第12話 若き怪物の肖像(完)
ウィップアーウィルが倒れる乾いた音に全員が振り返った。
「ウィップ!」
ジョージとフーヴァーが駆け寄ると、肉が焦げたようなにおいが鼻をついた。
「これは!」
高熱を帯びた細い何かが背中から胸を一気に貫いたことによる傷痕。心臓は逸れているが場所が場所だけに危険な状態には違いない。
「……ジョージ」
右手がゆっくりとジョージに向けられる。
「なんじゃ、ゆっくりと言え」
「俺を……ウィップと呼ぶんじゃない」
フーヴァーは鼻を鳴らした。
「まだそんなことが言えるなら大丈夫だな。即時撤収する!ブライアント巡査、ウィップアーウィルを運ぶんだ。ストークス、警戒を怠るな。父さんはフィリップと一緒に被疑者を連行」
フーヴァーは25口径拳銃を周囲に向けながら、撤収の指示を出した。
ウィップアーウィルを負傷させたものが何かわからないが、一刻も早く去るべきだと本能が告げていた。
首謀者ヴィンセント・マックニールは、グレートオールドワンすら封印するミ=ゴ製の結界棒をロープで体にくくりつけられて無力化している。
フィリップとジョージに両側から支えられてやっと起き上がれるほどに衰弱しきった魔術師に狙撃は不可能である。
残存している可能性のあるテロリストの殲滅より、命がけで確保した首謀者を連行する方を優先したい。夜鷹の手当もここでは不可能だ。
フーヴァーの視界の隅で何か光った。
次の瞬間、彼はウィップアーウィルによって突き飛ばされた。0.1秒前に自分がいた空間を青白い光線が薙ぎ、命中した彼方の巨石がドロリと溶融する。
目を真ん丸に見開いたフーヴァーの視線は、液状に崩れさり赤熱している巨石から摩擦熱で焦げ臭くなった自分の上着を通り越して、光線が放たれた方向に向けられた。
テロリストの巣窟で見かけるにはあまりにも場違いな人物としか言いようがない。
紫のアフタヌーンドレスに身を包んだ17歳くらいの美しい少女。
艶やかな金色のロングヘア、それ自体がうっすら輝きを放つ白磁が如き肌は、ローブ・モンタント型ドレスから露出している首から上しか露出していない。それゆえに高名な彫刻家が心血を注いで彫ったような天与の白い美貌は、
紫
ウィップアーウィルがブライアントの手を離して1人で立ち上がり、少女の方へふらふらと1、2歩近づいた。
少女は見た者を陶然とさせる微笑を浮かべ、
「久しぶりね、ウィップ」
と銀の鈴を鳴らすような声音で話しかけた。
シルクの手袋に包まれた繊手を軽くそよがせると青白い熱線が疾り、夜鷹が次の一歩を降ろそうとした地面に溝を穿つのであった。
新たな登場人物―――しかも彼女は主演女優としての美貌と気品に満ちていた―――にどう対処して良いのかは流石のフーヴァーも思案する。
彼女が一般の人間ではないことをは間違いなく、ウィップアーウィルに威嚇射撃をしたことから味方ではないことは明らか。
しかし、しかし、なぜ旧知の間柄と思われるウィップアーウィルは、ああも敵意と懐旧がないまぜになった表情でいるのだ。
2人の関係が割り出せず、フーヴァーはじめ他のメンバーも次の行動に躊躇してしまっている。
「アンヌ……」
ウィップアーウィルの声に今まで聞いたことのない響き――慕情が混じっている。
アンヌと呼ばれた少女は改めてドレスの裾を両手で軽くつまんで会釈した。
「今日は白銀の血のマスターとして、そこの
「アンヌ、また人を食って若返ったのか……」
「食っただなんて、あなたまだそういう物言いしてるのね」
「俺は何も変わらないし、変えない。そしてヴィンセント・マックニールは俺たちが倒した獲物だ。しばらく貸しておいてもらおうか」
「私としては他でもないあなたの希望はかなえてあげたいところだけど、ほかのマスター達がそれを許さないと思うわ」
アンヌの背後に数人の男女の姿が浮かび上がった。背景が透けて見えるそれらは霊体か幻像か。いずれもヴィンセントに並ぶ魔力の持ち主であることは言うまでもない。
「あなたの勝利に免じてヴィンスをこちらに渡すだけで、ここは引いてあげると言ってるの。わかるわよね」
ウィップアーウィルは軽く腰を落としてバリツを繰り出す体勢をとった。
勝機があるかどうかではない。
アンヌは口元をおさえてかろく笑った。
「本当に変わらないのね」
青い瞳が初めて魔性の煌めきを宿した。
「あなた、黄色を辞めて白銀に来ない?」
ウィップアーウィルは踵を上げて攻撃に入る用意に入っている。
「黄色に殉じようとは思ってないが、白銀の血に移籍するのは難しいな」
「……そう答えるわよね。でもね、近く星辰は揃うのよ。大いなるクトゥルーが南太平洋のルルイエで復活し、その御手によってこの星は新たに創成されるわ。私たちの悲願をあなたに邪魔して欲しくないのよ」
「たかが300歳の小娘が言うようになったな」
「いつまでもあの頃の私だと思わないで頂戴」
ウィップアーウィルが神速でアンヌに挑みかかる。その体勢の隙間を縫った熱光線がヴィンセントを縛めていたミ=ゴの結界棒を破砕する。
結界は内側に対して有効。外側から棒を破壊されれば機能は停止される。
一方、ウィップアーウィルの手刀は空を切った。
アンヌとマスター達は宙に舞いあがっていた。ドレスの裾が風に翻る。
シルクの長靴下に包まれた形の良い脚がのぞく。
「覗かないでよね、ウィップ」
「誰がっ」
「今度会う時までにもっと爪をセクシーに磨いておきなさい、夜鷹」
ウィップアーウィルが上空へのバリツ技を繰り出す体勢をとろうとした時、魂を削られるような苦悶の絶叫があがった。
「しまった!」
強力な結界が破壊された今、ヴィンセント・マックニールはいくらかの体力と魔力を取り戻していた。手錠がひとりでに解錠し地面に落ちる。
愛用の金の杖が宙を飛び、無造作に伸ばした主人の右手におさまる。
もう一本の手は隣にいたこの場で最も若い生命、フィリップ・ウェドルの手を握っていた。
「いただくよ、貴公の若い命」
魔力回路を持たずとも吸魂の術の威力は視認できたはずだ。
どくっどくっ
苦悶の絶叫をあげて、細面の優男は数百年を閲した
どくっどくっ
魔術師は全身を生命を吸う脈動に委ね、負傷を治癒。消耗した体力を回復させた。
「フィリップー!」
フーヴァーが駆け寄る。その前にフィリップの反対側でヴィンセントを拘束していたジョージが被疑者のこめかみに銃を突きつけ引き金を―――ひけなかった。
「ご老体、つかの間の現役復帰は楽しかったかな。貴公の老いた生命力はあまりうまそうじゃないな―――では、こうだ」
ヴィンセントはフィリップを無造作に振り払い、その手でジョージの額に軽く触れた。
「もういいんだよ、引退したまえ」
ジョージの脳内をヴィンセントの魔力が荒れ狂い、今度こそ永遠にジョージは虚妄の世界に送り込まれていった。
くたくたと崩れ落ちるジョージと干からびて変わり果てた恋人の姿を見てフーヴァーは怒りで視界がホワイトアウトしたが、ヴィンセントに向かって25口径を乱射した。
「たった数分だったが、私を逮捕できたことを生涯誇るがいい。貴公は大切なものを奪われて後悔と苦悩の一生を送るのだ」
ヴィンセント・マックニールはふわりと宙に浮いてアンヌたちのもとへ移動した。
「ウィップアーウィル、貴公とアンヌの間で何があったかを聞いているよ。お互いに『あいつを殺すのは自分の役目』だと言ってるそうじゃないか。おお、怖い」
ヴィンセントは両腕で自分自身を抱きしめた。すでに体力と魔力を回復して余裕綽々である。
「力は回復したが、貴公によっていたく傷つけられたプライドは戻らん。今度シャツが破れてない時にでもリベンジしようかね」
ポケットからテレポーテーションに使う呪具を取り出す。
「逃がすか、ヴィンセント、アンヌ!」
砲弾の如く跳びあがるウィップアーウィルをアンヌの熱光線が迎え撃つ。
「ぐっ」
ショゴスマントすら撃ち抜く熱の威力の前に夜鷹もそれ以上は追撃できなかった。
「またね、ウィップ」
たおやかに手を振って微笑むアンヌは、ヴィンセントと他のマスター達とともに消えた。
「アンヌ・クロフォード!」
夜鷹の鳴き声はどこにも聞こえず、彼自身の声は空しく響いた。
その後のことを語ろう。
ミイラと化したフィリップの遺体と静かな狂気に囚われたジョージを両腕で抱きしめて邪神勢力への復讐の叫び続けるフーヴァーをストークスとブライアントは連れ出した。
ウィップアーウィルはワシントンD.Cまで同行せず、バイアクヘーという有翼生物を召喚してどこへともなく去っていった。
その後も白銀の血にはエキゾチックなオカルトブームに乗ったアメリカの多くの名士が多額の寄附を行い、白銀の血はそれを資金に各地で魔導書やアーティファクトを収拾し、大いなるクトゥルー復活の準備に余念がない。
テロによる政府転覆活動は共産主義者だけで企まれたが、アレクサンダー・ミッチェル・パーマー司法長官はこれを潰し、一連のテロ活動の終息を宣言した。
1924年にカルビン・クーリッジ大統領の下、次の司法長官に就任したストーンはジョン・エドガー・フーヴァーを司法省管轄の捜査機関BOIの第6代局長に任命する。
フーヴァーは昇進すると同時に科学捜査を本格的に導入する。かつて彼の部下だった青年の書き綴ったファイルがその基本資料として採用されたという。
また、フーヴァーは自分の支配を完全なものにするため、自身とFBI(BOIを発展的解消させた新しい捜査機関)の権限強化に腐心する。
事実、1924年から1971年の47年間、アメリカ連邦議会はFBI予算の審議を一切行えなかったのである。
これ以上の「聖域」は近代以降の民主主義国家において存在していない。
フーヴァーは他人の情報、非公式に政治家達のスキャンダル情報を収集してファイルに収録することでその影響力を蓄えた。そして8人の歴代大統領や政敵のスキャンダルを武器に使い、アメリカの怪物としてを裏から恫喝し続けた。
彼は人種差別主義者と言われないよう、身辺警護に黒人の警官を配置し続けた。
私生活では生涯独身を貫き、譫妄状態の父、そして変わらずフーヴァーを支配し続けた母の面倒を1938年の死去まで見続ける。
また、フィリップ・ウェドルに似た面影のクライド・トルソンという男性を公私にわたる生涯のパートナーとして常に行動をともにし、もう1人の腹心である秘書のヘレン・ガンディと3人でフーヴァーが死ぬまで影の政府に君臨した。
彼の邪神勢力への憎悪は拭い去られることはなく、幾度かウィップアーウィルという謎の人物と共同戦線を張ったと噂される。真偽は定かではない。
これは、アメリカの歴史に君臨した怪物の若き日の肖像である。
第12話 完
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