第1話 視えるモノ

「今日の講義はこれまで」


 一斉に周りの生徒たちが席を立つ音がするが私は机に突っ伏したまま深いため息をついた。

もう少し惰眠をむさぼろう。


春香はるか、講義終わったよ」


「……あと10分だけ…」


 香里かおりは優しいので「わかった」と言うと持ってきていたブランケット兼マフラーを肩に掛けてくれる。


 ああ、やっぱり香里はやさしいなぁと、うとうとと微睡んでいると声を掛けられた。


「あの、水沢春香みなさわはるかさんですか?」


 うるさいなぁ、今は寝てるんだから邪魔しないでよ。


 空気の読めない女子生徒に悪態をつきながらふて寝をきめこむ。もう少しで眠れそうだ。


「春香は今寝てるの、なにか緊急の御用事?」


「すいません、緊急なんです。起こしてもいいですか?」


 香里がうんと言う前にその女子生徒の声がだんだんと近づいてくる。

 あぁ、やめて。私は今とっても眠いんだ。

例えるなら今月入ったバイト代六万円全部差し出してもいいくらいに。


「水沢さん、起きてください!緊急なんです!」


 金切り声にも近い声に私は我慢ならなくなってがばりと飛び起きる。

 ある程度起こされる覚悟はしていたが、初対面の人間にここまで遠慮無く接する事ができるのは頭がおかしいとしか言いようがない。

 それとも、正常な思考ができないくらいの不思議な出来事に遭遇したか。

 まぁそれがどんな出来事だったとしても、私にはなんの関係も無いけれど。


「国文学科の水沢春香さんですよね?」


「…はい、そうですけど」


 眠いところを叩き起こされて不機嫌にならない人間が居るだろうか?きっとそれは近頃住職業を継いだ兄ぐらいだろう。

 不機嫌さが声に出ないように注意を払ったのに、目は口ほどに物を言うらしく、女子生徒は私の顔を見て一瞬だけたじろいだ。


「あの、なんかすいません。起こしちゃって」


「いや、大丈夫。慣れてるから。で、要件は何です?」


「あのー、近頃幽霊に困ってて、そういうことは水沢さんに聞けばいいって言われてきたんですけど…」


私はやっと、初めて女子生徒をしっかりと見た。

黒髪ロングの髪の毛はきちりと束ねられていて、ベージュのカーディガンとジーンズを纏った至って地味な印象を持つ生徒だった。


その肩に掴まる、半透明な赤子を除いては。


「あー、それって誰から聞いたんですか?」


私は声が震えないように、必死に声帯を押さえながら尋ねた。

「一年生の字田さんです。あの、転入学してきた。ゼミが一緒で、幽霊に困ってるなら水沢さんに言えばなんとかしてくれるって…」


 私は「あー、やっぱりか。」と大仰にため息をついてみせた。少しばかりオーバーなくらいが丁度いいだろう。

 私はどれだけ字田のせいで迷惑しているかをアピールした。


「私ね、字田に変な噂を流されて困ってるんですよ。私は実家が寺なだけで、なんの修行もしてませんから、幽霊とかそういうことはわからないんですよね。」


お役に立てなくてすいません、と付け足すと生徒はがっかりしたように肩を落として帰っていった。


私は彼女の消えたドアをしばらく見つめ、ため息をついた。


「何かえたの?」


「大人しそうな、地味そうな人だと思ったけど、意外とビッチだったみたい。

肩に三つの水子がぶら下がってた。」


「へぇー。それは意外ね。あんなに地味そうだったのに、大学デビューかしら?」


「ここの県立大なんて、都会でのオイタした奴らの吹き溜まりって言われた理由がわかったよ。さっきの子然り、字田然りね。」


 字田、もとい字田恭吾は私と香里の同級生である。私とは家が近く、幼稚園の頃は一緒に遊んでいたかもしれないが、中学校頃からは全く話をしていない。

 

 というのも彼が小学校頃から天性のいじめっ子気質を開花させたからであろうが、とにかく陰湿な奴で、同級生の中で字田に恨みを持っているのは両手で数えても収まらないほどだった。


 野良犬をけしかけられ大怪我をした子、爆竹を仕掛けられ火傷した子、ランドセルを橋から川に落とされた子など、大勢いた。

 ニタニタ笑いながら色々なことをやらかしていた典型的な嫌な奴は、小賢しいのか、頭がよく回るのかは分からないが都内の有名私立大に合格し、地元を出て行った。

 だが大学二年になっての今年、むこうで上手く行かなかったのか退学し、ここに途中編入してきたのだ。


「字田の肩にかなり水子ぶら下がってたりしてね」


悪びれなく、香里は自分の二の腕をぎゅっと掴みながら言った。

そこは字田が仕掛けた爆竹によって、小さいながらも火傷が残ってしまった場所だった。


「本当に。何やらかしてこっち戻ってきたんだか、家近いから会わないかいつもビビってるし、いい迷惑だよ。あいつ水子よりタチ悪い奴ら憑きまくってればいいのに。」


私は香里が安心するように、思い切りおどけて言った。


「そうね」


香里は長い髪を耳に掛けながら、安心したように笑った。






















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ここは戦国 朧屋語り 花山 寧々 @redforest

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る