第10話 KATID

 月曜日。


「よっ。ここがよく判ったな」


 小奇麗な六畳くらいの部屋。中央に置かれたテーブルに、直前まで読んでいた文庫本を置いた美玖はそう言って片手を挙げた。


「まぁ、散々迷ったけどな。こんな所にあるとは思わなくてさ」


 僕は鞄を部屋の端の方に置いて、美玖とはテーブルを挟んで反対側の方のパイプ椅子を引く。


「看板が役に立っただろ。今日の朝にあたしが掛けておいたんだ」

「そもそも看板なかったら判らないって。昨日のメールじゃ『お前って確か月曜日は一時限目だけだろ? 終わったら『KATID』って書かれた看板のある部室に来い』としか書いていなくて、場所の説明なんてものはしていないんだから」


 呆れながら、先程までの行動を思い返す。

 まず、眠い眼を擦りながら一時限目の講義を受け終わって、奥の方のマイナーなサークルが集まる建物へと向かった。その場所は、マイナーなサークルであってもその建物内で部屋が空いていたら看板をその部屋の前に掲げることを条件に勝手に使えるという、ある意味放任主義なのかなんなのか判らないことが成り立っている場所だった。だが、そこでいくら探しても『KATID』の文字はなかった。仕方がないので、大学生協で昼食でも買おうかと思って向かった先で、メジャーなサークルが集まる一角のある部室の前に置かれた『KATID』という、大層な達筆で書かれた五文字が並んだ看板を見つけたのだった。何故にこんな一等地にマイナーなサークルの部室があるのかは不明だが、別に場所が良い分にはそんなことはどうでもいいか、と気にしないことにした。

 それよりも、


「というか『KATID』って何だ?」

「サークル名だ」

「サークル名?」


 ふふんと鼻を鳴らして美玖は解説する。


「篝の『K』、葦金の『A』、轟の『T』、伊南の『I』に『D』で『KATID』だ」

「『D』はなんだよ?」

「このサークルの主目的に決まっているじゃん」

「主目的……ああ」


 僕は手を打つ。


「『Detective』の『D』――探偵、か」

「正解」


 嬉しそうに美玖は両手を上げる。その際に揺れる。何が、とは敢えて明言しない。

 が、居心地が悪いので目を逸らすとともに話を逸らすことにした。


「なあ、そういや韋宇と雪乃はまだ来ていないのか?」

「ん? あの二人は授業だぞ。ほら、今日は英語だけだけどさ、あたし達は一時限目で、雪乃達のクラスは二時限目だからさ」

「あ、そうか」

「韋宇のやつはいっつもサボっているらしいけどな。カードリーダで出席確認させた後にこっそりと出て行って、な。でもこの部屋にいないということは久羽と同じで迷ったか、もしくは珍しく授業に出ているのかな?」

「多分、テストなんじゃない? ってか、英語はお前も出ていないだろ。人のことを言う権利はないぞ」

「はっ。あたしはもう英語の単位はいらないし。英検一級を取っているから、英語は全単位免除なのだよ」

「な、なんだって!」


 思わず驚きの声を上げてしまう。それを見て美玖がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。それがたまらなく悔しかったので、ちょっとボケてみることにした。


「ってことは、あ、あんなこともこんなことも……」

「そう……って、お前、まっかーさーっ! あたしの身体が目的か!」 

「僕がボケたのにお前がツッコミどころ満載な返答をするなよ……」


 もうツッコミキャラになるしかないのかと、どうでもいいことで絶望した所で部室の扉が開く。


「うぉっすいすい! 表の看板、達筆だのう」


 韋宇はやけにじじくさい言葉を発しながら、暖春なのに何故か着ている冬物のコートをパイプ椅子の一つに掛ける。


「おう、韋宇。それ、あたしが書いたんだぜ」

「え? あれ美玖が書いたのか?」

「何だよ。久羽も分かってなかったのかよ」


 ふふん、と得意そうに美玖は鼻を鳴らす。


「そうだ。この看板は正真正銘あたしが書いたものだぞ。だから著作権はあたしのものだ」

「そして肖像権は俺のものだ!」

「何を言っているんだよ」

「そうだ! 当然肖像権もあたしのものだろうが!」

「そりゃそうだが……看板の文字に著作権も肖像権もあるのか?」

「む……」

「はっはっは。そりゃ盲点だったな」


 韋宇が豪快にパイプ椅子を揺らす。その横で口を尖らせていた美玖だったが、ふと気が付いたかのように、


「あれ? そういやお前一人か。雪乃はどうした?」

「知らないよ」

「知らないってお前、今日は授業に出たんだろ? なら雪乃も一緒のはずじゃん。嘘つくな」


 美玖が言及するが、韋宇は「何だよ」と頬を膨らませる。


「だって雪乃、出席していなかったし」

「へぇ、いなかったのか?」


 珍しいな、と美玖は声を上げる。それに対し、僕は疑問を抱く。


「別に大学生なんだから、そんなの珍しくも何ともないだろう?」

「確かにそうだけどさ、でもあたしが知る限り、雪乃は今までに授業を休んだことがないんだよ。ま、それならあたしもそうだけどさ」

「じゃあ、風邪でも引いたんじゃないか? この前にはそんな兆候は見せなかったけれど」

「もしくは、俺と同じでサボったのかもしれないな」

「そろそろ五月病の時期だからな」

「いや、それはないな」


 僕達二人の意見を、美玖がばっさりと斬った。


「だってあいつの性格からして、サボるなんてことは絶対にしないだろうし、風邪を引いたらあたし達を心配させないようにメールでも何でもして伝えるだろう」

「でも、逆に風邪を心配させないためにメールしないんじゃないか?」

「それは違うぞ久羽。現にあたし達は心配しているじゃないか。それなら風邪だって言ってくれた方がまだ心配しないだろ。そんなことも分からない程、雪乃は馬鹿じゃないぞ」


 そこまで言った所で、美玖は「……まぁ」と肩をすくめた。


「でも、あたしもまだ雪乃とは付き合いは短いからな。あいつの性格については断言出来ない部分もあるし、この推理は自信があまりないんだけどな……ま、そのことについては後であたしが確認しておくよ」


 と、美玖は小さく息を吐く。


「いや、でも、どうしようか。今日はみんなで活動するつもりだったんだけどな……今日はもう解散した方がいいか?」

「いや、それは止めた方がいいと思うぞ」


 両手でバツ印を作りながら、韋宇が美玖の言葉に異を唱える。


「俺も断言は出来ないが、そういう風に自分が理由で何かを止めるなんてのは、迷惑を掛けたと思って雪乃は嫌がるんじゃないか?」

「うーん……確かにそうかもな……」


 美玖は唸り、うんと一つだけ頷く。


「そうだよな。じゃあ、今日は雪乃抜きだけど活動するか」

「おー」


 右拳を上げる韋宇。その横で僕は首を捻る。


「まぁ、活動するならするでいいけどさ、一体、何をするわけ?」


 その質問に、美玖は含み笑いをして答える。


「ふっふっふ。このサークルの原点は何だ? 少年。そう探偵だ」

「そうだったな……まさか、依頼人を探しに行くとかが活動か?」

「いやいや。あたし達はまだその域には達していないさ。なら、あたし達に出来ることは何だ? 韋宇」

「はい! 亀甲縛りです!」

「お前、また下僕扱いにするぞ? ってか、あたしには出来ないし、それ。まぁ、久羽には出来そうだけどな」

「何でそうなる?」

「よっ。変態王子」

「……おい、韋宇。何故にお前まで言うんだ……まさか公認なのか? 僕には変態王子というものが定着しているのか?」

「そりゃそうさ。さすがの俺だってそこまでじゃないっすわー。久羽さんっまじぱねえっすわー」

「根拠も具体的事象も何もない状態でよく押し切ったな。っていうか地味に今、自分が変態って認めたな? そして僕を自分よりも変態だって言いやがったな畜生」

「思い出した途端、美玖への怒りが膨れ上がってきた。股間と共に」

「なに勝手なナレーションを付けやがるんだこのやろ……ちょ、そこの葦金さんちの美玖さん、見ないでください。僕は何もやらしいことは考えていませんから。これがノーマルですから」

「へぇ……ノーマルねぇ……」

「いいのかい? ほいほい付いて来ちまって」

「付いて行ってないし。そもそもそっちの意味じゃないし……いや、確かにそっちの意味でもノーマルだけどさ……って、韋宇。お前は、その……アレ、なのか?」

「ガチノーマルです」


 親指を立てる韋宇の姿が、何故か輝かしく見えた。

 部室内が、一旦静まる。

 数秒の沈黙の後、美玖が咳払いを一つする。


「えっと……話、何だったっけ?」

「活動するに当たり、その域に達していない僕達には何が出来るのか、ってことだよ」

「おぉ。それだそれだ。思い出した」


 大きく頷き、自分の鞄を漁る美玖。


「というわけで、これをしよう」


 と、中から取り出したのは――ゲームソフトだった。

 しかもサッカーゲーム。


「……脈絡も何もなくいきなりこれをしようと言うのはどういうことですか、美玖さん?」

「ふふふ……お前にはこれが何に見える?」

「どう見てもサッカーゲームにしか見えません」

「そう。サッカーゲームだ」


 水戸黄門が紋所を見せるように、美玖はゲームソフトを僕の顔に近づける。


「サッカーにはな、状況を見るための洞察力、心理を読んで相手を抜き去るための推理力、そしてゴールへ突き進むための行動力と、探偵に必要なものが全部揃っているんだ。だからそれを磨き上げるために、このゲームは最適なんだ」

「で、本音は?」

「このゲームが好きだから」


 そう口にした瞬間、はっとする美玖。


「いやいや。ちゃんとさっき言ったみたいな理由もあるってば」

「成程。要するに、このサークル自体が遊びのためのサークルなんだな。探偵とか関係なしに」

「うっ……」


 怯む美玖、そして


「……そうだよ」


 認めた。


「ってか、鋭すぎだろ! お前はどこぞの名探偵だよ!」

「名探偵はお前だろ。しかも、こんなの誰だって分かるって」


 そもそもの話、今の時代に探偵のやる仕事なんて身辺調査ぐらいしかないだろう。殺人事件などで呼ばれるなんていうのは空想物語でしかない。活動するっていった所で、何も出来やしないのだ。それ故に他のこと――つまり、探偵は口実でただ遊ぶことが目的である、と結論付けることが出来る。少々推理する、というか当てずっぽうな部分もあるが、ほとんどの人はその結論に辿り着くことが出来るだろう。


「まぁ、僕はそれでいいけどね。遊びのサークルで。むしろそっちの方がいいよ」

「うん……それならいいけど……」


 珍しくしおらしい態度で、美玖が俯きながら頷く。


「サークルを作る時に『遊ぶため』って言ったら駄目だったけど『探偵』なら大丈夫って言われたから、ああいう風にしたんだよ……」

「探偵なら大丈夫っていうのもおかしいけどな」

「後は、単純にみんなを騙して一人でほくそ笑みたかったの……」

「しおらしい態度で何を言っているんだ」

「えっ? このサークルって探偵のためじゃないのかっ?」

「「今頃判ったのかよ」」


 僕と美玖の合わせ技。ダブルツッコミ。


「あたし達の話を聞いていなかったのか」

「聞いてたよ。でも内容がさっぱり判らん」

「お前は馬鹿か? あ? 下僕か?」

「あ、罵るならお前じゃなくて久羽の方で……」

「へ、変態だ……」


 僕は急いで数歩下がる。

 それを見て、言い訳を始める韋宇。


「い、いや、ガチホモとかそんなんじゃなくて、ただ、美玖にはいっつも罵られているから効果ないんじゃないかなって……」

「僕に対しては効果は抜群だ。目の前が真っ暗になったよ……」

「あのさ……あたし、ここから出た方がいいのかな?」

「「ダメ、ゼッタイ」」


 今度は僕と韋宇の合わせ技。ダブル懇願。

 しかし、美玖には効果がないようだ。


「いやいや。そういう世界もあると思うよ。うん」

「だから違うんだーっ!」


 韋宇が必死に吼える。


「俺は男が好きなんじゃなくて、お前が好きなんだ! 美玖!」


 韋宇の攻撃。大爆発。

 しかし、美玖には効果がないようだ。


「はいはい。でもあたしはお前が好きじゃないからな。すまん」

「いやいやいや。嘘じゃないってば!」

「フラグを立てようとするな。諦めろ。あたしは、お前には攻略不可能キャラだ。そう。主人公じゃないんだよ、お前」

「なにをっ! 俺はどう考えても主人公キャラじゃないか!」

「どう考えても好きな人を主人公に取られる脇キャラだ」

「何だと!」

「ふむ……」


 その二人の攻防を見て、僕は顎に手を当てる。


「リアル修羅場って初めて見た」

「「違えよっ!」」


 今度は美玖と韋宇の合わせ技。ダブル否定。

 これで一周したわけだ。


「ってか何だ! このグダグダな状況は!」


 美玖は机を強く叩く。それをきっかけに、僕達三人はやっと冷静になることが出来た。


「ごめんなさい」


 とりあえず謝ってみた。


「久羽が謝ることじゃないだろうが」

「クーちゃんが謝ることじゃないでちゅよね?」


 概ね良好的な返事と、ツッコミ所満載な返事が戻ってくる。そして後者は、前者に外まで吹き飛ばされた。


「さーて。じゃあ、勝負しようか、久羽」

「な、なにで勝負するんだ……?」

「決まっているだろう」


 先程までの流れから「拳でな!」と言われるかと思って身体を強張らせたが、美玖は、


「これだよ」


 と、机の上にあるゲームソフトを指差した。


「言っておくけどな、あたしのイタリアは強いぞ」

「……」


 一瞬、僕は言葉を失う。

 だが美玖の誇るような、そんな笑顔を見てすぐに、


「……はは」


 小さく笑い声を零して、机の上のゲームソフトを手に取った。


「いや、僕のイングランドの方が絶対強いな」



 結果、試合は三―三のドローで、PK戦までもつれ込んだ。

 そして次の日から、美玖はパスタに対し恨み言を口にするようになった、というのがこの話のオチだった。

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