第12話 たどり着いた所は、能褒野だった

「ご、ごめん。オウス君。オトちゃん」

三殊はオウスから離れ、下を向いたまま謝った。恥ずかしさで、誰の顔も見られない。丈琉にも八真斗にも見えないが、顔は真っ赤に染まっていた。ぺたんとその場に座り込んだ。丈琉は三殊の肩から手を離した。三殊がこんな大胆な行動に出るとは、考えもしなかった。三殊の後ろ頭をじっと見つめていた。

 八真斗はオウスの顔を見た。弱い呼吸は変わりなく、無表情に目を閉じていた。三殊にキスされた事もわかっていないのか、反応できないのかはわからない。

「なんて、無茶するんや。オウス、重症の病人やで」

八真斗にとがめられ、三殊は小さくなった。

「ごめん。だって、オウス君が消えて、いなくなってしまうかと思ったんやもん。そしたら、気持ちが抑えられんかった」

三殊はオトタチバナヒメがいたはずの場所に、気まずそうに視線をむけた。しかし、そこには誰もいなかった。ようやく3人は、異変に気が付いた。

「オトちゃん。あれっ? タケヒコさん。ミヤ君。ナナっち。オオウスさーん」

三殊は1人1人の名を呼んだ。しかし、5人の姿は、どこにも見えなかった。

「なんか、違うぞ」

丈琉が叫んだ。景色が変わっている事に、やっと気がついた。

 少し離れた所には、四角いコンクリート製の建物。丘の向こうには電信柱。そして空には電線が張り巡らされている。耳をすますと、車の排気音が聞こえてきた。そして息苦しいほどの空気の悪さが襲ってきた。

「ここ、元の世界やないか」

八真斗が気持ちを抑える様に、震える声で言った。三殊も立ち上がり、大声をあげた。

「能褒野神社や」

三殊が指差した方向には、子供の頃から毎日見ていた丘陵があった。その前を流れる安楽川。その流れも、見慣れたせせらぎだった。

 3人は同時に振り返った。懐かしい建物が、すぐそこにあった。生まれ育った自宅。強く望んでいた、帰宅だった。しかし、目の前には瀕死のオウスが横たわっている。1500年の時を超えて平成の時代に、連れてきてしまった。喜びよりも、混乱の方が強かった。

「どうしよ」

ついさっきまで、赤くほてっていた三殊の顔は、青白くなった。

「病院に運ぶか」

八真斗は自宅の隣にある、若林病院に顔を向けた。

「大丈夫か? 身元不明者や。しかも、1500年も昔の人間やし」

「そういう細かい事は、後で考えよ。1500年前でも、人間の造りはおんなじや。治療に変わりはないって」

「オウス君、助けて。このまま目の前で死ぬのを見てるなんて、できん」

三殊の言葉で、3人の気持ちはひとつに決まった。

「まずは、今がいつなのかを、チェックせんと。俺らが消えてから、10年も20年も経ってたらやばいし」

「俺、1回家に行ってみる。オウス。ちょっと、待っとれ。頑張れ」

丈琉はオウスに声をかけ、自宅に向かって一目散に駆けて行った。

「ヤマ。オウス君、大丈夫よね。オウス君、温かかった。この前みたいに冷たい唇と違う。命、感じたもん」

「ああ。大丈夫や。大丈夫。

 えっ? この前って、なんの事や」

八真斗の問いかけに、三殊は返事ができなかった。再び顔を赤くして、下を向いてしまった。

「みぃ! 鍵!」

丈琉が家の前で叫んでいる。

「鍵、ないんか」

三殊はリュックの中から鍵を取り出し、自宅に向かって走った。


 丈琉と三殊は久しぶりに玄関の鍵を開けた。懐かしい、我が家。しかし感慨に浸る時間はなかった。2階に駆け上がった。三殊はダイニングキッチンに入ると、テーブルに置かれた、自分のマグカップが真っ先に目に入った。

「これ、宮崎に行く時に、飲んでたコーヒーかも」

そう言って、カップの中をのぞいた。カップの底には真黒な液体が、少し残っていた。匂いを嗅ぐと、数か月ぶりの香ばしい香りがした。

 丈琉はテレビのリモコンを手に取り、電源を入れた。ちょうど、夕方のニュースが始まった所だった。画面にグシャグシャに潰れた車の写真が映し出された。

「これ、見たぞ。宮崎に出る前に、やってた交通事故のニュースや」

丈琉は嬉しそうに叫んだ。ニュースではアナウンサーが、日時を告げた。

「やっぱり。宮崎に出発した日や!」

2人は顔を見合わせた。

「よし。オウス、病院に連れて行くぞ。でも、オウス、動かしていいんやろか。おんぶして連れて行っても、いいんかな」

「そやな。病院の人、呼んできた方がいいのかもしれんな。おんぶよか、いい方法がありそうやと思うけど。

 救急車って手もあるな。ううん、そんなん呼ぶより、病院に直接頼んだ方が速いやろ」

「じゃ、俺が、病院に知らせに行って来る。

 って、この格好じゃ、やばいな。着替えて行った方がいいか」

丈琉は3階に昇った。三殊も部屋に上がり、スウェットのパーカーとパンツに着替えた。部屋をでた所で、丈琉にジャージの上下を手渡された。丈琉も同じジャージに着替えていた。

「これ、ヤマの分や」


 丈琉は救急外来の入り口に到着した。病院独特のにおいが漂っている。

 丈琉がうろうろしていると、ふいに名前を呼ばれた。

「あら、丈琉君よね。久しぶりやない。また、背が伸びたんと違う。

 今日はどうしたん?」

看護師の森崎だ。祖父が院長の頃からこの病院で働いている。三つ子の出産にも携わっていた。昔より年を取ったが、にこやかに話しかけてくれるのは全く変わっていない。今は昇進し、役職が付いたと聞いている。ここにも、見回りに来ている様子だった。

「森崎さん。よかった。どうしようか困っとるんや。

 あのな、家の裏に人が倒れとる。なんか具合、悪そうや。八真斗がチアノーゼになっとるとか言っとるし。

 救急車呼ぼうかとも思ったけど、ホントすぐそこなんや。そんな事してるより、病院に来た方が速いかと思ってな」

森崎はパッと仕事モードの顔つきになった。救急外来に入り、声をかけてくれた。

「院長宅の裏で、人が倒れとるんやって。誰か1人来て」

若いぽっちゃりとした看護師が来てくれた。

「丈琉君。その人、意識はあるの?」

「ある。声を掛けたら、目を開けた。でも、息が苦しそうや」

「担架で運ぼか。警備員さん、ちょっと手伝って」

森崎はてきぱきと事を運んでくれた。


 三殊は八真斗とオウスの待つ川原に駆けつけた。冬の日暮れは速い。空には太陽の光の、名残りすら残っていない。周囲は薄暗くなり、鳥目の三殊は八真斗とオウスの姿を見つけられない。ジャージを抱えたまま、ウロウロと歩き回った。八真斗に声をかけてもらって、やっとその場にたどり着く事ができた。

 八真斗はジャージを受け取り、着替えた。丈琉が病院に行った事を聞き、うなずいた。そして、オウスに話しかけた。

「オウス。ここは、俺たちが生きていた時代や。ここなら、病気を直すことができる。

 そのために痛かったり、苦しかったり、理不尽な思いもするかもしれん。でもな、それはオウスの命を助けるためや。黙って耐えてくれ。頼む」

オウスは重いまぶたを、必死に開いた。

「オウス君。私らの事は見えなくても、そばにいるから。1人じゃないからな」

三殊はオウスの手を強く握った。オウスの目が一瞬、強い光を灯した。そして、小さくうなずくと、再び目を閉じた。

 丈琉が病院から駆けて来た。八真斗は丈琉の後ろから駆けてくる森崎を見つけ、ほっとした。

 森崎は持ってきた懐中電灯でオウスを照らした。まぶたに電光が当たると、一瞬オウスが眩しそうに顔をそむけた。

「意識はある。呼吸状態が悪いな。パルスオキシメーター貸して」

森崎は看護師がポケットから出した、立方体の小さな器機を受け取った。それをオウスオウスの人差し指にはさんだ。そしてオウスの手首に触れ、脈をとった。

「サチュレーション、80や。脈が38、42。徐脈やし不整や。早く救外に運んで」

丈琉と八真斗、体格の良い警備員の3人で担架に乗せた。丈琉と警備員の男性2人で担架を持って運んだ。森崎は首に下げたPHSで指示をしていた。救急外来にかけているらしい。

「先生呼んどいて。それと酸素とモニター。一応DCも準備しといて」

緊迫した雰囲気が、オウスの状態の悪さを示しているようで、丈琉は息苦しさを感じた。三殊は八真斗に手を引かれ、必死で後を追いかけた。


 救急外来は大騒ぎになった。名前も素性もわからない、重症患者。しかも薄汚い長髪男子で、妙な服を着ている。浮浪者と思われたようだ。オウスも、その人を連れて来た丈琉達も、病院の“迷惑な人”になってしまった。

 3人はは色々聞かれたが、何も知らないで通した。家の裏で具合悪そうにしていたので、声をかけた。名前も住所も何も分からないと答えた。

「面倒かけてすみません。でも、助けてやって下さい。俺ら、なんでもするから、お願いします」

丈琉が頭を下げた。八真斗と三殊も「お願いします」と言った。病院の職員は訝しげな顔をした。

 結局、休み明けの月曜日に様々な手続きをすることになった。土曜日の夜間帯で、担当の事務員もおらず、当直者では何もできなかった。


 救急外来の待合室には誰もいなかった。3人は大きなため息をついて、長椅子に腰かけた。疲れが一気に押し寄せてきた。

 三殊は自動販売機のコーナーに行った。そして丈琉には温かい缶コーヒー、八真斗と自分には温かいお茶を買ってきた。丈琉は缶をじっと見つめた。そして、ふたをゆっくりと開け、ゆっくりと口をつけた。

「甘っ! 強烈やな。このコーヒー好きやったはずなのに。こんなんだったかな」

丈琉は一口飲んで、驚いたように缶を見つめた。

「ずっと、味気ない食事やったし、甘味はなかったもんな。そっちに舌が慣れてしまったんやろ。いきなり缶コーヒーはきつかったかもな」

八真斗はお茶をおいしそうに飲んだ。

「自販機もどうやって使うんやったか、一瞬、悩んでしまったもん。私ら、元の生活に戻れるんやろか」

「そやな。文明社会に戻るんも大変かもしれんけど。でもな、鍵開けるとか、テレビつけるとか、自然にできてたな」

丈琉は自宅での自分の行動を振り返った。

「明日1日で感覚、戻さんと。って、待て。俺、試験があるんや。全部忘れてる気がするぞ」

八真斗は頭を抱えた。

「あっ! 彼女のみやげもや」

「そんなん、どうでもいいやろ。そんな事で怒る様な彼女やったら、わかれてしまえ」

丈琉の言葉には、若干の嫉妬も混じっている。

「あっ! 車! 私の車、伊丹空港や」

「明日、取りに行けばいいやんか。休みやろ」

「そやけど。急に高速とか、運転できんかもしれん。

 あっ! スマホ。スマホ充電せんと。着信があったかもしれん。おばあちゃん。大丈夫やろか」

三殊はリュックの中から、スマートフォンを取り出した。

「あっ! 俺のスマホ、海の中や。嵐の時にバックと一緒に、海に沈んだんや。東京湾の海底で、1500年過ごしているんかな」

丈琉は頭を抱えた。が、何か思い出したのか、手を頭からパッと離し、突然椅子から立ち上がった。

「あっ! 俺、トツカの剣、持ってきてしまったんや。着替える時は慌ててたから、気にもせんかったけど。背中に背負ったままやった。ベッドの上に、ほおり投げてある。どうしよ。文化財とかやったら、どうするんやろ」

待合室が、しんとなった。

「まぁ、仕方ないよな。今更、どうにもならん」

八真斗の声が静かに響いた。

「そやけど。でも、あんなの持ってたら、銃刀法違反や」

丈琉は勢いをつけて椅子に座り、そして甘い缶コーヒーを飲み干した。


 そこへ、オウスの担当医になったという、若い医者が来た。オウスの病状について説明がされた。

 心房細動による心不全を起こしている。心房内に血栓も認められるため、脳梗塞の可能性が非常に高い。心不全と血栓、不整脈に対する治療が必要。また、先天性の心疾患の可能性もあるため、その検査も必要になると言われた。

「スワンガンツカテーテルも必要やと思いますし、今、徐脈になっているんで、一時ペーシングの処置も必要になるかもしれません」

三殊と八真斗には、医者が何を言っているのか分からない。

「心不全の状態を把握するのと治療に必要なカテーテルを入れるって事。あと、心臓が止まらんように、一時的なペースメーカーが必要になるかもしれんて事ですよね」

「そう、そういう事です。

 で、知り合いでもなさそうやしな。どうしようか。聞くところによると、保険証もないって事やから……」

「保険証がないと、治療できんの?」

三殊がかみつきそうな勢いで、医者に詰め寄った。

「そういう事やないって」

八真斗が三殊の腕を引っ張り、後ろに下げた。

「すみません。保険証とかどうするんかわからんけど、なんか月曜日に色々やってくれるって事なんで。

 ちょっとやけど話もしたし、家の裏で倒れてたってのも、何かの縁かもしれんし。俺らが一応身元引受人って、考えてもらっていいですから」

「お金とかもなんとかします。俺、社会人やし、もうすぐ警察官にもなる予定です。病院に迷惑かけんようにしますから。お願いします」

丈琉も八真斗と一緒に頭を下げた。

「いや。もちろん、最善を尽くします。ただ、油断のならん状態です。それは了解して下さい。

 じゃ、これから検査室に行きます。」

そう言って、医師は救急外来に戻った。

 程なくして、外来の扉が開き、ストレッチャーに載せられたオウスが出てきた。酸素マスクをつけられ、点滴につながれている。

「オウス」

丈琉は思わず名前を呼んでしまった。慌てて口に手を当てたが、それが名前だと気がついた人はいなかった。オウスだけが反応し、顔を3人に向けた。うっすらと瞼を開けた。3人に気付くと、酸素マスクの下で微笑んだ。

「がんばってな」

三殊が声をかけると、オウスは小さくうなずいた。オウスの視線が三殊の瞳で止まった。オウスはじっと三殊の瞳を見つめ、安心した様に目を閉じた。

 ストレッチャーはガラガラと音をたてて、オウスを運んでいく。3人は静かに見送った。

 その時、三殊の手は青く、八真斗の手は緑に、そして丈琉の手が赤く光った。ストレッチャーの上で、オウスの手も赤く輝いた。強く、はっきりとした光だった。

 オウスはきっと、助かる。3人は確信した。

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