第49話 久羽は優しいね

 一一〇番。


 警察への番号。

 今から警察が到着する頃には、彼の息は止まりかけているだろう。そこから救急車を呼んでも病院に運んでも、恐らく間に合わない。警察官が出来る応急措置の範囲の話ではないのだから。

 私は敢えてそちらを選んだ。

 彼を死なすため。


 ――否。

 殺すために。


「さようなら、人喰い」


 コール音の前の短い音の連続を聞きながら、紅く染まる彼に、捜査上の犯人の別称を呼び掛ける。

 彼は答えない。


 ――と。

 受話器の向こうから声がする。

 しかし。

 その第一声を聞いて、私は――



「あーっはっはははははっはははははっはははは!」



 大爆笑してしまった。

 まさかの予想外。

 私は確かに押した。

 零を押した。

 それなのに。

 どうして。

 どうして受話器の向こう側は――



 一、一、――『』なのだろうか?



 ……いや。

 原因は判っている。


「全く……久羽は優しいね……」


 思わず口に出してしまったその言葉に、受話器の向こうの人は困惑している。いや、その前に大笑いしたところも大いに含んでいるだろう。


「……ああ、すみません。信じてもらえませんでしょうが、いたずら電話ではありません」


 こほん、と一つ咳払いをして、


「志羽浦大学の近くのアイスノウという喫茶店で、人が一人、腕から先がないという重傷で横たわっています。一刻も早く来ないと、多分死にますよ。ああ、ちなみに私がやったのではないですから。あと、この人はカガリ製薬の事件の犯人ですから、警察もついでに呼んでおいてください――以上です」


 強引に受話器を置く。

 そしてその手を、即座に口元に寄せる。


「ふふ……ふふふ……」


 指の隙間から息が零れる。

 にやけ顔が止まらない。

 だが、いつまでもこんな表情でいくわけにはいかないので、すぐに顔を叩いて引き締める。


「……さて」


 ここに数分もせずに救急車が来るはず。その前に逃げなくては、容疑者、そうでなくても当事者として拘束されて面倒なことになる。


「良かったですね。篝人彦さん。久羽が優しいから、助かりそうですよ」


 もはやその姿を眼に移そうともせず、私は店を出た。

 篝人彦が生きていると判れば、警察もあの結論にたどり着くだろう。肋骨を身に纏った云々は信じられないと思うが、排水溝を調べれば証拠の物体が出てくるだろう。


「……そういや骨の場所、どうやって伝えましょうかね」


 喫茶店の姿が見えなくなるように曲がり角を曲がった時に、ふと、その重要なことに気が付いた。


「排水溝なんて調べるでしょうか? ……ああ、メモでも残しておけば良かったでしょうかね。でも、筆跡で私の身元が暴かれると面倒ですし……」


 迂闊だったな、と今更反省。


「……こうなったら、あの名前を使って電話しますか。昔、メディアで言われていた、あの名前……何でしたっけね? えっと、確か凄い名探て――」



 鋭い、女性の声。


「あ、そうです。その名前です。良く判りましたね」


 私は目の前にいる少女に笑い掛ける。



「――葦金美玖さん」

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