第15話 魔女の条件(6)
ルイーズはご機嫌だった。アンヌの不興を買うことはなくなり、仲直りの印として白いドレスまで下賜されたのだ。姿見に映るドレス姿の自分は近隣地区にまで美貌がしられるアンヌにそう劣るものでもなかった。
ウィップはどう思うだろう。綺麗だと言ってくれるだろうか。
しばらく顔を見ていない客人のことを考えただけで胸が苦しくなる。お嬢様とあのひとの仲はどうなっているのだろう、と思うとさらに苦しくなった。それでもまた会いたい。
ふと、あのひとは目が見えないから、私のドレス姿もわからないじゃない、と気づいた。
午後の庭園に降り注ぐ日差しの中で輝きを増した彼女の姿を、館の窓から黒いドレスの少女が無感動に見つめている。
その時である。
町の方からクロフォード家の館に続く道を黒々とした人の一団が足早に近づいてくる。
その最後尾に町で見かけたことがない豪壮な馬車がつく。
ルイーズは来客にしては多すぎる人数、それも最前列の数人が武装しているのを認めるや、急いで主人に知らせなくてならないと思った。
まず大声で離れにいる両親はじめ使用人たちに事を告げ、足早に本館に入った。2階のアンヌの部屋につながる大階段の前で立ち止まった。
1階を見下ろす手すり越しにアンヌが微笑みを浮かべていた。その微笑は美しく清冽ないつもの微笑とは違い、冷淡で何か大切なものを無くしてしまった者だけが浮かべられる類の笑み。背筋が少し寒くなった。
「お嬢様!今、この館に町の者ではない武装した者を含めた集団が近づいています」
「ふぅん、やっと来たのね」
アンヌはあの集団が訪れることを知っていた?
「いいわ。追い返すこともないわ。ルイーズ、あなた私の名代として要件を聞いてちょうだい」
「は、はい。要件が私に判断できない場合はいかがいたしましょう」
「判断するもしないもないから大丈夫。言いつけどおり私の名代として行ってきて」
自分を凝視している青い瞳に吸い込まれそうになり、一瞬意識が遠のく。
「……承知しました」
正面玄関の扉の向こうで使用人達の大声が聞こえて止んだ。
いってきなさい、とアンヌが手振りで示す。ルイーズが扉を開けると、そこには武装し兵士が2人並んでいた。
ルイーズが気を取り直して要件を問おうとする前に、兵士が厳しい口調で詰めてきた。
「アンヌ・クロフォード様でいらっしゃいますな」
「あ、いえ私は」
「噂に聞くお姿と同じですが」
「わ、私は使用人のルイーズで主人の名代として―――」
「もうよい」
陰々とした一言が兵士の後ろから聞こえ、兵士達はサッと横に退く。兵士の体で遮られていた扉の向こうの風景が目に入る。兵士は2列縦隊で計8人いて、その間を僧服に身を包んだ初老の男がゆっくりと歩いてくる。背後には町の住人や近隣の農民が2、30人。クロフォード家の使用人は全員拘束されていた。父プランシェと母マリーもだ。
「父さん!母さん!」
「お嬢様!」
え?父と母は何を言っているんだろう。私よ、ルイーズ。
ルイーズの混乱は収まる前に陰鬱な声音によって断ち切られる。
「アンヌ・クロフォード殿ですな。私は司教より全権を委任されている審問官のアンリ・ベルノといいます。あなたに少々厄介な嫌疑がかかっておりましてな。主の名を汚すような行いがなかったか審問する場にお出でいただきたいのです」
「い、異端……審問」
「なに、まだ決まったわけではありません。あなたは貴族だ。他の村娘とは違って弁明する場が与えられます。しっかりと我々の嫌疑を晴らしていただくことを」
「私はここの使用人でルイーズといいます!私は何も知りません!」
ほう、という顔をしてアンリ・ベルノは後ろを見やる。ルイーズの両親はじめ家族同然だった使用人達は顔を蒼白にして、『お嬢様、何を仰っているのです』という態度を示した。
信心深いマリーはポケットから十字架を取り出して必死に握りしめている。
「母さん、どうしたの!父さん、私が娘のルイーズだって言ってよ!」
プランシェはルイーズの目を見つめて、
「お嬢様……私らに娘はいません……」
と口にした。
「ちょっとどういうことなの皆!―――お嬢様!」
大階段の手すりのところにいる黒いドレスの美少女は冷たい微笑を崩さない。
一言、
「異端審問なんて面倒くさいことに付き合いたくないわ。ちょっと行ってきてくださらない、アンヌお嬢様。フフフ」
と残してゆっくりと2階に上がっていく。
「私はアンヌじゃない……私はルイーズです……アンヌお嬢様はあそこにいます」
敬虔で迷信深い北フランスの田舎娘は、異端審問という恐ろしいイメージしかない場所に自分が連れて行かれる恐怖に屈して、自室に去ろうとする主人の背中を指差した。
「クロフォード殿。先ほどからあなたの言っていることがわからないのですが。あなたはこの領地の主で、噂にたがわぬ金色の髪、青い瞳、そしてパリにもそうはいない優美ないでたちをしていらっしゃる。少し興奮されているようだが指を差したところには何もおりませんよ。主の御前でお話しをお聞きしましょう。町の者もいくらか証言をしたいと言ってますし、きっとあなたにかけられた疑惑は晴らされることでしょう。お召しのドレスの白さのように主の御前においても身の潔白が証明されんことを」
ルイーズは混乱と恐怖にかき回される中、自分は罠にはめられたことを知った。
あの青い瞳に凝視されたときに、何かされたに違いない。
そもそもこのドレスのプレゼントだってこの時のために仕組まれたものだったのではないのか。貴族のアンヌ・クロフォードとして審問の場に召されるにふさわしい衣装として。
父さんや母さん、他の使用人や顔見知りの町民達が誰一人自分をルイーズだと言ってくれないことも、アンヌの姿が誰にも見えないのも、
そう、あの女。アンヌ・クロフォードは本物の魔女。
「イヤーーーーーーッ」
ルイーズはたまらず絶叫した。鷲鼻をひくつかせたアンリ・ベルノは煩わしそうに手近の兵士に
「この者を町の広場の審問の場へ連れていけ。あとの兵とジルベール達はこの館をくまなく探して、
と指示した。
兵士達の探索は無駄に終わる。彼らはこの館に入ったまま出ていないはずのナイ神父を見つけ出すことはできなかった。黒いドレスの少女は元々彼らの意識になかったが、当然見つかることはなかった。
ナイ神父はどこへ行ったのか?
町のはずれの草原にいたのである。
心の奥底が不思議な感覚にとらわれた。
例えるならば、精神の杯に冷水が注がれていくイメージ。水は杯の縁ギリギリまで注がれ、一滴も垂れることなく綺麗に満たされるのだ。
ついに魔力が復活した。
ウィップアーウィルはついに力を取り戻した。
人差し指と中指を揃えて伸ばし剣に見立てる。その剣は宙を複雑な軌跡を描くことで術式を構築。
透明な炎が両目の辺りを一舐めしていった。チリ、と軽い熱を感じる。
静かに、ゆっくりと視界が広がっていく。いきなり陽光を見ないよう、日蔭で下を向きながら視覚を慣らす。
俺の肉体は通常の人間よりもタフにできているから、半月ちょっとのブランクは数分目を休めることで取り戻せてしまう。
これでしがない居候生活は終わり。
次にどう行動するかは
「もう見えてる。出てこい」
スウーッと透明な空間に黒いよどみが生じて人の形に凝る。
頭巾のついた黒い僧服の男。
もう正体はわかっている。魔力が回復すると同時に、超常認識視力『青い視界』もスイッチが入っている。
この反応はそう、ナイアルラトホテップの1000の化身の1つ。
「また俺の力を空にしたいのか」
「ウィップアーウィル。私はお前の命などいつでも奪うことができたことを知るがよい。魔力と視力をなくしてあの館にいる間も、私はほぼ毎日お前の近くにいたのだ。礼拝室に足を踏み入れないお前と直接対峙することはなかったがな」
ゾクッと寒気が襲ってきた。
こいつに生殺与奪を握られていたからではない。こいつが毎日アンヌ・クロフォードのところへ通っていた神父だったことに気づかなかった自分の未熟さと、アンヌが間違いなくこいつの影響下にある事実に対して、精神が無防備になるほど絶望しただけだ。
「どんな答えが返ってくるか正直言うと怖いのだが聞こう。アンヌに何をした」
「私は囁いただけだよ、汝のなしたいことをなせ、とね」
トリックスターはけしかけるのみ。事態を悪い方へ悪い方へ転がす教唆はお手の物。はめられた相手は自ら奈落に落ちていく。
「弱者を食い殺すグールよりもゲスな神だということは理解していたつもりだったが、まだまだ認識が足りなかったようだ。お前はここで消す」
「フハハハハ。たかがハスターの徒弟風情が、
俺は目の前の僧服野郎が神だなんて思っていなかった。少々頭のまわる化け物に過ぎん。
どんな邪神を前にしても物怖じせぬ。俺がもし強いと言われるならこれが強さの秘密だ。
「明日から999の化身になってしまうな、ナイアルラトホテップ」
「よかろう。私も少しだけお前の相手をする気になった。発狂しても知らないからな?」
一閃。
俺の投じたトゥルーメタルの円盤が頭巾を切り裂いた。
弧を描いた円盤は手中に戻り、頭巾は地に落ちる。
第2ラウンドの開始だ。
(続く)
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