第31話 推理
警察の一応のチェックを受けて、僕達はそれぞれ帰路に着いた。その道中でこの事件についての考察をしていたのだが、どれも推測の域を出ず、ただの戯言に過ぎなかった。現場の映像を思い出せれば何か解決への糸口へと繋がったのかもしれないが、如何せん、自分の中で拒否しているようだ。
「……なあ、僕は大丈夫だから、見せてくれないか?」
誰もいない雑多になっている自室の暗く澱むモニターに向かって、僕は自分に問い掛ける。だが、返答はない。パソコン、という単語でふと思った戯言だが、このご時世、ネットで調べれば犯人ぐらい出て来るかもしれない。
しかし、これは創作物ではなく、現実。
犯人など、判るわけもない。
そんな当たり前の結論に辿り着いた所で僕は、こうやって現実の起きている以上非常に不謹慎な考えではあるが、こういう推理もので素人だった登場人物がどうやって謎を解いていったかを考えてみる。巻き込まれた登場人物は、偶然見つけた手掛かりや、思いついたことから、真実を紡いでいく。
つまり、偶然がないと、真実に辿りつけない。
「要するに、無理ってことか」
僕は探偵になれない。
最初から決まっていたことだ。
だけど、あの人達に会ってから、少し馬鹿げたことを考えるようになってしまった。
「……少し頭を冷やそうか」
自分の身体以外ない部屋に、そんな独り言が響く。そうして冷蔵庫まで足を運び、そこから適当に飲み物を取り出す。
トマトジュース。
「……」
ここで赤い血を思い出してフラッシュバック、なんてことになりそうだが、僕の記憶は鉄壁のようで、あの時の様子を思い出すことなく完璧にシャットダウンしていた。結局飲むことにしたが、トマトジュースはよく冷えていてとても美味しく、飲み終わった後には憑き物が落ちたようにすっきりとした気持ちになった。なので、思考を事件解決の方へと向けてみる。
被害者は、雪乃の父親と母親。
いや、雪乃も含めてもいいかもしれない。
容疑者は複数人。
まずは僕達三人。だが、僕は当然犯人ではないことので、その中から除外する。
次に、使用人の娘、画懐澄音。
そして、使用人長、角見明乃。
しかし、最有力の容疑者、篝氷香。
一応、警察が考えている容疑者は、こんなものだろう。もしくは、他の使用人の人も疑っているのかもしれない。
あと、僕が考えるに、もう一人――
その時、ベッドに放り投げていた携帯電話が震えた。誰だ、と問うまでもなく僕の番号を知っているのは彼女しかいないので、少し考えた後にこう切り出す。
「もしもし美玖、ただいま死にそうだ」
『え、何! ほ、本当に大丈夫か?』
本気で心配そうな声――って、ああ。状況的に不謹慎だったな。どうしてこんなことを言ったのだろう。反省だ。
「すまん、気分的なモノでつい言ってしまっただけだ。大丈夫だから。で、どうしたんだ?」
『大丈夫ならいいけど……んで、用事ってのは、刑事から、きちんとした司法解剖結果が出たという報告がきたから、それを話しておこうと思ってな』
「本当に来たんだ……司法解剖結果が出たなら警察なら全て判るだろうに」
『――あたしの予想で悪いけどさ』
そこで受話器の向こうの美玖の声が、少し低くなった。
『この事件……警察じゃ解決出来ないと思う』
「え……?」
警察じゃ、解決出来ない。
「つまりは迷宮入りになるってことか?」
『そうなるかもしれない。けれど、あたしが考えているのは、そういう意味じゃない』
「どういうこと?」
『あたし達が解決する、ってことだよ』
その言葉の瞬間、僕は、また探偵気取りか、不謹慎なことをいっているなと、人のことを言えないのにそれを棚に上げて、嫌悪にも似た自分勝手な感情を持った。だがすぐに、彼女は僕とは違って賢いため、何か意図があって言っているのだろうと考えを改める。
実際そうだった。
『だってさ、警察には人を喰う者がいるという考えがないからさ』
「ということは……美玖は、あの子達が犯人だと考えているの?」
『……あのさ。その話、何回もしたんだけど、まだ判っていないのか……』
溜息。
『まあいいや。とにかく、そういう考えがあるってだけだよ。いくらあたしが名探偵って呼ばれているからって、こんなに情報がない状態で犯人を断定出来るわけがないさ。だからじっくりと、考えるしかないんだよ。あらゆる人を疑って――あ、お前も疑っているんだぞ』
「僕はお前を疑っていないぞ」
『少しは疑え。ま、犯人じゃないけどな。んで、悩みは晴れたか?』
「……あと九回は悩みそうだがな」
『一般人はそれで十分だよ。ドラマだとうざいけどな』
「ドラマでうざいなら現実だともっとうざいだろうが」
『それは真実だな。さて、雑談はここまでで、そろそろ本題に入るぞ』
微かに紙を捲る音。
『まず、二人の死亡推定時刻……といっても、父親の方は腕しかないから判らなかったんだけど、恐らく母親と同じ位で、あたし達が来るちょっと前だったそうだよ』
「ちょっと前……って、どれくらいだ?」
『三〇分くらい前から、お前が辿り着くまでの間。これ以上詳しい値は出ないそうだ。それで、その時間辺りに外に――』
「野球帽を目深に被った男がいた」
『何だ知っていたのか。ってか知っていたんなら教えろよ』
「ごめん。すっかり忘れていたよ」
あの時は帰ろうという話だったし、使用人長の角見さんがいきなり現れたから。
『まあいい。次に、父親の方の右腕にはチェーンソーで複数――』
「ごめん。それも知っている。そういや、あの腕、父親のものだと断定されたんだな」
『ああ。ほとんど間違いがないそうだ。じゃあこれは聞いたか? 歯型は人間のもので、とても歯並びは綺麗だったそうだ』
「歯並びが良かった……」
といっても、あの子達の歯並びなど覚えていないので、犯人ではないという確信を持てたわけではない。
だけど――
『他にも母親から大量の睡眠薬が検出されたそうだ。まあ、あんな巨体を暴れさせないために眠らせるのは、当然と言えば当然か』
「そうだな……他に情報は?」
『目新しいのはこれだけだな。あ、そういや、病院に右腕がない人間は来ていないそうだよ』
「そうか……」
そう言って僕は一つ間を置き、彼女に訊ねる。
「で、お前はここから、誰が犯人だと思う?」
『犯人って……お前、さっきも――』
「じゃあ言い方を変えようか。この情報から僕達は、次はどういう動きをすればいいと思う?」
『どうって……とりあえず捜査を――』
「具体的には?」
『とりあえず、明日、現場に戻ろうと思う。あの刑事さんの口添えがあれば、大丈夫だと思うし』
「それで意味があるのか?」
『分からないさ。でも、現場百回って言うじゃん』
「根拠はないのか」
『……何が言いたいんだ?』
不機嫌そうな声で訊ねる美玖に、僕は確信を持ってこう言う。
「あのさ明日、雪乃の家じゃなくて、別な所に行かないか?」
『別な所? それはど――』
息を呑む音が聞こえた。
『……そうか。そうだよな……』
「気がついたか」
あの言葉だけで気が付くとは、流石だ。
『ああ。何でこの考えに思いつかなかったのか、本当に分からない』
悔しそうな声。どうやら目的地だけではなく、僕が考え付いたことを瞬時に理解したのだろう。
『だから、犯人は誰か、って訊いたのか』
「そうだよ。僕は今、彼女が犯人である可能性が一番高いと思っている」
『……確かにそうなるな。お前の考えが事実であれば。でも実際ありえるか?』
「それを確認するために、明日、あそこに行ってみるんじゃないか」
『スコップ、持っていかなくちゃな』
深い溜息。
『……こんな形で、か……』
「僕も本当は嫌だよ。だけど、なかったら――」
『うん。犯人の可能性が高いね』
「あれ? 犯人だと断定出来ないのか?」
正直、その条件が揃えば犯人が彼女である、としか思えなかった。
『確かに。動機もあるし、ほとんどの謎が解明できる』
「それだよ。だったらほとんど犯人じゃないか」
『でも、確定は出来ないでしょ。それに、一つだけ大きな謎が残る』
「謎? 動機と、喰われた事実と、失くなった肉体のパーツの謎以外に、どんな大きな謎がある?」
『ドアの鍵だよ』
「あ、そうか」
ドアの鍵。
画懐さんが部屋を一瞥して離れる際に鍵を締めたはずなのに、僕が来た時には開いていた、という謎。つまりは、犯人が彼女と僕の間に室内から出た、ということである。確か並茎警部が言っていたが、あの部屋には、物置以外に人が隠れられるような場所はない。もし、睨んでいる人物が犯人であれば、それを行う方法も、さらには行う理由も見当たらない。そもそも、鍵が開いている理由としては、雪乃の父親くらいが出て行ったくらいしかないだろうが、それは、出血や治療という観点から否定されている。しからば、どちらかに理由があるのだろう。僕にはその理由が判らない。さっきの言葉から、美玖も判らないのだろう。
『だからまだ、容疑者、の段階だよ』
「そうなのか……」
少しがっかりした気持ちで、背もたれに思い切り寄り掛かる。美玖が判らなかった推理が出来たことが、推理小説での偶然に当たったと思ったのだが、やはり僕は主人公ではないようだ。さっきから考えが不謹慎であることは判っていたが、そう思わざるを得なかった。
『まあ、そもそも』
その声と共に、僕の背中で鳴ったような軋む音。
『有り得ない推測から成り立っているからな。理由なんて考えるだけばかばかしいかもしれないな』
「だよな。まず、その事実を確認してから、の話だな」
『だけどさ、理由はあるんだよな。考えられるだけでも二つ以上は』
「え?」
『あることにはあるが、一つはまだ断定できない。そしてもう一つはとても信じられない、というか……』
声が少し小さくなる。
『……信じたくないんだけどな』
「つまり、どちらもこの時点では言い切ることが出来ない、ってことだな」
『さっき確定は出来ないって言ったのはそういうこと。でも、大きな謎が残るって言ったのに理由を言ったのは、話している内にふと考え付いたんだけどね』
「ミスリード回収か」
『ふふん。矛盾の解消と言って欲しい』
どうして自慢げに言うのかが分からない。
『まあ、とにかくさ。全ては明日、確かめるまでは、これ以上のこの路線での推理は終了。さて、次は母親犯人説で語ろうか』
「ちょっと待て。それは絶対に有り得ないだろ。被害者だし、死亡しているし……」
『でも、あの大きさはおかしいだろ。あの大きな体内に人が潜んでいてもおかしくない。だから中からバリバリ、って』
「絶対にない。SFじゃなくて、これは現実なんだからな。さすがにふざけすぎだ。不謹慎だぞ」
『ふざけているつもりはないんだけどな』
「どこからどう見てもふざけた言動じゃないか」
『……やっぱりか』
はあ、と明らかな呆れの声。
『そう思うってことは、お前、分かっていないな』
「何をだよ?」
『お前がさっき言っていたこと、それも、あたしが言ったのと同じ位、ふざけた推理だってことに』
「……そうなのか?」
『だからお前には、人を喰う者がいるってことにずっと囚われちゃ駄目だ、って言ったんだよ。こうやって、ありえないことも普通に思っちゃっているだろ』
そういえばそんなことも言っていたな。しかし、心配された通りになっているとは、何とも情けない。
『そういうこともあるんだな、と心に置くだけにしておけ。可能性を見出すな。だから明日、お前の予想は外れると考えておけ』
「……うん」
『よし。じゃあ明日、用意するものを用意して、一昨日と同じ時間に同じ場所な。韋宇にも連絡しておくよ』
「分かった」
『じゃあな』
そうやって電話が切られた時、僕は尺全としない気持ちで一杯だった。確かに、客観的に見た自分の考えの愚かしさは、言われて判った。しかし、普段の自分では絶対に考えつかないものだったので、それでその推理を信用した部分もある――いや、今でも、その考えが間違いだとは思わない。思えない。
「……どうしてだろうか?」
思わず言葉に漏らした通り、僕は僕が判らなくなっていた。先程も述べたが、美玖が分からなかったことを思いついたから否定したくない、ということではないのだけは分かる。それなのに、どうしてもこの考えが頭に残る。否定できる要素はいくらでもあるし、判っているのに……。
「……ふわあ」
唐突に出た欠伸と共に、疲れが身体に降りかかってきた。それ以上考えるな、というように。流石にそれは被害妄想だろうが、疲れが溜まるのは理解できる。肉体的にというよりも、主に精神的に疲れたのだろう。意識した途端に尋常のない眠気が襲いかかったのだから。
「寝るか」
ここで眠気に逆らうことに意味はない。明日も決して遅い時刻ではないので、パソコンの電源を切り、リモコンで照明を落として、僕はベッドに横になった。途端に、もう一つ欠伸。そして自然と眼が閉じる。
目の前はもう、真っ暗になっていた。
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