「ストーカーされてる女の子」

毒針とがれ

第1話

 ごく平凡な朝だった。コンクリートで建造された灰色の校舎に向かって高校生たちが群れをなしている、いわゆる登校時刻。あと一〇分もすれば一限目の授業が始まるだろう。日本のどこにでも見られる、ごくありきたりな光景だ。

「実はアタシ、ストーカーされているの」

 そんな日常を切り崩したのは、クラスで一番の美少女である姫小路彩美の口から発せられた平穏ならざる事実だった。凜々しい口元をきゅっと引き締めて、隣の男子の耳元でつぶやく。

「そんなわけだから、助けて頂戴」

「ストーカーされてるって・・・・・・一体どういうことなの、姫小路さん?」

 おどおどとした態度で返答したのは隣の男子、地味な眼鏡をかけた同級生の高橋拓也だった。見ているだけで気分が滅入ってきそうな猫背をことさら曲げて、サルみたいな耳を彼女の唇に近づける。

「文字通りの意味よ。ちょっと前くらいから、誰かに見張られている気がするの」

 姫小路は憂鬱そうにため息をついた。普通ならば人を不快にさせるはずの動作ですら、彼女にさせれば演劇の一場面にさえ見える。

「でも、ただの杞憂なんじゃないかな? いくら姫小路さんが美人だからって、白昼堂々とストーカーする人なんか・・・・・・」

「これ、見て頂戴」

 食べかすみたいにぼそぼそとこぼれる反論を封じるように、姫小路は一枚の封筒を彼の不細工な顔面に叩き付けた。その中から出てきたのは、一枚の紙だった。

『君のこと、ずっと見守ってるよ』

 大きな文字でそう書かれていた。

「納得してもらえたかしら」

「ああ、確かにこいつは気持ち悪いストーカーだね」

 高橋はその怪文書を思い切り握りつぶした。あまりの寒々しい文章に、思わず身震いしてしまう。

 なんて独りよがりな野郎なんだ。こいつみたいな自分を客観視できない根暗が居るからいつまでもオタクの社会的地位が向上しないんだ。

 怒りに震える高橋の姿を見て、姫小路が微笑みを浮かべる。

「分かってもらえて嬉しいわ、高橋君」

「僕の方こそ安心したよ。別に『ストーカーしてるの、あなたでしょ?』っていう話じゃなかったんだね」

 高橋は学校でアスファルトの割れ目に生えているキノコも同然の扱いを受けているので、冗談抜きでそれを危惧していた。そうでなければクラス一の美人がどうして自分のようなスクールカーストの最底辺に話しかけてなど来るだろうか。入学してから一度だって話したことがないのに。

「そんなわけないじゃない。太陽のごときアタシの存在は日陰者の菌類にとってむしろ目障りなものだって、ちゃんと自覚してるもの」

「その自画自賛ぶりは激しく鬱陶しいけど、そんな風に自分をきちんと客観視できてるところは好きだよ。殺したいくらい」

 並びの悪い歯をギリギリ鳴らしながら、高橋はそう吐き捨てた。ちなみに学校内で彼のことをキノコ扱いしているのは主に彼女である。

「それで、どういうときにストーカーされてるって感じるのさ?」

「いつだってに決まってるでしょ、このお馬鹿さん」

 姫小路は手入れの行き届いた爪で高橋のニキビ畑を一突きした。不健康な皮膚から血液と不快な汁が合い混ぜになって沁みだしてくる。

「例えば、今だってそう。後ろをご覧なさい」

 付着した汚物を艶めかしい舌先で一舐めすると、唾液の滴る人差し指で姫小路は背後を示した。釣られて高橋も振り返る。

 すると、そこには絵に描いたようなストーカー男が居た。

 電柱に隠れながら、不審な態度でこちらの様子を窺っている。遠目ではあるが、息が荒いように見えなくもない。

「なるほど、要するにあいつを粉微塵にしてやればいいんだね?」

 予備校の模試でもB判定以下はあまり取ったことはない自慢の頭脳をフル回転させ、高橋はクラス一の美女が出すはずの答えを先取りした。それとほぼ同時に、路上に不法投棄されていた釘バットに手を伸ばす。

 武器を手にしたことによってか、高橋の中に眠っていた憎悪にも似た闘争本能が徐々に目覚めてきた。地味な眼鏡男子としてクラスでは風景の一部の役割に徹している彼だったが、実は鬱憤を晴らす機会を日頃から窺っていたのである。相手が犯罪者ならば血祭りに上げても法的に問題あるまい。可哀想だが、彼には不幸の連鎖の生け贄となってもらおう。

「食らえ、正義の鉄槌!」

「待ちなさい」

 勢いよくストーカー男に飛びかかろうとした高橋の襟首を姫小路が引っ掴んで止めた。急停止させられたことで、高橋の口から「ぐえっ」と車に轢かれたカエルみたいな声が出る。

「なんだよ姫小路さん、君は死刑廃止論者なのかい?」

「落ち着いて、高橋君。アタシは死刑廃止論者だけど殺したいと思ってる人間はあなたより多いくらいだわ。でも彼に飛びかかるのはやめて、命が危ないから」

 この女、さては自分のことを舐めているな。菌類みたいな髪型をしてるひ弱な男子だからって丸腰の相手に負けるわけがないだろう。こう見えて釘バットの使い方には自信があるのだ。家の中でこれが武器の格ゲーのキャラを愛用しているから。

 姫小路の華奢な手を高橋の更に華奢な手がはじいた、そのときだ。


 遥か上空で、何かが煌めいた。


 次の瞬間、目映いばかりの光が高橋の視界を埋め尽くしてしまった。巨大な円柱にも似た熱線が、宇宙の彼方から放出されてきたのである。

 桁違いの破壊力を持つレーザー光線がアスファルトを無慈悲にえぐり取った。その殺人ビームに狙い撃たれた人物は、先ほどのストーカー男である。

 時間にすれば、その出来事は十秒に満たなかった。学校の鐘の音よりも短い、ほんの一瞬。その間に、件のストーカー男は粉微塵どころか消し炭にされてしまったのである。

「こういうことなのよ、高橋君」

「わけがわからないよ姫小路さん、今の何?」

「アタシに危害を加えようとする誰かが居ると、大気圏外からレーザー光線が飛んできてその人を殺してしまうの」

 そう言って姫小路は頭を抱えた。悲哀を帯びたその顔は、あたかも悲劇のヒロインであるかのようだった。

「二四時間どこに居てもそうなの。誰かにGPSで監視されているとしか思えないわ、それも人工衛星を使って」

「随分とグローバルなストーカーだね」

 まさかこんな形でずっと見守ってくるストーカーがこの世に居るとは夢にも思わなかった。やっていることの大仰さがそのまま気持ちのデカさみたいでとても気持ち悪い。

「ん? ていうことは、ストーカーってさっきの人じゃなかったの?」

「ええ、まったく知らない人よ」

 今さらながら高橋の額から冷や汗が流れてきた。あと一瞬でも姫小路の制止が遅ければ、自分は重大な勘違いによって罪のない一般人を虐殺していたかも知れない。自分が手を下すまでもなく灰になってしまったけど。

「というわけだから、アタシを助けて頂戴」

「え、あれを僕にどうにかさせるつもりなの? 無茶言わないでよ」

 高橋は六回ほど首を横に振った。相手が生身の人間ならともかく、人工衛星で宇宙から監視している高次元ストーカーなんて相手にできるわけがない。おまけに反逆の意思ありと見なされれば即座にレーザー光線の餌食である。どうして特に仲良くもないクラスメイトの女のために命を危険に晒さなければならないのか。

「高橋君、アタシを見捨てるつもり?」

「当たり前でしょ。君子危うき近寄らず、触らぬ神にたたりなし、ってね」

 だが、そう言って高橋が逃げようとした瞬間、まるで彼の進行を妨げるように再びレーザー光線が飛来した。もしも一歩踏み出すのが早かったら、えぐられた地面ごと彼の存在は地球から抹消されていたに違いない。

「いけない、アタシの要求を断ったことでストーカーが高橋君を危険因子と見なしたみたい!」

「え、何それ?」

「この状況を打破するための方法はただ一つ、アタシのお願いを素直に聞いてしまうことよ」

「無茶苦茶だぁ!」

 確かにロジックの上ではそうなるだろうが、理屈だけでは動かないのが人間という生き物である。高橋の胸中は今、理不尽への拒絶感で一杯だった。

「だったらお好きにどうぞ。不細工なキノコ男がレーザー照射で塵クズになっても、アタシはいっこうに構わないわ」

「ちくしょう、嵌められた!」

 高橋は号泣してしまった。せめて、ここは『助けてくれたら付き合ってあげる』的な非モテ男のチョロさにつけ込む展開であるべきだろうが。これでは拒否できない状況に追い込んで判を押させる、ただの悪質な詐欺事件である。

 かくして、面倒なことに巻き込まれてしまった高橋拓也だが、その行方は如何に。

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