第9話 現代のプロメテウス(完)
銀行の分厚い正面玄関扉に半身をめりこませた夜鷹の姿。
さながら趣味の悪い前衛芸術だった。
「俺は扉の彫刻じゃないぞ」
メキメキと陥没した扉から抜け出て、余裕を見せつけるように木屑を払い落とす。
内心は―――焦っていた。
(強いじゃないか、どこの
ショゴスマントがショックアブソーバーになってくれなかったら、内臓がイッていたかもしれない。
人造人間ビクター・フランケンシュタインは左腕一本でその強さを証明してみせた。
ウィップアーウィルの無意識でのバックステップが0.5秒遅れていたなら、彼の頸骨をへし折ることに成功していただろう。
(しなるように腕を叩き付ける攻撃。日本のバリツにいう
戦艦の主砲のような腕のパワーは夜鷹のマント、軟体生命ショゴスのそれに匹敵するとみていい。正面きっての肉弾戦はリスクがある。
ウィップアーウィルはその謎めいた出身ゆえに超人と呼んでも差し支えない存在だが、耐久力に関してはショゴス自身の防御本能に頼っている部分が大きい。
「ウィップアーウィル、『夫人』ノジャマヲスルナ」
「黒幕は女か。魔女の知り合いは何人かいるが、お前みたいな力馬鹿を召し抱えるような女に心当たりはないな」
ビクター・フランケンシュタイン(V・F)は、戦いの混乱に乗じて逃げようとしていたシャイロックを射すくめるような視線で貫いた。
「ひぃぃぃぃっ」
下手な逃亡は死を招くと悟った銀行家はへなへなと大金庫の円扉にもたれかかった。
「シャイロック、オレガコイツヲ殺スマデニ金庫ノ中カラトゥルーメタルヲ出シテオケ」
「わわわわかりましたっ」
ドアハンドルを必死に廻す姿を確認すると、V・Fは思案顔の夜鷹に向き直った。
ブオンと空気の塊ごと巨大な拳が伸びてくる。今度は当たらない。夜鷹はマントを翼のようにひろげて距離をとった。
「前に会った時はまだ人間だった。手法は科学か魔術かわからんが、トゥルーメタルを欲していることからすると、ミ=ゴの線か」
V・Fのパンチのコンビネーションは単調でウィップアーウィルはカウボーイハットを抑えながら踊るようにかわす。
「どんなパワーも当たらなければ―――」
THUNK!
V・Fの罠であった。
今まで繰り出したそれが最高拳速だと思わせておいて、おとりのパンチよりさらに速い一撃を繰り出した。
下から突き上げるアッパーをすんでのところで十字受け防御したものの、さほど威力は殺せず夜鷹はロビーの吹き抜けを垂直に飛ばされ、天井の天窓を背中から突き破った。
慣性から解放された彼は、銀行の赤い瓦葺きの屋根に勢いよく転がる。
直撃を受けた両腕から全身に激痛がはしった。よくてヒビ、悪くて折れてる。もう腕は使えない。
荒い息をつく口の中に血が溢れ、先ほどから降り出してた雨と混じった。雷も鳴り始めている。
「ビクター・フランケンシュタインと言ったな。我が永劫の生を断ち切るかもしれない強さ、認めるぞ」
溜まった血を吐き出し、割れてぽっかりと穴が開いた天窓跡に身を乗り出す。
雷光が青白く照らした夜鷹の顔は血まみれの笑みを浮かべていた。
「私の作品はあのウィップアーウィルをもヒビの入ったグラスに変えた。あともう少しでグラスであったことすらわからないくらいに粉々になるわ。人造人間創造は成功した!」
シャイロック銀行の真向かいに停めた高級車の中でスピーカーから歓喜の声が響く。後部座席に鎮座するのは円筒缶とつながった少女の人形。
メアリー・シェリー夫人は、プランナー兼デザイナーとして最前列で督戦せずにいられなかった。
V・Fの眼窩にセットしたミ=ゴ製の水晶体が直接彼女の円筒缶に迫真の映像を送り込む仕掛けだ。
彼女自身がウィップアーウィルをぶちのめしていると錯覚するリアリティに陶然となる。
そのカメラが、天窓から滑空してきた傷ついた敵をとらえた。
「トゥルーメタルを前にして撤退はしないというわけね。それでいい。ではあなたの胸にかかってるトゥルーメタルのペンダントもいただくとしましょうか」
顎から首までを血で染め、両腕をぶらんとさせている姿は敗者そのもの。
なのに何故あいつは戻ってきた?
自分の危機も忘れてシャイロックは思った。まさか、私を守る為ではあるまい。私はあいつに恨まれこそすれ、守ってもらうような善行を施しちゃいない。
「おい、爺さん」
ビクターだった怪人から目を離さないまま、男が語りかけてきた。
「金庫開けたのなら、とっととトゥルーメタル持って来い」
トゥルーメタル?こいつもこれ狙いか。シャイロックは手にした黒い金属製の輪っかを見た。
「爺さんが残り少ない人生をここで終わらしたくないなら、俺にトゥルーメタルのアンクレットを渡せ。俺に
賭けろ?
投機のことだな。銀行が軌道に乗るまでは賭けの連続だった。相場で生き残った私には勝ち負けの潮目ってやつが見える。
勝ち馬はどう見てもビクターだ。
金とは自分の命だ、顧客の資産と銀行の信用だ。くだらん足輪ひとつ渡して終わるなら早く済ませてしまいたい。
「爺さん、若いころは分の悪い賭けが好みじゃなかったか?安全な方ばかりに張ってたらここまでの成功をつかめたか?」
こいつ、なんでそんなことを知っとるんだ。確かに何度も危険な賭けに命と金を張ったから今がある。
「シャァァァァイロック、サッサトソイツヲヨコスンダ」
なんだ、この地獄の入口を吹き抜けるような恐ろしい声音は。聞いてるだけで心臓が止まりそうだ。
ビクターの暴力と恐怖からは逃げ切れん。こいつが私の生命を保障してくれる約束はあやしいが、いざとなったら金庫に籠ってしまえばなんとかなるかもしれん。
「さあ、早く渡しなさい。トゥルーメタルはお前のような守銭奴が持ってても意味がないミ=ゴ様の至宝。渡したら楽に殺してあげる」
十数メートル離れたところでV・Fの目を通してメアリー・シェリー夫人も急かしていた。少女人形がカタカタと動く。
雨の勢いは増し、雷は夜の街に轟いている。
「受け取れっ」
放った黒いアンクレットが床を転がってウィップアーウィルのブーツの先にコツンと当たった。
「フン、爺さん、あんた本物の勝負師だ。性格は最悪だが賭けのセンスはある」
ブーツの爪先に引っ掛けたアンクレットをひょいと蹴り上げる。それをショゴスマントの一端が伸びてキャッチ。
シャイロックは人生を賭けた者特有の、妙に座った目をして歯を剥きだした。
「本当は怖くてたまらんのだが、若い頃の血が残ってたんだろうか。分の悪い方に賭けて一攫千金するのがこの
「シャァァァァァイロックゥゥゥゥゥ!」
地獄の底から聞こえるようなV・Fの怨嗟。
「ひぃぃぃぃぃぃ」
シャイロックは愛する骨董品コレクションの眠る大金庫に飛び込み内側から扉を閉めた。
ショゴスマントの別の一端がぐーんとのびドアハンドルとダイヤル錠をランダムに廻す。
「これでお前は俺に集中するしかなくなったな、ビクター・フランケンシュタイン。いつまでも余裕でいられると思うなよ」
「マエアシガ折レタ貴様ニ何ガデキル」
恐ろしいパワーでつかみかかるV・Fから逃げず、フッと体を沈めつつ、全身で回転。
その勢いのままに超低空の高速後ろ回し蹴りがV・Fの両アキレス腱を刈り取った。
夜鷹のブーツのヒールには刃が光る。
荒縄が切れるような音とともにV・Fは前のめりに倒れた。
「日本のバリツに死角はない」
誰も―――正確には中継映像を見ているメアリー・シェリー夫人以外―――は彼の決めゼリフを聞いていなかったが。
「……人体構造は変わらんのだな。神話のアキレスも現代の化け物も」
「ウゥゥゥオワァァァァ」
雄叫びとともに床に手をついて膝支点で立ち上がろうとし始める。
「再生能力あり、と」
ウィップアーウィルは人造人間のスペックを調べる冷静さを持っていた。
敗者に見えた彼に賭けたシャイロックは正しかった。
「その再生能力がどこまであるか試させてもらおう」
彼は黒いマントが床を強く打った反動とともに跳躍、先ほどぶち抜いた天窓の上に躍り出た。夜闇を雨と雷が満たす世界。
「ショゴスよ、全てを貫く雷帝の足となれ」
ウィップアーウィルは軟体生物ショゴスをテレパシーで従属させ、マントとしてまとっている。
それを今度はオーバーブーツに変化させる。
黒い軟泥はさざ波のように彼の左膝下を包み込み、右足に比べてひとまわり大きな黒いブーツとなった。
彼は痛む腕でトゥルーメタルのアンクレットをオーバーブーツにはめた。
素足用のアンクレットが彼のテレパシーに応じて輪を広げたのだ。
ウィップアーウィルはその場で巨大な左足を天空めがけて蹴り上げた。避雷針の如く。
チューリッヒの街を脅し上げていた雷の一端が左足の特製ブーツに吸い込まれる。
黒い滑らかな表面に爆ぜる青白い雷火。
右足で勢いをつけると、再び天窓から飛び降りる。
左足をピンと伸ばした4の字を形づくって落下速度を乗せたキックは、ようやくアキレス腱の再生が完了して立ち上がったビクター・フランケンシュタインの岩のような胸板を高速で貫いた。
蹴り抜いた大穴を中心に1.21ジゴワットの電撃が巨体を焼き潰す。
現代のプロメテウスの創造物は、神話の
「ビクター・フランケンシュタイン、お前のこと20年くらいは忘れないでおいてやる」
「わたしのじんぞうにんげんんんんんんんんんんんんんん!」
銀行の真向かいから高級車が急発進する。それを追うものはいなかった。
夜が明ける頃、閉じ込められた時用に設置しておいた緊急ダイヤル錠を使って大金庫室からおそるおそる顔を出したシャイロック氏は
割れた天窓とずぶ濡れの店内、
人の形にへこんだ正面玄関扉、
一部焼け焦げた床
を見て大きな溜息をついた。大損害だ。殺された警備員のこともある。しばらくは営業できん。私の信用は……。
カウンターの上に5スイスフランの硬貨と手紙が置いてあった。
『これを元手にまた分の悪い賭けで取り戻せ』と殴り書き。
「言われなくたってやってやるわい。このままで終われるか」
シャイロックは鷲のような高い鼻をフンと鳴らしたのだった。
シャイロック、一年後の世界恐慌で破産することをまだ知らない。
第9話 完
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