第17話 死神は2度ベルを鳴らす(2)
呼び鈴を鳴らして来訪した男の口元から目を引き剝がすと、カウボーイハットからブーツのつま先まで一瞥する。
この格好と言ったら!
アメリカ北東部、それもカナダに隣接した雪深いメイン州ではまずお目にかかれない時代遅れのカウボーイスタイル。1962年の現代、テキサスですらお目にかかれないんじゃないかしら。
ここに来る途中の町で好奇の視線をたっぷり浴びてきたに違いないわ。
「セラエノから直行してきたから町は通ってない。この土地で出会ったのはあいつらだけだ」
セラエノってどこのことかしら?
ミリアムが口にしていないつぶやきに答えた男は、ひょいと体を斜めに向けて、ミリアムの視界と外の景色をつないだ。
山荘を頂に置く丘は一面、キンと音が鳴りそうな銀雪に覆われている。
ミリアムの青い瞳は、斜面に点在するいくつかのしみを見つけた。
目を凝らす。彼女を悩ませ続けていた蛙じみた追跡者たちの変わり果てた姿。
「もう奴らが跳びはねることはない」
男が体の位置を元に戻したため、汚れたキャンバスは隠される。
「あなたが……」
殺したのか、と訊く前に、
「慈悲をかけるに値しないインスマスの汚れた血筋だ」
と外気温と変わらぬ凍るような応えが返ってきた。
自衛の為なら彼らを撃ち殺すことも辞さない覚悟の彼女であったが、それをあっさりとやってのけ、罪悪感なく認める男に対してかすかな嫌悪が湧く。
しかし、男の口にした言葉が彼女の記憶を刺激し、大きな好奇心が、嫌悪感を上書きした。
インスマス。父に聞かされたマサチューセッツ州の港町の名前。その名を口にするときの父の顔はいつも忌々しげだった。
祖父の日記の多くのページが、インスマスの醜悪な住人たちとの争いに割かれていたことを思い出す。あの蛙めいた男たちは、海の魔神と人間の禁忌の交わりにより生まれたデミヒューマンだったのだ。
「キャリントン家の者としてある程度は聞いているのだろう?
右手の親指で帽子の鍔をくいと上げた顔の上半分は黒い仮面で覆われていた。
夜鷹を自称する皮肉好きな男の冒険を聞かされて育った彼女は、伝承の厚い霧の向こうの存在が目の前に立っていることに、言いようのない高ぶりを感じるのだった。
「
普段は令嬢然とふるまっているミリアムだが、このときはロックスターに出会ったかのような年齢相応の興奮に声を張り上げた。
仮に今人気のエルヴィス・プレスリーが彼女の家を訪れたとしても、ここまで頬を紅潮させはしないだろう。
「は、初めまして。ミリアム・キャリントンよ。祖父の日記で、父の話で。あなたはいつもヒーローだったわ。その、まさか本人に会えるなんて―――」
「中に入っても?」
夜鷹はミリアムの興奮とあいさつを軽く断ち切った。
以降、彼女はこの男のマイペースに振り回されることになるが、その最初がこれだった。
「え、ええ。もちろんです。どうぞ、暖炉のそばへ。ミズ・マーティンにお茶を淹れてもらいましょう。今日は生きたマントはお召しでないのね。ショゴスでしたかしら」
ミリアムは夜鷹を迎え入れようとして、床に目を向けた。
「ミスタ・ウィップアーウィル、少しお待ちになって。その
「このままで結構。俺には無意味だ。この魔術結界は、君をつけまわしていた
夜鷹は旧神の印を並べた玄関をひょいとまたいで足を踏み入れた。
山荘の主人の横を抜けて、ずかずかと奥のリビングへ向かうカウボーイの背中を追う。
「父の遺書にあった、祖父と共通の知人である死神とはあなたのことだと理解しました。あなたの訪問はあの異教の信奉者たちと関係があるので―――痛っ」
鋼を撚り合わせたような背筋に彼女は額と鼻をぶつけてしまった。
リビングに入る手前で夜鷹が突然立ち止まったのである。
その向こう、開け放たれたリビングから
「お前と関わったキャリントン家の人間は皆無残な死を迎えた。お嬢様もその後を追わせる気かい、不吉な夜鷹め!」
枯れ木のようなミズ・マーティンが血走った双眸でショットガンの狙いを彼の胸元にあわせていた。
(続く)
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