第12話 若き怪物の肖像(2)

 フーヴァーのすすめた椅子にかける。彼は俺をじっくりと観察しながら、ゆっくりと向かいに腰をおろした。

 ここは司法省の会議室。

 この24歳の若きテロ捜査部長が、他人の耳目をひくおそれのあるコーヒーハウスに居続けることを好まなかったのも、だからといって密談にはもってこいの自分の執務室にはそう簡単にひとを通すほど他人を信用しないのも、こういう立場の人間には必要な素養だ。

 俺が彼の敵でない保証はないし、彼が俺の話にどこまで真剣になるかもわからない。

 そんな2人が情報交換をするには、この会議室が適当だろう。


「ミスター・ウィップアーウィル、あなたが一昨日の同時多発テロを事前に察知しただけでなく、そのいくつかを未然に防いだことを教えてくれました。そして、それは事実だった。私はあなたの情報網と行動力に大いに興味を持っています」

 急ごしらえのタスクフォースにとって、情報網の編成と協力者の確保は死活問題だ。そして、フーヴァーが喉から手が出るほど欲しがっているその両方を俺は持っている。

 立場的にはこちらが優位だが、それをひけらかすほど青くない。紳士的にいこう。

「私としても連邦政府が事態の深刻さをどこまで認識しているか気にかかっていたところですよ―――ジョンと呼んでも?」

 フーヴァーは仮面のような表情で拒否してのけた。

とお呼びいただけますか。あなたが私に本当の名前を名乗らないのであれば、私はフーヴァーのままでいたいし、私にとってあなたはずっとウィップアーウィルで構いません」

 この男はひとを信用していないだけじゃない。常に相手のことを可能な限り知っておきたい性格なのだ。

 そして、俺は、『フーヴァーとウィップアーウィル』のままの距離感で良いと判断した。

「了解した、フーヴァー。フーヴァーと呼ぶことにしよう。君はウィップアーウィルと呼び続けてもらえるか。長くて少しイライラするだろうがな」

 結構。相互に利用すればいい。それでいこう。


 それから五十数年、その呼び方が変わることはなかった。




 フーヴァーは今回のテロの背景を語り始めた。語ることで彼自身のおさらいとしているのだ。

 ヨーロッパから移民にまぎれて流入してきた共産主義者達は、2年前にボルシェヴィキ革命がロシアで成功したことを受けて、この新興国家アメリカにも人民平等の労働者のための社会を構築すべく活動した。

 それは言論によるものだけでなく、洗脳や脅迫、暴力という非合法の手段も伴うもので、政府は彼らを排除すべき敵と見なす。

 その先頭にたったのが司法省だった。これまで数百人の急進的な共産主義者を逮捕し、本国に強制送還してきた。逃れたアナーキスト達は地下に潜伏した。そして、地下で先輩たるに出会ったのだ。

 奴ら―――邪神カルト達は共産主義の理想など歯牙にもかけていなかったが、彼らを歓迎した。そう、健康的で雄弁な人間は侵略の尖兵にも生贄にもなる使い勝手のいいものだから。

 アナーキストにしてみれば、邪神カルトなど妄想狂の集まり。いるわけもない人類以前の神を復活させて楽土を築くなんて野望は本気で聞いていられなかっただろう。

 つまり、お互いに相手を踏み台にして己の理想をかなえようとしていたわけだ。そういう意味では同志だ。ベクトルこそまったく違うが。



「ほう、政府はすでに邪神カルトを監視対象にしていたのか。少し驚いたぞ」

「彼らは各地域で誘拐、人身売買、殺人の常習者となっています。警察が気づかないわけないでしょう」

「確かに警官はいる。現に警官と組んで狂信者や化け物と戦ったことは何度もあるからな。しかし、そのほとんどは心を病んだり退職するはめになっている。各地の警察が全国レベルで動いているとは思えん。これまで何のフォローもなかったぞ」

「それはこの国に州政府という地方領主が存在するからです。何が起きても州境という見えない壁が阻んでしまい、国土全体を自由に動き回れる司法組織は存在しない。連邦制度自体が足かせになってしまっているんです」

「フーヴァー、君はこのアメリカを何の障害もなく捜査できる力を作ろうとしているのだな」

「……絵空事の域を出ません。しかし、実現させるとしたら、そのときには有無を言わせぬ実績が必要でしょうね」

 人を信用せずに観察ばかりしている若造と思っていたが、初対面の私になかなか熱いところを披露しているじゃないか。

 その情熱が吉と出るか凶と出るかはわからないが、その足がかりとして邪神カルトとアナーキストを一網打尽に出来たら十分な実績だ。


「失礼。少し夢想を語ってしまいました。テロ背景の話を続けても?」

 俺はどうぞ、と両手で示した。


 司法省はできる限りの権限を駆使、州政府の重い腰を動かして各地の邪神カルトと共産主義者の巣窟を監視し始めた。

 尻尾を出した者から順に摘発に乗り出したものの、田舎警察の鈍重なフットワークはほとんど空振り。逃げおおせた監視対象はさらに地下に潜る。

 しかしながら、所詮孤立無援で連帯できない者たちだ。司法省も各警察も、燻りだした野鼠は大した脅威にはなるまいとたかをくくっていた。

 結果から言うと大誤算だった。

 広いアメリカ全土で息を殺していた野鼠達を、ハーメルンの笛吹きよろしく統率する者が現れたのだ。それも大西洋の彼方から。

 ここ数年ヨーロッパでブームを呼んでいるオカルトの類。それは交霊会や占い、奇術めいたマジックがほとんどだ。その中で急速に勢力を伸ばしている魔術集団がいくつかあった。

 その中でも最大の集団の指導者たちが新たな布教の地として新大陸を目指したのだ。



「白銀の血……」

「ご存じでしたか。何かあったのですか?口調が変わりましたよ」

 無意識に口をついて出たその魔術集団の名前に苦い響きがあったのを聞き逃さないフーヴァー。あまりに聡いのも考えものだな。

「白銀の血。15世紀半ばに創設された本物の魔術集団だということはご存知でしょうね。アメリカにもその分派は存在していましたが活動はごく限られたものでした。しかし、本家の白銀の血の『マスター』達は本格的にアメリカのカルトを統合すべく共産主義者の流入に便乗する形で、やってきた」

 俺は黙っていた。結果は言うまでもない。

「瞬く間にアメリカのカルトはマスターによって再編成されました。今やほとんどの邪教は白銀の血の、いやマスター達の影響下にあると言っていいでしょう。単独行動しかできない乱暴者を田舎に押し込めておくのはそう難しいことではありません。ただ、その乱暴者達を手なづける調教師が現れたのです。その男の名は―――」


 男の方か。女の方じゃなくて……良かった。

「ヴィンセント・マックニール」

「ふむ。手の内を見せ合うつもりでいましたが、お互い知ってる情報ばかりでしたね」

 いやいや、24歳の若者にしては上出来だ。フーヴァーはイエローサインの支援なしにもうここまで真相に迫っている。

 玉石混交の情報の大海から、使える情報の破片だけを拾い上げてパズルのように形づくっていく才能の持ち主。こいつが権力を握ったら大統領なんて目じゃない。

「情報交換は不首尾に終わったが、それだけで事は終わらんのだろう?反政府勢力として同時多発テロを起こすまでになった化け物達を放置するわけにもいくまい」

「もちろんです。私の預かった部下は少数ですが有能揃いです。テロの真の首謀者ヴィンセント・マックニールを逮捕して法の下に裁きます」

 そのセリフを聞いた俺が小さく笑ったのをフーヴァーは不快そうに見つめていた。

「失礼。残念ながら法のにのっとった裁判は不可能だ。相手が悪すぎる。いいかね、ヨーロッパにおいてヴィンセント・マックニールは『不死身の魔術師』と称されている。その呼称に偽りはない。奴は強力無比な魔術の使い手で、数百年を生きる不死の肉体の持ち主だ。100人の警官が銃を手に取り囲んでも捕まえることはできない。そして奴の周りを固めているのは悪夢のような化け物達ときてる。フーヴァー、君の部下はさぞかし優秀だろう。しかし、白銀の血とやりあうには、人間は肉体も精神も脆すぎるんだよ」

 

「……取引をしましょう」

 俺のストレートな指摘を受けておし黙っていたフーヴァーがようやく口を開いた。

「私はアメリカのどんな町においても私の命令が遵守される組織を創りたい。それはこのヴィンセント・マックニールを逮捕することで実現に大きく近づけるはずだ。彼が―――白銀の血のマスター達がそれほどの強敵であれば、私も対抗できる鉤爪が必要だ」

「それが、俺だと?」

「今後、私―――いや連邦政府はあなたの活動を全面的に支援する。報酬としては安くないと思いますが」

 

 別に政府のお墨付きもらって邪神やミ=ゴをぶちのめし、トゥルーメタルを集めようだなんて思っていない。

 俺はヨーロッパの爪はじき者たちがアメリカを建国する前からこの大地に生きているのだ。後からのこのこやってきた新参者のケツもちなんかいるものか。

 

 仮面の夜鷹は自由に飛び、自由に狩る。今までもそうしてきた。これからもそうする。


 しかしだ。先ほどフーヴァーが指摘したとおり、実は白銀の血とは浅からぬ因縁がある。ここらで清算しておくのもいいだろう。



「フーヴァー。お前自身は命を張る覚悟があるか。たぶんお前、事件解決する前に死ぬぞ」

「貧しい理想しか語れない共産主義者、腐敗物の邪教徒どもはすべて大西洋か太平洋に投棄する。そのあとはこのジョン・エドガー・フーヴァーがアメリカを支える」

 若者は会議卓を拳で殴りつけた。

「私に死ぬ暇なんてない!」



「結構。遺言は書いておけ。明日また来る」

 俺は司法省を後にして、スミソニアンの博物館の横を美しい彩る緑地庭園、ナショナルモールを歩き始めた。

 


 白銀の血最強と言われる魔術師ヴィンセント・マックニールとことをかまえるなら俺も遺言を書いた方がいいかもしれない。

 もっとも遺すような者はいないがな。

 

(続く)

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