を得たこと

 一.被告は悪魔と姦通したこと

 一.被告は敬虔な信徒を誘惑し、その魂を汚そうとしたこと

 一.被告は異端審問官から悪魔を逃亡させたこと


 一字一句いつも通りの読み上げ内容であり、バウルはもう半分寝ながらでも暗唱できる。

 これまで訪れたいくつもの町や村で同じことを繰り返して来た。今日もそうなるのだろう。違うのは刑の執行手段と相手が見目麗しい貴族の娘だということくらい。

 主の名のもとに行われるこの審問は、教会の威光を各地の民に知らしめる一層の教化の舞台であると同時に、処刑された被告の私有財産を教会に没収する利得の手段でもある。

 現にこの領主の資産を没収すれば、アンリ・ベルノは魔女狩りの実績とあわせて司教の側近にのぼりつめることができるだろう。当然、バウルも追随するつもりであった。

 また、異端審問を始めた頃には宗教的情熱によって執行されていたはずの処刑も今や、アンリ・ベルノはじめ異端審問官ご一行の歪んだサディズムを満たすショーとなりかけていた。

 十字架を立てさせたということは、今日は焼くか刺すかだな。民衆に見せしめにする方法としては溺死や密室での拷問死より効果が高い。少女が身悶える姿はさぞや美しいだろう。

 バウ.ルやアンリ・ベルノ、そして兵士らの心にこそ、逃したはずの悪魔が住み着いていることを当人達は全く気づいていない。

 このようなことは当時の欧州各地で当たり前のように行われていたのである。

 本当に神という至高の存在がおわすのであれば、このような愚行を赦さないはず。

 しかし、この残酷な一幕を演出したのも神―――ナイアルラトホテップという悪意と混沌の神であった。




 僧服の頭巾を切り裂かれてもナイ神父は平然としていた。隠されていた貌は端正と言ってもいい中年の男だった。その尊大な表情は貴族であることを無言のうちに物語り、また、定まらない焦点の瞳は秩序を嘲笑する混沌のプリズム。

「人間の顔をしているとは意外だったぞ」

 ウィップアーウィルは牽制の打撃を放ちながらナイに迫った。

「1000の化身のうちの1つや2つ、人間の顔をしていたって不思議はあるまいよ。この顔は割と気に入ってる。知ってるかい、ジル・ド・レって軍人貴族の顔なんだけど」

 かつてイングランドとフランスの間で繰り広げられた百年戦争を終結に導いた聖女ジャンヌ・ダルク。その副官としてジャンヌとともに劣勢のフランスを盛り返させた名将。そして、ジャンヌが火刑に処された後は精神を病んで自分の城に引きこもり、少年少女を多数誘拐、強姦、殺害。黒魔術にふけったという2つの顔をもつ男として知られていた。

「ジル・ド・レは黒衣の男に魔術を教わったというが、それも」

「私の化身の1つがそんなことをしたのかもしれないな。あの男が救国の英雄から性倒錯の殺人鬼に落ちていくのはそれは見ものだったねえ」

「神にしてはやることが小さくてつまらん奴だな」

 左の正拳突きをすんでのところで、首をありえない角度に曲げて躱すナイ。お見通しだ。伸ばしきった腕をそのまま曲げて肘打ちで追尾。命中。ジル・ド・レを模した顔のど真ん中の高い鼻梁を陥没させてやった。

「痛いじゃないか」

「この前の俺とは違うぞ。魔力と闘魂クンフーを組み合わせた攻撃はお前ら邪神の肉体だろうと精神体だろうとダメージを通すのはこの前の戦いでわかったからな」

 

 対邪神格闘技。名前はまだない。

 

 おおおおおおおっ

 復活した魔力に頼り切るのではなく、闘魂クンフーだけで打つのでもない、その精妙な混淆と融解の極致に、不死の邪神を斃す得手クリティカルがある。

 躱すことも防ぐことも出来ない、攻撃が命中したところだけでなく防御の為にかざした腕も、触れたところを必ず壊す無限打撃。

 這い寄る混沌の身体は、俺の拳が突き抜いた穴だらけの奇怪なオブジェと化す。

「お気に入りの顔と別れを惜しむがいい」

 ナイアルラトホテップの化身は頭部を爆砕され、首をぐるんと一周巡らせて倒れた。

 僧衣が風に舞い、後には何も残されてはいなかった。

 魔力と闘魂クンフーをともに鎮める。


 

「勝ったつもりかね?」

 ナイアルラトホテップの思念。邪神はそう簡単には滅びやしないのはわかっている。

「もう一度やってやる」

「いや、今日はお前を足止めするだけでよかったんだ。今頃、町では若く白い肌のそれは綺麗なお人形さんが、馬鹿げたことに神の名のもとに何かされちゃってるかもしれない。今から走れば間に合うかな、どうかな。それでももう一勝負したいなら、

 再び黒い僧服姿の男が現れた。

 ジル・ド・レの顔も復活している。

「私はナイアルラトホテップの化身ナイ・フォール。その格闘技はお前が言うように、確かに外なる神アウターゴッドにも多少は効くらしいね」

 ナイ・フォールと名乗った化身は、これこそ悪魔といったV字型の笑みを浮かべた。

「邪神狩人として私を滅ぼすか、町で酷い目に遭わされている『あの娘』を助けるか、2つに1つだ」

 アンヌが魔女裁判にかけられているだと!?

 俺は自分の不明を憎んだ。館を離れるべきではなかったのだ。

「もちろん、黄色い印の兄弟団イエローサインの一員としてはナイアルラトホテップの化身を1柱斃す機会を逃したりはしないと思うが?―――人間の女なんかと天秤にかけるまでもないな。ウィップアーウィルよ」

 畜生……!

 俺はナイ・フォールを放って町の方角へ走り出した。

 背中に浴びせかけられる嘲笑。この屈辱は忘れんぞ、ナイ・フォール!



 アンリ・ベルノ異端審問官は、教会の異端審問は『公平』をであることを演出するのを忘れなかった。

 民衆に対して、被告の少女が魔女か否か、証言を求めたのである。

 処刑に対する残酷な期待感が集団ヒステリーのうねりとなって民衆の心を蒙昧にしていった。

 1人を差し出すことで全て円く収まる。その場の全員が被告を見捨てた。彼らの心持ちをそう誘導したのは黒衣の少女が力によるものかどうかはわからぬ。人間とはもともとこの程度の流されやすい生き物なのかもしれない。

「おれは、あの娘の館に神父と偽った黒服の男が何回も出入りしてるのを見た。あれは悪魔だ」

「あの女は魔女に違いないわ。悪魔と寝たのよ。けがらわしい」

「きれいな顔に情けをかけたらこっちが呪い殺されるちまう。魔女を殺せ」

「審問官様、お願いです!この町から魔女を永遠においはらってくだせえ」

「殺せ!」

「魔女め、正体を現せ」

「あんたに白いドレスなんか相応しくない。魔女なら魔女らしいなりをしなさいよ」

 収拾がつかない状態になっていた。この生き地獄に放り込まれた少女は抗弁もできずに震えていた。

 

 ここでいつもの通りに千両役者の出番だ。アンリ・ベルノは立ち上がり、両手をあげて民衆を制した。

 誰もがアンリ・ベルノが次に何を言うのか耳をそばだたせる。

 一瞬にも永遠にも思える静寂。陰々とした声だけがその合間を通り抜けていく。

「判決。被告アンヌ・クロフォードを悪魔と通じた魔女であると断定し、主の御名において磔刑に処する。その地位は今ここで剥奪し、教会から破門する。また財産は教会が適切に管理する」

 うおおおおおおおっ!

 地鳴りのような民衆の熱狂が再び広場を支配した。


 アンヌ・クロフォード、いやルイーズはもう何も見えず、何も聞こえていなかった。

「違う……私は魔女じゃない。私は魔女じゃない。誰か……ウィップ、助けて、ウィップ……」


(続く)

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