第1話 夜鷹の鳴き声は聞こえるか(3)
視界には高い天井。背中にはごつごつした石の感触。意識が戻ったが、殴られた頭がうずく。
僕はさるぐつわをかまされた状態で石のテーブルに固定されていた。両手と両足はテーブルの四隅から伸ばされた縄で拘束されて、X字の昆虫標本みたいになっている。
平凡な大学生がこんな状態で目が覚めたらパニックになるのは当然で、力の限り暴れてみたけど無駄に体力を消耗しただけで終わった。さるぐつわのせいでウーウーとしか叫べない。身体の自由を奪われる恐怖で僕はまたも気を失いそうになった。
頭の方向にあるドアが開いて、複数の人間が僕の拘束されている石テーブルを囲むようにして並んだ。老若男女入り混じった顔の中に知った顔がひとつあり、僕の絶望は深くなった。
一昨日の夜、僕を襲った路上強盗が澱んだ眼で見下ろしていた。あの襲撃は偶然ではなく、こいつはもとから僕を狙っていたということか。教会を出た僕を襲ったのもこいつかかもしれない。抗議と罵声はさるぐつわによって殺された。
この集団、どう見ても社交クラブじゃない。暗い妄執によってつながっている狂信者―――カルト。認めたくないが、僕はたぶん生贄。
なんで僕がこんな目に!
僕はただの大学生で、大事な女性を探しているだけだ。カルトなんかと接点はない。
「この前は突然いなくなってごめんなさい」
まさかここでその声を聞くことになろうとは!
反射的に「サラ!」と叫んだがまともな言葉にならない。
周囲の人垣の一角が割れて、僕が探し続けていたサラ・オズボーンが微笑みながら近づいてきた。いつもの先進的なファッションとは真逆の古風なケープを身にまとっている。
「私を探しにわざわざセイラムまで来てくれたのね。うれしいと思ってるのよ。儀式の間まで来させる手間が省けたからだけど」
サラは隣に立っていた路上強盗の耳をきつくつまんで引っ張った。男は抵抗せずになすがまま。
「アーカムでアレックスにあなたを襲わせるところまでは順調だった。ここまで拉致して一気に儀式を始める予定だったけど、邪魔が入った。こいつは無様に逃げ戻ってきた」
路上強盗、いやアレックスは恥じ入るように目を伏せた。絶対服従の信者達に君臨するカルトの教祖。恋に曇っていた愚かな僕の心は、嫌悪したい現実を教則に受け入れていた。
「でもおバカなあなたは私のテリトリーまでのこのこ追ってきてくれた」
そう、僕も教祖の魅力のとりこになっていた。ここにいる信者達と同じだ。
「セイラムの魔女の話、あの臆病者の牧師から聞いたんでしょ。魔女として真っ先に処刑されたサラ・オズボーンは私。17世紀に絞首台に吊るされた女は20世紀の今もこうして生きているの」
理解できる話ではない。妄想狂としか思えなかったが20世紀の科学時代を生きている何人もの人間を支配する説得力をもっている。
「何も知らないままあなたを殺しても面白くない。どうせなら真実を知ったあなたが苦しみ死んでもらった方が楽しめるから教えてあげる」
小首を傾け、印象的な双眸で僕の視線を真っ直ぐ受け止め微笑む彼女。僕は仕組まれた罠に見事にはまった小動物で、彼女は獲物の皮を剥いで肉を切り落とす猟師。
「私はただの女で、魔女なんかじゃなかったわ。魔女だと密告されて捕まった大勢の村人も同じ人間だった」
魔女狩りで処刑された者の多くが魔女とは関係なかったり、薬草に通じていた民間療法などの担い手だったことは現代の常識だ。
サラが当時から生きているその被害者本人かどうかは別として、彼女の言っていることは間違いではないだろう。
「あの事件は、ただ一人本物の魔女だった自分の娘を魔女裁判から匿うため、自分の所有していた奴隷女に偽りの告発をさせ、無実の者達を次々に絞首台に送り込んだ、その時の村の牧師サミュエル・パリスが仕組んだもの。本当の悪魔はサミュエル・パリス。本当の魔女はその娘ベティー・パリス。騒動はベティーが従妹のアビゲイルを魔力で狂人にしたことから始まっている。ベティーは本物の悪魔の力を持っていた」
サラの目がギラギラと憎悪に吊り上ってきた。
「善良な村人達の命と尊厳と引き換えに、自身の地位と娘を守ったサミュエル・パリスは事件が収拾したと同時に、自らが汚したセイラムを出てニューヨークに移り住んだそうよ」
恐ろしい事実が僕を包んでいた。
「そう、サミュエル、ベティーがニューヨークで汚らしい血統を紡いできた結果、それがあなたよ。サミュエル・パリス」
僕はサミュエル・パリス。
先祖がニューヨークに移り住んだのは17世紀末で、元は牧師だった。セイラム出身とは知らなかったか。
現在のこの町の牧師フェルトン氏が僕の姓名を聞いた時の動揺の理由が今判った。
でも待て。これはサラ・オズボーンが偶然の一致を利用したつくり話かもしれない。そもそも彼女が200歳を超えているということからして馬鹿げている。
サラ顔に浮かぶ僕に対する憎しみだけは本物だったが。
「あなたがそのことを知っていたかどうかはどうでもいい。私はそれを真実だと知っているから。私は教会の神に裏切られたと同時に本当の神に救われた。そして本当の神に仕えることで、永遠の命と秘められた知識を得た。セイラムの民は本当の神の使徒として宇宙を飛べるようになる。私はこの儀式の間で毎週本当の神のしもべを創造してユゴスに旅立たせてきたわ。あなたにも同じ処置をしてあげる。ただし、大罪人の末裔として本当の神のおわすユゴスに連行するため。あなたの脳はそこで本当の神の裁きを受けるの」
本当の神、宇宙、脳、ユゴス。
僕にはなんのことだかわけがわからなかった。
狂信者の1人が両手で僕の頭を固定した。
別の狂信者が石テーブルの上に小さな医療鞄を乗せ、銀色の刃や針が複雑に突き出た得体のしれない器具―――当然それは見る者の恐怖を煽った―――を取り出して、うやうやしくサラに捧げた。
僕じゃなくてもこれから何をされるのかは予想できるだろう。手足の戒めを振りほどこうと、頭を狂信者の両手から解放しようと無茶苦茶に暴れた。涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだがそんなことはどうでもいいことだ。
「無様でうれしい。もっともっと私たちをよろこばせて」
サラは器具を両手に持って、僕の顔に近づけた。これから頭蓋を割って中身をいじくる残忍で無機質なそれをよく見えるように。
「これはあなたの先祖の保身のために殺された私や絞首刑で命を落とした者達のささやかな復讐の儀式。主賓として楽しんで頂戴」
僕はまだサラが17世紀の人間だと信じていなかったが、石テーブルを囲むこの人達もおなじだってのか。
ああ、そんなことより何とかしてここから逃げなくては。こいつらは全員殺人者だ。
「誰か助けて!!殺される!お願いだ!」
全身を力の限り動かし続けた結果、口を塞いでいたさるぐつわが緩んで、まともに声が出せるようになった。僕の叫びは儀式の間に集った人殺しの狂信者達のサディズムをそそっただけだった。
助けなんか来ない。僕はここで狂った集団に解体される運命だ。
緩やかに意識の奥から理性が崩壊しかけたてきた。
最初はその限界のさなかでの幻聴だと思った。
「さて、ミ=ゴの操り人形ども、
このせりふ、アーカムの深夜の路上で聞いた・・・・。新聞記事に載っていた『夜鷹の幽霊』……。
狂信者達と僕は、声が発せられた方に目を向けた。僕だけは頭が固定されているので視線を必死に動かしたのだが。
路上強盗アレックスの無精ひげ面が全員の視線を受け止めていた。アレックスは片方の口角をクイッと上げ、満場の拍手に応える舞台俳優のように両腕を大きく開いた。
「聞こえているのだろう?」
そういえば、という感じで狂信者達が耳障りだという表情を浮かべる。何かこの室内に響いているみたいに。
僕にはアレックスの声以外は聞こえない。聴覚がおかしくなっているんだろうか。
それを察したのかアレックスが僕に向かって手をひらひらさせた。
「ああ、君には聞こえないと思う」
「あ、あんたが何言ってるんだかわからない」
「ウィップアーウィルは死にゆく
狂信者の1人がアレックスに掴みかかろうとし、かわされる。ひょいっと石テーブルの上に飛び乗ったアレックスは僕の体をまたぐように仁王立ち。周囲の狂信者達を睨めつけ、
「ウィップアーウィルの鳴き声が聞こえたお前達の魂は、俺の鉤爪がしっかりと捕まえる。ひとつたりとも逃がさん」
アレックスの全身の輪郭と色彩がぼやけ始め、別人に変わっていった。
濃茶色の革製で全身を包み、その上に見覚えがある黒マント―――表面が細かく蠕動しているようだ―――を羽織っている。
胸に吊っているペンダントの先についた黒いメダルが天窓からの薄日を受けて煌めく。
腰に弾帯ベルトが緩やかに巻かれていた。脇の下にはホルスター、銀色の銃把が覗く。
顔は――――見えない。顔の上半分を黒い
よくこの命の危機に丁寧に観察してられたものだと自分でも呆れるが、アーカムで路上強盗を追い払った黒マントの男を正面から見ることが出来たわけだ。
男は僕を見下ろし、黒い革ブーツの足を素早く4回動かす。僕の手足の自由がよみがえった。男のブーツのかかとから刃が見え隠れしている。これで縛めを蹴り切ってくれたらしい。
「君もどうせ生贄にされるのだったら、こんなご近所のお茶会の儀式で無駄死にするより、『白銀の血』とか『ダゴン秘密教団』みたいな有名どころの手で『クトゥルー』に派手に捧げられた方が生贄冥利に尽きるだろう?」
「ど、どっちも願い下げです」
彼のセリフにはいくつかのよくわからない単語があったが、有名無名の問題ではない。生贄はごめんである。
頭をおさえていた狂信者が僕の顔面めがけて肘を打ち下ろしてきたのを必死にかわすと石テーブルから転がり落ちた。その勢いで狂信者達の囲みを突破しようとするが押し返される。ま、まずい。
石台の上の覆面カウボーイが、黒マントに隠れて見えない腰の背部から取り出した灰色の球体を床に投げつけた。
急速に視界を遮る煙幕が立ち込めた。僕はどう動いていいのかわからずにその場に頭を抱えてうずくまっていた。
矢のように僕の頭上を数度飛び交う気配。その都度、狂信者達が床に倒れていく音だけがする。
煙幕が晴れた後には、サラを除いて狂信者集団は床に打ち倒されていた。
茫然と立ち上がりながら僕はサラから距離をとった。
「お人形さんたちを操っていた糸は俺の鉤爪で断ち切った。あとは
「彼女が200歳以上って本当なんですか……僕にはもうなんだかさっぱり」
「ミ=ゴは人間の脳を取り出して缶詰にしたり、なんでもいうことを聞く人形を作るのが得意なんだ。虫とロブスターの私生児みたいな外見の気持ち悪い化け物のくせにな」
サラが美貌を狂気にゆがめ、人間離れした跳躍でカウボーイの幽霊に襲いかかった。
「
サラは石台の上に立つカウボーイの頭上―――10フィートはあるぞ―――から脳外科用のおぞましい器具を振りがさした。
カウボーイの幽霊は正対したサラに向かって跳び上がり、サラの頭部を自分の両足で挟み込んだまま
空中に大きな弧を描いたサラは石台の角に頭から叩きつけられ、首がありえない角度に曲がって崩れ落ちていく。
僕のおぞましい初恋は終わった。
カウボーイの幽霊は石台の上から降りると、両手を広げた。
「これはニッポンのバリツの技だ」
カウボーイの幽霊―――ウィップアーウィルと呼べばいいそうだ―――は、こと切れたサラの首をむんずとつかんで黒髪に隠れていた髪の生え際を指差した。そこには繊細な縫合痕があった。
「ミ=ゴに脳味噌をいじられた者は大抵ここにこれがある。その科学力で処刑された死体を動かし続けるのは奴らにとって簡単なことさ。そこらに転がってる元死体の額を確認してみたらどうだ」
「助けてもらったのにこんなことを言うのは悪いけど信じられない。」
「断言しとくぞ。この人形は200年ちょっと前に魔女裁判で処刑されたサラ・オズボーン本人だ。俺は実際に1692年の裁判を見ていたんだからな。生前の彼女の顔も覚えている」
僕はめまいがしてきた。この会話を誰かに話したら精神病院へ連れて行かれるだろう。
「君が信じなくてもそんなのはどうでもいい。俺はユゴスのあいつらがこの星でやらかしていることや『グレートオールドワン』の復活を画策するカルトが気に入らないから潰しているだけだ。君が興味がなければアーカムに帰って全て忘れることだ。もういくらか正気は失われてしまったとは思うがな」
僕は新聞スタンドの情報屋アーサー・ストラウトから聞いた話をした。どうせなら気になっていることを聞いてやるまで。
「
「まあ、な。俺はこいつらとは違ってナチュラルにそういう体質だということさ」
ウィップアーウィルに促されて建物の外に出た。セイラムの町はずれの古びた倉庫だった。彼が奇妙な幻覚を使って入れ替わっていた路上強盗のアレックスは倉庫の外でサラと同じように首が折れ曲がった姿で横たわっていた。
「ニッポンのバリツさ」
太陽は西に傾いていた。
日曜日は交通機関が休み。本当ならもう一泊して疲れた心身を休めるのがいいのに決まっているが、僕はこんな町からは一刻も早くおさらばしたかった。
歩いてでもアーカムに帰ろう。祖先の悪事、狂気に満ちたカルトの記憶に満ち満ちたこの町に比べたら、おんぼろで隙間風の入る「地獄の東」寮はまだよい場所だ。
「正直まだ現実味がわかないんだが、助けてもらったことは感謝する」
ウィップアーウィルはドミノマスクに指をあてて一瞬考えた後にこう言った。
「まあ、一度は危険だから行くなと警告したが、愚かにもサラ・オズボーンの復讐対象の君はのこのこと敵の懐に入ってくれた。そのおかげでミ=ゴ野郎の手先どもを一網打尽にできた。君はエサとして大変優秀。それでいいじゃないか、サム・パリス」
ウィップアーウィルは目元を覆うドミノマスクをスッとはずした。
スピークイージーで僕に語りかけてきたインディアンに似たあの不思議な男が笑っていた。
第1話 完
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仮面の夜鷹こと、ウィップアーウィルは数百年またはそれ以上の人生を、さまざまな国や地域での冒険や邪神退治に費やしてきた存在です。
彼の本当の正体(クトゥルー神話をご存知の方に初めに申し上げておくと、彼はナイアルラトホテップではありません)はいつか明かされる時が来ますが、次の話からは彼が関わることになる、さまざまな時代を舞台とした怪事件簿を綴っていきます。
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