第9話 現代のプロメテウス(3)



 いずれ朽ち果てるさだめにある肉体が、人生の先で待ち受けている死の抱擁に一日一日と近づいていたあの頃。

 本当の神であるミ=ゴ、彼らがもたらすヒトの劇的な進化について何も知らず過ごしていたあの頃。

 メアリー・シェリー夫人は回想する。

 1928年げんざいから112年前の1816年、メアリーは詩人パーシー・シェリーと駆け落ちした。厳格な父が認めるはずもない道ならぬ恋の末に。

 そして、当時ヨーロッパでもっとも著名な詩人であったジョージ・ゴードン・バイロン卿とその医師であり友人のジョン・ポリドリ―――ちなみに世界で初めての吸血鬼を主人公とした小説を遺している―――らと合流する。

 場所はスイス、ジュネーヴ近郊のレマン湖のほとりにバイロン卿が借りたディオダディ荘。

 春の長雨が別荘を濡らし続ける間、バイロン卿が一同に提唱した。

「退屈しのぎに、皆で一作ずつ怪奇小説を書くのはどうかね」

 一同は雨だれの音を聞きながら、筆をはしらせた。

 メアリーが後世に有名な『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を着想したのはこの時である。

 創作の中で創り出した、遺体のパーツを基にする新しい人間を、実際にこの目で見てみたい、この手で生み出してみたい。

 科学者ではない小説家で詩人のメアリーにとって、それは現実的ではない妄想だった。

 今、メアリー・シェリー夫人として缶の中から世界を睥睨する自分であれば、それは可能であったし、実際に成し遂げた。

 

 メアリー・シェリー夫人の回想は、同志の呼びかけによって中断された。

 同志とは、ミ=ゴによって彼女と同じく新たなステージに立つことを許された

別の円筒缶のあるじのことである。同志間の通信は国境を隔てていても可能であり、他の者に盗み聞きされることもまずない。

「メアリー、例のプロメテウス計画に成功したそうだね。おめでとう」

「ありがとう。条件に適応した素体が見つかったのは幸運だったわ。拒否反応もなく今のところ順調。いい素体があれば人造人間を増やしていけると思うわ」

「プロトタイプの活躍を拝見させてもらうよ。十分な使い出があれば、こちらの方にも送ってほしいんだ。なんといってもアメリカは敵が多い。インスマスのクトゥルー崇拝の半魚人に、グール、矮人トゥコトゥコ人のギャング、ハスターのイエローサイン。ヨーロッパから魔術結社『白銀の血』までが観光気分でやってきてる。これだけでも手を焼いているのに、アメリカ政府も本格的に敵意を向けてきている。ミ=ゴ様の支援をいただいてはいるものの、なかなか気を抜けない状況なのでね」

「唾棄すべき輩どもね。我々に与えられたミ=ゴ様の異次元の科学力で奴らを皆殺しにしてやりましょう―――人造人間はそのさきがけね」

「アメリカには屈強な素体候補が多い。人造人間の量産が楽しみだよ」

「フフフ、期待しててね、エディ。ところでミ=ゴ様が必要としている例の金属、このチューリッヒにあったわ」

 エディと呼ばれた同志の通信音声が上ずった調子になる。

「トゥルーメタルか!?」

「そう。トゥルーメタル。古代南米の民が身につけていたアンクレットがトゥルーメタル製のものだったの。まさか、ここの古物商にそんなものが流れているとは私も驚いたわ。けれど既に売却済み」

「手に入れた者が誰かは調査済みなのだろうね。トゥルーメタルをみすみす見失ったとあってはミ=ゴ様はお怒りになられる」

「エディ。ミ=ゴ様に怒りなどという感情はないのを忘れたの?機械的に罰を与えるだけよ。でも心配は無用。手に入れたのは銀行家のシャイロック」

「いつ奪い取るのかい」

「ああ、エディ。シャイロックは我々にふたつの贈り物を用意してくれたのよ。ひとつはトゥルーメタルのアンクレット。

 もうひとつは、先に伝えた、プロトタイプ人造人間の素体」

「わかったぞ、メアリー。君は人造人間に仕事を与えたというわけだ」

「ご明察よ。エディ」

奇妙な脳味噌と脳味噌の会話は上機嫌のうちに終わった。




 シャイロックは吝嗇で幼稚で差別意識が強かったが、精勤なところだけは認めければならない男だ。

 その夜も彼は、警備員と護衛兼運転手のビクターを除いて全職員が帰宅した後も執務室で帳簿と格闘していた。

 深更の銀行は静かなものだ。数十分おきに警備員が巡回する足音が分厚い樫材のドア越しにかすかに聞こえてくる以外は、シャイロックの鼻息と帳簿のページを手繰る音だけが全てである。

 

 持ち前の集中力であらかた片付けたシャイロックは、初めて空腹を意識した。

 時計を見る。近隣の食堂も閉まっている。自宅に戻ってから食事を摂るのも面倒だ。執務室の片隅にしつらえた戸棚からクラッカーの袋を取り出して頬張る。

 水差しから注いだコップの水でそれを流し込み、質素な夕食を終えた。

「明日は火の通ったものを食おう」

 再び、椅子に座りかけた時であった。


 グガァァァッ……

 しんと静まり返っていた銀行に野太い絶叫が響き渡った。

 

「な、なんだ?」

 驚いたシャイロックは椅子に腰をつける寸前の姿勢で固まった。

 空中椅子の状態でじっと耳をすます。


 ドスッ ドスッ 

 何かが階段を上ってくる。音だけで伝わるその重さ。


 ズルゥ、ズルゥ

 は何かを引きずっている。

 廊下の角を曲がり、執務室に近づくつれ、音は明瞭になる。

 

 プル、プル

 シャイロックの空中椅子は限界だった。

 

 メギメギッ、ドゴォッ

 施錠しているという安心感など、一秒経たずに消し飛ぶ。

 金属製のドアノブは外側かもぎとられ、樫の扉板に亀裂が入った。

 10本の指が亀裂をこじ開ける。開いた穴から室内を覗く顔は―――。


「わわっ」 

 年齢の割に頑張ったシャイロックの足腰だったが、襲撃者と視線があった途端、

限界を迎えた。椅子がひっくり返り、シャイロックもまた絨毯に転ぶ。

 厚い樫材のドアがこちら側へ吹き飛んできた。クラッカーを入れていた戸棚にぶちあたり、戸棚のガラスが割れる。


 廊下からズイイッと入ってきた者の変わりようと、その手土産を目の当たりにしたシャイロックの眼球が驚きと恐怖で、零れ落ちんばかりに剥き出しになる。

 左右の手にそれぞれ頸骨が完全に折れた警備員の死体を持って引きずっていた無礼な乱入者。言うまでもなく、ビクターである


 憤怒に赤く血走った双眸と口元からとめどなく流れる唾液。正気ではなかろう。

 山のような体は一層大きくなり、硬質化した全身の皮膚はそれが包む筋肉の膨張でピーンと張りつめている。


「ビクター……」

 シャイロックは執務机の引き出しから拳銃を取り出した。

 命と資産を守るためならシャイロックはすぐに意を決する男だ。たたき上げは伊達ではない。

 執務机の引き出しから取り出した拳銃を向けた。

 言葉は通じそうにない。威嚇射撃も無意味だ。

 躊躇していると死ぬ。へっぴり腰で撃った。

 これは殺人ではないぞ。正当防衛なのだ。

 私には自分の命と顧客の資産を守る義務がある。そしてビクターは化け物になった。殺してもよかろうなのだ。


 素人射撃は距離が近くてもなかなか当たらないが、弾丸は偶然ビクターであった者の腹部に命中した。

 弾頭の潰れた弾丸のなれのはてが赤絨毯の上に転がった。

「シャイロック、骨董品屋デ手ニ入レタ黒イアンクレットハドコダ」

 シャイロックはビクターが何を言ってるのか最初はわからなかった。

 ビクターが左手の警備員の死体を軽々と執務机まで―――5メートルはある―――ぶん投げてきたことで腰を抜かした拍子に思い出した。

 インディアン野郎への嫌がらせに買ったあのどうでもいい足輪。そんなものが望みか?


 それ以上考える前にビクターは空いた左手でシャイロックの上着の襟をつかんで2メートル以上ある自分の目線まで持ち上げた。シャイロックの短い両足が宙でばたつく。

「コンナ目ニアイタイナラ答エナクテモイイゾ」

右手に掴んだ壊れた操り人形のような警備員の死体を顔に押しつけられ、恐怖で蒼白のシャイロックは

「あ、あれは骨董コレクションと一緒に1階の大金庫室にあるはずだっ」

顔をそむけて叫んだ。

「ヨシ、トリニイクゾ」

右手に掴んだ警備員を投げ捨て、ビクターと元主人は地に足がつかないダンスを踊りながら執務室のある2階から大金庫室のある1階へ中央階段を使って下って行った。



1階は正面玄関から客を出迎えるロビーに続いており、その奥には鉄柵で隔てられた銀行員の窓口と執務スペース、その背後の中央階段の裏手に大金庫室はあった。厚さ20センチの鋼鉄で出来た直径3メートルの巨大な円盤状の扉にごつい手廻しレバーがついている。

「開ケロ。スグニトゥルーメタルを持ッテコイ」

トゥルーメタル?足輪のことなのだろうか。シャイロックは大金庫の複層式のダイヤル錠をまわし―――廻す番号と順序は娘の誕生日より正確に記憶している―――鋼鉄の円盤を開ける手廻しレバーに両手をかけた。

 他人に強要されてここを開けるのは銀行家として最大の屈辱。命には代えられないが。


 こつーん こつーん


 夜半のもう誰もいない――従業員は帰宅し、警備員は天国に召された―――ロビーに靴音が響く。

 

 こつーん こつーん


「だ、誰」

 シャイロックは見た。施錠して締め切った正面玄関を背にこちらへゆっくりと歩いてくる立派な身なりの男―――インディアンを。

 インディアンは窓口のカウンターに両肘をついて1枚の硬貨をスッと窓口の内側へ滑らせてきた。


「夜分すみません。性悪で頑固なワシ鼻の爺さんが、地面に叩きつけた5スイスフランを預金する口座を開設したいんですが」

 シャイロックはそれが自分のことだとわかっていたが、怒る気力はもうなかった。ただただ状況を飲み込めずにいた。

 一方のビクターは動物のような唸り声でインディアンを睨み付ける。

「ワカルゾ、オマエ。『夫人』ガイッテイタ、ウィップアーウィルダナ」

 犬歯を剥きだしてカウンターの方へのっしのっしと進む。

「夜鷹ノ鳴キ声ハ聞コエテナイゾ。ツマリ今夜死ヌノハ貴様ダトイウコトダ」

 インディアンの姿が蜃気楼のように霞み、カウボーイハットをかぶりドミノマスクで顔上半分を覆った革コスチューム姿の男になりかわっていた。

「鳴き声のことを知っているということは……お前は何者だ。目的は?」

「ビクター・フランケンシュタイン。トゥルーメタル確保ト貴様ノ虐殺」


(続く)

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