第21話 キングスポートに霧は煙る(9)

「海の見える良いお部屋をご用意できます」


 ハーバークラウンホテルは裕福な避暑客でほぼ満室が続く繁忙期が過ぎると、あまり金をもってない芸術家たち相手の商売が主となり、主人の愛想はいまいちのものになる。


 宿帳にペンを走らせている季節外れの飛び込み客はその身なりからアッパーミドルクラスと値踏みした。4階の湾側の部屋をあてがおうと考えた。

 長期滞在を希望しているなら最上階のセミスイートにランクアップを勧めてみたらのってくるだろうか。この季節上層階の稼働率は大統領の支持率より低くなるので、少しでもところだ。

 

 低層階の部屋しか利用しない芸術家たちに比べてたっぷりと金を落としてくれそうな青年―――パワード・ラヴクラッシュの財布が重くて紐は緩いのを期待しよう。


「部屋はセントラル・ヒル側の2階か3階を希望する」


 ラヴクラッシュは主人の背後の壁にしつらえた各客室の鍵掛けを素早く確認していた。希望を満たす部屋の鍵に刺さる視線をとっさに遮ろうとしたがもう遅い。

 あいにく2階3階は満室でして、と言えなくなった。

 主人は繁忙期用の笑顔を作った。


「ラヴクラッシュ様、僭越ながら申し上げます。それらの階は夜更けまで騒がしい芸術家おきゃくさまが多くお泊りでして。ごゆっくりおくつろぎいただける4階か最上階をお勧めいたします。お部屋の向きについてもセントラル・ヒル側は歴史ある教会が望めますが、できますれば当ホテル自慢の海の眺望をお楽しみいただいたほうが」


 生地も仕立ても良いジャケットを着ているくせに渋いな。

 4階以上の部屋なら宿泊料は割増になる。海向きの部屋ならさらにドルが稼げるんだ。こっちも商売、財布から1枚でも多く札を出してくれよ。


「いや、気遣い無用だ。


 主人の眉が曇る。

 あんな崩れかけた教会の何がいいのかね。仕方ないや、少しでも長居してもらって―――。


「先払いだ。俺の部屋代は4階海側の値段で構わない」


 カウンターに置かれた紙幣の枚数に主人の眉が跳ね上がり、そして垂れ下がった。

 

 この旦那は上客だ! 


「い、今お部屋にご案内します。ボーイにお荷物運ばせます」


「その前に電話を使わせてくれ」



 フロント奥の電話ブースでラヴクラッシュはいくつかの顔を思い浮かべる。

 キングスポートに加勢に来られそうな同志または知人を。

 一番近いのは隣町と言っていいアーカム。


 『アーカム・アドヴァタイザー』のハービー・ロムニー、『アーカム・ガゼット』のジェラルド・ボックらに特ダネを仄めかせば、カメラをひっつかんでやってくるはずだ。

 マスコミをうろつかせることで結社の動きを牽制できる。

 ...否定。

 牽制成功と引き換えに彼らは霧の中に引き込まれてそのまま還ってこない運命になる。特ダネが紙面を飾ることはない。

 優秀な記者は今後も使コマだ。今回でするのは惜しい。


 探偵のケビン・リースを呼ぶのはどうか。元刑事の彼を何度か雇ったことがあり、知能、腕っ節、度胸は問題ない。

 買ったばかりの愛車シボレーで颯爽と現れるだろう。

 ...否定。

 ケビンが犯罪者におくれをとることはないが、残念ながら魔術に対抗する術がない。適材というにはひとつ足りない。


 では魔術や心霊に通じた者はどうか。


 真っ先に挙げられるのはカーウェン・ストリート93番地に住むラバン・シュリュズベリイ。元ミスカトニック大学の教員であり邪神の研究者。黄金の蜂蜜酒を用いてバイアクヘーを召喚できる。彼以上にうってつけな人物はいない。

 ...忌々しいが否定だ!

 シュリュズベリイは1915年にアーカムから失踪しているではないか。

 しかも8年前に消えた彼の行く先を知っている。ヒヤデス星団のセラエノ図書館で禁忌の知識を習得している最中だった。

 誰かセラエノの電話番号を知らないか?


 最後に浮かんだのは霊能力者のヴィルヘルム。ドイツ系の長身の青年で、金にはうるさいがその能力は本物だ。今自分に足りない魔術的な方面をカバーできるのは彼だ。


 ラヴクラッシュは受話器をとって、電話交換手につないだ。

 甲高い声の婦人交換手にヴィルヘルムの自宅兼事務所へ接続するよう依頼する。



 交換手はそう言った。


「どういうことかね」


 機嫌が悪いのか、職務に怠惰なのか。相手の事情はどうでもいい。


「助けを呼ぼうったって無駄よ。あんたの電話、絶対につながない。この町があんたを消すってこと忘れたのかしらぁぁ。キャハハハハハハハハハハハ」


 喉が裂けんばかりの高音の笑いとともに電話は切れてしまう。かけなおしたが交換手は二度と出ようとしなかった。


 顔も知らない夫人の首筋に貼りついた白い蟲を想像する。

 町が敵、言葉に偽りなしか。



「お荷物をお運びします。ミスタ・ラヴクラッシュ」


 電話ブースの外で直立不動の姿勢で待機していたボーイがうやうやしく防水鞄を手にとり、フロント横の階段をのぼり始めた。


 こいつは鞄を持って逃げないだろうな。


 さすがの夜鷹も少々疑心暗鬼になる。


(続く)



 本筋がほとんど進まずすみません。

 書きたいシーンを追求して、しっかりエンタメもしていきたいと思います。

 未熟ではありますが本作への応援をよろしくお願いします。


 ラバン・シュリュズベリイはオーガスト・ダーレスの「永劫の探求」の登場人物で元祖クトゥルーハンターなのは有名ですが(デモンベインにも出てましたっけ)、仮面の夜鷹シリーズでは第20話「農場にて」で若き日のシュリュズベリイを描いておりますので未読の方はぜひ。

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