第29話 この世界がつまらなくないのか?

 地声にしてはおかしい、まるで機械を通した声。恐らく、ボイスチェンジャーを使っているのは間違いがないだろう。

 足を止めるにはそれだけで十分だった。

 だが振り返る前に、ヒヤリとしたものが首筋に走ったので、その動作を強制的に止めざるを得なかった。


 冷たい。

 金属。


 ――刃物。


 その連想まではすぐに至った。

 そして情けないことに、そこで周囲の状況に気が付いた。

 暗い、細道。

 横にはゴミ箱。

 明らかに人気のない路地裏だ。

 どこかの店の裏にいるのだろう。今更こんな路地裏が存在することに驚きだ。


(――いや、おかしいだろ)


 人気の無さそうな路地裏がこの世に存在しているのは分かった。実際にここにあるし。


 だが――何故、そんな路地裏を僕は通っている?


 こんな道、知るはずがない。

 僕は普通に帰っていただけだ。

 なのにどうして、こんな道を通っているのだ?


 ――その疑問については、回答がすぐに思い当たる。


 僕の思考は推理の方向に向いていて、意識ここに非ずだったために、知らず知らずに誘導されたのだろう。具体的な方法は分からないが、実際にそうされている以上、そこに対して疑う余地はない。

 ここに誘導されたことは、さほど重要ではない。

 問題は、ここからだ。


(……成程。確かに――僕の方が無関係だったな)


 婚約者候補から外れた人が狙われる。

 そう予想したが、正確には違った。


 あの館に集まった中で、婚約者と無関係な男性が狙われる。


 あの中では左韻よりも僕の方が婚約者からは遠い存在だ。候補にすら入っていないし。

 だからこそ、こうして狙われることとなったようだ。


(――違う! そうじゃない!)


 間違いに気が付く。

 本当に僕を殺すことが目的であれば、刃物を突きつけて脅す間もなく刺せばいい。

 だから、後ろの人物には、何か僕にさせたいことがあるはずだ。

 行動か。

 それとも質問か。


「……何か聞きたいことがあるのか?」


 当たりを付けて質問した。こういう時に究雨がいればどういう目的なのかも分かるのだろうが、残念ながら昨日に表に出たばっかりなので反応が全く無い。

 もっとも、もしあいつが表に出ることが出来るのならば、一瞬で後ろの奴を制圧できるとは思うのだが。

 さて、そんな無いモノねだりをしても仕方がないので、内心心臓がバクバクとしながらもそういう思考で表情に出さないように努めながら、僕は後ろの人間の反応を待つ。

 すると――



「お前は――?」



 予想外の質問が返ってきた。

 笑美のことをどう思っている、などの婚約者がらみの話か、もしくは事件についてどこまで知っているのか、という話をされるとばっかり決めつけていた。

 まさか、こんな哲学的な問いをされるとは。


「家族を失い、友人を失い――また、新しい友人まで失っているお前は、この世界がひどくつまらないものになっているのではないのか?」


「……確かに、そうかもしれないな」


 思わず回答してしまった。

 そういう意図であれば、私は思う所はある。


「こう、何もかもがうまくいかないと、つまらなくなるよね。流石に」

「そうだろう。だったら代わるか?」

「何をだ?」

「人生を」

「出来るわけないだろう」


 僕は一笑に付す。

 何を言っているのだ、この人は。

 刃物を突き付けられているということも忘れ、僕は背部に言葉を投げる。


「それにさ、僕は、僕の人生の今を、結構満足して生きているんだ」

「……そうかい」


 その声は、気のせいかもしれないが、残念だという気持ちを含んでいる気がした。


「でもさ、つまらないのに満足しているとか、矛盾していないか?」

「矛盾しているね。確かに」


 それは認めるが――


「でも、事実なんだよね。世界はつまらないけど、僕は満足して生きている」

「ふーん。分かんないや……どうしてさ?」

「うーん……どうしてって言われても……」


 確かに、僕の環境はひどい。


 幼い頃に両親を失い、大切な人を失った。

 そこからずっと一人だった。

 中学も。

 高校も。


 でも――大学では違った。

 友人が、三人も出来た。


 ――しかし。

 一人が、すぐに行方不明となった。

 さらにもう一人も無残に殺害された。


 ……そして。

 こうやって謎の人物に後ろから、刃物のような鋭利なものを突き付けられているときた。

 満足できる要素など、何一つない。

 でも、僕は満足して生きていると感じている。

 僕が満足していると感じている理由。

 それは――



「だって――現にじゃないか」



「……は?」

「僕はここまでうまくいかない人生で、つまらなくも感じていた、でも、生きている。だから、満足している」

「……何言っているのか分からない」


 それはそうだ。

 僕の心の声までは相手も読み切れまい。

 僕はこう思ったのだ。


 うまくいかない人生はつまらない。

 世界がつまらない。


 だけど、そんな世界でも。

 僕は生きている。


 一つ間違えれば僕の方が死んでいたような状況。

 それなのに生きている。

 それ自体が、この世界がつまらないけど、僕が満足している理由。

 満足しなければ、僕の周囲で死んでいった人に申し訳が立たない。

 故に僕は、こりもせずに生き続ける。


「生きている限り、僕は満足するよ。世界はつまらなくても、僕は生き続ける。――それが、世界がつまらなくないのか? という君の問いに対しての答えだ」


「……くっくっくっく……あーはっはっはっは!」


 大笑い。

 背部の声は周囲を気にしない程の大きな笑い声を上げた。

 気が付けば首元に添えられた金属の感触も無くなっている。

 だけど振り向く気はなかった。

 勇気はなかった、と言った方が正しいかもしれないが。


「いやはや、ここまで予想外の答えを寄越すとはね。意味わかんないし。というかその態度もだけどね。本当に予想外だ」


 くすくすと抑えた笑いに切り替えた様だ。


「それじゃあ人生を入れ替えるのは無理だな。――

「まだ?」

「あー、やめやめ。まだ出てくるの早かったわ」


 カチリ、と音がする。どうやら折り畳み式のナイフだったようだ。とは述べるものの、未だ背部に視線を向けられていないので、あくまで推測には過ぎない。

 相手は、振り向くな、とは言っていないにも関わらず、そのような気を起こせなかった。


「あんた、おかしいよ」

「……あんたに言われたくないね」

「だな。全く持ってその通り。んじゃ、あと五分はこっち見ないでねー。殺すからー」


 そのような軽い声と共に、その場から離れる気配がした。

 そこから五分後。多分五分後だ。時計で確認したわけではないのでアバウトだ。

 僕はようやく、振り返ることが出てきた。

 誰もいなかった。


「……本当に何だったんだ?」


 敢えて言葉にすることで、今あった有り得ないことを実感する。

 後ろから何かを当てられて殺されるかと思ったら、よく分からない質問をされたのでよく分からない回答をしたら解放された。

 ……うん。自分でも分からない。

 そして僕は嘘をついていた。

 人生がつまらない。

 なのに満足している。

 そのロジックはいささかおかしい。

 逆なのだ。

 つまらない世界であろうが、僕は生きている。

 だから死なないし、死ねない。

 それが僕の人生だ。

 大層な理由はない。

 要するに生きているだけで満足なのだ。

 つまらない云々はどうでもいい。

 そんなことを言える立場ではないのだから。


「……さて」


 気を取り直して膝を一つ叩く。

 現状を一言で表すならば、まるで自分自身のみの空間に取り込まれたような形だ。

 空想上のものが目の前に映しだされたような、違和。


 だからかもしれない。

 だからなのだろう。


 僕にはどうしてもそう聞こえてしまった。

 ボイスチェンジャー越しの独特の声。

 その先。

 ボイスチェンジャーを通していない、その声。

 あの距離だ。聞こえるに決まっている。

 聞き覚えが十分にありながら、逆にないとも言える。

 そんな矛盾を孕んだ声。

 そう。

 僕を襲撃した人物の声。



 その声はとても――僕の声に似ていた。

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