第15話 魔女の条件(2)


「きちんとついてきてるわね」

 スタスタ先を行くアンヌという少女の後をなんとか着いていく。

 俺は目が見えないのでアンヌの衣ずれと足音をたよりに進む。

 彼女は俺の手をひいて案内してくれるほど気を許していない。

 もっとも俺は正体不明の行き倒れであり、たぶん全身汚れているから、年頃の少女としては触れたくないのはわかる。厚意で寝床を提供してくれるだけありがたく思わなければな。

 

 4日前、俺はこの北フランスの山中に、俺が探し求めるトゥルーメタルの鉱脈があるらしいという情報の裏を取りに来た。

 ようやく探り当てた鉱床候補地は外なる神アウターゴッドナイアルラトホテップを崇拝する集団の祭祀場だった。

 しかも、面倒なことにナイアルラトホテップの化身が召喚される直前に顔を出してしまい、その化身と三日三晩死力を尽くして戦う羽目になった。戦いのとばっちりを受けて崇拝者達は全滅、祭祀場も崩壊したのはどうでもいい話だ。結局のところトゥルーメタルは無かったし、更に、戦いの最中に盲目の呪いを受けてしまった俺は、通常の視力及び超常的視野―――通称『青い視界』を失った。

 ナイアルラトホテップの化身が唐突に『飽・き・た』と言い残して去ったため戦いは痛み分けの形で終わった。いつも思うんだが、あの神は何を考えてるのか読めん。

 もともとこっちは成り行きで戦うことになっただけだから、奴の気紛れは歓迎するところ。

 ショゴスマントが仮死状態に追い込まれ、武器も使い果たしてほぼ丸腰。魔力も使い果たしたところまでいったので、あのまま続けていたら俺の敗北は時間の問題だったろう。

 化身といえどもあの強さ、さすがは外なる神アウターゴッド。そういえば金の入った巾着も盗られたな、畜生。

 そんな経緯があってボロボロの俺は女の子の慈悲にすがっている有様なのだ。

「ウィップはどこから来たの?」

「北だ。ドーバー(海峡)を越えて」

「あら、イングランド人なの?私もそうなのよ。数年ごとに向こうとこっちを行ったりきたりしてたけど、最近イングランドとフランスが不仲だから、当面フランスこっちにいることになりそうね」

 予想したとおりブリテン島の出身だったか。

「で、あなたはここに何しに来たの?商人にも巡礼者にも見えないけど。カレー(ドーバー海峡に面したフランスの港町。イギリスとの行き来はカレー発の船を使う)の検問も厳しかったでしょうに」

「俺は金鉱探しを生業にしていてな。イングランドで一仕事終わったんで、今度はここの領主の依頼を受けて金鉱の有無を調査していたところを岩場から落ちてこのざまさ」

「金鉱探しか。でもそれ嘘ね」

 妙に断定的に言うじゃないか。

「だってここの領主わたしの父は1月前に亡くなっているもの。依頼のしようがないじゃない」

 俺は天を仰いだ。何も見えなかったが。



「ウィップ、こっちへ。プランシェ、プランシェ!」

 アンヌの城館シャトーへたどり着くと、プランシェという召使い頭がやってきて、俺の世話をするよう主人から仰せつかった。

 俺は城館の離れに通され、プランシェとその妻マリーに汚れた服を脱がされて、沸かしたお湯をはったタライに入れられ体を洗われた。ショゴスマントだけは触らないように注意喚起した。今は仮死状態だがひょんなことで復活するかもしれない。俺はショゴスを支配するだけのテレパシーを維持する自信がない。ショゴスが暴れ出したらここにいる全員が溶かされながら食われてしまう。このまま仮死状態にしておくのが得策だ。


「これできれいになったな、お客人」

 プランシェは気の良い中年男だった。マリーも夫同様にとてもよくしてくれた。

 この時代の庶民が使う藁の寝床ではなく、きちとした寝台をあてがわれ、栄養のある食事を摂ることが出来た。アンヌの計らいであることは言うまでも無い。

 ほぼ丸1日泥のように眠る―――何の邪神も夢に出てこないのは久方ぶりだ―――と、翌朝には立ち上がって足を引きずらず歩くことができた。魔力の方は……もう少し時間がいるな。

 回復しないと黄色い印の兄弟団イエローサインの仲間にも連絡が取れん。

「お客人の服、破れたところ繕っといたよ」

「マリー、感謝する」

「あたしじゃないさ、繕ったのは娘のルイーズさ」

 マリーの背後にもうひとり分の気配があったのは気づいていた。アンヌかと思ったのだが、こちらはルイーズか。

「お客人は目が見えないんだったね。ルイーズはさ、あたしやプランシェに似なかったから、とっても器量好しでね。アンヌお嬢様とは同い年で、金色の髪も牛乳みたいな肌も青い瞳も姉妹みたいによく似てるのさ。もし見えたら驚くだろうよ。あたしの一番の自慢さね。このままお針子で終わらすにはもったいない娘だよ」

 ふむ、マリーの言葉でルイーズ、そしてアンヌの容貌が把握できた。

「いつか大きな商家にでも輿入れできたら、この子にとって幸せだろうと思うんだけど、あんた、いろんな国や街を旅していて顔が広そうだね。いい嫁ぎ先を知らんかえ?」

「母さん、やめてよ!お客様に対して失礼よ」

 ほう、声も割と似ているじゃないか。

「フフ、上等なワインでも飲んだら思い出しそうだな」

「ほう、そうかね。ほら、ルイーズ。父さんのとっておきを一本持ってきな。なに、プランシェが怒るもんか。あんたの人生がかかってるんだから」

「母さんったら!ごめんなさいお客様」

 ルイーズから本当に申し訳なさそうな気配が伝わってくる。言葉のとおりの器量なら放っといてもいい縁談はなしが来るだろう。

 

 旅すがら戦いと謀略に明け暮れた俺にとっては骨休めも必要だってことだな。ナイアルラトホテップにかけられた呪いは俺の魔力が回復したら解除ディスペルできる。それまではアンヌが提供してくれた厚意に甘える。

 俺にだってたまにはこういう時間があってもいいだろう。次にこんな機会が来るのは100年後かもしれんのだから。



 ベッドの中で服を身に着けると、性分なのかもう動きたくなった。

「ところでアンヌはどうしている?改めてこのもてなしの礼を言いたいのだが」

「お嬢様は本館の礼拝室に神父様をお招きしてお祈りを捧げていらっしゃるよ。お亡くなりになった殿様のために3日と空けずに神父様をお招きして祈っていらっしゃる」

「ではそれが終わったらにしよう。少し体を動かしたいのだが庭に案内してくれないか」

「あたしは夕飯の支度があるから、ルイーズにお供させよう。頼んだよ」

「はい、母さん。ではお客様、こちらへどうぞ」

 スッと俺の手をとってルイーズは先導してくれた。たおやかな手だ。

 アンヌはそうしてくれなかったな。まあ、埃だらけだったらルイーズも手をとってくれなかったかもしれん。

 ついぞ容貌が似ているという貴族の令嬢とお針子の娘を比較してしまう。

「ここなら、障害物もないから運動にはもってこいです」

「ありがとう。ではどの程度体力が戻ったか試してみよう」

 俺は腰を軽く落とし、体内の闘魂クンフーを腹の辺りに凝縮させてみた。魔力とは別種の力である闘魂クンフーもナイアルラトホテップとの戦いで空っ穴になっていたが、睡眠と栄養のおかげで回復してきている。

 肺からあらん限りの空気を吐き出し、今度は逆に吸う。それを数度繰り返し、力が全身に行き渡ってきたのを確認するや、斜め前方の空に向かって跳躍した。

「すごいっ」

 はるか足下でルイーズの声が聞こえた。弾丸のように空を切ったあとは、引力に引っ張られ着地するまでに3回転、4手刀、2蹴りの型を舞った。

 足から膝、膝から腰に着地の衝撃が通り、背中から逃す。

 よし、格闘戦ならいける。

 なんといっても邪神勢力には目の敵にされている身だ。魔力や武器がなくても

下級奉仕種族ザコ相手くらいなら何時でも切り抜けなければならない。

 ルイーズが駆け寄ってきた。

「なんなんですか、今のは」

 声が興奮している。欧州人から徒手格闘技術パンクラチオンの研鑽が失われて久しい。こんなものは見たことないはずだ。

「いつも武器があるとは限らないからな。そのときはこの手足が剣になるのさ」

「国王陛下の銃士様よりもお強いんじゃないですか」

「どうかね。パリで1度トレヴィルという銃士と行動をともにしたことがあるが、友人とは喧嘩しないものさ」

(トレヴィルは実在の銃士で後の銃士隊長。デュマの「三銃士」では主人公ダルタニャンが仕えることになる人物)

 

 やばいな。目が見えなくてもわかる。年頃の女性は男性に寄せる好意を隠しているフリをして、わざと醸し出してくる計算高い存在だ。女性を侮辱しているわけじゃない。それが生物としてのまっとうな駆け引きさがというものだ。

 ルイーズの中で俺は自分が知らない世界を知っている強くて謎めいた存在に膨れあがりつつある。

「お客様はどんな広い世界を見てきたのでしょう。私はこの辺りの町村しか知らない田舎娘です。是非とも旅のお話を聞かせていただけませんか」

 が盛り上がった結果、不幸なことになるのは目に見えていた。

 親切にしてくれたプランシェとマリー夫婦の宝物をなで回すような手は持っていない。それくらいのプライドは俺にもある。


「ルイーズ、お客に何をしているの?」

 ううむ、やはり俺の感覚は鈍磨している。アンヌ・クロフォードが来ていたことにも気づかなかった。ルイーズに問いかける声に混じった小さなトゲには気づいたが。

「お嬢様。こ、これはあの」

「アンヌ。俺が運動するために案内を頼んだんだ。君に御礼を言いに行こうとしたのだが、神父を招いて父君の御霊の安寧を祈っていると聞いたので遠慮したのだ」

「神父なら今帰ったところよ」

 馬車が遠ざかる音が聞こえた。

「そうか。ではあらためて。君の厚情のおかげで命拾いした。感謝する。アンヌ・クロフォード」

「ほっといて干からびるままにしといてもよかったんだけど、神父様の教えに従って善いことをしたまでよ。でもよかったわね。回復したみたいで---ルイーズ、私のドレスがほつれたの。縫い直しておいてくださる?ドレッサーの上に置いてあるわ」

「はい、承知しました」

 ルイーズが小走りに館へ去る。

「埃まみれの野良犬かと思ったけど、磨いたら見違えたわね。拾ってよかったわ」

 貴族のお嬢様の物言いはきつい。

「いらしていた神父様がおっしゃったのだけど。隣の教区で悪魔にたぶらかされた魔女が捕まったそうよ。3人も!恐ろしいこと」


 今、ヨーロッパを席巻している異端審問、魔女狩りの熱波はとどまるところを知らない。その狂おしいまでのゆがんだ熱狂はどの街にもどの村にも押し寄せ、少数の魔女と言いがかりをつけられた多数の人間を吊し、溺死させ、火あぶりにしている。

 人間は時として集団ヒステリーに陥り、後の世に嘲笑されるような愚行をしでかしてきたが、この魔女狩りというものはその最たるものの一つとして記録されるに違いない。

 当然、邪神勢力に与する人間や下級奉仕種族が魔女として裁かれるのは構わない。しかし、異能の力を善きことに使う者や、誹謗中傷の標的にされただけの人間が魔女として辱めを受けて殺されていくのは見ていられなかった。

「魔女は絞首刑にされたようだけど、黒ずくめの悪魔はまんまと逃げおおせたらしいわ。近隣の教区にも悪魔と魔女に対して警戒するよう司教様の名前でおふれが出たそうよ」

 見えないが、アンヌの視線を感じた。

「もしかすると俺をだと?」

「かもね」

 固陋頑迷な宗教者から見たら、俺もナイアルラトホテップもミ=ゴも全て悪魔のカテゴリーだろう。アンヌから見てもまた―――。

 彼女は突然笑った。

「冗談よ。だってあんな死にかけでふらふらだった、みっともない悪魔なんて聞いたことないもの。本物だったらコウモリの翼でも広げて飛んでってるか、邪悪な瞳で見た相手に呪いをかけてるはずでしょう」

 目で撃ちこむ催眠術は得意だが今は盲目ゆえ使えない。黙っていよう。

「でも魔女はいるかもしれなくてよ」

 唐突に声のトーンが変わる。

「どんな女の心にも魔女に変わる条件トリガーはあるのよ。ほとんどの女はそれを死ぬまでおさえつけておく。それをおさえきれずに解放した女は魔女になる」

 妙に確信めいた物言いが気にかかった。


「見えないあなたにはわからないでしょうけどね」


(続く)

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