エピローグ
〇
目を開けるとそこは、雲の浮かんだ見慣れた空が広がっていた。手を空に向けて出してみる。間違いなく自分の手だ。
溜息をこぼして手を力なく下ろした。すると、クシャと小さな音がたった。それで俺が今いる場所の、何となくの予想はついた。
また、目を閉じようとすると俺を呼ぶ声。
「ハヤトくん」
アカネ?
閉じかけた瞼を開けると、覗き込むようにして俺の顔を見ているアカネの顔があった。驚いて起き上がると、アカネはぶつからないように俺を避ける。
「風邪ひいちゃうよ」
驚く俺をよそに、首をかしげながらもこんな所で寝ている俺の心配をしてくれる。
目線だけを動かして、ここはあの場所か確認するが変わりはなく、間違いなくあの中庭だ。
でも、なぜアカネがいるんだ?この世界は俺だけだと思ってたのに。
だってここは、死後の世界なんだろ?アカネは生きてるはず。
「ハヤト~、何してんの?あ、もしかしてラブラブ中だった~?」
ニヤつきながら俺の元へ来る人物、間違えるはずないヒロだ。
どうなってんだよ。
「どうした?不思議そうにしてっけど……」
俺の目の前でしゃがむヒロ。
二人とも俺が不思議そうにしているのを、まるでわかっていないようだ。それが俺にはわからない。
俺は確かに死んだ。それは変わらない事実。これは夢なのか、それとも死後の世界で見る俺の幻想なのか。それは目の前の二人に聞いても、俺自身に問いかけても、わかるはずも無い。
――自己完結しよう。
きっと俺が死ぬ間際に少しでも望んだ光景なんだろうと。これが死後の世界なら幸せじゃないか。真っ暗な出口も無い世界じゃないなら。また繰り返す物語だとしても、本望だ。
「いいや、何でもない」
ただ嬉しい気持ちもあった。二人にまた会えて、こうして話すことが出来ることが、生きていないけど生きているような実感。
笑う俺を二人はまた不思議そうに顔を見合わせて、ヒロは「変なやつ」なんて言った。
勘違いかもしれないけど、聞こえたんだ。変わらない、でも確かに成長したような声。もっと綺麗になってたソプラノ声と、低くでも一般的には高めの声。
最初は仕事の話や今どうしてるとか、そんなものだったけど。だんだんと俺たちの思い出の話とかになったりして、懐かしむように話す声に、無事前に進めたんだって思った。
それと、俺がちゃんと、約束を果たせていたという知らせ。
「おーい、そこの三人組ーっ。大谷くんが遅いって怒ってるよーっ」
手によって遠くまで聞こえるように口元に当てながら向かってくる橋本さんに、呼びに来たことを忘れていたのか、それについて「やべっ」と声を漏らしつつ顔を曇らせたヒロが慌てて言い訳をしにいく。
それが面白くて、俺とアカネは笑って、
「私たちも行こう」
それを合図に立ち上がる。
アカネが小走りで行く後ろ姿を追いかけるように、俺も歩きながらだが目的地まで向かう。
ブワッと急な風に立ち止まり、遮れないが反射的に出た腕と閉じられた瞼。驚きつつも瞼を開けると、そこには見慣れない二人の男女がいた。誰なのだろうと思ったが、すぐに気づく。自然と笑みがこぼれた。
……そうか。あの声は、あの話し声は、紛れもない二人のものだったのか。俺の勘違いでは無かったんだ。
初めて見た成長した姿に、嬉しさと少しの悲しさが生まれた。
アカネ。髪が長くなったんだね。それに随分と大人っぽくなって……男が黙っちゃいないだろうね。そんな君を隣で守りたかったな。
ヒロ。お前は相変わらず笑顔がかっけえ奴だな。その愛想があればどこでもやっていけると、俺は思うぞ。身長も伸びたな。お前と飲みに行ってみたかった。
その二人の隣に俺がいないこと。いれないこと。触れられないこと。しゃべれないこと。それが、どうしようもなく胸を痛めたけど、元気ならそれはそれで。
じゃあ、あの言葉は嘘じゃないのか。
その事実もまた、どうしようもなく嬉しくて。無意識に二人に手を伸ばしていた。俺はこの時、少しでも自分はここにいるんだと、証明でもしたかったんだろうか。それとも、二人に干渉したかったのか。
また風は吹いて。しかもさっきより少しばかりか強い風だ。両手で塞いで閉じられた瞼を開けた時は、もう、二人はいなくて最後見た二人は笑っていた。
『ハヤト、またな』
またがある。
またがあるんだ。
自分とあの二人に笑みを送って、また歩き出す。
「ハヤトくん、どうしたの?」
橋本さんの横でふわりとスカートを翻しながら、振り返った君の元へ俺は小走りで向かった。
――俺はこの世界を、この時間を生きるよ。
誰かに言ったわけでは無いが、何となく俺の中で呟いた。まぁ、きっと俺と友人たちに向けてだろうけどね。そこはいいだろう。気にしなくてもいいことだ。
「早く行こう。今頃ヒロが大谷に怒られてそうだ」
そうだね、と橋本さんと顔を見合わせくすりと笑う。
大谷が待つところへ、二人を頼りに歩き出す。俺は少し止まって、中庭と成長した友人が見えた場所を見つめた。
柔らかな風とそれによって聞こえる葉が擦れ合う音。
語り足りなかったっていうのも事実。語っても長たらしくなってしまうのも事実。
ちょうどいいのかな。
変なことを考える自分に笑った。アカネとヒロに向かって笑った。思い出に向かって笑った。
俺はまた歩き出す。
『ねぇ、ハヤトくん。好きです』
ああ。俺も好きだよ。多分、ずっと。
また会おう。今度は仲間も引き連れて。
俺は太陽の光に包まれた中庭に、少しばかり別れを告げた。
なあ、赤ずきん 吉田はるい @yosi
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