第12話 若き怪物の肖像(4)
フーヴァーと信頼関係を構築したウィップは、連邦政府のタスクフォースと連携して邪神テロに挑むことになる。
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窓枠に足をかけて室内にあがりこんだ俺に対し、フーヴァーは苦虫を噛み潰したような表情を向けた。
「ウィップアーウィル、ここは司法省だ。窓から入ってくるのはやめたまえ」
「フーヴァー、政府の庁舎だろうがお前の家だろうが、俺は好きなところから出入りする。これは俺と組む上で必要な条件だ」
不安の翳は見逃さない。昨夜のことが頭をよぎったに違いない。
(心配するな。君は司法省タスクフォースのデキるボスとしていつもどおり振る舞っていればいい。おっと約束は守ってるぞ。心は読んでない)
テレパシーを送ることは制限されてないからな。
フーヴァーは、中断していた作業に戻った。
執務机の前にずらっと並んだ部下達に訓示を与え、タスクフォースのプランと遵守事項を共有する儀式。
部下は11人。フーヴァー監督率いる優秀なフットボールクラブ。
「諸君、こんな形で紹介することになったが、彼はミスター・ウィップアーウィル。おとぎ話から現れた我々の協力者だ。先日の共産主義者と邪教カルトによる同時多発テロにおいても彼とその仲間によって36件のテロが未然に防がれた。このことが報道されていない理由はもう話したので割愛する」
人外の怪物達がテロの犯人でした、などと発表できるわけがない。
「共産主義者は銃と爆薬を、邪神カルトは我々の理解を超えた禍々しい魔術をもって連邦政府に挑戦してきた。急進主義対策部は全力でこれを封殺しなくてはならない。わかったか?」
11人のエージェントのイエス、サー。
「ウィップアーウィル氏は本件活動中、特別顧問として帯同してもらうことになっている。その―――事後承諾ですまないが、いいかね」
俺はフーヴァーが手にした権力の象徴であるどでかい執務机に腰掛けて足を組んだ。机の主は一瞬で不快感を引っ込める。俺との付き合い方を理解してきたようだな。
「肩書きというものが君たちにとって敬称をつけるか否かの大切な目安になることは承知している。しかし、君たちの上でも下でもない。邪神カルトや魔術師との戦闘時だけ俺の指揮を最優先にしてくれればいい」
再度11人のイエス・サー。
ひとりだけ同意を得られていないので念押ししておこう。
「もちろん、君もその対象だぞフーヴァー」
「認めよう」
後ろ手の姿勢でやや傲岸に振る舞うフーヴァー。なかなかサマになっている。
秘密を隠したクローゼット付の自室と母親の前以外での彼は、常にこの鉄仮面面を外さない。
息苦しくないのか?
「ウィップアーウィル、部下達を紹介しよう」
「それには及ばん」
格式張った自己紹介は時間の無駄。既に11人の心を読み始めていた。
警戒、不安、敵愾、緊張……。
組織秩序の枠外から土足で入り込んできた不審者に対する感情なんて、おおむねそんなものだろう。
お、憧れ?変わった奴もいるな。
「……だいたいわかった」
ゆっくりと足を解き、机を離れる。
11人の氏名、思想信条、チームに抜擢された理由と思われる得意分野は全て読み取った。フーヴァーの時のように、生い立ち初め何からなにまで読むわけではないので、短時間で済んだ。
「ただの共産主義者は君たちが相手をしてくれ。繰り返すが、邪神とその手下が出てきたら俺に従ってもらう。このヤマが片付いた時に何人が生き残れるかは保証しない。運良く生き残っても一生精神病院のベッドの上ってこともあると覚悟してくれ」
全員無言。既に織り込み済みということか。
「それと、君。そう、フィリップ・ウェドル。着いてきてくれ」
11人の中から指名された芸術家風の顔立ちをした青年が、いっそうの緊張を露わにした。
俺は、機械仕掛けの人形のようにカクカクした青年を後ろに従えて、今度はお行儀よくドアからオフィスを後にする。
背後から上ずった声の質問があがる。
「ミスター・ウィップアーウィル、お聞きしてもよいでしょうか」
「立ち止まらずでいいならどうぞ」
「僕の名前、ご存知なんですか?」
「事前にフーヴァーからファイルを見せられていた」
嘘も方便。何より説明が面倒だ。
「君は科学捜査が専門だね」
「はい。指紋による犯人特定や血痕の飛散位置に基づく犯行状況の再現、字体から割り出すタイプライターの機種判別などが得意です」
それだ。正直、白銀の血とやりあうのに最も必要のないスキルの持ち主がこのフィリップ・ウェドルだ。
銃器はろくに扱えない、格闘技術も人並み。フランス語とスペイン語が堪能。
ルイジアナのフレンチクトゥルーカルトだけが相手だったら、聞き込みの役くらいはできたかな。
そして重要事項。フーヴァーの愛人。
とんでもない爆弾だ。
味方チーム監督の愛人が人質にとられてみろ。指揮や判断は鈍り、あっという間に敵がゴール前まで押し寄せてくる。
フーヴァーが、いざという時にあっさりフィリップ・ウェドルを見限ることができるか。
不安材料は隔離しといたほうがいい。ずっと司法省のオフィスで科学検証させてれば問題無い。
「君には後方支援を頼みたい。我々が前線から送る遺留物やデータを多角的に検証して速やかに知らせるんだ」
「部長は僕に現場に出張って分析するように命じていたのですが」
フーヴァーの傍には常に心を支えてくれる愛人が必要だって?新任部長殿に対する俺の期待は下がった。
「さっきも言ったがこの上なく危険な任務だ。はっきり言おうか。君は戦闘要員として期待できない。それが後方に下がって欲しい理由だ。フーヴァーも君のような優秀な部下を失うことはとても耐えられないだろう」
フィリップの顔色が変わる。自然、彼も俺も立ち止まる。振り返ることはない。
「ミスター・ウィップアーウィル……ご存知なのですね」
「気にすることではない。俺にはどうでもいいことでな」
次の言葉を継ぐ前にフィリップが俺の肩をぐいと掴んで後ろを向かせる。
「僕は確かに銃も格闘も得意ではありませんが、足を引っ張るつもりもありません。科学捜査が役に立たない現場でも誰かの盾になってみせますよ!」
遠回しの説得は逆効果だった。この青年の内に秘めた情熱はラボの住人のものではない。警官のそれだ。
コツコツと靴音がして、フィリップの上司である部長殿がやってきた。
「ウィップアーウィル、私は個人の感情と国家に対する忠誠を混同することはない。彼はパーマー長官の推挙で私が組み入れた部下だ。捜査には同行させる」
「どういうことになっても?」
フーヴァーの眉間の皺が深まり、
「邪神カルトとの戦闘を除き指揮権は私にある!」
と俺を睨みつけてきた。
「そういう取り決めだったな……では捨て石として連れて行く」
白銀の血と一戦まじえるのに情は不要。
囮にする、爆弾抱えて特攻させる、いざという時の
どんな人間も使い道はいくつかある。割り切らせていただこう。
「フーヴァー、君が集めた精鋭部隊はなかなかのものだ。この陣容でどう
「精鋭といえど人数は少ない。最も効果的な作戦は、真っ先に首謀者ヴィンセント・マックニールの拠点を急襲、これを叩く!」
やはり切れ者だ。頭をもぎ取れば烏合の衆は瓦解する。
「白銀の血は、無尽蔵の戦力と大陸中に広げたネットワーク、このふたつの長所を利用して各地でテロを仕掛ける。こちらが東奔西走して疲弊する頃合いをじっと待って確実に政府要人を捻り潰すだろうな」
俺は廊下の窓からのぞく連邦政府の象徴たる建物を指さす。
「結果、ホワイトハウスのリンカーン像はクトゥルーの像にとってかわられ、君らの上司は数百歳の魔術師だらけになる。引退を知らない彼らのせいで、君たちはいつまでたってもヒラのままだな」
戻ったフーヴァーのオフィスで俺は先手を取り損ねたことを知る。
敵はこちらの唯一の勝機である先制攻撃を許そうとしなかった。
10人の腕利き警官は頭、胴体、四肢の計60のパーツになって床に並べられている。
1試合も行わずにフットボールクラブは解散。選手は解体。
床は赤黒いねばつく天然由来の絨毯に覆われていた。圧力さえ感じる血臭は科学捜査で血に慣れているはずのフィリップ・ウェドルをして嘔吐させるものだった。
これ以上臭くしないで欲しいのだが仕方ない。それよりも。
高い背もたれのついたフーヴァーの椅子に座っていた人物は、机に両肘をついて組んだ手の上に顎をのせて、俺達を笑顔で見つめていた。血の海と人体のオブジェがよく似合う狂気そのものの笑みで。
フーヴァーは写真か何かで知ってたのだろう。隣に立つ俺に極度の緊張感が伝わる。
俺は、その男をよく知っていた。
神話と魔術の世界に身を置く者でその名と実力を知らない者はいない。
男が悠然と椅子から立ち上がる数秒はその何倍にも感じられ、俺は彼の
今の姿をしっかりと確認していた。
年の頃は30代半ば。6フィートをゆうに超える長身。銀のメッシュ地の高級そうなシャツにオーダーメイドのスーツ。片手には金の杖を握っている。
油で固めた口髭を軽くしごいて余裕綽綽の格好。
そう、この男こそ―――ヴィンセント・マックニール。
この世界最強の魔術師と誰もが認める白銀の血のマスター。
「あまりに貴公の動きが鈍いからいてもたってもいられずに来てしまったよ。最近オブジェ作りと絵画に凝っているのだがね。フフ、なかなかのものだろう」
生身限定のオブジェ、赤絵具しか使わない絵画か。趣味が悪いぜ。
「さて、わざわざ大西洋を越えて埃っぽい大陸まで来てあげたんだ。面白いもてなしを期待してもいいかな、ウィップアーウィル」
(すぐに逃げろ)
足手まといの2人に命令―――指揮権は俺にある―――するや、俺はカウボーイハットに黒マント、革装束のウィップアーウィル本来の姿になってヴィンセント・マックニールの懐まで飛んだ。
魔術発動する隙を与えずに、一気にバリツで決めるしかない。
が、俺の拳は空をつかんだ。
かわりに相手の金の杖が俺の鳩尾に突きこまれ、全身を灼熱の痛みが貫いた。
ショゴスマントで防御するいとまもなく、前のめりに屈する。
必死に痛みに耐えている俺の顎を金の杖の先で、クイッと持ち上げられた。
ヴィンセント・マックニールの全てを見通し、そして何も見ていない瞳に吸いこまれそうになる。
「ひとつ聞くが、いつから自分が最強だと勘違いしていたのかね?」
(続く)
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