第14話 イエローサインの娘(前編)

「そう……」

 なかなか終わりそうにない世間話に、クリスは何度目かの相づちを打つ。

 照葉樹の森の中をまっすぐのびた道をただひたすら運転する退屈な状況において、助手席の青年の話も眠気覚まし程度の役には立つ。

「ハートマンさん、あー、クリスと呼んでも?」

「構いません……」

「クリスはロンドンに行ったことは―――ない。歴史のある建物と真新しいオフィスビルが混在するなかなかカオスな街ですよ」

 ハンドルを握っているクリスはバックミラーをチェックする。尾けらてれはいないようだ。もっとも尾行者が地上を、それも舗装された道路を進むものだという常識は早いうちに捨てておかないと、明日はこの世にいないだろう。

地下鉄アンダーグラウンドが頻繁に値上げするものですから、先月から自転車通勤に切り替えましてね」


 青年―――カイル・ビリンガムが大西洋を渡ってアメリカ北東部にやってきたのは、亡くなった彼の叔父の遺産を相続するためであった。

 生涯独身でアメリカに身寄りのない叔父が遺した家屋と資産は、本人の検分と委任した弁護士の処理で唯一人の近親者であるカイルのものとなる。

 地価の高いロンドンで店を出す野心を抱いているカイルにとって、音信不通だった叔父から転がり込んだ遺産は、夢の実現を早める手立てとなった。

 生まれてこの方一度も会ったことのない親戚の死を悼むなんて難しいことかもしれない。

 カイルは助手席の窓を開け、細面を窓外の景色に向けた。

「イギリスの食事はまずいって聞いたことあるでしょう?僕なんか舌が慣れてしまったので実感はないのですが、外国から来られた方はやはりそう思うようですね。でもアジア料理の水準は欧州で一番高いのですよ。ワショクはじめインドやタイ、もちろんチャイニーズ。オススメは『ホーライケン』という―――」

「あと一時間ほどで到着します。本日午後と明日午前で不動産および動産の検分と確定行為を済ませたのち、アーカムに戻りオフィスで資産処理の手続きを行う。それで構いませんね……」

 クリスはそろそろカイルのおしゃべりにうんざりしてきたようで、それを遮った。

「え、ええ。今日は叔父の家に宿泊し、明日の夜のフライトでロンドンに戻ります。ハードスケジュールです」


 二重の意味でハードスケジュールにならないといいけどね、とクリス・ハートマンは心の中で呟く。

 彼女はアーカムという街にオフィスを構える法律事務所のスタッフとして、カイルの旅に同行している。

 長い黒髪を三つ編みにし、これまた黒い縁眼鏡をかけた美しい少女である。

 上下を紺で統一したスーツが、いささかマッチしてないように見えるのはクリスの幼く見える顔立ちのせいかもしれない。

 カイルもアーカム駅で自分を出迎えてくれたクリスを見て、ハイスクールの生徒かと思ってしまった。

 酒を買うたびに身分証の提示を求められるんじゃないの?、と聞いてみたかったが相続手続と道案内を託す相手の心証を損ねるのは得策じゃないと飲み込んだ。

 車に乗り込んで会話するうちに、この娘は見てくれで判断してはいけないお手本なのだと思い知らされる。

 その気配りや知識、どれをとっても平凡な青年カイルより大人だった。運転技術もかなりの腕前でアーカムの混雑した裏通りをこともなげに飛ばす。

 低血圧なのか、常に言動が気怠そうではあったが。

 アーカムの街を出て目的地に通じる街道に乗った時には、カイルはすっかりこの切れ者の法律事務所スタッフを信頼していた。



 全て嘘だ。

 オーガスト・ダーレス法律事務所など存在しないし、優秀なスタッフのクリス・ハートマンも名前以外は虚構である。

 このイギリス青年の遺産相続権は事実であるが、それは彼女にとってどうでもいいことなのだ。

 青年の叔父が住んでいた村へ自然な形で入り込み、とある調査対象の実在を確認する。場合によっては事態を最小限に押しとどめ、に任せる。

(それが私に課せられた試練……) 

 クリスはアクセルを踏み込んだ。



 昼過ぎには目的地に到着した。

 マサチューセッツの山沿いに散在するよくある形の村。

 中心部に小さな教会と数軒の商店がある広場を擁し、そこから同心円状に民家が連なる。町と呼ぶ一歩か二歩手前の集落。

 カイルの叔父の住居は同心円の外縁部に位置しており、ここから先は舗装の途切れた道を進むことになるだろう。

「クリス、まず食事にしませんか」

「そうですね……」

 クリスは気怠そうな面持ちの陰で、カイルの提案に同意すべきかどうかを考えた。

 ここはすでにの勢力圏と言っていい。

 そこで出された飲食物を素直に摂取するのはみすみす毒殺されに行くようなものではないのか。

 いや、叔父の遺産検分というもっともな理由で訪れた外部の者カイルとその同行者という名分があれば怪しまれる可能性は少ない。村の状況を探る必要もある。ここは賛同してもいいだろう。

 後部座席に積んだ戦闘糧食レーションの出番はなしだ。

 少なくとも今のところは。



 食堂ダイナーのドアを開けると鈴が鳴り、奥から50歳代の男が出てきた。

 がっしりとした肩幅より広く開いた両手をカウンターに置き、ボックス席に座ったクリスとカイルを興味津々の体で見つめていた。

 クリスは愛想笑いができない。ここはカイルに任せよう。もっともカイルに限らずイギリス人は愛想をふりまくことに慣れてなさそうだが。

「僕はハンバーガーとマッシュポテトを。ピクルスは抜いてね。それと紅茶を」

「お客さん、悪いんだが紅茶はないね。ボストン茶会事件以来、うちでは紅茶は出さねえことにしてるんだ」

 言葉からカイルをイギリス人と見抜いた主人のジョークだったが、カイルは気が付かずに

「じゃあ、コーヒーで。クリス、君は何にする?」

と受け流してしまった。

 クリスは主人のジョークを理解しても笑うことはない。これはそういう性分だから仕方ない。

「スパムの缶詰とそこに置いてあるバンズパンをそのまま持ってきて下さい。それと瓶のコーラ。缶と栓は自分で開けさせて頂戴……」

 カイルと主人は同時に驚いた表情で彼女を見つめる。

「変わった客だぜ」

 主人は肩をすくめたが、その通りにしてくれた。


 他に客もいないひなびたダイナーだ。カイルと自分の会話は主人に筒抜けになることを利用する。そして聞き出せることを聞き出す。

「ビリンガムさん、あなたのご要望を確認します。バーナード・ビリンガム氏の家屋と動産は検分した後に売却。手数料等を差し引いた金額をご連絡した後に、あなたの銀行口座に振り込む。間違いありませんか」

「そうしてください。僕はロンドンを離れるつもりはないですし、開業資金が必要です。ここに資産を持っていても意味がないのです」

「売却がかなわない、つまり無価値なものについては?」

「処分してください。その手数料も売却金額から差し引いて構いません。処分リストは事前にメールしてください」

「承知しました」

 そこへ主人が割り込んできた。

「あんた、あのビリンガムさんの親戚なのかい。は一体どういうことだったんだろうかね」

「あれ、と言いますと?叔父が何か」

 クリスは窓の方に顔を向けて小さくため息をついた。

 主人が指摘したのは、カイルの叔父バーナードが死んだ際の不可解な状況についてだろう。行政機関のデータでは事故死ということになっているが、村人はただの事故ではないことを知っているに違いない。

「あんた、まさか聞いてないのかい。うーん。喋っちまってもいいのかね」

 前半はカイルに、後半はクリスに向けてだ。

 クリスは、やれやれと頭をゆっくりと振って

「どうぞ……。ただし、明らかに誤った情報は私の方で訂正します……」


 結果的に主人の話はクリスが訂正をはさむほどの内容ではなかった。

 クリス、いやクリスに関係する組織がつかんでいる情報の方が詳細で正確だったが、今それをカイルに教える必要はないと判断した。

 

 二週間前、バーナード・ビリンガム氏は自宅裏手にある30フィート高さの崖から転落死した。死因は高所からの転落による全身強打。崖下が岩場であったため、遺体の損壊が激しく、体内の血はほぼ流失していたという。

 転落の瞬間を目撃した者はおらず、死後数時間して偶然発見した隣家のルイス夫人の証言と警察の調べによると、争ったような物音や痕跡は確認されなかった。

 ビリンガム宅の裏口から崖の縁まではビリンガム氏の靴痕がのこされていることから、氏が自発的にそこまで足を運んだのは間違いないとのことである。

 氏にはアメリカ国内在住の近親者がいなかったため、近隣住民と教会がすでに葬儀を済ませた。

 

「ビリンガムさんはなんでそんな危ない崖っぷちに行く必要があったんかねえ」

 腕組みして思案する主人。クリスは会計のために席を立つ。

(バーナード・ビリンガムがこの田舎で何をしようとしていたかまでは知らないようね……)

 クリスとカイルが店を出ていく。ドアに取り付けた鈴が鳴る。

 主人はドル札をキャッシャーに入れると、

「何も知らないようですぜ。明日になればとっとと帰るでしょう」

 と報告した。

 応えはない。



 中央広場に停めていた車の横に男女が立っていた。

 クリスはヒップホルスターにさりげなく手をかざしつつ、声をかけてみた。

「あのぅ、何か……」

 振り向いたのは犬を連れたやせぎすの老婦人と、明るい金髪とそばかす、でっぷりと肥満した体が目をひく30歳前後の男である。

 シェトランドシープドッグがクリスを見るや、尻尾を振る。

「見慣れない車が停まってたんでね。君たちのかい?どこから来たの」

 金髪の男はさりげなくクリスの胸の辺りに目をはしらせ、少しがっかりしたような表情をした。

「アーカム。こちらはビリンガム家の方です……」

 肉体の厚みがなんだというのかしら、とクリスはその場に片膝をついて犬の顔をなでてやった。

 もう片方の手をホルスターから離してもいいだろう。

 敵意は感じられない。

「まあ、バーナードの親戚の方!このたびはなんと申し上げてよいのか!」

 枯れ木のように細い体のどこからそんな大声が出るのか。犬のリードを手にぐるぐる巻き付けた老婦人が片手を頬に当ててカイルを見る。

「叔父とは親しかったんですか。あ、カイルです。カイル・ビリンガム」

 カイルが差し出した手を老婦人は無視して語り出す。行き場を失った手を金髪の男が握った。

「村中大騒ぎよ。突然の悲しいお別れ!自宅の裏の崖は危険だから柵を立てるように私何度も申し上げましたわ!」

「僕もママと一緒に葬儀に参列したよ。カイル、君も叔父さんの眠るお墓へ早く行ってあげるといい。叔父さんもきっと喜ぶ」

「もうジムったら優しい子!」

 この枯れ木とプディングは親子なのか。随分と両極端ね、とクリスは犬の頭をポンポンとやって立ち上がった。

「カイル、バーナード氏のお墓に先に向かいますか?」

 この村に墓地は一箇所しかない。そこの一番真新しい墓がそれだろう。

「いや、まず家に行こう。荷物を置いてからでいい」

 カイルは故人の冥福を祈るより、店の原資の確認を急ぎたかった。親戚とはいえ、他人に近い叔父のことはさほど気にしていないのが明らかだった。

 老婦人と巨乳好きジムの方が故人の死を悼んでいるくらいだ。



 村の中心部から車を走らせること数分。ビリンガム邸が見えてきた。

 老人の独り暮らしにはいささか大きすぎる印象だ。それは売却額も多くなるということ。カイルの心の中で、ロンドンに出す店の場所が駅一つ分セントラル地区に近づいた。

 あの家の中を探して売れそうな骨董品や貴金属があれば、また駅一つ分セントラル地区に近づける。

 カイルが期待に胸を膨らませる一方、クリスの中で緊張は高まる。法律スタッフの仮面に隠した彼女の真の顔が覗く。

 このあたりまで来る車はないはずなので路肩に堂々と停める。

 一泊するだけにしては大きいトランクを引きずり出す。重たそうだと思ったカイルがイギリス紳士よろしく荷物持ちを買って出たが、クリスは気怠げに断った。

 逆光になった黒々しい邸宅は静かにたたずむ。

 見上げるクリスの黒い三つ編みを一陣の風がなぶる。

 眼鏡の奥の瞳はやはり眠そうであったが、彼女のトランクの把手を掴む手は緊張に固くなっていた。


(ここがバーナード・ビリンガムの魔術工房。玄関先までは何事もなく、ね……)


(続く)

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