第22話 姉

   ◆



 僕と美玖は飛鳥警部補に連れられて、パトカーに乗って韋宇の住家に向かった。

 辿り着いた韋宇の家は、いかにも大学生が地方から出てきて住んでいます、というような質素な二階建てのアパートだった。

 アパートのポストを見ると、二〇一号室が韋宇の部屋の様だ。

 僕達は階段を上り、飛鳥警部補が二〇一号室のインターホンを鳴らす。

 カタリ、と中から音がした。


「!」


 韋宇がいるのかと期待を膨らませる。


「すみません。誰かいらっしゃいますか?」


 飛鳥警部補が声を張り上げる。

 すると、


「あの……どちら様ですか?」


 中から女性の声がした。


(……女性?)


 一瞬怪訝に思ったが、考察する前に飛鳥警部補が警察手帳を取り出して、


「警察です。こちら轟韋宇さんの住居でしょうか?」

「け、警察ですか?」


 扉が開く。

 中から化粧の薄い茶髪の、ワンピースを着た女性が出てきた。化粧が薄いとはいえ整った顔をしていた。

 彼女は青ざめた表情で問い掛ける。


「お、弟が何かしたのでしょうか?」


 ……弟?

 ということは――


「あなたは轟韋宇さんのお姉さんでしょうか?」

「は、はい。そうです。姉の陽菜はるなです」


 思い出した。

 韋宇の奴、昔「姉が熱を出した」という理由で約束をキャンセルをしたことがあった。


「……姉と同居しているなんて初めて知ったわね」

「……ああ」


 美玖に同意。


「あの……そちらのお二人は……?」

「あ、僕と彼女は韋宇君の同じ大学の友人です」

「え? ど――」


 そこで何故か、彼女は口元をに手を当てて言葉を強制終了させる。


「……ど?」

「な、何でもないです。す、すみません」


 ひどく動揺した様子で頭を数回下げた後、


「そ、それよりも、警察って……どういうことですか……?」

「落ち着いて聞いてください」


 こういう人への対応が慣れているのか、飛鳥警部補は冷静に言葉を紡ぐ。


「弟さん、韋宇さんが昨晩から行方不明となっております」

「え? 昨晩から……?」


 驚きに目を見張る陽菜さん。


「……ちょっと待って」


 鋭い声が飛ぶ。

 美玖だった。


「陽菜さん、その反応は何か知っているね?」

「な、何のことですか?」

「おかしいよ。何で『行方不明』の方に反応せずに『昨晩から』って方に反応したの?」

「あっ……」

「それってあれだよね?」


 美玖は陽菜さんに問う。


「まるで――『今朝から今までに韋宇がいたことを知っている』ようだよね?」

「……」


 陽菜さんは瞳孔を開いてじっと美玖のことを見つめる。

 やがて短く息を一つ吐くと、


「……素直にお伝えします」


 彼女は真正面から僕達に視線を向けると、震える唇で告げる。


「弟は今朝、誰かに呼び出されたようで、どこかに出かけて行きました。かなり青い顔をしていたので心配したのですが……平気だと言ってそのまま……」

「ということは一度、家に戻られたのですね?」

「………………ええ」


 かなり間を置いて、陽菜さんは首を縦に振った。

 ということは、あいつはあの別荘から自分の足で抜け出したということだ。あの場所は中から外へ抜け出すことは簡単にできるのだから。

 ただ、それだけだ。

 誰かに指示されたのか、それとも自分の意志でだったのかは分からない。


「弟さんはその時、何か残したりなどしていませんか? 荷物とか」

「いいえ。あの子は何も持っていませんでした。部屋を見てもらっても構いませんよ」


 どうぞ、と陽菜さんは中に僕達を招き入れる。

 部屋は意外と広く、2LDKであった。姉弟で一部屋ずつ使用しているようだ。

 そして韋宇の部屋だと思われる所を僕達は中心に見る。


「……意外と質素なのな、あいつ」

「ギターとかやってそうな風貌なのにな」

「確かに」


 そうかなり軽い言葉を交わし合いながら確認したが、特に有用なものは何も見当たらなかった。

 その間、陽菜さんはずっとそわそわと青い顔していた。

 全て捜索が終わった所で、


「あ」


 と、美玖が気が付いた。


「刑事さん。そういえば教えていないですよ」

「何がだい?」

「何で警察が韋宇のことを探しているのか、ってこと」

「……あ」


 そこから飛鳥警部補は陽菜さんに事情を説明した。

 勿論、韋宇が容疑者であることは伏せた上で。


「そうですか」


 青い顔のまま、陽菜さんはそう言葉を落とす。


「弟はそんな事件に巻き込まれていたのですね……今朝の件も、もしかしてその事件に関係することかも……」

「今は何も分かりません。ですから、教えてほしいのです。弟さんが行きそうなところはありますか?」

「すみません……先程も言いましたが、誰かに呼び出されたようなので、どこか、っていうところに心当たりは全く無くて……」

「ねえ、陽菜さん」


 美玖が問う。


「どうして『呼び出された』って思ったの?」

「それは……電話の声が少し漏れ聞こえたんです」


 ……電話?


「何て?」

「――『絶対に来い。いいな』っていう部分しか聞き取れなかったのですが……」

「ああ、それは呼び出された、って思うだろうね」


 そう言いながら美玖は片手で携帯電話を操作し、耳元に当てる。


「……出ないなあ。やっぱり電源を切っているか電波が届かない場所だ、って」

「変わらない、か」

「でも、これで一つ分かったことがあるわ」


 美玖は飛鳥警部補に向かって「刑事さん」と声を掛ける。


「韋宇は携帯を持っていることが判った。電源切っているのか分からないけど、GPSとかで探知できないですか?」

「分かった。やってみよう。電話番号を教えてくれないか?」

「電話番号は……」


 飛鳥警部補と美玖がそうやり取りしている中、所作なさげに佇んでいる陽菜さんに話し掛ける。


「弟さん、心配ですね」

「え、ええ……」


 おどおどと瞳が揺れている。


「あ、あの……あなたは韋宇の友達、ですよね?」

「はい。伊南久羽と言います」

「伊南さん……お聞きしたいのですが、弟は大学でどうでした?」

「大学でですか? えーっと……いつも元気だな、って印象でした。ムードメーカー、って感じで……同じサークルですが、いつも人生を楽しんでいるような、そんな奴でした」

「そうですか……」

「……?」


 彼女の表情に、僕は違和感を覚える。

 その表情は喜びでも苦笑でも驚きでもなく、戸惑い。

 まるで、そんな韋宇が存在するのが信じられない、というような、そんな表情。

 姉の前でのあいつは、どんな韋宇だったのだろうか。


「――おーい、久羽」


 考えに夢中になっていると、いつの間にか目の前で手をかざされていた。


「あ、ああ。何だ?」

「GPSの情報を待つだけだし、韋宇の部屋をもう調べることはなくなって、あまり長居するのもどうかとあたしは考えているんだが、何か他にあるか?」

「いや、僕も思いつかないな」

「そっか。じゃあ、あとは刑事さんに任せてお暇するか。――というわけで刑事さん、あたし達はここで失礼します」

「ああ、分かった」


 飛鳥警部補は手をひらひらと振る。


「こちらは並茎警部に言われて少しまだ韋宇君のお姉さんに訊ねることがあるから、送れないけどいいかい?」

「はい」

「それじゃあ、真っ直ぐ帰るんだよ」

「失礼します。あ、お邪魔しました。ほれ、行くぞ久羽」

「ちょっと急に手を引っ張るなよ……って、あ、お邪魔しました」


 僕達は急速にその場を離れた。

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