第6話 変身

謎の男に人を超える力を委ねられたアーカムの青年は正義のためにその力をふるう。変身!

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 4月5日

 今日もいつも通りの一日。

 巡回訪問介護の仕事は天職だと思ってる。

 心身が弱った御年寄りのお世話をするのは相手に尽くす気持ちがないとつとまらないけど、それだけは自信があるから。

 上司のマニングさんは、老人の愚痴なんかほっといて業務効率をあげれば巡回先がもう一軒増やせるんだと嫌味を言ってくる。

 話し相手がいない御年寄りの話を愚痴を聞くのも立派な仕事だと思うし、彼の昇進のために契約している介護時間をごまかしてまで訪問先を増やすのは嫌だ。

 下宿に帰ると上の階のモンローさんの部屋が修羅場だ。またあの旦那が酒に酔って暴れてるんだろう。奥さんとまだ小さいリンダが部屋の片隅で震えていると思うと、今日こそ勇気をふるって注意しに行こうしたが、階段の途中で怖くなってしまった。

 僕に青タイツと赤マントのあの鋼鉄の男のような力があれば、2階の酒乱男だって世の中の理不尽だって正せるのに。


 4月6日

 不思議なことが起きた。

 夢にチューリップハットとコートをカーキ色でそろえた眼鏡の男が出てきて「君に力を与えよう。やるべきことをやれ」と告げたのは鮮明に覚えている。目覚めたらベッドの横には銀色に光る金属のベルトが置いてあった。バックルはシガレットケースをひとまわり大きくしたような箱形になっていて異国風の彫金が施されている。

 部屋のドアも窓も内側からしっかり施錠されていたのに誰が。ナイ・フォールと名乗った男は季節外れのサンタクロースか。

 見た目よりずっと軽いそれを、試しに締めてみると不思議な活力と自信が体の隅々に広がっていくのを感じた。

 仕事から戻るとベッドの上に朝置いたままの状態でベルトはあった。もう一度締めてみる。体から疲労が消えていく。これは新型の健康器具?

 上の階でまたモンロー家が騒がしい。奥さんの悲鳴が聞こえた時にはベルトをしたまま201号室のドアをノックしていた。酒瓶片手に出てきた旦那をねじ伏せて駆けつけた警官に引き渡した。

 あの筋肉の盛り上がった大工をものともしなかった自分が信じられない。人と争うのが嫌いで勇気もない僕がだよ。

 奥さんは唇の端が切れていたが、大きなケガはなくてよかった。小さなリンダが「パパはどうなるの」と聞いてきた。僕からは答えなかったが1、2日は留置場だろうな。室内は壁に穴が開いたりして大家が器物損壊で訴えるといきまいていたから。


 4月7日

 ベルトには力がある。疲労回復効果だけじゃない。不屈の精神力と超人的な体力を与えてくれる。昨日のモンロー家の一件はそれを気づかせてくれた。今日は偶然ひったくりの現場に居合わせた。その結果、犯人グループを追跡して全員叩きのめしてしまった。卑怯な奴らに背後から鉄パイプで殴られたが打ち身ひとつない。今日は休日で寒かったので薄手のコートの下に例のベルトをしたまま出かけていた。こういう非常時に備えてベルトはシャワーの時以外は常に着けておくことにする。

 

 4月8日

 仕事。いつも以上にテキパキと動いて頼まれた家事を片付ける。ベルトのおかげで疲れない。これを活かしてノルマの訪問先の用事を全て終えた時はまだ17時にもなってなかった。あと1時間は労働時間だが、やることはやったので会社に戻って報告書を簡潔にまとめて退社する。上司のマニングさんは僕が一軒訪問先を増やすことに同意したと思ったらしいが、僕は今以上に訪問介護に時間を費やす気はなかった。

ベルトの力を社会のために役立てる時間が欲しかったからね。下宿に戻る前にアーカムの街のほうぼうを歩く。もちろんパトロールだ。特に事件らしいものには遭遇しなかった。僕はベルトの力を試したかったので少し不満だが平和なのはいいこと。


 4月9日

 夢にベルトをくれた男ナイ・フォールが出てきた。

「力はまだまだ強くなる。やりたいことのために気持ちを集中させるのだ」

 そのとおりだ。ベルトから溢れる力はまだまだ底が見えない。

 ベルトの力をもっと引き出したいが、仕事がある。今日も休日だったらいいのに!

 昨日よりも早く仕事を片付けた。何もかも早く済ませることができるようになると、御年寄り達の依頼や動きがのろのろとしているのに今更ながら気づく。体を動かしてるのはこっちなんだから、座ってるだけ寝てるだけの人はせめて注文くらいは早くしてほしい。少しイライラした。

 夕方になる前には会社で報告書を書く。マニングが飲みに誘ってきたが断った。あんたのために業績を伸ばす話はしたくないし、僕にはもっと大事なことがある。

 そう、今日はに出くわした。ノースフレンチヒルストリートでスピードオーバーの車が、路肩にいた女性に突っ込みかけたのを見た僕は全速力で駆け寄った。

 一瞬、ベルトの超人的な力でも狂ったように走っている車のパワーとスピードにはかなわないと考えた。ナイ・フォールが耳元で囁いた気がした。

「ベルトの力を高めろ。そろそろ『変身』できるはずだ」

 走りながら、変身!トランスフォームと念じた僕はベルトのバックルから爆発的に溢れた光に包まれて銀色の鎧騎士のような姿に変わった。車が突っ込む寸前に硬直して死を待つだけだった女性を抱きかかえて安全地帯に救い出した。女性は僕の姿を見て、再び固まった。びっくりするよね、僕も驚いてる。

 これがベルトの力=変身か。

 居眠り運転に気づいた運転手はハンドルをきって逃走に入っていた。逃げる時もスピードオーバーしている。これはもう許してはおけない。

 銀の鎧をまとった外見とは裏腹に変身した僕はやすやすと車に追いついた。そのまま運転席の窓に手刀を突き入れた。ガラスが割れ、パニックになってハンドルを切り損ねた車は路肩の木に衝突してようやく停まった。僕は運転手がまだ生きていることを確認すると、その場を後にした。彼は救急車が到着するまでに生きてるかはわからないが、罪のない女性を誤って轢き殺すことは避けられたことでよしとしよう。

 僕は人目のつかないところで変身を解いて、腹がよじれるくらいに笑った。

 超人が誕生した。コミックの中のタイツ男はもういらない。アーカムのリアルな鋼鉄の男マン・オフ・スティールがこの僕だ。

 

 4月10日

 一晩中眠らずとも済む体になっていた。もう夢を見る必要はない。ナイ・フォールは僕にいつでも助言してくれるから。腹も減らない。仕事に行く時間だったがマニングに電話で一方的に退職を宣言して切った。僕の本業はアーカムを正しい秩序で仕切ることだ。老人介護はほかの誰でもできるが、街の守護聖人は僕にしかできないのだ。

 日記だけは続ける。僕がアメリカ、いや世界中に英雄として称賛された時、人々は僕のことを知りたがるはず。リアルな気持ちをここに忘れずに記しておくことはその役に立つ。

 ベルトの力を得てからまだ5日。急速に広がる僕の自意識はアーカムという街すら小さく感じ始めていた。次はボストンか、ニューヨーク。

 ナイ・フォールは僕がベルトの力=変身をうまくつかいこなせるよう、普通には知り得ない犯罪の烽火を囁いてくれた。

 ラッキー・クローバー運送会社を隠れ蓑にしたアイルランド系犯罪組織のドラッグ密輸は取引場所の屋根を派手にぶち破って乱入して暴れまくった。敵は銃で武装していたが、僕は研ぎ澄まされた感覚に従順に動き、弾丸をかすらせもしなかった。



 4月11日

 正義は遂行された。栄光の1950年代ゴールデンフィフティーズのアーカムに突如現れた銀の騎士によって。

 アーカム・アドヴァタイザーとアーカム・ガゼットの両紙は昨日の僕の活躍を報じる記事をトップにしていた。ドラッグは犯罪組織を太らせるだけじゃなく、汚染された人々を蝕んで更なる犯罪の温床となる。それを未然に防いだのだからアーカム市民は僕に感謝してほしい。ただアドヴァタイザー紙の方の記者コラムは、死者が7名出たことを挙げてやんわりと僕のことを糾弾していた。インタビューはガゼットしか受けないことにする。

 僕もいつまでもアーカムのローカルヒーローでいる気はないしね。

 この日は犯罪組織退治ほどは派手な活躍はできなかったが、何人かの犯罪者を捕まえてきついお仕置きをしたよ。2度と悪に手を染めないようにある程度の恐怖は与えることは問題ない。


 4月12日

 ダウンタウンのダイアーストリートにはインスマスという腐臭漂う漁師町から来る定期バスが来る。これにはインスマスからアーカムに買い出しなどにやってくる魚や蛙のような醜い顔をした町民が何人か乗っていて、実は以前から不快だった。

 あの町はおぞましい人身御供を行う新興宗教の存在と数代にわたる近親婚で奇形化した者達が幅を利かせていて近寄る者さえ稀な土地。

 20年代末には政府と海軍の一斉検挙と攻撃によって半壊したが、まだ生き残りはいる。彼らが呪われた故郷でゆっくりと滅んでいくのは構わないが、このアーカムでうろうろされるのは我慢ならない。

 だから掃除だ。ダイアーストリートの停留所から不格好に飛び跳ねるように歩くインスマス面の奴らを変身して半殺しにした。

 本当は完全に抹殺してもよかった。あんなのは僕らと同じ人間じゃない。僕は変身して無敵の聖戦士になっていたが、彼らの醜悪な外見と異生物めいた悲鳴にぞっとして、取り逃してしまったのだ。畜生。

 慌ててインスマスに逃げ帰ったバスが2度とこの街に来ないことを望む。


 4月13日

 ナイ・フォールが言った。

「その選ばれし者の力で弱くて愚かな人間を導くべきだとは思わないかね」

 異論はない。いずれそうするつもりだった。この世の邪悪は今こうして日記を書いている間もどこかで育っている。僕はそれを刈り取るために人間を指導することが、正しいことだと知ってる。

 そのためにはニューヨークかワシントンD.Cに行って影響力を強めなくてはならないだろう。この馬鹿げた社会の統治機構に君臨している愚か者達を粛清することも厭わない。

 今日は夜鷹ウィップアーウィルの鳴き声が喧しい。日記は僕の聖なる行いを綴る大切なものだ。これを邪魔するなら鳥だろうが撃ち落とすとしよう。

 来客のようだ。2階のモンローの奥さんらしい。

 


 くだらんことで中断してしまった。モンローの馬鹿亭主は留置場に入ったことで大工組合から除名されて仕事を失い、下宿からも追い出されるそうだ。あの女はそのことを罵倒しに来たわけだ。

 知ったことか。

 僕が助けてやらなきゃお前も娘もいずれ殺されていたかもしれないんだ。

 善い行いには心からの感謝をしろと学校か教会で教わらなかったのか。だからあんな馬鹿亭主と結婚するはめになるんだ。

 まあ、いい。亭主に殺されなかったとしても寿

 この国を僕の信じる正義に染め上げるためにはまだまだ殺さなくてはならないんだ。

 ナイ・フォール、ベルトの力を与えてくれた君には感謝している。これからも僕を支えてほしい。

 ナイ・フォールの気配がない。どこへ行っただろう。

 ああ、ますますあの鳥の鳴き声がうるさくなってきた。なんだっていうんだ。

 また来客か。今度は誰だ。僕は機嫌が悪いんだ。殺されても文句を言うなよ。


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 アーカム警察による注意書き。

 ここから先はこの下宿部屋で死んでいた無職の青年自身の血で書かれたと思われる。同室で青年に殺されたエリザベス・モンロー(30)とは血液型が違う。

 なお、この日記内容は社会に公表した場合、市民に無用な騒擾と不安を起こさせるため、地方判事権限により、極秘文書扱いとして封印する。

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 ナイよ、おもちゃで遊ぶ実験は楽しかったか?

 這い寄るどころか、逃げ足のはやさだけは相変わらずだな。

 しかし、夜鷹の鉤爪はお前を逃すことはない

 

 くだらん日記もここで終わりだ





第6話 完

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