第19話 邪神狩人

事件簿は再び開かれる。

――――――――――――――――――


「おい、俺達はあんたを助けてやったんだぞ。わかってんのか?」

 タトゥーの入ったスキンヘッドをかしげた黒人の男は渋々とサブマシンガンを足下に置いた。

「それを壁の方へ蹴っ飛ばせ」

 私の有無を言わさぬ命令に従った黒人男性はホールドアップした。彼の胸を狙っていた銃口を左隣の細身の男に向ける。


「同じくだ。物騒なものは全て出して体から離すんだ」

 茶色の髪を丁寧に整えた神経質そうな白い顔をした男はため息をついて「私は武器は持っていませんよ」と答え、両手を上げた。


「次はお前だ。私にひきがねを引かせるな」

 その更に左隣。ウェーブの入った金髪に青い目の青年―――右の頬に古い創傷がはしっていることから荒事に最も慣れているのはこいつだろう―――は不敵な笑みを浮かべて私を挑発する。

「怖い怖い。俺は銃より刃物こっちが得意なんでね」

 カランカランとコンクリートの床に金物の落下する音が響く。ボウイナイフか。接近戦が得意らしいこいつからしっかりと距離をとっておこう。


 私は金髪の傷面から狙いを動かさずに、最後のひとりに呼びかけた。若い女性に銃を向けるのは気が進まない。

「君もだ」

 この場にいるのが不自然な少女ではある。しかし、その両手に握った拳銃でトゥチョトゥチョ人―――忌まわしい邪神のしもべたち―――を的確に射殺していたのは彼女だ。黄色縁の眼鏡の奥の目は半開きで今にも眠りこんでしまいそうだ。

「めんどくさい……」

「クリスぅ、おっさんが逆上しちまうから言うこと聞いてやれや」

 傷面はとことん私を嘲りたいようだ。私も邪神ハスターの手下風情に舐められたままではいられない。彼の足元を狙って一発撃った。


 次の瞬間、私の手から自動拳銃が吹き飛ばされた。

「ぐっ」

 手は無事だったが衝撃に痺れ、私は体勢を崩してしまった。

「よせ、クリス!」

 私の額にぴたりとあてられた銃口がその余熱で肌を灼く。傷面が制止しなければ、私は脳漿をまき散らしてトゥチョトゥチョ人達と同じ運命をたどっていたに違いない。

 クリスと呼ばれた表情の変化に乏しい少女の早撃ちのスキルは想定外だった。

 数多くの邪悪の眷属どもを退治してきた邪神狩人の私にとって手痛い判断ミスだ。


「先に撃ったのはこのくそったれの方。あたし達相手に威嚇射撃なんて余裕こけるほど強くもないくせに何様だ、てめえ……」

 神よ、このスクールガールが一番まともじゃない。

 眠たげな両目に灯った殺意は間違いなく正気を失っている!


「こいつ、ちょっとイキっちゃっただけじゃねえか。弱い者いじめは兄として見過ごせないぜ」

 似てないけど兄妹なのか。一見凶悪そうな傷面の方が常識人だったとは。ベテラン邪神狩人の分析も曇ってしまった。


「まあ、おっさんよう。さっきも言ったがな、トゥチョトゥチョ人に捕まって生贄待ちだったあんたを助けたのは俺達だぜ。感謝をされてもいいのに、隙見てホールドアップしろってのはよくないよ?」

 サブマシンガンを拾ってきた黒人青年の口調は変わらず陽気だ。


「デックの言うとおりです。あなた、見たところ『探索者』とか名乗ってる方々ですかね。武器の扱いに少々自信がおありなのでしょうか。その体の張りからするとマーシャルアーツもたしなんでいるのかもしれませんね」

 終始穏やかな物言いの痩身の男は私を上から下まで眺めてから

「でも。次かまたその次には生贄か発狂の運命が待ってます」

と告げた。


 丸腰で多勢に無勢の状態なれど、私がカッとなったのは当然と言わせてもらいたい。

 陸軍で鍛えられて戦争も経験、クトゥルーやミ=ゴなどの邪悪で汚らわしい超常生物と戦うための魔術も研鑽した邪神狩人の私が今まで何匹の半魚人やバケモノを退治してきたと思っているんだ。

「お前らはハスターの手下、黄色い印の兄弟団イエローサインだろう。旧支配者の加護がなくては戦えないやつらに何がわかるっていうんだ。お前らとインスマス面どものあいだに大した差はないぞ!」


「野郎っ」

 傷面がボウイナイフを投擲しようとしたのを今度は少女がとめる。

「ジェフリー兄さん、この程度の罵倒、覚悟して戦ってるんでしょう……」

 口調がダウナーになっているな。ここは攻めどころだ。

「クリス、君は若いんだ。今すぐその悪趣味な色の眼鏡を捨てて、人間として邪神どもに立ち向―――!」


 2発の銃声と同時に私の両耳のすぐ横を熱い空気が突き抜ける。拳銃を無造作に向けた少女の目は再び危険な光を灯していた。

「眼鏡がダセえだと?ただの糞製造機のくせに叩いてくれるじゃねえか。デック、サブマシンガンおもちゃ貸せ。こいつのつま先からミリ単位でグチャらせてやるんだ」

 黒人青年―――デックはブルブルと首を横に振ってサブマシンガンを背後に隠した。


 じょ、冗談ではないぞ。インスマスやキングスポート、ダンウィッチに潜入して生還したほどの経験を積んだ邪神狩人の私だぞ。こんなハスターの下っ端の更に下っ端に―――お、恐ろしい。神よ。


 情けないが震えが止まらない私の額に痩身の男の手があてられた。

 な、なにをする気だ。

 私の脳を奪い取るつもりか。いや、落ち着け。こいつらはミ=ゴではない。


「ほう。あなたはベテランの邪神狩人でいらっしゃる。インスマスなどの危険な土地に出入りしても無事に戻ってくる注意力と豪胆さを兼ね備えている、と。バスに乗って帰ってきただけ。それにあなた、インスマスのディープワンだと思って倒したうちの何人かは人間だったじゃないですか」

 この白塗り野郎ペールフェイス、魔術師か!心を読まれている。

「ふむ。私を白塗り野郎ですと。口がとことん卑しいのですね」

 痩身の神経質そうな額に青筋が。


「なあ、邪神狩人さんよ。あんたすごいぜ。クリスやヨハンのブチギレポイントしっかりついてくるなんて、さすがはベテラン!」

 傷面が白い歯を剝いて笑う。

「ジェフ、デック、クリス。この邪神狩人に敬意を表して私の術でどこかの時代に送り込んであげようと思うのですが」

 呼びかけられた3人は揃ってハッとした表情になる。


 頭上から新しい登場人物の声だけが降りてきた。

「イエローサインの同志諸君。仕事上がりとはいえ少し落ち着くんだ」


 視線だけ動かすと、倉庫―――ここはトゥチョトゥチョ人の仮設工場だった―――の天井近くの梁にうずくまる黒マント姿が映った。邪神狩人は優れた視力が命なのだ。


「旦那、ボス退治は終わったんですかい」

 デックの呼びかけに小さくうなずく影。

「バリツの前に敵はない」


 バリツ?イエローサイン……。

 私が数多くの探索に赴いたなかで幾度も聞いたその人物の名前が浮かんでくる。

 目元を覆う仮面の男。

「ウィ、ウィップ!」


「あ……」

 デックが口ごもる。クリスは拳銃をホルスターに戻して「知ぃらない……」と背中を向けた。


「初対面のが俺をそう呼ぶか」

 沈黙が辺りを支配する。ナイアルラトホテップですら彼を気安く呼ぶのはタブー。ましてや邪神と戦ってたかだか10年程度の人間が言うべきではなかった。


「ヨハン、俺から提案だ。彼が邪神狩人として腕をふるうに最も相応しい時と場所に送って差し上げろ」

「いつ、どこです。ウィップアーウィル」

「1927年。政府の一斉捜査が入る前のインスマス。あの無数のインスマス住民の中を無事に切り抜けられたら戻してやろう」

 ヨハンは痛ましそうに「だそうです」とだけ言った。


 い、言ってることがわからない。私を過去のインスマスに送るなどあるわけがない。悪いジョークだ。

 1928年、合衆国政府がFBIと海軍を動員してインスマスを襲撃するまでは同地はダゴン秘密教団が牛耳る無法地帯だったことくらい私も知っている。

 そこに独り放り出されて生還できるわけがないではないか。


「では現代にさようならを。あなたは数秒後に時空を超えます」

 ヨハンが真摯に告げた。


 待て、まて、マテ。どういうことだ。

 倉庫の窓が奇妙な形にねじくれて……す、吸い込まれる!

 私は何かにつかまろうとしたが手は空を切った。


「邪神狩人さん、元気でね……」

 

 


 意識が戻り、最初に感じたのは濃密な潮の臭い。

 電灯もない真っ暗闇の一帯に打ち寄せる波。


 そして波打ち際から近づいてくるいくつものペタリ、ペタリという多数の足音。


 おお、神よ―――。



(終わり)


 今回登場したジェフリー、ヨハン、デックの3人は

 第7話「A Step Forward into Terror」に登場、

 黒髪低血圧眼鏡属性のクリスは第5話「ある夜の奪回」と

 第14話「イエローサインの娘」で弾丸をばらまいているぞ。

 


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