第14話 イエローサインの娘(後編)


 赤い胞子の色に染まった村人たちがゆっくりと階段を上る。

 クリス・ハートマンはショルダーホルスターからS&Wを抜きざま、先頭のダナ・ルイスの脚を撃つ。

 背後でカイル・ビリンガムが叫んでいるのを無視して、もんどりうって倒れるダナ・ルイスの様子を観察する。

(痛覚はなし、と。膝から下を吹き飛ばされて表情ひとつ変えないものはもう、

ってことね)

 音もなく漂う赤い胞子に侵入された人間の末路。

 自分にできることは武器で活路をひらくことだけだ。

「カイル、村の皆さんが歓迎会をしてくれるらしいけど?」

「うあああ、うあああ!」

 イギリス人の青年は異形と化した村人、それに対して躊躇なく弾きがねをひくクリスの双方に対して恐慌していた。

「ダナ。カイルは見ての通りだから参加は遠慮したいそうよ」

 片足を失って倒れたダナ・ルイスの体に思いっきり蹴りを入れる。丸太のように階段の横幅いっぱいに転がり落ちていくダナ・ルイスに後続の村人たちが巻きこまれた。特にでっぷりとしたプディング青年ジムの重量は後ろに列をなしていた村人たちには堪えたことだろう。

Red covered赤まみれになると、敏捷性と判断力が衰える。)

 レポートに記載する事項を頭の中で反芻。

 クリスが咄嗟にRed coveredと命名した不幸な村人たちは階段の下でひとかたまりになってもがいている。

(痛覚がないため、意志喪失することもなく、赤い胞子か胞子をばらまいてる存在の命令に従い続ける、か)

 映画やDVDで見たゾンビに似ている。Red coveredに噛まれたら感染するのかどうかは試したくはない。カイルが噛まれたらわかるだろう。


 クリスはカイルの頬に平手打ちを見舞う。

「おい、英国野郎ライミー!一度しか言わないぞ。ここで骨董品のリスト作って真っ赤になるか、私の後にドブネズミみたいについてきて、このくそったれな村を出るか。今すぐ選べ!」

「なっ、えっあ……」

「ボール潰すぞ!」

「は、はい!助けて!ついて行きますっ」

「サーをつけろ、新兵!」

「Sir.」

 カイルは気をつけの姿勢で飛び上がった。

「一階を突破する。どうやればいいかは見て学べ」

 返事を聞かずにクリスはRed coveredが重なり合う上に大トランクをぶん投げた。

 そのまま階段を駆け下り、トランクの長方形の横面を踏んで一気に玄関まで跳んだ。Red coveredに噛まれたり、触られたりすることを避ける妙案だ。

「早くしろ、ボケが!」

「うああああ」

 カイルは歯を食いしばってクリスと同じように跳んだ。この異常な村人たちへの嫌悪より鬼軍曹クリスへの恐怖が勝ったやぶれかぶれのジャンプ。

「エンジンかけとけ」

不格好に着地した彼の手に車のキーが押しつけられる。カイルはそのまま車へ走った。

 クリスはRed coveredたちの頭や腹に数発ぶちこんでから、トランクを片手でさらって回収した。

 村の中心部から外縁部に至るビリンガム邸への道のあちこちにRed coveredがいた。

 ひとつの意志に操られて一斉にこちらへ向かってくる。

(走る系ゾンビとすっとろいゾンビの中間くらいのスピード、と)

運転席のドアを開けようとしているカイルに襲いかかったRed coveredにトランクを叩きつけてぶっ飛ばす。銃撃で飛散した血肉が人体に付着したらどうなるか不明な限り、これ以上は至近距離の銃撃は控えた方がいいだろう。


 助手席に滑り込む前に見た村の上空には幾つもの赤い胞子が浮遊していた。

「これ片づけるのは試験に入ってないよな?」

 カイルが車をスタートさせた。


 道路の左右から体を晒して車を停めようとするRed coveredたちであったが、路肩に次々と撥ね飛ばされていく。

「こここれは殺人では」

「黙ってアクセル踏み続けろ。ワイパー動かさないとフロントガラスが見えなくなるぞ。気を利かせろバカが」

 紺のジャケットを脱ぎ捨て、ブラウスの上から防弾チョッキと戦闘用のジャケット

を着用する。

 後部座席にひろげたトランクの中から各種武器を取り出していく。

「ここから無事に出られるかどうか、お前の運転にかかってることを忘れるな。日和ってブレーキ踏んだら、そっちの足を撃ち抜くからな」

「狂ってる、あんたもこの村も!」

正気度サニティーガリガリ削って戦うのがイエローサイン。それは褒め言葉だな」

 平然と言いながら、レミントンM1100ショットガンのセットを終える。


 耳障りなドリフト音が村の中央広場に響く。

 カイルの運転技術ではスピードを落とさずに広場に進入するのは難しかったのである。

 ワイパーの根元にRed coveredの血肉がこびりついたため、フロントの視界が確保できなくなっていた。

「カイル、お前ワイパー動くようにしろ。おっと素手で触るんじゃねえぞ。その雑巾使え」

 車外に飛び出て、近寄るRed coveredと戦闘を始めたクリスが雑巾と言ったのは先ほどまで自分が着ていた紺のジャケットだった。

 開店資金どころか無事にイギリスに帰国できるかすら危うい状況で、カイルは泣きながら従うしかなかった。


「トマトども全部クラッシュにしてやるぞ」

 グロック18はカイルに渡した『17』の系列モデルの拳銃だ。

 『17』が軽量で取扱いやすい優等生だとしたら、『18』は凶悪な問題児であろう。弾きがねを絞り続ければ弾丸をオートで吐き出しまくる暴れ馬。

 『18』の標的になったRed coveredは原形を留めないほどに散乱する。

「リロード!」

 手慣れた装填。数体が吹っ飛ぶ。

「リロード!カイル終わったか?とろとろやってんじゃねえぞ」

「やってるよ!」

「サーをつけろってんだろ、ライミー!」

 まったくライム野郎はチキンなクソばかりだぜ。


 ウウウウウン……


 夕闇が一気に暗くなった。日没にしては急すぎる。クリスが見上げた空の一角。

 巨大な赤い雲が頭上に迫りつつあった。風船サイズの胞子が続々と雲に吸い寄せられていく。

 魔術師バーナード・ビリンガムが召喚したもの。

「ハハハハハハ、ついに降臨されたぞ。最後に現れる雲!バーナード、お前は報われたぞ!」

「神は来ませり!神は来ませり!」

 昼に食事を摂ったダイナーの前で店主と枯れ木老婦人の歓喜の叫びをあげている。

「ババア、まだ生きてたのかよ」

「ママをババアと言うな」

 プディング男ジムが車の陰から飛びかかってきた。すんでのところでかわしたものの、グロック18は手からはじけ飛んでしまった。

「ファ○ク!」

「ママをををを」

 再度飛びかかろうとするジムの巨体に数発の着弾。

 ジムが撥ね散らす赤い飛沫を浴びないように地面を転がったクリスは、両手で構えたグロック17の弾きがねを絞り続けるカイルの姿を見た。弾切れになっても体勢は

そのままだった。

「うぁぁぁぁ……」

 涙と鼻水で汚らしくなったカイルの肩に腕をかけ、クリスは

「新兵、助かった。礼を言う。お前は今日人生で最も良い行いをした。その功績をたたえてここで特別除隊を認めてやる」

と言った。

「あの赤い雲は銃でどうにかなるもんじゃねえ。今のうちにお前は後方に転進しろ。車の運転はな、アクセルだけ踏んでりゃいいのよ」

「クリス、君はどうするんだ……」

「どうするって、お前」

後部座席からレミントンM1100(散弾銃)とシグSG550(突撃銃)を取り出しシグをベルトで肩掛けにする。


「私の入団試験はまだ終わってないんでな」

 そう言ってクリスは初めて微笑んだ。


 その背後にはダイナーの主人と枯れ木老婦人をはじめとするRed coveredの大群が近づいていた。頭上には赤い雲。黒髪の美少女がその前に立つ。

 狂気で塗りたくった赤と黒の構図。カイルはそれをとても美しいと感じた。

「この道をまっすぐ行けば村を出られる。アーカムまでブレーキを踏むなよ」

 そう言うとクリスはおぞましい試験に戻るべく背中を向けた。

「クリス……」

「とっとと行かないとお前もやばいぞ。それと遺産はもう諦めろ、な」

 車は猛スピードで走り去った。


「お前らはクリス・ハートマン様の入団試験最終問題だ。一気にくそ貯めにぶちこんでやるよ」

 やまぬ銃声と赤いしぶきの中で踊るクリス。


 代々海軍エリートを輩出したハートマン家にあって女児として生まれたクリスは、年の離れた兄2人と明確に区分けされて育てられた。

 兄たちは父と同じく海兵隊マリーンに所属するが、次兄のジェフリーはMIA(作戦中行方不明)になり、父は中東で戦死した。

 喪失感に囚われたクリスはある日、カルト教団に生贄として誘拐された。そこから助け出してくれた男が所属していた組織がイエローサインである。

 イエローサインは、マリーンやコミックのヒーローチームとは違い、『名状しがたきもの』という超越的存在に仕える集団であった。早い話がこれもカルトだ。

 歴史の影でそれぞれの神を奉じる組織が暗躍し、そして戦っている。一説によると最初の人類文明の前からずっと。

 その事実を目の当たりにした彼女は慄然すると同時に、強く惹かれた。

 そして、イエローサインは常に優秀な戦力を求めており、性別を問うこともない。

 軍人の家系の血が、戦いを求める血が、彼女の背中を押す。

 彼女がハイスクールを抜け出して、イエローサインと接触するのは時間の問題だった。

 イエローサインの戦士達は、お前の実力を見せろと言った。

 ちょうど彼らが調査内偵していたアーカム郊外に住む魔術師の召喚実験の確認報告。場合によっては対処。

 その入団試験はもうすぐ終わりそうだ。


 落第という結果で。


 Red coveredを片づけたクリスは熱を帯びたショットガンとアサルトライフルを投げ捨てた。これ以上使うには冷却と整備が必要だ。つまりそれくらいまでに撃ちまくったということになる。

 


 そして今、頭上を覆う『最後に現れる雲』がクリスの激闘を無に帰すべく、ゆっくりと低く迫ってきていた。

 弾丸はおろか、手榴弾もナパーム弾も通用しない異界の存在。

「ウィップはいつもこんな馬鹿げた存在と戦ってたのね……」

 ポツリとつぶやく。垂れ下がる黒髪の中で黒縁眼鏡が小さく震えている。



「俺をウィップと呼ぶな」

 背後からクリスの両肩を抱きとめたのは黒い長革手袋の手。

 振り返ろうとしたところを、ぐいと戻された。

「ここまでやれと言ったつもりはなかったんだがな。あとは見ていろ」

 彼女の横を通り抜けて行ったマントの背中。


 赤い雲のさらに上空から迫る複数の影。

 彼女はそれに見覚えがあった。それどころか騎ったこともある。

 名状しがたきものハスターの眷属、有翼生物バイアクヘー。

 今、その数体のバイアクヘーにまたがるのはイエローサインの戦士たち。

「なあ、ヨハンよ。今日、俺の出番なさそうだな。あれが相手じゃ弾丸たまが通り抜けちまう」

 スキンヘッドに異国文字のタトゥーを入れた黒人青年が両手に構えたサブマシンガンを所在無げに振り回した。

「デック、あなたはいい加減に呪文も覚えたらどうなんです」

 茶色い髪を丁寧になでつけた白皙の青年がたしなめる。両手に持った気味の悪い呪具は気の滅入りそうな光を明滅させている。

「おう、クリス。さすがはハートマン家の末っ子だ。ひとりであれだけの赤い糞どもを壊滅させるたあ、兄として鼻が高いぞ」

 ウェーブの入った金髪に青い目の青年がボウイナイフを振りかざした。右の頬を縦に走る古傷は、彼が海兵隊員として最後の任務についたときに負った傷だそうだ。クリスの兄、ジェフリー。

 他にも数名のイエローサインの戦士たちがめいめい遊弋している。


 そして、滑空してきたフリーのバイアクヘーに飛び乗ったのはカウボーイハットに黒いドミノマスクの男。

「では始めるぞ、イエローサインの同志諸君」



 魔術師バーナード・ビリンガムが命と引き換えに召喚した『最後に現れる雲』を元いた次元に送り返すことに成功したイエローサインのメンバーはめいめい夜の空に消えていった。



 地上で仰ぎ見ることしかできなかったクリスの元に、4体のバイアクヘーが降りてきた。

 ウィップアーウィル、ジェフ、ヨハン、デックの4人を迎えるクリスの表情は気怠さに加え、失意がありありと浮かんでいる。

「今回の入団試験の結果を伝える。クリス・ハートマン、君は実によくやった。しかし、最後の敵が出てきた時に自分一人で戦うことを選ばず、我々を呼ぶべきだった」

 ウィップアーウィルが朗々と告げる。デックが口をはさんだ。

「以前に言ったじゃないか。お前は状況を見ずに撃とうとする。それでは長生きできないぞって」

 その通りだ。戦うことに没頭してしまい、組織への連絡を怠った。

「及第点には一点足りずと言ったところじゃねえの。次また頑張れ次。また糞見てえな化け物を―――」

 銃声。

 ジェフの背後に音もなく忍び寄り、その頸を食いちぎろうとした全身真っ赤なシェトランドシープドッグが横たわった。枯れ木老婦人の飼っていた犬だ。

「これで全滅……」

「す、すまねえな」

 リボルバーに残しておいた自決用の一発が兄の命を救った。

「貴重な同志の危機を救ったのは加点対象でよいのでは?」

 ヨハンがウィップアーウィルに進言する。冷たそうな顔をしていながら、たまに粋なことを言う。

 ウィップアーウィルは

「銃の効かないグレートオールドワン対策としてしっかり呪文を習得するんだな、クリス。デックお前もだ」

と告げた。デックが両手で頭を覆う。

「え、私は……」

ヨハンがスッと鏡を差し出す。

「イエローサインの正式メンバーは黄色のもので身を飾ります」

鏡に映ったクリスの眼鏡の縁の色は黒ではなかった。ダサい……。


「ということだ」



(終わり)

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