第30話 使用人

 みんなのいる部屋に戻ると、韋宇が憤慨していた。


 僕は眉を潜めて美玖に訊く。


「何があったんだ?」

「ああ、さっき身体検査があってな。くだらない理由でさっきからあんな調子だ」

「くだらない理由?」

「本人に聞いてみな」


 というわけで、頬を膨らましている韋宇に訊ねてみた。


「どうしたんだ?」

「聞いてくれよ、久羽。身体検査がさ、ひどいんだぜ」

「ひどい扱いだったのか?」

「ああ。俺だけ調べたの、男だぜ。美玖と澄音さんは美人さんだったのに……」

「それはひどいな」


 お前の頭が。


「お前、何でここにいるのか判っているのか?」

「判っているさ。だからこうやって場を和ましているんだろ」

「場所を考えろ。それから、次はお前の番だぞ。事情聴取」

「おう。あの幼女警部を落としてくるぜ」

「年齢を考えろ」

「大丈夫。下は一二、上は四〇まで大丈夫だから」


 そんな冗談であってほしいことを口にして飛鳥警部補に睨まれながら、韋宇は部屋の外に出て行った。


「さて、どんなことを聞かれたか話してもらおうか?」


 美玖が訪ねてくる。


「いいけど……一応、守秘義務とかないのかな?」

「言われていないんだろ? なら、ないんだよ。きっと」

「さっきの例があるから分からないけどな。まあ、いいや」


 僕は先程、事情聴取の際に話してもらったことなど、新しい情報を美玖に全部話した。


「……あばらまでないのか。それに、開けられた扉、か」

「言っておくが、僕は嘘をついていないよ」

「判っているよ。お前が犯人じゃないのはあたし達が一番判っている」

「勿論、お前達は何も見ていないよな?」

「少なくとも、あたしはずっと捜し回っていたからな。行き止まりにあって引き返したら、お前があそこにいたんだよ……っと」


 美玖はそこで手を一つ、ポンと叩いた。


「そうだ。行き止まりで思い出した。あの現場の先に行き止まりの扉があるらしいじゃないか」

「ああ、あれか。非常口」

「あそこ、すぐ裏口に繋がっているらしいよ」

「ということは、侵入、もしくは逃げ出したのは、あの扉からということだな」

「ああ。ノブに血痕が付着していたらしいし、外に血も所々垂れていたらしいから、ほとんど間違いがないな。擦れていて、指紋は取れそうにないらしいけど。あと、現場のドアは両方とも血まみれで逆に取れなかったらしいが」

「……なあ、美玖」


 僕はそこで、ずっと抱えていた疑問を美玖に投げ掛けた。


「人を喰う。これって、あの子達が……」

「……どうなんだろう」


 弱々しい口調で、美玖はそう答える。


「人間を食べる、という信じられないことが、こんなに短期間に重なるとは考えられない。何らかの関係があると思う方が、普通だろうね」

「……そうか」

「でも」


 美玖はそう言って、言葉を跳ね上げた。


「あの子達は、ちゃんと約束したから、きっと大丈夫だ。犯人じゃないと思う」

「……ああ。そうだな」

「というよりも、そもそもあの子達がこんな所まで来る理由がないし、それに来られる訳がないじゃない」

「だな。誰かに先導して貰わないと――」


 そこまで言って――僕が気が付いた。


「――いや、でも……ありえない……」

「おい、どうした?」


 美玖は気がついていないようだ。それとも気がついていても、既にそれは違うのだと結論づいているのかもしれない。


「ああ……何でもない」


 こんな何も判らない事件では、小さなことでも口にするべきなのかもしれないが、でも先程気がついたことは、かえって場を混乱させてしまう可能性があるものだったので、自分の中で確信がもてるまで一つの可能性としてしまっておくことにした。


「とりあえず、あの子達が犯人ではないということで話を進めようか」

「そうだな。じゃあ久羽、誰が犯人だと思う?」

「唐突に言われても判らないよ。美玖はどう思っているんだ?」

「特定は出来ないな」


 うーんと唸る美玖。


「あの『捨てられた子供達』が犯人だったらの弊害はさっき言った通りだし、他の容疑者にもそれぞれネックがあるからね。……なあ、久羽。犯人だとしたら、この事件特有の大きな問題が解決できる人物、分かるか?」

「えっと……やっぱり『人を食べる』ということが大きな問題だから、あの『捨てられた子供達』か?」

「それもある。だが、その他にも大きな問題があるだろ」

「誰だ?」

「腕だけの被害者――雪乃の父親だよ」

「あ……」


 すっかり頭から抜けていた。


「残っていたのが腕だけなら、他の部分は生きている可能性があるよな? しかも、あの大部分の肉の処理が簡単になる」


 自分で動けばいいだけなのだから。


「じゃあ犯人はそのひ――」

「でも、そんなに簡単な話じゃないよ」


 美玖はきっぱりとそう言った。


「右腕がないのなら、病院に行っているはずでしょ。警察もその線は調べているだろうから、一報が入るはず。そのことは聞いた?」

「いや……だけど、まだ来てないだけじゃない?」

「そうかもしれないけど。でも他にも根拠はある。あの裏庭には全く血痕がなかったらしいじゃないか。大量の血が流れ出るはずじゃない」

「ロープとかで縛って、流れ出ないようにしたんだろ。そもそも、そうやって止血しなくちゃ死んじゃうじゃない」

「そのロープは何処からだ?」

「物置からだろ」

「血痕から、事件が起きてから物置は使われていないって言われたじゃん。だったら、噛み切られる前から用意しなくちゃいけないだろ。そんなの無理だろ」

「じゃあ自分で噛み切ったとか?」

「理由は? それに、自分の腕を噛み切るとか不可能に近いだろ」

「それじゃあ、噛み切ったのは別の人で……」

「用意できないし、共犯だとしても腕を切る理由がない。というよりもそもそも噛み切らないで、現場に落ちていたチェーンソーで切ればいいじゃないか」

「そ、それは……そうだよな」


 言い返せなかった。僕は嘆息する。


「はあ。彼が犯人に一番近いと思ったのにな」

「それはあながち間違っていないぞ。近くの病院にこの人が来たら、その時点で犯人はほぼ確定するな。謎はその人の口から解いてもらおう」

「推理小説みたいにはならないんだな」

「ま、現実なんてこんなもんだよ。それでもこの事件は、かなり特殊だけどな」

「さすが殺人事件を解決した名探偵だな」

「……だけど、まだこの事件には推理する余地がある」


 美玖は指を四本立てる。


「消えた骨と肉塊、噛み喰われた跡、身体内部に詰められた服、そして――雪乃の姉、氷香の行方」

「ちょっと待て。まだ行方不明になったとは……」

「事件立ってから、結構時間が経っているだろ。何らかの手段で警察が彼女に連絡をつけるだろう。なのにまだ連絡がつかないんだってさ。さっき警部補の人に聞いた」

「結構って、まだ一時間くらいじゃないか」

「日本の警察は優秀だぞ。そのくらいの時間があればそれくらいのことは出来るよ」

「そうなのか?」

「連絡つかないってことは、恐らく意図的に連絡をつかせないように行方を眩ませたんだろうさ。そうじゃなければ……」と、美玖はそこで言葉をちょっと詰まらせて「……喰われた、か」

「喰われた……」


 そう考えると、消えた骨と肉塊の量が増える。


「……それは到底考えられないな」

「そうだね。でも……この事件はさっきも言ったが、かなり特殊だ」

「有り得るってことか?」

「あたし達は、人間を食べた者のことを知っているだろ?」

「ああ……」


 また出てきた。


『捨てられた子供達』。


 彼らは間違いなく、人間を食べた。

 どのくらいのスピードかは分からない。

 だが、彼らは――『複数』だ。

 一人よりは楽に食べられるだろう。

 そうなると――


「……やっぱり、あの子達が犯人なのかな」

「言いたいことはそこじゃないよ」


 犯人については否定せずに、美玖は続ける。


「あたしが言いたいのは、『それにずっと囚われちゃ駄目だ』ということ」

「どういうこと?」

「この事件は特殊だけど、それ故に、何でもあるんだと思っちゃいけないってこと」

「つまり『人間を食すことが出来る』ということは、頭から離した方がいいということ?」

「うーん……難しいことだけど……何て言うのかな……」


 小さく悩み声を上げる美玖だが、彼女が何を言おうとしたのか、なんとなく判った。


「推理の一つとして、この事件では人間は喰われていないという考えも持った方がいいということか?」

「ん……とりあえず、そういう認識でいいよ」


 その言い方だと他にも何かありそうだったが、美玖が言及しないということは僕には必要にないことなのだろう。


「ま、どちらにしろ情報が足りないから、これ以上は推理の進めようがない」

「そうだな。死亡推定時刻や死因とか、そういう後になってから判ることで真相に辿り着くかもしれないしね」

「警察が解決してくれるのが一番いいけどな」


 その美玖の言葉で、そもそも推理などということをしていること事態が甚だおかしいということに気が付いた。すっかり名探偵気分だったが、僕みたいな素人が考えつくことなど、警察はとっくに気付いているだろう。現に、並茎警部に自分の疑問の答えをほとんど返されている。


「……こんな風に推理をしている僕自身が、この事件を軽視しているよな……」

「突然なに言っているんだ? そんなことはないぞ」


 僕の呟きに、美玖は首を横に振る。


「警察だって判らないことはある。現にあたしが解決したあの事件だって、そうだったじゃないか」

「でも、それは推理力がある人しか言えないことじゃないか」

「いいか。世の中、推理力がある人だけが警察にいるわけじゃないぞ。それに、警察の中にも推理力がある人がいるかどうか」

「……何が言いたいんだ?」

「お前は遊び半分で推理しているのか?」

「いや……この事件を解決しようと自分なりに……」

「そういうことだ」


 いいか、と美玖は険しい顔で僕を指差す。


「警察官もあたしも、大きい眼で見れば事件を解決しようとしている、一人の人間だ。推理力なんて関係ない。みんな考えて、事件を解決しようとしている。推理とは何だ? 考えることだろう。なら、お前も同じだ。お前がそれで事件を軽視していると言うなら、あたし達みんな、この事件を軽視していることになるぞ。それでもいいのか?」

「それでも……お前達と僕は、絶対に違うと思うよ」

「違わないし、違ってもいいじゃん。解決できれば」

「……極論だな」

「極論で結構」


 にかっと笑う美玖。


「とにかく、推理することに後ろ向きな考えを持たなくてもいいぞ、ということだ。むしろぐだぐだこんなことで悩んでいる時間が惜しいだろ」

「……分かった」


 迫ってくる美玖に、僕は一息置いてそう口にした。その答えを聞いた美玖は笑顔で大きく頷き、僕の額を小突く。


「うん。分かってくれればよろしい」

「ん? 何かあったんか?」


 そこでいつの間にか戻ってきていた金髪の少年が、キョトンとした顔でそう訊ねる。


「お、終わったのか、韋宇」

「ああ。本当に終わっちまったよ」


 韋宇は肩を落として手を広げた。


「落とせなかったぜ。あのロリ警部」

「久羽。ああいうやつが反省をすべきなんだよ」

「ああ、そうだな。ありがとう韋宇。おかげで自信がもてたよ」

「おう? そりゃ良かったな?」


 首を傾げながら、韋宇は親指で部屋の外を指差す。


「それはそうと、次はお前の番だぞ、美玖」

「あいよ」


 そう言って美玖は、警察官の一人と共に出て行った。

 それと入れ違いに、飛鳥警部補が入室してくる。彼は入口の警官から何やら一言二言報告を受けた後、こちらにやってきた。


「今、あなた達だけですか?」

「あ、はい。僕と韋宇の二人ですが」

「あ、私もいます……」


 部屋の隅から、そう小さな声がした。


「失礼しました。僕と韋宇と画懐さんだけです」

「そうですか。あの……名探偵の少女は……」

「事情聴取中です」

「そうですか……」


 複雑な顔できょろきょろと周りを見る飛鳥警部補。そして彼は僕を右手で示しながら、韋宇に向かって声を掛けた。


「すみませんが、ちょっとだけ、彼と話をさせてくれませんかね?」

「あ、いいっすよ。俺、澄音さんと適当になんか話しています」

「話が早くて助かります」

「いえいえ」


 軽く返事をすると、韋宇は意気揚々と画懐さんの元へスキップして行った。呆れながらその後ろ姿を見送ると、警部補に訊ねる。


「あの……どうしたのですか?」

「少し、お話したいことが……」

「だから、それは何ですか?」


 はてなマークを浮かべている僕に、飛鳥警部補は人差し指を自分の口元に当てて、


「……警部の前では情報流出は出来ないので君に伝えます。だからあの子に伝えておいてください」

「あ、はい。分かりました」

「ありがとうございます。では、彼女に知らせるように頼まれていた件があったので、それをいくつか報告します。出来ればこのままの言葉通り、彼女に伝えてください」


 飛鳥警部補はそこで胸元から周りに隠すように手帳を取り出し、小さな声で告げ始める。


「まず、近くの病院、並びに大型の病院を捜索した結果、該当する患者はいなかったそうです」


 つまり、篝人彦は犯人ではないということか。


「続きまして、あなた達が来る直前までには、あの裏通りでの人通りはあまりなかったそうです。ですが……これは事件と関係あるかは判りませんが、一〇時を過ぎた頃、つまりはあなたが死体を見つけた辺りですかね、その辺りで一人、野球帽を深く被った太った人物がいたという目撃情報があります。普段は見かけない人物だったため、その目撃者は不審に思ったそうです」

「え? では、その人物が犯人では?」

「該当する人物が、関係者の中にいないのです。篝人彦さんだと私も考えましたが、彼は筋肉質で小柄な男性だったそうです。それに、右腕があったそうですよ」

「そうなのですか」

「ええ。しっかりと右腕でバットのバックを持っていたそうです。重そうなショルダーバックも背負っていたそうですし、とても切断された本人とは思えません」


 そこまで言って、少し肩の力を抜く飛鳥警部補。


「しかし、まだあの現場の腕の持ち主が篝人彦さんであるとは、正確には判っていないのですけれどね」

「あれ? でも最初に警部補さん、篝人彦さんが被害者だって言っていましたよね」

「ああ、はい。それは、腕時計に刻まれていたのですよ。『Hitohiko』と。奥様から贈られたものですかね」


 そういえばあの時計、見たのは一瞬だけだし赤く染まっていたけれども、何処か見覚えがある気がする。まあ、篝人彦さんとは会ったことがないので、多分気のせいだろう。


「その腕の情報はまだその腕時計だけなのです。恐らく後々に、司法解剖の結果で判るでしょう。その腕が誰なのかは」

「分かりました。では他に分かったことは?」

「今の所は……篝千里さんの側部は、現場にあったチェーンソーで切られたことがほぼ確定したことと、その切り口が少々荒いということですね」

「荒い?」

「傷口がジグザグで安定していないのですよ。つまり、素人が犯行を行ったということですね。もっとも、落ちていた右腕の方が切り口が荒い、というよりも何度も落とそうとチェーンソーの刃を複数回入れられた跡があったのです」

「……余程、恨みがあったのでしょうね」

「そうかもしれませんね」


 パタンと手帳を閉じる。


「では、以上のことを報告いたします。後に判明したことは連絡いたしますので、早めに連絡先を教えてくださいね」

「はい。分かりました」

「……まあ、私としては伝えない方がいち警察官としてはいいのですけれどね」

「ですよね。あいつは怒るかもしれませんけど」

「怒るというより、困るんだよなあ」


 後ろから妙に優しい声が掛かった。

 振り返ると般若が見えた。


「刑事さん? まさか教えてくれる気がないんですか?」

「あ、えっと……出来るなら教える気はな――」

「ないんですか?」

「いえ、あります。喜んで」

「そうですか。ありがとうございます」


 白々しいぞ、美玖。


「ああ、そうです刑事さん。あの警部さんが呼んでいましたよ」

「え、はい。分かりました」


 飛鳥警部補は逃げるようにこの部屋を出て行った。


「そんなに怖がらなくてもいいのに」

「全くもう、みたいな顔をしているが、僕もすごく怖かったぞ」

「ただ脅しただけじゃない」

「脅したら相手が怖がるという発想はないのか?」

「だって、韋宇は喜んでいたよ」

「喜ばそうとしたのかよ」

「いや、泣かそうとした」

「じゃあ怖がるのも無理ないじゃないか」

「それもそうかもな。おい、そこのナンパ野郎」


 飄々とそう言うと、美玖は韋宇を呼ぶ。


「何?」

「今日の所は帰っていいってさ。また後で警察署に事情聴取に向かわなきゃいけないかもしれないけどね」

「おう。じゃあ、お暇させていただくか」

「あ、あの……」


 弱々しい声がした。画懐さんだった。


「私は……どうなんでしょうか?」

「ん? どうって言われても……」

「いいんじゃない」


 軽くそう言ったのは、韋宇。


「これで全員の事情聴取は終わったんだから、帰っていいと思うよ」

「は、はい。でも、帰るといっても、私の家は……」

「じゃあ、うち来れば?」


 自然にそう誘う韋宇に、美玖が意地悪い笑みを浮かべる。


「おいおい。韋宇、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」

「な、なっ、そ、そんなんじゃねえって」


 真っ赤になって否定する韋宇。


「ただ単に困っている人を助けようとしただけだって」

「ほう、家に連れ込むとは、大した善人ですねえ」

「うちには姉ちゃんがいるから、そんなお前が想像しているようなことはねえよ。勘違いすんな」

「あ、あの……盛り上がっている所、申し訳ありませんが……」


 その盛り上がらせている原因が、おずおずと手を上げた。


「私、轟さんの家にお邪魔するわけにはいきませんので……ごめんなさい」

「ですよねー」


 韋宇は強がっている風ではなくそう笑った。


「でも、ここに一人でいるのは寂しくない?」

「あ、いえ。一人じゃないです」

「え?」

「さっき窓の向こうに使用人長さんの姿が見えたので、私はお母さんと一緒に……」

「お母さん?」

「あ、それは……」

「――それは昔、澄音が幼い頃、彼女の世話を主に私がしていたからですよ」


 突然、柔らかい女性の声がそう割り込んできた。見ると齢は四〇後半から五〇前半辺りの、優しそうな女性。白い髪は後ろで一つに束ねられており、小奇麗な格好をして旅行鞄を持って、いかにも旅行から帰ってきましたというような姿であった。


 ――刹那。


 そこで何故か彼女は、僕達の方を見た瞬間に驚いた表情を見せた気がした。だがすぐに柔らかい表情に戻り、


「……貴方達は、お嬢様のお友達ですか?」

「ええ、そうですよ」


 そう答えたのは韋宇。


「決して悪いことをしたのではないですよ――あなたとは違って」


「え……?」

「韋宇、それは失礼だぞ」


 美玖が、彼を叱責するような強い口調で言う。


「彼女がこの事件の犯人である論拠が、お前にはあるのか?」

「ああ――ごめんなさい。ただそうかも、と思っただけだから」


 美玖に軽く笑いを返し、韋宇は使用人長に陳謝する。


「軽率な発言、すみませんでした」

「いえいえ……それより、事件って何のことですか?」

「あれ? この家に入る時に聞かなかったのですか?」


 美玖の問いに頷く使用人長。


「ええ。するするとここまで来ることが出来ましたけど……」

「じゃあ、とりあえず事情聴取をさせてもらいますね」


 そう言って部屋に入ってきたのは並茎警部。その後ろには、飛鳥警部補。


「……どうしてすんなりと通らせるんだ……」


 並茎警部は、そう忌々しげに呟いた。


「そこの画懐さんの部屋を引き続きお借りして、行います。ああ、それと、そこの彼女には伝えましたが、三人の方はお帰り頂いて結構ですよ。画懐さんには、引き続き、聞きたい事がありますので残っていただきますが」

「え……それじゃ私、一人ですか?」


 画懐さんが泣きそうな顔になる。そんな彼女に、並茎警部はにっこりと笑い掛ける。


「大丈夫ですよ。ここには警察官を引き続き配置させますので、一人ではないです――あ、なんなら暇でしたら、この飛鳥が面白くてすべらない話を披露してくれますので、それに耳を傾けてはどうですか?」

「ちょ、ちょっと警部?」

「出来るわよね?」

「いや、じ、自分は……」

「出来るわよね?」

「……勿論ですとも」


 飛鳥警部補、女性に脅されてばっかりだな。人ごとだからどうでもいいけど。

 ありがとう、と相当な無茶振りをしたひどい警部は子供の様な無垢で天使のような笑みを浮かべると、使用人長に身体を向けた。


「じゃあ、私についてきてください。えっと……」

角見かくみ明乃あけのと申します」

「角見さん。では、お願いします」

「かしこまりました」


 綺麗なお辞儀をして、使用人長は並茎警部の後ろを歩いて行った。


「さて、残された俺達はどうする?」

「どうするも何も、帰れって言われたろ」

「甘いぞ久羽。あれは『帰らないで下さい、おねがあい』ってことだぜ」

「……どうすればそんな発想になるんだよ。明らかに、もう用はなから帰れ、って言っていただろうが」

「だな。ま、今日の所は帰ろうか、二人とも」


 そう言って美玖は、肩を組むようにして僕達に顔を近づけてきた。


「……あの刑事から情報が来たらメールするからさ、今日の所は大人しく引き下がったフリをして置こう」

「あれ? お前、あの警部補さんの連絡先、結局聞いたの?」

「ん、ああ。ついさっきな」


 ひらひらと紙を目の前に見せてくる。


「数字を使った暗号でな」

「ただの電話番号じゃねえか」

「そうとも言うな。ま、そういう訳で、もうここにいてもメリットはないから帰るぞ」

「えー? もっといたいよー」

「何でだよ、韋宇」


 僕は一刻も早く、殺人現場から立ち去りたいと思っているのに。


「うーん。彼女と話したいからかな?」

「彼女……って、まだ画懐さんと話したいのか?」

「違う違う。あの使用人長――角見明乃と名乗っているあの人だよ」

「あの人に……?」

「ああ。確かにあたしも話を聞きたいけれどな」


 そう肯定を口にしながらも、美玖は怪訝そうな声。


「でもさ、気付いていたか? あの人、あたし達に警戒心バリバリだったんだぞ」

「え? あんなに穏やかな表情だったのに?」

「お前は人の裏を読むのが苦手なんだな。だから韋宇が、ああやって挑発したんじゃないか」

「あ、いや、俺はただ単に直感で」

「直感の方がマシだ。あの人が一瞬、あたし達に向けた視線の鋭さを感じ取っていたんだからな」


 驚いただけではなくそんな視線も送っていたのか、と自分の中に問い掛けると、確かにそうだったと答えが返ってくる。


「……まあ、僕も少しは感じていたけどさ。でも、だからこそ話を聞かなきゃいけないんじゃないか」

「そうだよな。でもさ、そんな奴に訊いても、真実を語る訳が無いじゃないか。それなら、あの刑事からの情報だけで考えた方が、思考が鈍らなくて済むわけだ……つーわけで帰ることにするが、文句はないな、お前達」

「まあ、僕は最初から帰るつもりだったからいいとして、韋宇、お前は?」

「……」


 少し間を置いて、韋宇も首を縦に動かす。それを確認すると、美玖は少し離れ、視線を後ろに向ける。つられて見ると、画懐さんが飛鳥警部補のすべらない話を真剣に聴いている所だった。


「大丈夫だな」


 その美玖の言葉は、先程の会話が画懐さんに聞こえていないことを確認したものであろう。こちらの意図を悟られてはいけないということが主な理由だが、それを彼女に知られて気を病まさないように、ということもあるだろう。


 もっとも。

 彼女が真犯人であった場合は、その心配が無駄に終わるわけなのだが。

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