第8話 脳の缶詰


 ミ=ゴという異次元生物に社交という概念はない。

 彼または彼女らは異次元にある彼らの世界から、様々な目的のためにこの宇宙に派遣されてきたものたちである。

 彼ら―――便宜的にそう呼ぶ。性差など無意味だ―――には上下関係はおろか、同胞意識も存在しない。

 本拠地から命ぜられるミッションをこなすために不可欠な機械的な連携があるのみ。

 真の目的は、この宇宙を彼らの棲む次元と同じ空間に創りかえることと推察されているが、それを確認し得た者はいない。


 太古より数々の邪神とその眷属、精神生命体などが覇権を争ってきた地球という惑星においてミ=ゴもその一角に陣取り、諸大陸の各地で先住者と争ったという。

 そして、勝ち取った土地をくまなく探査し、ある特殊な金属を収集することが本拠地の命令だったらしい。

 その希少金属に固執する理由は諸説ある。

 一番もっともらしい話として、ミ=ゴの本拠地が存在する異次元はとうに老いさばらえて滅亡に瀕しており、若く生きのよいこの次元が移住先に選ばれたこと。その移住計画を成功させるにはその希少金属を一定量確保することが不可欠。

 

 しかしながら、地球でのミ=ゴのオペレーションは、邪神クトゥルーやイースと呼ばれる精神生命体、後の人類に神と呼ばれることになる先史人類たちの猛攻を受けて失敗に終わる。

 ミ=ゴは地球にごくわずかなエージェントを残して撤退を余儀なくされた。

 現在、太陽系における彼らの最大の拠点は冥王星ユゴスである。異次元の科学力で人間には理解不可能な狂った幾何学の申し子というべき基地が設置されている。


 また、ミ=ゴを神や天使とたたえてその祝福にあずかりたい者も少ないながら存在する。

 その狂信者たちにとって、真空の宇宙空間を飛行して冥王星ユゴスに迎えられることはこの上ない栄誉であるとされる。


 ミ=ゴのその醜奇な体躯に、大気圏内と宇宙空間のハードルはない。異次元の物理法則で構成された彼らはやすやすとこの次元のルールを無視して宇宙をすすむ。

 しかし、この次元に生まれ育った人間の狂信者たちはそうはいかない。

 ではたるミ=ゴ狂信者たちはどのようにして

冥王星ユゴスに行けたのか。


 缶詰である。


 ふたを開けると新鮮な脳が詰まっている缶詰。

 缶にはいくつかの電極とコードがあり、ミ=ゴ製の計器に接続することで人間の五感を十分に補える。

 制約の多い肉体から脳だけを切除し、異界の科学と組み合わせることで、狂信者は、物理的に破壊されない限り半永久の寿命を有する超越存在に進化するのである。


 強制的にか否かは別として、ミ=ゴに選ばれて進化を遂げた人間はミ=ゴの与える脳への直接的な快楽を貪り、その忠実なコマとなる。

 脳を除去され、遺棄される運命の遺体も時にはミ=ゴの技術で下僕となる。

 どのみちミ=ゴに狙われた時点で彼らの侵略の尖兵にさる運命は変わらない。


 では人類の歴史の影でどのような人物が、すすんで、または強制的に頭蓋を切り開かれ、人間を人間たらしめる薄桃色の器官を缶におさめられていったのか。



 アヴドゥル・アルハザード。

 ウマイヤ朝(7~8世紀に現在のシリアにあったイスラム王朝)を生き、邪悪な神々について詳細に記した魔導書『ネクロノミコン』の著者。

 昼日中、衆人環視の中で不可視のに生きたまま貪り食われたという。その脳は待機していたミ=ゴの信奉者によってうやうやしく缶に納められた。


 

 コンスタンティノス11世ことパレオロゴス・ドラガセス。

 東ローマ帝国(ビザンツ帝国)最後の日である1453年5月29日早暁、籠城していた帝都城壁をついに破られ、殺到するオスマン帝国の大軍に単騎突撃して戦死。

 しかし、オスマン軍の中に紛れていたミ=ゴの手の者がなんとか生首から脳を

取り出すことに成功したという。



 エドガー・アラン・ポー。

 1849年10月7日に死亡したアメリカを代表する小説家の死因については謎が多い。

 地元でもない町の酒場で重度の泥酔状態で発見され、そのまま数日後に譫妄状態から覚めないまま死んだ。

 なぜ彼が他人の服を着せられていたのか、繰り返し叫ぶ「レイノルズ」が誰のことなのか、最後まで不明のままだった。

 息を引き取る際にかろうじて発した言葉は「神よ、私のみじめな魂を救いたまえ」とされる。このがキリスト教の神なのか、冥王星の神なのか、歴史は沈黙したままである。

 ポーの診断書はじめ関連書類は全て紛失しており、レイノルズという男が医者になりすまして持ち去ったという噂があった。レイノルズは重たそうな缶を入れた革鞄を持って永遠に姿を現さなかった。



 メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー。

 『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』の作者としてサイエンスフィクション小説の元祖とされる小説家。

 1851年2月1日。年老いた彼女は、在りし日の優雅でみずみずしかった昔日だけを回想しながら死の床にあった。

 優れた知性と力、繊細な心をあわせもつフランケンシュタインの怪物を世に送り出した彼女が、自らの創作に描いた不死を求めても不思議はあるまい。

 その枕頭に絶えず不快な振動音がつきまとっていたのは、ミ=ゴが直接シェリーのをスカウトに来た証拠だという。

 彼女の死に顔はとても安らかだったらしい。額についていた縫合痕は何者かが死化粧を濃く塗って隠したとされる。



 歴史から消えた脳は今もミ=ゴの命令にぬかづいている。

 このほかの例は枚挙にいとまがない。


 そして、時は流れて1928年。

 メアリ・シェリーの脳は金属製の缶の中で健在である。

 ミ=ゴは彼女に禁断の科学力を伝授し、彼女はそれを武器に主人のために暗躍していた。

 彼女が取り仕切るヨーロッパのとある街に仮面の夜鷹が訪れるのはこの年であった。

 夜鷹もミ=ゴも同じ金属を求めて争うさだめにあったがゆえ、邂逅は必然だったといえよう。



第8話 完

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