魔女の条件

第15話 魔女の条件(1)

 闇に沈んだ意識が急速に浮上していくのを感じていた。

「旅のお方。もし、旅のお方」

 おそるおそるという感じで呼びかけてくる少女の声が耳に心地よい。

 いつの間にか眠って―――いや倒れていたらしい。

 気力と体力を使い切って朦朧となりながらもここまで辿りついて力尽きたわけだ。

 丈の高い草むらだか作物の間から上半身を起こす。なんてざまだ。

 声をかけた少女が、緊張した雰囲気で一歩後ずさるのが聞こえた。誰とも知らない行き倒れの流れ者が身を起こしたついでに自分を草むらに引っ張り込むんじゃないかと警戒しているわけだ。

 まあ、安心して構わない。何せ今の俺はほとんど全ての力を使い果たして何もできない上に『目が見えない』。


 3昼夜にわたって外なる神ナイアルラトホテップの化身と戦い続け、結局勝敗はつかず終い。

 向こうはまだ余力を残していたものの、気紛れと悪意の塊ナイアルラトホテップは突然『飽きた』と立ち去り、結果俺が命拾いした。

「ひどい怪我をなさってる……」

 ああ、全身ボロボロだ。ショゴスマントも当面は仮死状態だろう。しかし、それよりも―――。

「何か食べるものをもっていたら……」

 そう、飲まず食わずで干からびそうだ。唇が割れている。

「食べもの?あ、これなら」

 少女―――盲目状態なのでわからんが、気配や声からして20歳になっていまい―――は

何か取り出した。微かに甘酸っぱい匂い。


「すまないが食べさせてくれないか……今の俺は目も見えないし、手足一本動かす力もない。何もしないとハスターに誓ってもいい」

 少女が指につまんで差し出したものを口に含む。弾力のある果肉の粒と酸っぱい汁気がたまらない。

「こんなうまいものを食べたのは初めてだ」

 正直言うとこれ以上にうまいものを食べたことは何度もあるが、最悪のコンディションで他人から優しさとともにわけてもらう食べ物は格別の味だ。

「まだあるわよ、ベリー」

 3つのベリーを全て食べると、ひとごこちついた。

「このお礼は必ずさせてもらう。俺はウィップアーウィル。君が思ってるとおりの流れ者だが野盗や逃亡兵じゃない。これでも一応巡礼者、だ」

 ただしカトリックでもユグノーでもない。名状し難きものハスターの巡礼者だが。

 沈黙が流れた。

「君の―――名は?」

 まだ警戒しているのか。俺はそんなに怪しいか?

「アンヌよ。アンヌ・クロフォード」

 名字があるのか。そこらの農家の娘ではないようだ。その言葉フランス語に、ここ北フランスよりさらに北のブリテンの発音が混じっているところからすると、両方の土地を行き来する小貴族か商家の娘だろう。

「この近くの町か村の者か?じきに治ると思うが、今は目が見えなくて困ってる。案内してもらえないか」

「いいけど、宿代おかねあるの?」

「おう、ここに」

 ベルトから下げていた金入れの巾着がない……。

 落としたか、ナイアルラトホテップあのやろうが盗んでいったか。

 少女が笑い出した。

「こんなところで寝てたらとられてもしかたないわね。でもこんな農園の奥まで来る人もいないだろうけど。いいわ、私の家に来なさい。納屋に寝かせてあげるわ。他の召使も一緒だけど」

 俺と奴が戦っていたのはここからかなり歩いた場所にある人里離れた山だった。俺はふらふらと歩いて、ギリギリ人が訪れる境界まで辿りつけたということだろう。

 この少女がいなかったら少しやばかったかもしれん。今は黄金の蜂蜜酒も持っていないからバイアクヘー(有翼生物。黄金の蜂蜜酒と石笛を用いて召喚可能)も呼べなかった。

「アンヌ。では君はなんだってそんなひとが寄りつかないこんなところまで1人で来たんだ?」

「ウィップ、あなたは見えないから気づいてないのね。私は虹の根元を探しにきたのよ。根元にあなたが寝転がっていたんじゃない」

 虹の根元?そのおかげで命拾いしたのか。

「あなたが困っていることを神様が教えてくださったのかもしれないわね」

 はしゃいでいるが、鈴を鳴らすような美しい声だ。


 俺は―――なんとこの俺がこの顔かたちも知らぬ片田舎の娘に惹かれかかっていることを俺はハスターになんと言えばいいのだろう?


(続く)

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