第5話 ある夜の奪回

夜鷹自身の視点で語られる一夜の出来事。

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 一番近い町から10マイルは離れている小高い丘の上にその屋敷はあった。

 もともとは第一次世界大戦で大儲けした武器商人が避暑用に建てたそれは、次々と主を替えて今は邪悪な神を崇拝する集団の集会所になり果てた。

 週末の夜には信者が集い、彼らが希求してやまない血と暴力に彩られた世界に君臨する魔神の召喚を試みているという。

 暇な奴らだ。


 俺は仮面の夜鷹とかウィップアーウィルと呼ばれている。

 もちろん通り名だ。悪くないと思う程度には馴染みを感じてるから、そう呼ばれるがままにしている。時々『ウィップ』と親しげに呼ぶ馬鹿がいるが、それはやめてほしい。

 

 俺は周囲の草原を睥睨するマーロウ館という屋敷―――屋敷を建てた成金の名だ。もっとも10年後に大恐慌で破産した末にここで拳銃自殺しているからあまり縁起のいい名前じゃない―――に用事があった。

 ただし、玄関のノッカーをコツコツ鳴らして招き入れられるような正規の用向きじゃない。

 今夜、何度目かの儀式が行われるあの館から、ある人物を奪回する。

 たいした荒事も起こさずに目的を達成できるだろう。 

 なにせこの邪教カルトは「インチキ」だ。

 本物の邪神、とんでもない魔力を操る魔術師なんかどこにもいない。

 ほどほどにいかれた教祖をトップに、その教祖のマインドコントロールを受けた信徒で構成される教団と、教団が人身売買とドラッグで稼いだ金目当ての武装グループが結託しているに過ぎない。

 多少の弾丸は飛んできても、夜鷹ウィップアーウィルには届かない。

 

 呪的結界すら張っていない中を吹く風の音に紛れ、あっさりと丘を駆け上がる。

 トラバサミの罠はいくつかあったが、風に乗って流れる鉄の匂いを察知すれば踏むことはない。

 夜闇を背景に黒くそびえる館のどの窓にも灯りはない。ご多分に漏れず、典型的な地下聖堂で儀式を行おうってことか。ここらへんは本物もインチキも共通項だ。

 

 館に一歩踏み出す前に、両眼窩に力を入れる。

 瞬時に視界が薄青い世界に切り替わる。俺にとって思い入れのある青を背景に、ぼうっと浮かび上がる複数の人の形をした光が、人の輪郭をゆらめかせながら館を巡回していた。

 この青い視界がある限り、闇が俺の行く手を阻むことはできない。

 人の光柱は計4つ。警備が手薄すぎる。やはりこのカルトは

人間以外の訪問やばい事態を想定していない。

 さっさと済ませよう。

 俺は風下から4人の警備兵を1人ずつ襲い―――殺す必要もないからただ当て身を喰らわすだけ――――ロープで縛り上げて、近場のケヤキの太い枝から逆さ吊りにした。

 

 施錠された分厚い樫の正面扉の前で精神集中する。これは少し時間がかかる。

 肉体や装備をこの世界の物質とは違う振動で分解し非実体化する。強い精神集中でこの状態を維持している間はどんな扉も壁も俺の侵入を防ぐことは不可能だ。

 お前、一体どうやって入ってきた!?

 数えきれない程問われてきた。答えはこれさ。

 館の中にドアを開けずに入り、精神集中を解く。瞬時に非実体化した体や装備が、をたよりに再構成される。ほら、もう握手もできるぜ?

 豪華なロビーを横切り、奥へ奥へと忍び足。 

 地下室への入口の3大定番は、図書室、喫煙室、撞球室。今回は1番目の本棚の裏。

 内側からロックされているため、再び非実体化して通り抜け、あまり長くない階段をおりる。

 おりきった奥には宗教的な装飾を施した両開きの扉。儀式の間に違いない。

 右の通路奥にはこれまた定番の鉄格子。この館が出来たころからあるのか、後々につくられたのかわからないが、人を監禁するためのものだ。

 電気はついてなかったが、俺の『青い視界』には3つの人の形の光柱が映っている。

 音を立てずに鉄格子に近づく。この3人のうちにいるのか?

「ひぃっ」

 一番手前にいた赤毛にそばかすの少女が小さく悲鳴をあげた。地下への扉を開けずに通り抜けてきたのだから、俺の侵入には気づかなかったのだろう。 

「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌」

 少女は両手をついて牢の奥に後じさった。その少女を背後から受け止めるように、ブロンドでやや小太りの少女と黒髪で表情に乏しい眼鏡をかけた少女が奥の壁を背にしていた。

 このインチキカルトが、いもしない魔神を召喚する際に使われる子羊ちゃん達だな。

「静かに」

 つとめて冷静に理性的に。ここで騒がれると面倒くさい。

 赤毛そばかす「助けて。生贄になんてなりたくない」 

 ブロンドぽっちゃり「うちに帰して。お願い」

 黒髪眼鏡「武器がないとどうにもお手上げね……」

 んー、やかましいから同時に喋るな。

 俺は口元に人差し指を立てて、そのまま、

「失敬。部屋を間違えたようだ。すまないが静かにしておいてくれると嬉しい。俺には助けなきゃいけない奴がいるんでね」

 と鉄格子の前から踵を返した。

「ちょっと待って。それって私達のことでしょ」

「あっちには頭のおかしいのしかいないわ」 

「行ってしまうなら自決用の銃を貸して……」

 無視して、奥の院の両開扉の前に立つ。

 ドアの奥から信者達の詠唱が始まっていた。これが最高潮になる頃合いに牢屋の娘のひとりまたは全員が魔神様に捧げられるんだろう。

 どうせ召喚は失敗するわけだが、教祖は「信心が足りんからだ」と言ってますます大がかりな儀式を企画するんだろう。

 またも扉をスーッと抜ける。

 カルトの名前を聞かされていたのだが、もう忘れてしまった。

 目の部分だけ穴が開いた白頭巾、白ケープがカルトメンバーの正式な衣装らしい。

 白シーツどもの報われない饗宴。血がついたら洗い落とすのが大変だな。

 知っているかもしれないが、俺も一応、黄色い印の兄弟団イエローサインというカルトのメンバーだ。このカルトは名状しがたきものハスターをボスとするであり、様々な召喚呪文を知っているつもりだが、今こいつらが夢中で詠唱している呪文はとんと聞いたことがないものだ。

 メイド・イン・USAの歴史の浅い呪文、韻も律もあったものじゃない。

 これを唱え終わっても何も起きないことは夜鷹の名にかけて保証しよう。

 

 雰囲気だけはいかめしく、陳腐な手順によって進む儀式。このどうしようもない喜劇に俺は笑いを我慢することができなかった。

 「何だっ」

 遠慮のない大笑いは、彼らの肥大した自尊心を傷つけたらしい。儀式は中断されてしまった。

 白シーツの一同は突然の闖入者に仰天して、ようやく俺の存在に気づいてくれた。

「貴様、一体どうやって入ってきた!?」

「お遊戯を邪魔してすまない。仕事が終わったらすぐ出ていくさ」

 うそぶく俺を囲むカルトメンバー達。この中に今夜の奪還対象がいるのは間違いないようだが全員同じ白頭巾で見分けが……ついた。

 1人だけのがいる。体内に流れる血の臭いでわかる。

 俺はそいつにツカツカと近寄り、白頭巾のてっぺんをひっつかんで

「下校時間になった。クラブ活動はここまでだ」

と宣告する。

 しかし、奴は身をよじって抵抗した。

「わたしは明けの明星の天使ルシファー様におつかえする―――」

 いないんだよ、そんなの。

 俺は祭壇に飾ってあった1フィートほどあるその何とかいう天使の像で、奴の頭をぶん殴った。

 一発で昏倒した。まあ、生きてさえいればどうなろうが構わん。

「神聖な御姿を粗略に扱いおって!」

「生かして帰すな」

「ルシファーよ、この者に罰を」

 うんざりだ。ごっこは卒業しろ。

 10数名の白シーツはショゴスマントのパンチで一斉に吹っ飛ばされた。手加減したから死んじゃいない……と思う。保険入ってるか?

 教祖にはもう少しお仕置きしてやるかと考えたが、床にのびてるメンバーの誰が教祖なのかわからん。そのくらい個性のない面々だったのだ。


「ものすごく痛いだろうが、よく聞いてくれ。お前たちの誰も夜鷹ウィップアーウィルの鳴き声を聞いてないようだから生かしておくが、あまり悪戯がすぎるといつかの化け物に生贄にされてしまうぞ」

「くっ……お前が化けも」

ブーツの先で蹴り飛ばす。白頭巾に赤い色が広がった。殺しちゃいないさ。


 奪回対象のを肩に乗せて引っ担いで儀式の間を後にした。階段を上がろうとすると、鉄格子の向こうから罵声が飛んできた。

「ちょっと!そんな奴を助ける前に私達を助けなさいよ!レディファースト!」

「あたしのパパは州議会議員よ、その娘を無視してただで済むと思ってんの?」

「人道的な処遇を求めたい……」

 うんざりする三重奏。

「お前らなあ、ナイトに助けられたかったら少しはお姫様らしくしたらどうだ?」

 ショゴスマントの一撃でひん曲げた鉄棒の合間から少女達は抜け出てきた。

 ブロンドぽっちゃりの州議会議員のご令嬢は、出るのに少し苦労していた様子。


 帰りは非実体化を使わずに、堂々と玄関から出た。そこまではよかった。

 丘を駆け上がってくるジープが3台。風が生臭くなる。少女達も鼻をつまむ。

「なに、この臭いの!」

「魚市場の運搬人たちよ、きっと」

 赤毛とブロンドは相変わらずうるさい。

 こいつはやばいぞ。のお出ましだ。ジープから降りてきた10名超のうち半分くらいはまだ手をしているようだ。残り半分は発達した水かきが邪魔して無理らしい。


 集団は一様に、剥きだした瞼のない淀んだ眼に、ほぼなくなった耳と鼻、横一文字に裂けた口、首筋のえら、2足歩行が苦手そうな前傾姿勢が共通していた。

 南太平洋から来た深きものどもディープワンと人間の混血児たち。

 南太平洋にて眠る邪神クトゥルーを崇めるダゴン秘密教団の者に間違いない。


「あいつらの目当てもか……おい、君たちに構ってたら余計な奴らに出くわしちまったぞ。まったくツイてない」

 赤毛そばかす「なんとかしてよ!西部の田舎者」

 ブロンドぽっちゃり「女を守るのが男でしょ!」

 この場面である意味余裕があって頼もしいな。

 

 黒髪に眼鏡の低血圧っぽい少女だけは違った。

「あんたたちうるさいわ。口からクソたれてる暇あったら銃をとりなさいよ……」

「?」

 赤毛とブロンドだけでなく、俺の視線も黒髪眼鏡の少女にとまる。

 黒髪眼鏡は、俺が最初に武装解除したインチキカルトの警備兵の銃を手に動作確認していた。職業軍人のように慣れた手つきなのはどうしてだ。

「おい、君」

 黒髪眼鏡は俺の問いかけを無視していきなり発砲した。

 俺の大事なカウボーイハットを掠めた弾丸はダゴン秘密教団員の1人の胸に命中した。

「トーチカになってくれるならそれはそれで助かる、カウボーイ……」

 冗談だろ。さっと横に退く。

 倦怠感のかたまりだった少女の目は冷徹な狙撃手のものに豹変していた。

「レベッカにナンシー。蛆虫並みの安いの命を守りたかったら銃をとりなさい……」

 黒髪眼鏡は冷静に第2射。これまたヒット。

 赤毛そばかすのレベッカは

「ちょっと!あたしたち銃なんて使えないわよ」

と抗議、ブロンドぽっちゃりのナンシーにいたっては

「銃は重いから疲れる」

の拒否反応であった。

 黒縁眼鏡はキッと2人を睨みつけた。

「ふざけるな!金玉ボール落としたか!」

 赤&ブロンド「「ないわよ!」」

 なんなのだ、こいつら。


「ガンスリンガー、君の名は?どうして銃を使えるのかね」

 尋ねた俺に対しても黒髪眼鏡は容赦なかった。

「反吐出すかたわごと言うしか能のない口動かす暇あったら援護しろよ、豚野郎……」

「語尾だけはアンニュイなんだな」

 もう一射。ダゴン秘密教団のジープのフロントガラスが砕け散る。

「フ○ック、はずした……ハートマン。クリス・ハートマン……。父と兄2人は海兵隊だ。早くその銃とって応戦しろって言ってんだよクソッタレ……」

 年長者として口のきき方を注意した方がいいのかどうか迷ったが、まずはここを脱出することが優先だ。

 いい具合に将来有望な軍人候補のクリス・ハートマンは正確な射撃でダゴン秘密教団の魚ヅラどもの足止めに成功している。

 今しかない。


 俺はヒップボトルの黄金に輝く蜂蜜酒を一口含んだ。石笛を吹いて、呪文を唱える。

 

 いあ! いあ! はすたあ! はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい! あい! はすたあ! 


 夜空より黒いしみが一つ上空に湧き上がったかと思うや、それは急降下して俺の近くでホバリングした。

 バイアクヘー。

 名状しがたきものハスターの眷属。頭部と胸部及び腰部ごとにくびれた全身。胸部からは2つの蝙蝠めいた翼と2本の手。腰部からは2本の足。巨大な蜂のようにも見える。

 黄金の蜂蜜酒と魔法の石笛、そして召喚呪文があればどこにでもあらわれ、空や星間宇宙を飛ぶ。俺は緊急時にはバイアクヘーで移動する。

 そしてキーキーガーガーとうるさいのも特徴だ。

「きゃああああ」

「気持ち悪いいい!」

 バイアクヘーと同じくらいうるさい赤毛とブロンドを軽い当て身で黙らせて、バイアクヘーの手に抱えさせる。

 俺は白装束の収穫と黒髪眼鏡のクリス・ハートマンを両脇になんとか抱えて、バイアクヘーに頼んだ。

「重量オーバーで悪いが頼む」

 バイアクヘーは少しよろめいたが、すぐバランスを回復して夜空舞い上がった。

 クトゥルーカルトは空の追尾手段がないので地団駄を踏むしかない。その腹いせに館の中のインチキカルトメンバー達が血祭りにあげられても俺の知ったことじゃない。


 奴を運び込む目的地の途中にある町で3人の少女が警察に保護されるように丁寧に放り出し、俺は身軽になったバイアクヘーに命じて、目的地へ飛んだ。

 3人の少女のうち、性格が豹変した黒髪眼鏡ことクリス・ハートマンとはその後思わぬ形でめぐりあうのだが、それはまた別の機会に譲ろう。

 



 アーカムのとあるホテルの一室。4階の窓にバイアクヘーを横づけして、直接今回の依頼人と相対した。

 担いでいた白装束を床に放り出して、頭巾をひっぱがす。

 現れたのは20歳そこそこの青年。額にこぶが膨らんでいるのは俺のせいだが、彼の容貌は先ほど現れたダゴン秘密教団の信者達とあまり変わらないものだった。まあ、世にいう魚面。インスマス面とも言う。

 ソファから立ち上がった依頼人はもっと魚に近づいた面をした壮年の男。無理に2足歩行しているようなひょこひょこ跳ねる歩き方で、失神している青年を抱きかかえた。

「ウィップアーウィル、息子を救い出してくれて感謝する。約束の品だ」

 水かきのある巨大な手というかヒレというか―――が黒い金属塊を差し出すのをひったくった。

「確かに」

 これは俺の故郷で非常に珍重されている金属である。

 宿敵である宇宙生命体ミ=ゴもこれを欲しがっている。

 当然奴らとはよく争奪戦になる。

 俺は出来るだけ平和的な手段でこのスーパーレアメタルを手に入れるために、このインスマス人(深きものともと人間の混血種)と取引したのだ。

 クトゥルーのしもべと取引するのは正義の味方のやることではない、という輩にはこの言葉を贈ろう。

 正義などというものを俺に押しつけるな。



 壮年の男は耳障りな声―――もう声帯が人間のものではないのだろう―――で言った。

「インスマスの民である息子が我らが神クトゥルー、ダゴン、ハイドラ以外の、しかも存在すらしない虚像を信仰しているなどと仲間達に知れたら私達一家は破滅するところでした。息子が馬鹿げた妄想から目を覚ますまでは監視して、親子ともどももう少し歳を重ねましょう。そして、いつか海の故郷イハ・ンスレイに旅立つ日までここで過ごします。……このたびは利害が一致しましたのであなたに依頼を受けてもらったわけですが、次にお会いするときは……おそらく敵同士でしょうな」

 イハ・ンスレイ。この半魚人どもが不死の魚の化け物『深きものども』に成長したら目指す海魔の楽園。

 ここに長居は無用だ。俺は窓外で待機していたバイアクヘーに飛び乗った。

「あんたら親子がもう少しへ変貌しちまったら、俺も黙ってはいられないな。だからそのときが来るのを楽しみにしてるよ、マーシュ家の紳士」



バイアクヘーはアーカムの夜空を上昇し始めた。




第5話 完

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 マーシュ一族は、インスマスというクトゥルー信者の半魚人たちで埋め尽くされた頽廃と悪徳の街の名家です。

 その一族は半魚人の血を最も濃く受け継いでいると言われています。

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