第21話 キングスポートに霧は煙る(10)

 希望した通りのセントラル・ヒル側3階の部屋。

 窓を開けて、さほど高くない丘の上に建つ教会と共同墓地を見つめながらラヴクラッシュはボーイにいくつか尋ねた。

 首筋に白い蟲が貼りついていないことは確認済みだ。


「少しドライブしたい気分なんだが車を貸してくれる人はいるかね」


「ええ。うちのホテルでもオーナーの車をお貸ししていますよ。運転手がご入用でしたら私がつとめております」


 リゾート地を訪れる金持ちの我儘が積み重なると、こうしたサービスが用意されるものだ。


「運転はできる。車だけ貸してもらいたい。ドライブに飽きたら給油所で満タンにして返せばいいか」


「はい。では車を玄関に寄せておきます。オープンカーなので走行中に雨が降ったら後部の幌をかぶせてください」


 ボーイは制帽をクイと上げて笑顔を見せた。

 ラヴクラッシュは右手の親指と人差し指で自身の顎をつまみ、次の注文を考えるしぐさをする。


「他に御用があればそれも承ります」


 と、素早く懐からメモとペンを取り出した。

 お客様にご満足いただくよう一言も聞き漏らさずご用意しますという気持ち伝わってくる。

 この20歳そこそこの青年、繁忙期はたっぷりとチップを稼いでいるに違いない。


「船のチャーターはできるか。この町から外洋に出られるくらいの帆船がいい。クルーは最小限で」


「整備済みの船がすぐ出せるか確認しておきましょう。なにぶんシーズンオフなのでご要望にお応えできるかは...」


「水に浮けばいいさ。マンハッタン島まで行こうとは思わないからね」


 おひとりでクルーズなんて、このお客様はかなり裕福な方なのだとボーイは受け取った。


「ん、んー。それとだ、今夜はこの部屋でささやかなパーティを催したい。潜りの酒屋に上等なワインとブランデーを持ってこさせてくれ。もちろん腕のいいシェフがつくったオードブルの皿もいくつか用意するのを忘れずに」


 禁酒法の網目は緩い町である。酒の調達は可能。

 警官だって潜り酒場の常連だ。


「それでお客様、どなたをご招待されるのですか」


「今宵同じ宿で過ごす芸術家の皆さんと親交を深めるのさ。霧と海の町に魅せられた者同士で楽しくやりたい気分なんだ」


 ボーイは内心の驚きを顔に浮かべずにペンを動かす。

 素性もよくわからない自称画家たちと進んで親しくなろうだなんて変わったお方だと思いながら。


「では手配を頼むよ。私は少し休憩しているから30分したら車を寄せてくれ」



 

 3階から階段を一段飛ばしで駆け降りるボーイの右手には100ドル札軍資金が、左手には20ドル札チップが握られていた。


「ラヴクラッシュ様は最高だぁっ」


 ボーイはこのお客のためになんでもやろうと決意するのであった。



 寝転んだベッドから天井の木目を何とはなしに目で追いながら、ラヴクラッシュは様々な仕掛けを思考整理していた。

 

「日没まであと4時間弱か。うまくいくといいが」



 ボーイがフォードのドアを開けて頭を下げて待つ。



「ラヴクラッシュ様、幸い帆船ふねも一艘予約がとれました。明日までご自由にお乗りいただけます」


 貸し船屋の住所を教えてもらい、オープンカーは軽快に走り出す。


「キングスポートをお楽しみください! パーティの用意をしておきます!」


 ボーイの姿がミラーの中で小さくなっていく。


 帆船もパーティもすべては予備の策だ。金をドブに捨てることになるかもしれないが、できればこの車で目的を達成したい。

 ラヴクラッシュは雑な舗装の道にハンドルを持っていかれないよう、注意しながらジャクソン・ストリートへ向かう。

 ストリートのさらに先にある郊外へのハイウェイが近づいてくる。

 ラヴクラッシュはアクセルを踏む。


 キングスポートを脱出―――。


 聞き覚えのあるフルートの音色が運転席を通り抜けていく。


 ジャクソン・ストリートを走るオープンカー。


 巧みに車を切り返して再度ハイウェイを目指すが、気づくとハイウェイを背にして運転しているのだった。


「空間歪曲か。やられた」


 ハイウェイに出ることをあきらめたオープンカーはジャクソン・ストリートを戻っていく。

 


 あとは散々だった。


 貸し船屋でチャーターした帆船は静かに湾を出た瞬間に


 不用心なハーバーエリアの住民が放置したカヌーを無断拝借して近くを流れるミスカトニック河を遡上してアーカムを目指すも、河口から先にたどり着くことはできなかった。


 外洋、河に関係なく水路は完全に敵の術中にある。


 ならばと、町はずれの農家から借りた馬でアーカムへとつながるピーボディ・アベニューをいけば、馬は懸命にキングスポートを目指して疾駆するのだった。


 それを見かけた住民が口々にその男の不思議な繰り返しを話の俎上に載せたのはこの物語の冒頭に触れたとおりである。



  

 籠の中の鳥になった夜鷹は、忠実なボーイが手配したパーティに主催者として戻らざるを得なかった。

 

 キングスポートは敵対するものを逃がさない。


(続く)


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