キングスポートは霧に煙る
第21話 キングスポートに霧は煙る(1)
その日、奇妙な男を見かけたキングスポートの住民達の間で気味の悪い噂が流れた。
町の郵便配達夫は、町の北側を衝立のようにふさぐキングスポート・ヘッドの向こう側のミスカトニック河口から男が何度もカヌーを操って上陸してきたと主張した。
漁から戻った熟練の船乗りは、想定外の豊漁に顔をほころばせながら、「白い帆船に乗った男が船着き場に降りてきたのを見たぜ。それも何度も見たのさ。神かけて酒は飲んじゃいないぜ」と話す。
密漁や密輸に常時目を光らせる職務に精励している港長は白い帆船は監視の目を潜り抜けたかのように突然港に現れたことに首をかしげていた。
キングスポートの北東3マイルにある街アーカムから商用で訪れたファースト・ナショナル食料品店のマネージャーによれば、ふたつの町をつなぐピーボディ・アベニューを徒歩で急ぐ自分を何度も追い抜いていった馬上の男がいたとのことである。
また、町の南西部ヒルタウンの古びたアパートの2階に住む主婦は眼下のジャクソン・ストリートを町中へ何度も向かうオープンカーを目撃した。
何より不可解なのはそれらの噂にのぼる男はすべて同一人物だったということ。
町を潤わせた避暑客が去り、手持ち無沙汰を意識するようになったキングスポートの住人達は冷涼な季節の一日を噂話で紛らわせて過ごすのだった。
物語の始まりを語るために時間を巻き戻そう。
霧が立ち込めるキングスポートのウォーター・ストリートを足早に進む男がいた。
目深にかぶったカウボーイハット、襟を立てたマントの間から表情はうかがえない。
半月ほど前までこの町をそぞろ歩いていた東海岸の避暑客連中と違い、男には明確な目的があった。
ウォーター・ストリートの一角、蔦に覆われた高い石塀が囲む家。
節くれだった古木の枝は伸びるに任され、海風の吹く空へ何かを求めながら絶命した罪人の手を想像させる。
他者の訪問を拒絶する意志で支えられた石塀に設けられた樫材の戸口には目もくれず、男は石壁の上に飛び乗った。
海と霧と冷風に覆われる古びた港町には似つかわしくない奇妙な庭が男の視界を埋める。
多様な色に塗られた複数のサイズの石が複雑怪奇な配置で置かれていた。
その下半分が黒土に埋没しているもの、ぞんざいに転がされたもの、とうに滅びた信仰対象のように天を衝いてそそり立っているもの。
見る者によってオリエンタルな印象を与える庭の造形は家の主人の趣味なのだろうか。
キングスポートに居を構える画家のうちで、この庭のセンスを好意的に評価する者が少数派なことは確かである。
カウボーイハットの縁の下からかろうじてのぞく男の双眸は、『別のもの』を視ていた。
これらの石の色や形、配列は異常者の気まぐれではなく、魔術を知る者の確たる意志に基づいて決められたものであることを。
それぞれ石と石の間を結ぶ不可視の力線が不浄な存在の干渉を拒んでいることを。
この庭いっぱい、複雑に張り巡らされた力線に一度も触れずに母屋のドアにたどり着くことができないよう、高度に計算された石の配置がなされていることを男は理解した。
そして、魔術の力線は超常的な力を有した者にのみ害を与え、例外なく力押しの訪問を諦めさせてきたに違いない。
一方で、風雨に汚れた小窓のひとつが割れていた。
おそらく気味の悪い家に石を投げて度胸を見せたい悪ガキのしわざだろう。
常人にとってはただの悪趣味な庭であり、その心根の善悪に関係なく平気で横切ることができる。
訪れる住民がいればだが。
男は物騒な罠が待ち受ける庭を忌避する側の存在であった。
「面倒だ...」
この町を訪れて―――どの住人の証言が真なるものかは不明だが―――初めて声を発した男は羽織っていたマントに手をかけると、
「ノックしてこい。奴が居眠りしていても飛び起きるくらいしっかりとな」
と、命じた。
TEKELI-LI
としか聞こえない音とともに、男のマントの端が槍がごとく形状を変じ、矢に匹敵するスピードで空中を渡る。
その先端は、長年の風雪に耐えてきた樫板のドアに突き立ち、派手に木くずを飛び散らせた。
マントはマナーどおりに4回その刺突を済ませて、屋内の何者かに客の来訪を知らせた。
コツコツ コツ コツ
家の奥から石床を杖でつく音が近づき、ドア板に開けられた穴の奥からじっと外をうかがう目が覗く。瞳の色は黄色。
4つの空気穴ができたドアが耳障りな音をたてて開き、まず節のある杖が玄関前の石畳に突き立てられた。
やや遅れて杖にすがった長身痩躯、白髪白髭の老人が姿を見せた。
顔色が悪いこと、杖の握りに乗せた手の肉の薄さ、細長い脚の震え。
老人が相当の高齢であり、健康状態があまりよくないことは一目でわかる。
見る者の心を不安に陥らせる黄色い目だけが老いとはかけ離れていた。
夜闇の中でもランプの代わりになるのではないかと想像してしまうほどにその目に宿る光は爛々として、壁の上の訪問者に据えられている。
港から届いた体温を奪う風が2人の数瞬の対峙を終わらせ、老人が長い白髭に包まれた唇を開いた。
「窓を割るだけじゃ飽き足らない餓鬼が、今度はなんのいたずらかと思えば...」
言葉を継ぐ合間に喘鳴をはさんで、
「まさかあんただとは。
老人は杖を握りしめてない方の手をようよう掲げて歓迎の意を表した。
イエローサインは、
超常の存在を通さない庭をしつらえ、常人離れした黄色い瞳をもつ老人の挨拶を聞いたかどうか。
樫板のドアをいささか乱暴にノックしたマント―――ショゴスをその身にまとい直した男、仮面の夜鷹ことウィップアーウィルは石壁の上から降りず、老人に向けて左手を差し出した。
五指をくいくいと曲げ、何かをよこせと要求する。
「預けていたものを受け取りに来た」
もとから顔色の悪い老人の容貌が一段と灰色じみていく。
「ああ、預かっていたとも。この星の力を凝縮した金属のことだな」
「トゥルーメタル。
ルルイエが動く。夜鷹の言葉はこの日から1年数か月後の南太平洋で起きる大異変として現実となる。
深き水の底に眠るものが地球の支配権を手にせんと浮上する日。1925年某日。
今は1923年初秋のアメリカ北東部の港町の物語を続けよう。
「世界中を飛び回ってトゥルーメタルをかき集めていたら、お前にそれをいくらか預けていたことを数十年ぶりに思い出した」
老人は痩せた体を苦しそうに前傾させ、夜鷹に向けて手を伸ばす。ちょっと待ってくれ、という意図が感じられる。
「あ、ああ。トゥルーメタルはたいへん希少な魔術触媒だ。ウィップが私を信用して預けてくれて光栄さ.......。しかしな」
老人は次の言葉を発するのを嫌がってか、わざとらしい咳払いで間をとる。
夜鷹は老人のためらいを無視して舌鋒鋭く言い放った。
「インド洋に放り出されたお前をディープワンの群れから助けた代償に『俺が集めたトゥルーメタルを預かり守れ』と約してからたった100年だぞ。売ったか、使ったか、海に吞まれたか」
老人が現時点トゥルーメタルを保持していないことは態度で見抜ける。
夜鷹の問題意識はすでにことの経緯とブツの
「家の中で話そう、ウィップ。この町にだってイエローサインの存在を快く思わない邪教の輩は少なくない。奴らの耳目をひくのは一利もない」
老人は修理が必要になった樫板のドアを大きく開く。
夜鷹は知る由もなかったが、この老人はキングスポートで五指に入る危険人物と見なされており、必要最小限の買物以外に他人との接触をしない。
そんな彼が自ら他人を家に招き入れることを町の住民が知ればそれはちょっとした事件であった。
物騒なノックと同じように再びショゴスマントの一部が庭の空中を横切って伸びる。
そのぬらつく黒い先端は老人の肩をかすめて、玄関内の壁に突き刺さった。
しっかりと壁にフックされたショゴスの一端は、うねうねと蠢き、壁の上にいる自身の大部分、そしてそれを身にまとう主人の体をグイっと引き寄せる。
庭に配した魔術力線のトラップを一瞬で飛び越えて夜鷹は邸内に着地する。
老人は慌てて壁際に背を貼り付けて乱暴な立ち入りを避ける羽目になった。
「俺をウィップと呼ぶ資格は喪失しているぞ、
と、夜鷹は老人の経年劣化した臓腑を締め上げる宣告を言い置いて、奥の客間に消えていった。
開けたままのドアからキングスポート特有の死霊めいた霧が入り込んでいた。
(続く)
冒涜的な補足:老人はH・P・ラヴクラフトの「恐ろしい老人」という作品に登場する素敵な人物です。イエローサインのメンバー設定はオリジナル。
冒涜的なお願い:応援していただけると励みになります いあいあ
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