第21話 キングスポートに霧は煙る(4)

 老人の家からウォーター・ストリートを東へ進むと、シップ・ストリートへの曲がり角が見えてきた。


 仮面の夜鷹ウィップアーウィルは自分の外見が東部の港町ではいささか目立つことを自覚し、老人の家の高い塀から路上に飛び降りた際に誰にも怪しまれない格好にあらためている。


 当初は黄色い目の老人からトゥルーメタルを受け取って早々に去る予定だったものの、思わぬ探索行となった今、カウボーイハットや顔半分を覆う仮面、ショゴスマント姿では目立つ。

 

 観光客や画家の出入りの多い町である。こざっぱりしたジャケットにスラックス姿の若者に変じた彼がストリートを歩いていても地元住民の注意をひくことはない。

 そうなると、今朝陸路や海路果ては宙空から町を訪れたところを目撃された男は、部外者慣れした住民が噂話にするほど目立って映ったに違いない。


 気配を感じた。尾けられている? 

 自然な体で靴紐を結びなおす体勢をとって斜め背後を見やっても昼すぎのストリートは無人であった。

 霧はこの時間になっても港町をたゆたっているが、彼の目を紛らわすほど遮蔽効果はない。

 耳を凝らす。右方向から静かな波の音が聞こえる。他にはいくつかの虫のうごめきや鳥のさえずり。

 

 若者―――夜鷹はシップ・ストリートに入るべく左に折れた。

 この町の古き勢力は外見を違えたくらいで危険人物を見逃したりはしない。

 夜鷹はまだ気づかない。



 海風にも負けないツタに覆われた家の玄関に現れたオーン婆さんは失礼のない程度に来客の上から下までを観察し、

「まあ、ウォーター・ストリートのあのおじいさん―――ええと名前をど忘れしちゃったわ―――から私のことを。ええ、どうぞどうぞ。ちょうど退屈していたところなのよ。あなた、どちらからいらして? ヴェバリーなの。だから素敵な靴をお召しなのね(※)。 ご職業は? ああ、製糸工場の主任さん。そのジャケットもオーダーメイドに違いないわね」

 遠慮のなく言ってのけてから、彼を招き入れた。


   ※ヴェバリーはマサチューセッツ州の製糸、製靴の中心地


「このお茶はなかなかのものよ。ニューヨークやボストンから来ていた避暑客のためにインドから仕入れたもので。ねえ、いい香りでしょう」


 目の前に置かれたティーカップからたちのぼる香気はウォーター・ストリートの老人の家で出たものと同じだったので、オーン婆さんの説明は正しい。

 黄色い目の老人は「余り=売れ残り」と言っていたが、オーン婆さんはその部分だけは割愛した。


「それで何の話をお聞きになりたいんですの―――えーとあなた、お名前なんでしたっけ」


 とっさに思いついた名前を口にする。


「パワード・ラヴクラッシュさんね。失礼、もう忘れたりしないわ」


 老眼鏡をかけたオーン婆さんはしっかりとうなずく。


 ヴェバリーの工場主任パワード・ラヴクラッシュは、雄大と繊細の調和したキングスポートの自然美を称賛して、地元愛の強い老婆の目を細めさせた。


 続けて、しばらく町で過ごすことになるかもしれないので、一番おいしいクラムチャウダーを提供する店を教えてほしい等、市井の情報通が回答できる質問をいくつか経てからさりげなく本題に近づいていく。


「冬至の頃に集まる人たちのことですって」


 軽やかな掛け合いが初めて躓いた。

 初対面の若者を前にしても、10年来の知人のような態度で接していた老婆の笑顔がかたまる。


「どうしてそんなことをお知りになりたいの、ラヴクラッシュさん」


 自宅の中でオーン婆さんはしわがれた声のトーンを落とした。


 噂好きで知られる老婆にとっても人間の常識と相容れないを垣間見てしまった経験には触れたくなかったのだろう。


 大学で文化人類学の講義を履修していた自分はクリスマスを祝うキリスト教徒で形成された社会の中で、冬至を祝う太陽信仰の集団がいることにとても興味がある。


 老婆の正気を失わせないよう配慮した回答をしたのだが、あまり意味はないようだった。


 オーン婆さんはこれまでの歓待を改めたからだ。


「悪いことは言わないからそんな話はおやめなさい。ウォーター・ストリートのあの方と違ってあなたのようなこの先長い若い方が触れてはいけないことがあることを知らなくてはいけないよ」


 ファースト・ナショナル食料品店で会計待ちの間に、あの黄色い目の老人にうっかりその話をしてしまったのを老婆は後悔していた。


 あの話はするべきではなかった。見ても言わない選択があったのに。

 だが自分の心の中だけにあの光景を閉じ込めておくのは難しかった。誰かに話すことで呪いめいた心の澱をなすりつけたかったのだ。

 名前も思い出せないが、と思った自分を恥じた。


 オーン婆さんの懊悩をよそにラヴクラッシュは見たことをありのままに教えてほしいと頼み、よりその懊悩を強めた。


 奇妙なことにラヴクラッシュの逆らい難い頼みは、あの夜に彼女になされた警告を乗り越えてきた。催眠術をかけられたかのような感覚が老婆の口を開かせる。


(続く)



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