第5話 有名な家

 僕の通っている大学の近くには、とても有名な家がある。悪評だとかそう言う意味ではなく見た目の話であるのだが、全てが赤い家だとか三次元で円形の部屋があるというような、奇妙、珍妙な点で特出している訳ではない。単純に大きいのである。敷地面積もそうであるが、その中心にある家も遠目ではあるがはっきりと広大であると断言でき、何処の大富豪が何のためにこのような場所に建てたのかと新入生の間では噂になっており、僕の耳の端にも引っ掛かっていた。ともあれ、やがて噂は進んでいき、既にその有名な家は誰が住んでいるのかについては特定されていた。

 カガリ製薬。

 会社名通りの製薬会社であり、ここ数年で一気に頂点まで上り詰めた企業である。紹介するにあたっては、家にある薬品箱や救急箱を調べてみる方が早い。絆創膏から風邪薬までカガリ製薬のロゴが入っており、シェアがどれほどのものか判るはずである。


 カガリ。

 篝。


 こんな珍しい苗字が重なるはずがない。

 つまりは、


「ここって雪乃んちだったんだな……」


 韋宇が感嘆の声を空に放つ。空、といってもきちんと天井があるのだが、あまりにも遠すぎてそう比喩したくなる。天井だけでもそうだが、非現実的過ぎて信じられないことは、ここまで来るまでに幾つもあった。


 まずは、メイド。

 秋葉原などに行けば簡単に見られるために希少価値が無くなってしまったと思われるが、実務を行うためとしてきちんと家の中にいるというのは夢物語といっても過言ではないだろう。流石に皆仕事に従事しているため、玄関に整列、などというフィクションの世界でよくある光景はなかったのだが。


 その玄関。

 まさか高層マンション以外で、入口から玄関まで五分も掛かるとは思わなかった。エレベータなどは当然なく、また曲がりくねった迷路でもない真っ直ぐな一本道。それでも掛かったのだから、既に単位はキロメートルに達しているのではないかと推測してしまう。遠いな、と思わず呟くとすかさず雪乃が「正面だから遠いのです。裏口は結構近いですよ」と言ってきたので、何か理由があるそうだ。


 そんな玄関までの道とは反対に、敷地面積に相応しい大きさの家の内部は、複雑に入り組んでいた。玄関側から真正面に見ただけであるから判らなかったが、上空からの二次元平面でいうと、この家は横幅だけではなく縦幅も相当あった。かつ、室内だから整った道程だろうと考えていたのだが、十字路に三方向、窓がなくては方向すら定まらないほどの迷宮であった。地図が必要なのではないかと心配するくらい。実際に新人の給仕人には渡されるらしいと雪乃は冗談なのかどうなのか分からないが口にしていた。


 そして、そんな迷宮を迷わずに歩くことが出来る彼女に導かれ、僕達は現在、ある部屋で腰を落ち着かせていた。


 雪乃の部屋。

 部屋といってもそれだけでマンションの一室のような広さを持っており、ベッドやソファーは勿論、キッチンまで完備されている。食糧さえ買い込んでおけば引き籠ることは容易だろうな、などと考えながら、レースゲームを終えてサッカーゲームに興じている美玖と雪乃に代わって、僕は先程韋宇が口にした言葉に応える。


「『カガリ』って苗字で判らなかったのか?」

「だって身近にそんな奴がいるとは思わないじゃん。篝ってそんな珍しい苗字じゃないし」

「いや、珍しいだろ」

「俺とお前の名前よりはあるだろ?」


 久羽。

 韋宇。


「そう言っちゃそうだけれどさ」

「っていうか、そんな大企業のお嬢様だったら、こんな二流大学じゃなくて外国とかに行ってそうだろ? あとは高慢ちきで手下をはべらせているようないけすかない奴のイメージだったしさ。そんなもの、何一つ雪乃とは結びつかないだろ?」

「ひどく偏ったイメージだな。まあ判る気はするけれど」


 雪乃に視線を向ける。

 格闘ゲームに夢中になっているその姿からは、高慢ちきなお嬢様のイメージとはかけ離れている。いい意味で庶民的だ。


「普通の女の子だもんな。見ている限り」

「そうそう。胸は普通じゃないけどな」

「……僕はコメントしないぞ」


 せめて小声で言え。


「韋宇君。後で少しお話がありますので、覚悟しておいてください」


 雪乃は視線をゲームから外さないまま鋭い声を飛ばす。対して韋宇は肩を竦めて息を吐く。


「はあ……お前は分かっていない。乳の話なんかしてないって」

「誰がナイチチですか!」

「……いやいや。言ってないぞ、そんなこと」

「とぼけないで下さい。先程の言葉を輪唱してみて下さい」


 輪唱。

 ……ああ、確かに言っているな。

 分かっていナイ。チチの話など――


「という訳で、謝った方がいいんじゃないか?」

「久羽まで何だよ。訳判んねえし」

「問答無用です!」


 コントローラを放り出して、雪乃は韋宇の方へと駆け出した。結構速い。韋宇もじっとしているはずがないので、その場から逃げだす。部屋が広いため走る距離はあり、室内でありながらも二人の鬼ごっこが始まった。大学生にもなって何をやっているのだろうと呆れながら投げられたコントローラの方へ視線を向けると、ソファーに座っている美玖が手を拱いていた。


「何だ?」

「対戦相手がいなくなったからさ」

「そういうことらしいな」


 差し出してきたコントローラを受け取り、美玖から少し離れた所に座る。すると美玖がこちらに寄って来た。触れてはいないが、少し腕を振ればすぐに当たってしまう程の距離である。顔は無表情を貫いたが、内心では心臓の音が聞こえやしないかとひやひやしていた。それを誤魔化すためにも、適当に話を振る。


「いや、それにしても雪乃って大声出すんだな。イメージからして声を荒げるような真似はしないと思っていたんだけどさ」

「それこそ偏見だろ。敬語で話して来るけど、あいつは普通に笑うし普通に怒るし、普通の女の子だって」

「普通の女の子、ね……」


 あちらに視線をちらと向ける。


「――さて、韋宇君。どんな拷問方法がいいですか? お勧めはチェーンソーでバラバラですよ。私の両親の部屋にあるという噂を耳にしたことがありますから、用意は容易だと思いますけれど――」


「普通、ねえ」

「知っているか? チェーンソーって意外と重いんだぞ。映画とかではあんなに振り廻しているけどさ」

「いや、そんなの当然のことだろ」


 誤魔化したな。


「でも、ま、普通であるとは言えるよな。あれを冗談じゃなくて本気で言っているとしたら別世界の住人だけど、明らかに戯言だしな」

「それこそ当然だろ。そんな真面目に考えるなって少年」

「僕としては、クールビューティーを貫いてほしかったんだけどね」

「あたしとしては、久羽にはクールヘタレを貫いてほしかったんだけどな」

「貫くべきなのか、それって」

「ああいうクールな子がタイプなの?」

「んー、どうだろうな……」


 タイプだった、とは言えない。逆説的に言えばそうだが、実際の話、好きだった子がそういうタイプだったの方が正しい。


 ……また思い出してしまった。

 少し話を切り替えよう。


「そういや美玖。お前、あれ、止めなくていいのか? 楽しそうにじゃれ合っているけれど」


 僕の人差し指が示す先では、テーブルを挟んで「貧乳」と「普通です」の言い争いが鬼ごっこと並列して続いている。この不毛な争いは終息点が見えない。少ししか接していないが、恐らくは美玖がこのグループのまとめ役でから、うるさいとか一括して場を収めるのだと思ったけれど、彼女は動かない。


「あー、あたしは口挟めないわ。胸の話だし」

「……」


 成程。雪乃とは違って美玖はスタイルが良い。彼女が口を挟めば雪乃がみじめになるだけか。というか自覚しているのか。


「まあ、そのうち収まるだろうから放っておいていいよ。韋宇の奴は丈夫だし、あと二回までなら変身できるし」

「人間じゃないな……と、そういや三人って随分仲いいみたいだけど、同じ高校とか幼馴染とかそんなの?」

「いいや。雪乃はあたしが引き込んだ。韋宇はナンパしてきたから倒した」

「……イコールで結び付かないんだけど」

「雪乃の方な。あっちは簡単だ。授業で可愛い子が一人で座っていたから、あたしがその横に座って『お友達になりましょう』『いいよ』って感じ」

「もう一人は?」

「『まさか貴女は幼馴染の……』『は? 知らないんですけど?』『お願いです。下僕でも何でもいいから傍に居させてください』『何これ、キモい……』って感じ」

「やっぱり現状とイコールで繋がらないんだけど」

「ま、でも『昔あったことありますよね?』って話し掛けて来たのは本当だ。で、見た目チャラいのにそういうのがあまりなくて、気軽に話せる男友達って感じにすぐ慣れたし、第一になんとなく面白かったから友達になった、ってとこ」


 というか、と美玖は右手の人差し指を僕の額に押し付ける。


「出会いなんてどうでもいいんだよ。説明なんて恥ずかしいし、しにくいし、どうして友達になったのなんて理由なんてないんだからさ。実際、お前だってあたし達とどうやって仲良くなったかなんて文章に書き起こせないだろう? 遭って初日で女友達の家に遊びに来ていますなんて、他者が訊いたら、お前、滅茶苦茶チャラい奴だぞ」

「そりゃそうだな」


 事実、僕だってどうしてここまで赤の他人だった人と気軽に会話が出来ているのか不思議だ。六年以上人との関わりがなかった――とは言わないが、少なかったのに、女性相手に挙動言動不審のしどろもどろにならないなんて奇跡に等しい。こんなことに奇跡なんて単語を使用するなんて安っぽいし誤用だと思われるかもしれないが、僕の中ではそれ程の出来事なのである。まともに人とコミュニケーションできるとは思わなかった。


「そういや、さ」


 唐突に僕はそう切り出す。ここら辺はコミュ力が不足している点かもしれないが、美玖は「何?」と普通に聞き返してくれる。話し易いし訊ね易いな、と感心しながら質問する。


「探偵クラブで推理力があるのは美玖だけ、って話だけど、それって単純に察しがいいってこと?」

「察しが良ければ探偵って言っているならただの阿呆だろ。推理力なんてのも同様にだ」

「自信満々にそう言うってことは……具体的事象があるってことだな?」

「お察しの通りさ。はい、これで君も探偵――みたいにはならないって話はさっきしたな」


 鼻を鳴らして、美玖は形の良い唇の端を上げる。


「あたしは現実の事件を解決したことがある」

「へえ、そうなんだ。どんな事件?」

「……信じるんだ?」


 そこで何故か神妙そうな顔になる美玖。


「まあな。だってお前、冗談は言っているけど嘘は言っていないだろう? 今のは冗談ではなさそう。ならば信じるさ」

「……お前って推察力あるなあ」

「推察じゃなくて勘だよ。理屈なんて後回しだし」

「……そっか」


 ソファーの背もたれに大きく寄りかかって息を思い切り吸うと、美玖は頬を綻ばした。


「じゃあ、あたしの武勇伝を聞かせてやろうじゃないか」

「武勇伝なのか?」

「まあ、端的に述べると、偶然遭遇した……というか巻き込まれに行った事件を解決したって話なんだけどな」

「へえ。どんな事件だったんだ?」

「いや、そもそも何で、そんな能力があるって断言出来るんだ? 推理モノの真相を、解決編の前に全て判るとかか?」

「そんな小さいことじゃないのさ」


 ちっちっちと指を振ると、美玖は僕に質問をする。


「『時計村連続予告殺人事件』って知っているか?」

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