第50話 私とあたし

「やっぱりあんたがあの名探偵だったのね」


 彼女――葦金美玖は呆れたように頭を振る。


「あの子供達の事件の推理とか判断力からそうじゃないかと、ちょっと思い始めていたのよ」

「ああ違います。あれは久羽の考えですよ。あの推理に私は全く介入していません」

「はあ? 久羽ってあんた……あんたこそ伊南久羽でしょうが」

「姿形はですね」


 見た目はイナミクウ、そのものだ。

 それは間違いないことだ。


「ですが字は違いますよ」

「字?」

「そんなことより、葦金さん。どうしてここに?」

「ああ。そういやそうだ」


 そう言って美玖は、私に人差し指を向ける。


「あんたの推理、間違っているわよ。あの時は氷香さんが否定しなかったから言わなかったけど、色々穴だらけで」

「知っていますよ。それで、それからどうやってここに考えを繋げたのですか?」

「あの刑事から情報を得たのよ。この喫茶店、雪乃の父親、篝人彦が経営していたってね。だから足を運んでみよう思ったんだけどね。もしかしたら篝人彦は犯人で、未だに生きているんじゃないかと推理してみたり」


 成程。彼女も同じ結論に達したか。流石、名探偵と呼ばれているだけはある。


「葦金さん凄いですね。その推理は合っていますよ。ただ、あそこには行かない方がいいです――というよりも、行かないでほしいです」

「何でよ? ……まさかあそこに犯人がいるの?」

「いますよ。血まみれの状態で」

「え……?」


 私の言葉に、彼女は絶句する。


「貴方も知っている通り、彼には右腕がないのですよ。きちんとした治療も受けていないのならば、そうなってもおかしくはないでしょう」

「ってことは、死んでいるの?」

「いえ。辛うじて生きていると思いますよ」

「……はあ?」


 彼女の表情が厳しくなる。


「生きている血まみれの人を、あんたは放置してきたのか?」

「放置ではありませんよ。不本意ですが、救急車を呼んでおきました」

「不本意? ってか、どうして現場にあんたはいないんだよ」

「言ったでしょう。面倒なことになるからですよ」

「いやいや、そもそもさ、あの事件が起きてから間もないけどさ、片腕を失くしてからここまでずっと血を流し続けていたわけじゃないだろ? どうしてあんたが行ったら血が流れるのさ」

「当然の疑問ですね。ですが、貴方が考えていることでほぼ正しいと思いますよ」


 口の端を上げ、私は彼女に問いかける。


「これからまた殺人を犯す危険があり、自分の身に危険が起こる前に対策を行った結果、そのようになりました。これのどこに問題が?」

「大ありだこの馬鹿野郎!」


 彼女は髪を振り乱して罵声を浴びせてくる。


「それじゃあてめえが殺人者になる所じゃねえか! 自分のことまっさらに忘れて何を言ってやがる!」

「殺人者ですか。ふふふ」

「何がおかしい!」

「殺人者になることを心配しているのであれば、問題はありませんよ」

「はあ? お前、何を言って――」

「何故なら『久羽』は、殺人を既に犯していますから」


 さらりと言ったその言葉に、美玖はビクリと身体を跳ね上がらせ、硬直する。

 それを確認すると、


「なんて、ね」


 私は肩の力を判り易く抜く。


「久羽も究雨もそう思っていますけれどね」

「……どういうことだ?」

「簡単なことですよ。久羽は殺人を犯していない。ただそれだけの話です。そう――」


 ふ、と息を漏らして、私は彼女に敢えてこう言う。




「本当は――のですから」




 その言葉に。

 美玖は一瞬、呆けた表情になった。

 だが、すぐに厳しいものに変える。


「あんた本当に……誰だ?」

「知っているでしょう? 『イナミクウ」ですよ」


「『私』が知っている『イナミクウ』は一人。『あたし』が知っている『イナミクウ』は二人だ。でも……」


 彼女は首を振る。


「『私』も『あたし』も、あんたは……知らない」


「知らなくて当然ですよ。というよりも、究雨の方――究極の雨と書く方の究雨を知っているだけでも珍しいです。ましてや私が三人目だということは、他の私――久羽と究雨ですら知らないのですから」


 イナミクウは多重人格である。

 伊南久羽と、

 伊南究雨。

 だが、彼らは自分のことをこう思っている。

 二重人格である、と。



 本当は――なのに。



「そういえば『イナミクウ』の知り合いで私のことを知るのは、貴方が初めてになりますね……なんて、白々しく言っておりますが、私がそうしたのですけれどね」

「……べらべらべらべらべらべらべらべら言ってないでさあ、早く答えろよ」


 彼女が、怒りを露わにして詰め寄ってくる。


「おやおや。昔の貴方はそんなに口の悪い方ではなかったのに」

「そんなことはどうでもいい。お前は一体誰だ!?」


 彼女の眼は、戦きを感じる程――本気のものだった。


「……やれやれ。分かりましたよ」


 彼女の覇気に押される形で、私は首を振って観念の笑みを浮かべる。


「では改めまして――初めまして。私はイナミクウです」


 お辞儀。


「クウはクウでも違うクウ。普遍と優しさを司る、久しい羽の『久羽』、身体能力と活発性を司る『究雨』、そして私の名前は――


 ――空が有ると書いて『空有くう』です」


 口の端を吊り上げて、告げる。



「司るものは――です」



 だから、あんなことが出来る。

 平気な顔して、人を傷つけられる。


「あんたが……三人目……」

「ああ、言っておきますが、流石にこれ以上はいませんよ」

「いてたまるか」


 相も変わらず厳しい表情の彼女は訊ねて来る。


「で、あんたが本当の、伊南クウなのか?」

「本当のとは?」

「多重人格者にも元となる人物がいる。それがお前なのかと聞いている」

「それなら、ノーと答えますね」


 即座に言える。

 私は、マスターではない。

 マスターは――


「頭脳方面を担当する『空有』も、体術が優れている『究雨』も、結局は、久しい羽――『久羽』の延長線上でしかないのですよ」

「つまり、いつもの久羽が、元だということ?」

「……」


 その返答に。

 私は笑顔を選択する。

 美玖は一瞬で理解したようで、


「……そう」


 一言だけ。

 言うというより、口から零れ落ちるような返事。

 だが、彼女は、すぐに何かに気が付いたように


「でも……おかしいんじゃない?」


 首を捻る。


「あんたが元じゃないのに、どうして久羽はあんたのことを知らないのさ?」

「それは、記憶を改竄しているからですよ。私が」


 どうして出来るかは訊かないでくださいね、と注釈を入れる。

 こればっかりは、私でも説明できない。

 恐らくは久羽の、無意識の意思だろうが。


「知らないと思いますが、久羽は自分の生活費をある書類を書くことによって得ているのだ――と思っているのですよ。実際は色々と金策面は私が補っています」


 一応合法ですよと言っておく。


「先の名探偵の件も然り。あの時のことも記憶は改竄してあるので、久羽はのんびりテレビでも見ていたことになっていますよ……おや」


 サイレンが聞こえた。

 救急車のサイレン。

 警察のサイレン。

 同じように聞こえる二つのサイレンが近くなり――

 そして――消えた。


「どうやら到着したようですね」

「……逃げるのか?」

「逃げますよ。言ったでしょう。私は彼を殺そうとしたのですよ。もっとも、証拠も残していないし、言い逃れる自信はありますけれどね」

「あんたがそう言うんだから、そうなんだろうよ。でも……」


 キッと、彼女は睨みを利かせる。


「あたしがそれを見逃すと思うか?」

「『あたし』は見逃してくれないでしょうね。ですが」


 一つ言葉を区切って、彼女に訊ねる。


「『』は――どうですかね?」


「……私は……」


 彼女は口を開いたが、言葉を発せずに結局は閉じる。

 それが答えだった。

 私は小さく息を漏らして微笑む。


「じゃあ、そういうことで、さようなら。また学校で会いましょう。その時は、絶対に私ではないですけれどね」

「……」


 彼女は睨んでくる。しかし、ただ睨むだけ。

 私は微笑を張り付けたまま、彼女の横をすり抜ける。


「ああ、そうです。一つだけ」


 思い出したような言い方で、私は彼女に呼びかける。


「究雨と空有……まあ、一人称で言うと、『俺』と『私』ですが、その二人が生まれたのは――貴方が要因です」


「なっ!」

「貴方があんな行動をしたから『俺』が生まれ、『私』が生まれました。貴方は文字通り、私達の生みの親なのですよ」


 彼女が驚いた表情をしているのは、見なくても判る。

 そんな彼女に、


「貴方が行った役割を考えれば、こう言えますね」


 私は女性に向けるべきではない言葉を、本当の去り際の言葉として残す。





「初めまして――『』」

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