第4話 彼女と彼との出会い

 鋭く凛とした声が響く。

 その発声源に視線を向けると、いつの間にか肩口で揃えたショートカットの女性が入店していた。見てまず思ったのが、スタイルの良い女性だなという見た目のこと。モデルのよう、とはファッション雑誌などを見ていないために口には出来ないが、とにかく、女性なのに格好良くて、それでいてセクシーであると一〇〇人いて一〇〇人が同意してくれるであろう。先程の雪乃は息を呑むような美人であったが、今回の彼女は息をするのを忘れるほどの美人である。似たようなもので大きく違う。


美玖みくちゃん」

「お前のナンパ術、見せてもらったぜ」


 親指を立てて、雪乃の肩を叩く。


「あの……そちらの方は?」

「ああ、あたしか。初めましてだな」


 口端を上げて、彼女は僕に右手を差し出してくる。


「あたしは葦金あしがね美玖みく。よろしく」

「……よろしく」


 僕は軽く頭を下げる。すると彼女は不満そうに、


「何だよ。手を出せよ。まさかこれまでの人生で女性と手を繋いだことがないとか、付き合った経験のない純情少年って訳じゃないだろ?」

「そのまさかだけど」

「うっそ。マジ?」


 そう言って。

 彼女は素早い動きで僕の右手を取った。


「きゃっ。初めてを奪っちゃった」

「……」

「そんな冷たい反応するなよ。ツッコミが欲しいとこだぞ」


 テンション高い子だな。


「ごめんね。あまりノリが良くなくて」

「おうおう。お前も少年の時は元気だったじゃねえか」

「良くお判りで」

「あたしは名探偵だからな」


 とんでもないことを言い出したよこの娘。しかもある胸を張って、今度は冗談だとも否定しない。


「美玖ちゃんは本当に名探偵なのですよ」

「へえ、凄いね」

「信じてないな、お前」


 人差し指を眉間に押し付けて来る。女性から触れられることに慣れていない僕は抵抗せずに言葉だけ返す。


「信じる訳がないでしょう。名探偵なんて」

「敬語使うなよ。同い年なのに」

「その流れはさっきやった」

「そうなのか? さっき来たばかりだから知らん。そうだな……」


 彼女は唸る。


「よし。じゃああたしが名探偵だってことを証明してやる」

「どうやって?」

「お前のコーヒーは一杯目だ」

「おかわり自由のファーストフード店ではあるまいし、大半の人がコーヒーは一杯しか飲まないと思うよ」

「いいや。コーヒーのおかわりをする奴は結構いるぞ。時間をつぶすために読書したりとかして、気まずくなってもう一杯下さいと頼んじゃうってのが」

「有り得るだろうね。でも、それだけじゃ名探偵とは到底言えないね」

「じゃあ……お前は一限目の授業を取っている」

「そうだね」

「他にもあるぞ。お前は右利きだ」

「当てずっぽうでも大抵は正解するよね。それに左手に時計しているし」

「雪乃のスリーサイズは上から、な――」

「美玖ちゃん!」

「――おっと。これはトップシークレットだったぜ。トップレスだけにな」

「意味が判らん」


 ここで名探偵ではない僕も推理してみると、彼女は「な」という言葉で雪乃のスリーサイズを暴露しようとしていた訳である。数字の中で「な」から始まるのは一つしかない。


「……」


 危なかった。思わず雪乃の胸元に視線を向ける所であった。

 僕は話と眼を逸らすために美玖に話し掛ける。


「なあ美玖」


 名前を口にする。苗字にしなかったのは同じやり取りを繰り返すことを避けたから。極めて自然に言えたと思う。


「ん? 顔を赤くして何だ?」


 駄目だったらしい。


「雪乃と待ち合わせしていたんでしょ? だったら僕はそろそろ失礼するよ」

「まあ待て」


 立とうとした僕の肩を抑えて、美玖は鼻を鳴らす。


「ここであったが一年目。雪乃のナンパを断る気か?」

「台詞の繋がりが判らない」

「ナンパではないですって」


 雪乃が首を横に振って否定する。


「ナンパじゃないそうだが」

「じゃあ、そういうことでいいや」


 にやにやとしながら美玖は続ける。


「とりあえず、同じ学年の同じ学科で知り合いになったんだ。ならば、やることは一つしかないだろう?」

「エッチなこと?」

「おう、積極的だね。彼女もいたことないピュアボーイなのに」

「悪かったな。お前みたいにモテモテじゃないんでね」

「あたしだってモテないぞ。彼氏いたことないし、勿論、エッチなこともない」

「わ、私だってないですよ」

「どうだかね。女性は怖いなあ」

「……いや、マジな話、女は判るけど男は分からないじゃん。確かめようとしたら」

「生々しい話をするなよ……分かったよ。信じるよ」


 下ネタは苦手だ。


「で、何だっけ?」

「知り合いになったから、同じサークルに入ろうぜって話だよ」

「絶対に言ってないよね、それ」


 サークル、か。

 大学生なのだから入るのは当然なのかもしれない。入学当初は勧誘も多くされた。だが入ろうとは思わなかった。友達がいなかったし。今は五月も終わりの頃。サークルに入る時期はとっくに過ぎており、そんなものに入るなんて気はさらさらなかった。


「いい考えですね、それ」


 雪乃が手を合わせて賛同する。美玖は「だろ?」と得意げに言って、


「というわけで決定な」

「どういう訳だよ」

「メンバーはあたしを含めて三人。雪乃と、あともう一人、男がいるからな。ああ、そいつは誰の彼氏でもないぞ。ただの馬鹿だ。まあ、こいつも同じ学年同じ学科だから、一年生四人組のサークルってことになるな」


 僕の言葉を聞かずにどんどん説明を始める美玖。


「どうしてそれしかいないかというと、つい先日にあたしが作ったからだ」

「作った?」

「三人いれば作れるからな。費用や場所は貰えないけど、名前だけは。まあ、学長と交渉してあたしは部室まで手に入れているけれどな。部じゃないけど。あ、言っておくがエロいことした訳じゃねえぞ。色気なんてあたしにはないからな」


 それは否定出来ると思う。


「普通に勝負だ勝負。あんなに話が判る奴だとは思わなかったぜ」

「たまたま、一つだけ部室が開いていたので貰っただけですけれどね」

「運も実力のうちだ」


 ある胸を張る美玖。


「ってな訳で、何にも気負いはしなくていい。だからあたしのサークルに入れ」

「……凄い勧誘方法だな。壺商法に似たものを感じるぞ」


 美人局。ただし後で出て来て脅す方も美人だというのが従来のものとは違う。


「色々と聞きたいことはあるが、まずは一つ」


 僕は肩を竦める。


「何のサークルだ?」

「そこで最初に繋がるのですよ」


 答えたのは雪乃。


「最初?」

「美玖ちゃんが言ったでしょう。自分は名探偵である、と」

「言ったね」

「はい。それはサークル活動です」


「探偵サークル」


 ふ、と息を漏らして美玖は告げる。


「それに準ずるサークルが全くなかったからな。だったら自分で作ってしまえ。ってことで作っちゃった」

「ある訳ないだろ。今の時代にミス研があることすら珍しいと思うぞ」

「時代の流れってのは悲しいねえ。だからこそ、途絶えさせてはいけないと思うんだぜ」

「ふーん。頑張ってね」

「ふーんってお前、やる気ないな?」

「だって探偵サークルでしょ? 僕には推理力とか洞察力とかないから、向いていないよ」

「そんなことを言ったら私も同じですよ」


 雪乃が首肯する。


「推理力や洞察力を持っているのは美玖ちゃんだけですよ」

「あるのか」

「あるのさ。残念なことに」

「いや、残念なのかそれは?」


 僕の疑問に、やれやれと首を振る美玖。


「推察力と洞察力があると色々と気が付いてきついんだよ。つー訳で、お前があまり乗り気じゃないのも判っているんだよ」


 別にそれは見れば判ると思う。そもそも、いきなり現れてサークル入れって言われて、はいそうですかと乗り気な人間がいるものか。そして、そうなるだろうと思う人間がいるものか。


「え? 乗り気ではないということじゃ、久羽君、入らないんですか?」

「……入ると思うのか?」

「私ならば入るかもしれませんね」


 人差し指を立てて雪乃は答える。


「所謂、大学デビューってやつです。同じ大学に進んだ友人があまりいませんでしたから、サークルに入らないかという美玖ちゃんのお誘いは渡りに船でした」

つまりは、かも、ではなく、そうだった、ということ。


 それを僕にもやれと、彼女は暗に言っている。


「……」


 さて、どうしようか。

 断る理由が見つからない。そもそも、人と関わること自体がなかった僕には、あまりにも突然の話すぎる。決断には、かなりの時間を要しても答えが出ないであろう。それならば、ここで簡単に決めようが決めまいが同じこと。

 そして。

 こんなのは入ろうが入らまいが、同じこと。


 どうせ――


「いいよ」

「お?」


 コーヒーカップに口を付けながら首を縦に振る。


「君達のサークルに入るよ。どうせ暇だしね」


 あくまでも暇潰し。

 目的、理由など一切ない。


「おお。まさか入ってくれるとは思わなかった」


 眼を丸くする美玖。対して雪乃は手を合わせて「本当ですか?」と眼を輝かせる。


「本当だよ。探偵に関することは協力出来ないかも知れないけれど、とりあえず籍だけはそこに置いておくよ。あ、籍って言い方はおかしいかもしれないけれど」

「いやいや。それだけで十分だ」


 満足そうに頷いて、美玖が右手を差し出してくる。


「これからよろしくな。『クー』」


「……あれ?」

「クラスの奴は全員覚えているっての。驚くことじゃないって」

「あ、うん。そうだね」


 驚いた点はそこではなかった。


 美玖が口にしたのはカタカナで『クー』というような発音。


 久羽。

 クー。


 同じようで同じではない。


『食物を喰う』の『クウ』でも、『空を切る』の『クウ』でもない。

 動物の鳴き声のような、平坦な『クー』。

 名前で呼ぶような親しい人間がいなかったのもあってそのような発音で僕を呼ぶ人はいなかった。


 


 


 小学校の同級生。

 かつ、幼馴染。

 大人しく、可愛らしい女の子だった。

 宇生目うきめなぎさ

 それは、僕が忘れられない名。



 ×××――



「……おーい? どうした?」


 美玖の声で。少しだけ考えこんでしまったようだ。


「ああ、ごめん。ちょっと眠くてさ。ぼーっとしていた」

「おいおい。何のためのコーヒーだよ。これから遊ぶってのに寝呆けているんじゃねえよ」

「遊ぶのか?」

「遊ぶのです」


 美玖がまた僕の眉間を小突く。


「これから雪乃ん家でゲームするんだよ。あ、ツイスターゲームとかそんな厭らしいゲームじゃないぞ。テレビゲームだ」

「へえ、そうなんだ」

「またもやる気なさそうな返事だな」

「いやだって僕、四時限目あるし」

「田中の授業だろ。そんなの代返すればいいって」


 確かにその通りである。だが僕には友達どころか知り合いもいないので、代返などという行為は行えない。

 そう告げようとしたのだったが、


「あ、ヤマ? 悪いけど四時間目の田中の授業代返頼むわ。あたしだけじゃなくて、三人分。篝雪乃、とどろき韋宇いそら、伊南久羽の三人な。あたしは取ってねえからいらん。……は? この前に代返してあげただろ? 借りを返せ。……おし、ありがとな。じゃあな……おし。これでオッケーだ」


 携帯電話を耳にしながらそう右手で丸印を作る美玖。あまりの速さに呆気に取られるしかなかった。あっという間に四時限目の授業を欠席させられた。形上は出席になるのだけれど。


「これでお前はこれから暇になった。つー訳で遊ぼうぜ」

「いやいや。ちょっと待ってくれ」

「何だよ? まだあるのか?」

「雪乃の家と言ったけれど、そこに僕が行ってもいいのか? いや、そもそも男一人で女の子二人と遊ぶなんて、僕が軽い男みたいじゃないか」

「別にそんなの気にすることはねえって。そもそも、男はお前一人じゃねえしな」

「そういえば美玖ちゃん。韋宇君はどうしたのですか?」


 イソラ?

 先程の代返の時にも出て来た言葉だ。男か女か分からなかったが、君、ということは男なのだろう。そういえばそもそも、サークルには男が一人いるって言っていたな。きっとその人なのだろう。僕の久羽と同じく、珍しい名前だ。


「ああ、あいつなら今、コーラと菓子を買って来ているはずだ。そろそろこっち来るんじゃね? あいつお前んち行ったことないし知っているはずないからな」

「では、そろそろ行きますか」


 雪乃が席を立つ。僕も慌ててそれに続く。そして自分の分のコーヒー代を支払い、僕達は店を出た。


 すると店の前に、大量の買い物袋を抱えた少年がいた。


「よう」


 茶髪で所々髪が跳ねている、所謂無造作ヘアーというやつだ。見た目はちゃらちゃらしているのに、顔は整っている。きっとモテるのであろう。羨ましい。今日は会う人会う人が美男美女美少女と来ている。肩身が狭い。こちらに声を掛けて来たから望みは薄いが、出来るならば彼は韋宇君ではないことを願う。


「ちょうどいいタイミングですね、韋宇君」

「まあ、やっぱり無理だったけれどね」

「どうした久羽?」

「どうしたは俺の台詞だっての美玖」


 少年が震えた声で言葉を挟んでくる。


「な……何で俺以外の男がこのハーレムに?」

「ハーレムのつもりはないのですが」

「誰一人としてお前を好いていないのにハーレムなんてありえないだろうが」

「ひっでえな。つーか荷物持てよ!」

「女の子に荷物持たせるなんて最低よ」

「こういう時だけ女ぶるなよ!」


 韋宇は地団駄を踏んで一呼吸置くと、


「……で、こいつは誰だ? お前らの知り合いか?」

「おお。初めて名前を把握されていなかった」


 存外驚き。二人が知っていたから、三人とも知っていると思っていた。


「お前そんなに有名なのか?」

「いいや。無名だよ」

「くっそー。イケメンはいいなあ」

「何言っているんだ。イケメンはお前だろ?」

「俺がイケメンならお前もイケメンなんだよ」

「どういう理屈だよ」

「とりあえず荷物持ってくれ」

「それはいいけど」


 僕は彼の左手の荷物を片方持つ。重かった。


「お前、左利きか?」

「おお、良く判ったな。名探偵か?」

「それはあっちの方だろ?」

「お前ら仲良くなるの速いな」


 美玖がにやにやと厭らしい笑みを向けて来る。


「もしかして愛し合っちゃっているのか?」

「は?」

「いいやそれはない」

「え? 男の子と男の子ですよ」


 否定する僕達の横で雪乃がぽかんとした表情で訊ねて来る。


「そういうのが需要ある昨今になってきているのさ」

「そうなのですか。知りませんでした」

「ま、あたしはあまりそういうのには興味ないけどね。だから見せつけないでくれよ」


 蠅を追いやるように掌をひらひらとさせる。言われなくてもそのつもりは全くない。いくら彼女が出来たことがないといっても、男に逃げるような真似は絶対にしないと誓える。


「いやだねえ。昨今は男の友情をそういういかがわしい眼で見るようになっているなんてね。なあ……」


 そこで彼は僕に視線を向けながら言葉を詰まらせる。それは恐らく、僕の方はそうだったなどという冗談を向けようとしている訳ではなく、ただ単純に名前が判らなかっただけであろう。結局名乗っていないのだから。


「伊南久羽だよ」

「……イナミクウ……」

「どうした?」

「……略して『ミク』か。よろしくな、ミク」

「名前が美玖ちゃんと被っていますよ」

「そうだ。それはあたしんだ。返せ」

「いや、返すも何も、初めて呼ばれた呼び方だって」

「じゃあやめるか」


 意地の悪そうな笑みを浮かべて、韋宇は走り出した。

すかさず、彼の背中に向かって美玖が飛び蹴りを放つ。

 その後ろを、楽しそうな小さな笑い声を上げながら雪乃が追う。


「……」


 その三つの後ろ姿を眺めながら、僕はふと思う。

 楽しそうだ。

 見るからに楽しそうだ。

 そんな中に、これから僕が入ることになる。

 僕は――加わることが出来るのだろうか。

 加わっていいのだろうか。

 すぐ様、肯定が返って来る。

 今までは自分から関わらないようにしただけで、今回のように相手から誘われたのならば、気兼ねしないで入って行けよ。さっきだって自然に接していただろう、と。


「……そうだな」


 自分にしか聞こえないようなボリュームでそう言い、僕はゆっくりと歩を進め始めた。

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