第15話 魔女の条件(5)
突然の大胆極まりない夜襲。どんな邪神の不意打ちよりも覚悟を決めて迎え撃たねばならない。
日に日に強くなる恋慕と孤独にほんの少しの自暴自棄を混ぜて完成した少女の決意は、美しく敬虔で高貴な殻を遂に打ち壊し、剥きだしのアンヌ・クロフォードを解放したのだ。
素性もわからぬ流れ者の部屋に一糸まとわぬ姿で訪れる彼女は、それ自体清冽で艶美な相反する情熱の塊であった。
ルイーズと同じくアンヌも己の中に熱いものを溜めこんでいる。そんな女を俺は愛おしく思う。そして想いを受け止めて共犯者となることにためらいは微塵もなかった。
寝台の上。唇で、両の手で、全身で心と体を交わして溶かしあう。
命の恩人の命令なんて方便に過ぎない。お互いに欲しかった。理屈をこね回す必要もなく、俺達は素直になるだけでよかったのだ。
アンヌが言ったように彼女と俺はこの天地にすがる相手のいない独り者だったから。これを愛と呼ぶのならそれでいい。そうでないならそれでもいい。
何度かの高まりの後、腕の中で息をととのえる少女に囁く。
「アンヌ、俺はじきにここを去らなくてはならない身だ―――」
アンヌは唇で俺の言葉を遮る。
「手馴れているようで野暮な男ね、ウィップ。大切なのは今この時を満たすことじゃなくて?汝のなしたいことをなせ、でしょ」
「初めてなのに達観しているんだな、アンヌ」
気に食わなかったのか彼女の肘が俺の胸板をつく。そのまま顔を胸にうずめてきたところを抱き締める。
この先はわからない。ただ今は互いの燃えるがままに任せよう。
恋は盲目である。俺は二重の意味で何も見えちゃいなかった。
半月ほど過ぎた。北フランスの初夏は表向き平穏が続いていた。
俺は昼の間は町の郊外の草原で対邪神格闘技の修練に明け暮れ、日が没するとアンヌの
アンヌは亡父に替わり領地の経営に乗り出さなくてはならない身であり、敬虔な信仰者として礼拝の時間もとらなくてはならない。それを邪魔したくなかった。
それにアンヌを選んだ俺としては、ルイーズからの恋慕を彼女を傷つけることなく冷ましていくため、館で顔を会わす機会をなるべく減らす必要もあったのだ。
外なる神ナイアルラトホテップにかけられた盲目の呪いを
視力と魔力が回復すれば早々にここを立ち去るつもりでいたものの、その決心が鈍磨していたのは否定しない。邪神と戦う者には不要なものが芽生えつつあった。
それを恐れるとともに、それに浸りたくもあった。
町の教会に異端審問官のアンリ・ベルノが数人の衛兵とともに到着したのはその頃だったという。近隣の教区で頻発する魔女の跳梁に業を煮やした司教の命令により、町や村を巡回して異端者及び魔女を摘発して即決裁判を執り行うこととなっている。
司教に任じられた異端審問官であることを示す豪壮な馬車から降り立ったアンリ・ベルノはその陰気な双眸を出迎えの者に向けた。
「猊下、ようこそ。お待ちしておりました。先触れの時刻よりお早いご到着ゆえ、
教会の使用人頭であるジルベール―――以前酒場でウィップアーウィルに叩きのめされた男―――がご機嫌をとるように案内をかってでた。
ジルベールの手下達が異端審問官の荷物を持ち、後に従う。
アンリ・ベルノはゆっくりと教会入口の階段を上り、足を止めた。
どうしたんで?と首を巡らせたジルベールに問う。
「今なんと言った?」
「え、はあ」
「この町の神の家を預かる
「ナイ。
アンリ・ベルノは自身のおつきのバウル神父に尋ねた。
「登録簿にはこの教会の
バウルは帳簿をめくって
「
ジルベールが目を見開く。
アンリ・ベルノは鷲鼻をひくつかせた。ジルベールは
「一か月半前にここに来られた際、神父ナイは司教様からの任命状をお持ちでした。わたしらはそれを信じるしかございません」
と弁明した。手下達もかくかくと首を縦に振って追随する。
「そなた達は一体誰に仕えておったのだ?」
ジルベールらはアンリ・ベルノの錐のような視線に冷や汗を流す。
「今その神父は領主クロフォードの館に行っておるのだな」
「そそそのとおりで。神父ナイは事故死した前領主の鎮魂の祈りを捧げに、日を空けず精力的におつとめをこなして……」
アンリ・ベルノはジルベールの言葉を手で制し、
「教会の尊厳に関わる話ゆえ、お前達のような下働きの者には本来は言うべきではないのだろうが仕方ない。ここ近隣で起きている魔女騒動は、神父と名乗る者が訪れた家々の子女が摘発されている」
「ってことは……!」
「これまで魔女は全員処刑した。しかし、その元凶である魔性の者には常に逃げられていたのをついに見つけたぞ。ジルベールと言ったな、お前達は騒ぐことなく町の者を集めるのだ。準備が整い次第、悪魔とその訪問を受けた魔女を捕えに向かう」
長く本館に出入りすることを禁じられていたルイーズは突然アンヌに本館の私室に来るよう言われ、主人を待たせないよう向かった。一体どうしたのだろう。
一瞬、ウィップアーウィルに出会えるんじゃないかと期待したが、最近は夜まで不在と母マリーから聞いていたのを思い出した。
「失礼します。お嬢様」
私室に入ると、アンヌが姿見の前で微笑んでいた。久しぶりに見る主人の笑みに少しホッとする。昔は姉妹のように遊んでいた仲なのだ。主人と使用人の格差はあれど、心のなかでは
アンヌと自分はつながっていると思っている。今は『彼』のことでいろいろあったとしても。
「ルイーズ、私もう自分に嫌気がさしたわ。あなたに意地の悪い仕打ちをした私が嫌で嫌でどうにかなりそう。あなたと私は一番の友達だったのに、いずれいなくなるウィップのことであなたを遠ざけたりして」
「お嬢様、そんなことをおっしゃらないでくださいまし。主人のお気を煩わせた使用人に罰を与えるのは当然です。私がすべて悪いのです」
「罰を与えるですって!私、あなたと仲直りがしたいのよ」
アンヌはドレッサーの上に置いてあった白いドレスを手に取ってルイーズに見せた。
「パリから取り寄せたドレス、あなたにとっても似合うと思うの。仲直りの証にあげるわ」
ルイーズは両手で拒否のゼスチュアをした。滅相もないという表情が張り付いている。
「そんなものいただけません!お嬢様」
「いいの。とにかく着てみてちょうだい。そう、きれいな靴もあるの。今日は私があなたの着付け係!」
若き領主は相手に有無を言わせないことに長けていた。
「……」
アンヌに半ば無理矢理着せられたドレス。彼女と変わらぬ輝く金髪も櫛で丁寧に梳かれて、淡い化粧までしてもらった。
領主の館にしかない巨大な姿見の中にいる自分にルイーズは見とれていた。
映っているのが自分だとは信じられなかった。
こんな高い衣装を着たのは初めて。自分で言うのも何だが社交パーティーに呼ばれても恥ずかしくない外見。
姿見に2人の金髪碧眼の少女が映る。同じ家に生まれ育った姉妹のようだった。
「とっても綺麗、ルイーズ。あなたもこれでお姫様」
「お嬢様、これは本当に――――」
「
「……ありがとうございます。大事にいたします……」
嬉しそうに下を向いてドレスや靴を見やるルイーズ。
姿見に映るアンヌ・クロフォードの微笑が吊り上るのを見たのは、本人とその背後に浮かび上がった
素敵よ、お姫様。
ドレスは2つもいらないわ。
神父ナイはルイーズが気づく前に薄れて消える。
アンヌの耳に一言囁いて。
「汝のなしたいことをなせ」
(続く)
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