第二期 二冊目の事件簿

第17話 死神は2度ベルを鳴らす(1)【第二期 開始】

 しんと静まり返った雪の世界。呼び鈴は2度鳴った。


 ミリアム・キャリントンはそれを無視して、明々とした暖炉の火を見つめ続けていた。

 テーブルの上で白い湯気をたてるブランデー入りの紅茶、そして入浴にまで携行する小型の自動拳銃が彼女に流れるキャリントン家の血を勇敢に燃え上がらせる。


 「お嬢様!」

 広いリビングに続く食堂兼キッチンから、ミズ・マーティンが細腕には重すぎるショットガンを抱えて現れる。

 「また奴らでしょう。警察に通報なさいますか。それとも――――」

 ミリアムの祖父の代からキャリントン家に仕えてきた痩身の老婆は眉間に深い皴をよせて、腰だめにした銃口をリビングのドアの更に向こうの玄関に向ける。

 

 「平気よ、ミズ・マーティン」

 ミリアムは20歳にしては幼さの残る愛らしい顔に、今できるかぎり自然な笑顔を浮かべた。

 「あいつらがここに入ってくることはできないわ。旧神の印あのいしが敷き詰められている限り」



 丘の上に建てられた山荘―――ミリアムが3週間前に相続したものだ―――の玄関や窓に面した床には、一風変わった石が整然と敷き詰められている。

 それはミリアムの父ケヴィンの遺産の中でも特に変わった一品。

 五芒星にも、中央で五本に分岐した線状の星にも見える不思議な紋様の入った灰白色の石。

 ケヴィンの父、ミリアムにとっては祖父にあたるジョンがミスカトニック大学教授時代に南太平洋のどこかから採集し、『旧神の印』と呼んでいたもの。

 その石に秘められた力は、持ち主を邪な存在から守護してくれると伝わっており、今、キャリントン家最後のひとりとなったミリアムがミズ・マーティンと籠る山荘への異形の者たちの侵入を妨げていることで、神話伝承が真実であることを如実に示していた。

 

 「私、外の様子を窺ってまいります」

 70歳を超えてもまっすぐな背筋を維持しているミズ・マーティンの右肩に手をあてて、ミリアムは

 「私が見てくるわ。何かあったら援護をお願いね、ミズ・マーティン」

と玄関先を覗ける窓辺へ足を忍ばせた。

 艶やかで白い陶器のような繊手には似つかわしくない自動拳銃が握られている。


 

 ボストンで大学生活を送っていたミリアムが、突然の父の訃報にメイン州の実家に戻ったのが3週間前のこと。父は突然拳銃で自らの頭を撃ち抜いたのだった。

 母を先に自動車事故で亡くしていたミリアムは、葬儀を済ませ、大学を休学して父の遺産の整理を行った。

 祖父ジョン、父ケヴィンと2代に渡って、ミスカトニック大学自然科学部教授をつとめていたキャリントン家の遺産は、民俗博物館を開けるくらいに多様なカテゴリの文物に溢れていた―――平たく言うと、一般にはよくわからない物だらけだった。

 召使のミズ・マーティンが手伝ってくれなかったら、ミリアムの遺産整理は大幅に遅れていたことだろう。

 父が弁護士に預けていた遺書には、


 これを読んだら、急ぎ州北部に購入した山荘に行くこと。

 お前に託した秘密を狙って、人間ならざるものたちがつけてくるだろうが、山荘にいれば安全だ。

 そして私の、そしてお前の祖父ジョンの知人の来訪を待て。彼は死神だが信じてよい。


とあった。

 その夜からキャリントン家の屋敷の周りを跳ねるように歩く奇妙な人影がうろつき始め、ミリアムは即座に遺書に従い、ミズ・マーティンと山荘を目指した。

 も追ってきた。


 山荘が建つ丘は白銀のじゅうたんに覆われている。最も近い家まで1マイル弱。 町はさらに2マイル向こうにある。

 妙な追跡者を警戒して、おいそれと外に出られないため、山荘にこもる前に、町のファーストナショナルチェーンに、毎週火曜日に必要な生活物資と燃料を届けてくれるよう注文した。警察署にも山荘付近のパトロールを依頼した。

 ミリアムとミズ・マーティンの奇妙な籠城が始まった。

 それからもう2週間が経つ。



 今日は日曜日。ファーストナショナルチェーンの配達予定はない。

 となれば、呼び鈴を鳴らしたのはに違いない。

 

 ぬめつく肌と腫れぼったい瞼をした蛙みたいに跳ねて歩く奴。一度は首筋にエラのようなものがあるのを見た。

 それと、身長4フィートくらいの頭の禿げあがった奥目の東洋人。


 ミリアムをつけ狙っているのはこの2種類の異形。

 克明にその姿かたちを思い出すと寒気がする。

 蛙人間がこの山荘のかなり近くの距離まで寄ってきた際、威嚇射撃をしたが、器用に飛び退った。銃弾におびえた様子も感じられない。

 そんな蛙人間が、玄関内側に置いてあった『旧神の印』を目にするや、恐怖を浮かべて退散したので心から安堵した。


 祖父ジョンと父ケヴィンは大学のフィールドワークと称して世界各地を調査していたのだが、その研究資料の中で、クトゥルー、ハスター、ロイガーなどと称される神々や、それらを信仰する複数の集団の存在が示唆されていた。

 この旧神の印はそれら決して善良とは言えない存在を退ける、キリスト教でいう十字架や聖餅と同じ効果があるのは確かだった。

 山荘で女2人が籠城できているのも、この不思議な石のおかげである。


 しかし、今また何者かが懲りずに山荘の玄関先までやってきた。

 奴らだったら、その鼻先に拳銃と旧神の印を突き付けてやる。

 カーテンの隙間から覗くと、相も変らぬ雪に覆われた丘の斜面が確認できた。さて、玄関前に立っているのは蛙だろうか、小人だろうか。

 

 どちらでもなかった。


 再び呼び鈴に手を伸ばそうとしているのは、雪山にはふさわしくないカウボーイハットを目深にかぶった革の上下を着こんだ若い男だった。

 胸元にぶら下げた白銀のプレートを土台に輝くみどりの宝石が、沈みゆく今日最後の陽光を反射している。

 

 ミリアムは、とある予感に衝き動かされ玄関を開けた。

 リビングから「いけません」とミズ・マーティンの声がしたが聞き流した。


 『そして私の、そしてお前の祖父ジョンの知人の来訪を待て。彼は』


 遺書の最後に記されていた来訪者。それが彼だ。キャリントン家にとっての―――

 「あなたが……死神?」

 

 カウボーイハットの鍔の下からのぞく口元が

 「それでもお前は俺を受け入れられるか」

と発した。


 自分の今の危険を忘れてしまうくらい見惚れる口元だった。


(続く)

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