第15話 魔女の条件(3)
アンヌの館に逗留して3日目。市場に買い出しに行くプランシェとマリーの馬車に同乗させてもらって町へ出た。
相変わらず盲人のままだが、聴覚と気配で通行人や行商にぶつからずに歩くことくらいはできる。実際にやってみせると召使い夫婦は
「あんた、本当に見えないのかい?」
と驚いてた。
町へ出た理由は情報収集。俺は市場の人波の中を歩き回って、耳に入ってくる雑談や噂話に注意深く耳を傾けた。ここはナイアルラトホテップの祭祀場―――奴と俺の激戦で2度と使い物にならなくなった―――から近い。邪神勢力のメンバーがうろついていても不思議ではない。見つけたら力ずくで情報を聞き出すがシンプルでいい。
一時間ほど歩き回ったが収穫は無し。続いて座ってるだけで情報が飛び込んでくる場所、酒場に向かうことにする。場所はプランシェに聞いてある。
昼日中から繁盛しているようだった。酔って放歌する者、木札賭博に興じる者、鼾をかいて眠りこけている者、自慢話を大声でがなりたてる者。それらの間をアルコールと煙と汗のにおいが漂う。この規模の町には1、2軒はある普通の酒場。
「食事かね、酒かね。前金だよ」
前歯がなくて息がスースー抜け出る喋りの老婆―――数十年前の看板娘―――が注文を聞きにくる。
「友人と相談してから決めるよ」
俺は老婆の横をすっとすり抜けて店の奥に入った。友人なんていない上に俺は文無しだ。だから今から友人を作ろうと店内の各所から聞こえる声や歌を吟味した。
「いたいた」
一番大声で自慢話や武勇伝をがなり立てて「この店は俺のシマだ」と威圧的に振る舞っている友人が。もちろん初対面だ。
盲人だから当然よろける。威張り散らしている奴のテーブルにぶつかる。
倒れた木製のジョッキからワインがテーブルに広がり、豆を煮込んだあつものがこぼれる。
椅子をわざとぶっ倒しながら、立ち上がる男が……4人。
「てめえ、何さらす!」
「服にシミができちまったぞ、おい」
「盲人だって構うこたねえ、ぶっ殺す」
3人の酔漢ががなり立てる脇から4人目がジョッキを横殴りにして俺の頭をかち割ろうとした。4人目がこの中のボス格だ。話し合う前に殺すことがその身に染みついている。
その姿勢は賞賛するが、実力においては評価しない。ジョッキをスウェーで躱し、そいつの腕が空気を切る音で腕の長さと肩の位置を把握、導き出した下顎のある座標にしっかりと右フックをあてて昏倒させた。
あとの3人はスナップを利かせた平手3連発で素に戻ったようだ。実力差がありすぎると酔いも醒めるというものだ。
友情が芽生えた、と判断した俺は、椅子にどかっと腰を下ろすと元看板娘に
「こちらの友人達が奢ってくれるそうだから、ワインとよく焼いた肉料理でも持ってきてくれ」
と注文した。
ジョッキで殴りかかってきたボス格はジルベールといい、町市場の用心棒と教会の使用人を兼務しているちょっとした裏の顔だった。教会が副業で酒をつくっているのは常識だが、その酒を市場に卸して、教会の権力とジルベールの腕力で優先的に、しかも市場価格より高く卸しているそうだ。それは儲かるだろうし、昼から下っ端引き連れて威張りまくりにもなるわな。
「君達の知ってることで最近なにか変ったことはないか。情報が金貨かゴミかは俺が判断するから君達は考えずに話せ」
「はぁ、最近……一か月前に新たな神父様が町の教会に配属されてからは特にないな」
「一か月前といやあ、あの館のクロフォードの旦那が狩りの途中で突然行方不明になって、次の日の朝に崖の下で見つかったな。転落死さ」
アンヌの父親か。事故?
「神父様がクロフォードのお嬢さんの依頼で連日館へ通って鎮魂の祈りを捧げてるよ。熱心な神父様だて。おかげで酒造りはまったく進まないからオラ達はこうして暇こいてんだけどよ」
「あとよ、町からけっこう歩いたところの岩場でこのあたりの住人じゃない奴らが何人も死んでたらしいぜ。辺り一帯が嵐が荒れ狂ったみたいにめちゃくちゃになってたってよ」
知ってる。俺は当事者だ。
「そったら、何日かすっと隣の教区から司教様から派遣された審問官がこの町へお越しになるの知ってっか?近くの町や村で魔女が出たっていうから片っ端から処刑してるらしいど」
「ほう、この町にも魔女が出現しているのか?」
「いんや。てんで聞かねえやな。魔女が出ると雌鶏が卵産まねえとか、牛の乳が腐るとかいうけど市場でもそんな話ぁ聞かねえしな」
他にもいくつか情報を聞いたが大した収穫にはならなかった。
「参考になった。では失礼するとしよう。あ、ここはご馳走になる」
酒場を出て市場を歩いていると、
「あ、ウィップさん!」
ルイーズの声がして、勢いよく俺の腕に温かい体が押し付けられた。
「ダメじゃないですか。こんな混雑したところに独りで。まだ目、見えないんでしょう?」
「大丈夫だ」
「強がらずに病人の方は言うことを聞いてください。私がお館まで連れて帰りますから」
このお針子の娘が
結局腕をからませたままとなった。
「私、この町とお屋敷から外の世界を知らないんです。だから世界中を旅しているウィップさんにいろいろと教えてもらいたいことがあるんです」
「パリの話は昨日少ししたが」
「パリより遠いところ!高い山を越えて海を渡った誰も知らないところの話。召使の娘が自由に生きていける世界の話……」
「外の世界もここも同じだ。人は助け合ったり殺しあったり賢く愚かに生きている。君の求めるような理想郷はないよ。自分で運命を切り開くのは大変な苦労が必要なのさ」
「ウィップさんについていけばできるような気がするんだけどな」
おいおい。お前は何を言ってるのか理解してるか?俺は十字軍の騎士様達と同じで、言うことだけは高潔だがやることは蛮人。痛い目に遭うだけだ。
お前さんが恋に恋するのは自由だが相手が悪いと思うぞ。
ルイーズの両親が悲しむし、怒る。
いや、違うな。プランシェとマリーよりも怖い存在がいる。そして、館の門の前でその存在は待ち構えていた。
ハッと息を呑んだルイーズが慌てて組んでいた腕を離す。
「ウィップ、あなたどこをほっつき歩いていたの?ご自分の体調が万全ではないこと理解してて?」
はい、
「私が神父様の教誨を受けていて目を離すとこれだもの。そうね、ウィップ今日から本館に部屋をとりなさい。離れは引き払うのよ」
「え……」
ルイーズの小さな声。
アンヌの声が、あら居たの?という風に初めてルイーズに向けられた。
「あなたに
「は、はい。お嬢様」
「ウィップ、ちょっと来て頂戴。あなたコーヒーは飲んだことある?最近こちらにも出回ってきた珍しい飲み物なのよ。相手をなさい」
コーヒーか。オスマン帝国で飲んだことがある薬だ。
「では行きましょう」
とルイーズとは逆の腕に腕をからめてきた。ルイーズを無視して去る形になってしまった。
まったく女というものは……。
目が見えなくとも、超感覚がなくとも、2人の少女の心の中で嫉妬という名の危なっかしい導火線に火が点いたのはよほどの鈍感でない限りわかるだろう。
それが雪だるま式に膨れ上がっていくであろう未来も。
(続く)
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