第15話 魔女の条件(4)
アンヌの命令により俺は館の本館に居を移した。一室を与えられ、彼女の話相手やダンスの練習台になった。
父を失ったばかりの孤独なお嬢様の気が紛れるならばそれもよかろう。俺の魔力が復活するまでの話だしな。
ルイーズは本館への立ち入りを禁じられたようだ。領主の正当な後継者であるアンヌの意向には召使いのプランシェもマリーも逆らえない。
両親からお姫様の命令を間接的に聞かされたお針子の意気消沈たるやいかばかりか。
マリーが仕事の片手間に語るのを俺は柱にもたれて聞いていた。
「お嬢様も殿様が亡くなってからちょっと人が変わったような気がするんだよ。殿様が亡くなって当主の自覚が急に出てきたのかねえ。以前はルイーズと身分の隔てなく接してくださってたんだけどね。ドレスをあの子に着せてくださったりしてね。
「一度見てみたかったな。そのドレス姿を」
「あんた盲人じゃないか。けれど、
アンヌもずいぶん子供っぽいことをする。お気に入りの玩具を他人にとられたくないってことか。17歳といえばもう大人だろうに。
しかし、ルイーズはアンヌや両親の予想を上回る大胆な行動力の持ち主だったことを認めなくてはならない。
神父を招いてアンヌが礼拝の間で敬虔な祈りを捧げている時間だけは俺はお役御免になる。
応接間の長椅子でくつろいでいた俺に、窓からルイーズが小さく声をかけてきた。
「ウィップ」
俺自身はアンヌからルイーズと会うなと言われてない。貴族の令嬢が使用人相手にムキになるところなど知られたくないだろうからな。
「ルイーズ、こんなところを見られたら君だけじゃなくプランシェとマリーにも責めがいくぞ」
「わかってる。でもあなたの姿が窓から見えてしまったんだもの」
人間は情熱の生き物であると思い知らされる言葉だった。
「過ぎた情熱は身の破滅を招くものだ。君の好意は俺の名誉として刻まさせてもらう。だが、そこまでにしといた方がいい。俺はじきにここを去る。俺に着いてくることなんて不可能だ。その選択は君と両親にとって最悪なことだと知れ」
女はこんなセリフで思いとどまるほど簡単な生き物ではないことを知っていたはずなのだが。もっと辛辣な言葉で二度と会いたくないと思わせなくてはいけない。
「あのね、最悪かどうかは私が決めるの。たとえ死んだってその選択を後悔することはないわ」
長年抱いてきた外の世界への憧れ、そして自分自身が選び取る幸せという彼女の核は、おそらくこの旧弊な村社会と身分制度という殻によって閉じ込められていたに違いない。それを通りすがりの夜鷹の嘴の何気ない一突きが叩き割ってしまった。
今や剥きだしになった彼女の情熱はもう誰にも止められないだろう。俺にも主人にも、そして彼女自身にも。
リスクを顧みず、自分の求めるままに走らんとするルイーズを俺は肯定する。それが人間という生き物の長所の一つだと思うから。
しかし、その思いを肯定するが応えられない。俺の背後に長々と刻まれた道は、同行者が3歩と行かずに両脇の奈落へ落ちてしまう険しくて細い道だった。この先の道もそうだ。
「人の身では無理なんだよ、ルイーズ」
「じゃあ、人じゃなきゃいいの!?魔女にでもなんでもなってやるわ!」
「シーッ。今のは誰かに聞かれたらコトだぞ」
「ほっといてよ!」
ルイーズは窓辺から走り去っていった。
その一部始終を応接間のドアの陰で窺っていたのはアンヌだった。その瞳には冷たく昏い燐火が燃えていた。
主人の言いつけを守れない出来の悪い使用人が分際をわきまえずウィップを盗ろうとしている。
あの娘には甘えられる両親だっているのに、ひとりぼっちになった私からウィップまで取り上げて独り占めしようとしている。
怒りと嫉妬に震える細い肩にそっと手が置かれた。アンヌの背後に立っていた黒い僧衣の男。
「アンヌ、いつも教えているとおりにすればいい」
僧衣の男はアンヌの耳にゆっくりと囁く。
「神は仰せだ。汝のなしたいことをなせ、と」
「そうね、
夜。全身の
ドアが静かに解錠され開く。敵が寝首をかきに来たわけではない。この館の若き主人だ。
「寝つけないのは一緒みたいね」
「未婚の淑女が流れ者の部屋を深夜に訪れる。君は無警戒すぎる」
「私がどうなっても気にする家族なんてもういないもの。母様はスコットランドの、父様はこの地の土の下でそれぞれ眠ってる。私、ひとりぼっちになってしまった。どんなに財産や領地を持っていても孤独の寒さだけはどうにもならない。貴族だから強く振る舞いもする。でも寂しくて寂しくてたまらない。同じ独り者のあなたならわかるはずよ」
「そんな感情はとうに捨ててしまった。持ってたら生き残れなかった」
「私も捨てられるものなら捨てたいわよ!でも今はどうにもできない。だから!」
アンヌがベッドの上の俺に歩み寄ってくる。
おい待て、衣擦れの音がしないぞ。
俺は分析するまえに動けたはずだ。しかし、敢えてそうしなかったのはアンヌのどうにもならない寂しさを受け止めてやるつもりだったからか。憐憫。
違う。声と吐息と肌触りしか知らない少女に俺は惹かれている。
一糸まとわぬアンヌは俺にのしかかり、俺の唇に自分の唇を重ねた。
「命の恩人の命令よ。私を抱きなさい」
(続く)
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