3
あれから一年と半年が過ぎた。
私たち三年生は今日で、この学校とも別れる日。三年間という長くも短い時間だったが、それでも思い出の詰まった学校。その記憶はこれからも、私たちの中で光り続けるだろう。
「田畑ーっ」
「大谷くん」
手を振って小走りで向かってくる大谷くんに、おめでとうと言葉を交わす。
ちなみに、田畑は私の苗字。
「ごめんな、あの時は」
「大丈夫だよ」
空を仰ぐ。
「ハヤトがいなかったら俺、もっと最低な奴になってた。……俺、友達で良かったって思ってるし、感謝してる。もちろん田畑とも友達になれて良かったよ。短かったけど、ありがとな」
大谷くんは地元の少し離れた大学に進学が決まっている。でも、一人暮らしはしないらしいから、地元は離れないと言っていた。
握手を交わして、また手を振って彼の友人の元へ去っていった。
あの日を懐かしいと思える月日が経ったってことか……。
今日は綺麗な桜が舞っている。私たちを祝福してくれているようだ。
「あーかねちゃんっ」
今日は真面目にピシッと制服を着ているヒロさんが、私の隣にステップを踏みながらやって来た。パーカーを着ているのが見慣れていたから、なんか変な気分だ。
“もう”一年。“まだ”一年。
皆感じることは違うだろう。
卒業式でいないはずの彼も名前を呼ばれて、聞こえるはずの返事は静かなその場に溶けていた。その時は皆違う意味での啜り声が響いた。
『卒業、おめでとう』
数秒の間の後、そっと言った校長先生の声は震えていて。それを聞いたであろう彼は笑ったんだと思う。
……彼は、本当にいたのだろうか。
「いたよ」
ヒロさんの顔を見た。
どこかスッキリしたように笑っていて、いつもより柔らかな笑みだと私は感じた。
「あいつはちゃんと、あの場にいたよ」
ね?
私の方を向いて、歯を見せて笑った。私も笑って返して、彼と出会ったこの場所――中庭を見つめた。
目の前をのそのそと歩いているのは、最初の私の友達だった猫と子猫の姿。足に擦り寄ってくるのをヒロさんはしゃがんで撫でてやる。私も一緒に撫でた。
「お前も祝ってくれんのか?」
連れて帰りてえ。
そんな言葉を漏らしたが、連れて帰れない理由があるのだろう。断念した。
私も連れて帰るのは出来ない。何でだろう、この子たちをいきなり家で囲って飼うなんてことしたくなかった。自由に生きてほしいからかな。
「自分らしく生きるんだぞ。……元気でな」
まるでその言葉を理解したみたいに、じっと私たちを見た後子供を連れてどこかへ帰っていった。
「アカネちゃんは、進学だったっけ」
「うん、看護の方に」
元から人の役に立ちたくて、傷ついた人を癒せればって考えてたから、看護師になろうとは思っていた。彼を失った今、その思いは強まって、絶対になるんだと私の中で固まっている。
ヒロさんとは敬語は外して話すようになった。名前はそのままがいいという彼の意志を尊重して、変えずに今も「ヒロさん」と呼んでいる。
医師になる。そう言ってたけど、やっぱりそう簡単にはいかなくて。しぶしぶ他の大学への進学にしたって言ってた。看護師をおすすめしたけど、柄じゃないって断られてしまった。でも、何か人の為になる仕事に就くらしい。
「俺さ、ハヤトがいなくなって目の前真っ暗だったけど、ハヤトのこと考えてたらさ怒られるだろうなって。あいつ、俺には厳しいからさ~」
落ち込んでいた皆を支えたのはヒロさんだ。どんよりと暗い空気漂う中を踏み歩いて、皆に立ち上がる勇気をあげた。
彼がいなくなって、二日後のことだ。
『おい、何暗くなってんだよ。今のお前らの姿、ハヤトに見られたら笑われちまうぞ。……こんなんじゃ安心していけねぇだろうが!』
ヒロさんは皆が明るく振る舞えるように。ハヤトくんは皆のそんな姿望んでないって、笑おうぜって。
ヒロさんの言葉が、存在が、皆を強くしたんだと思う。
だから、あれから今まで皆いつも通りに過ごしていたし、私も普通に過ごせていたんだと思う。
……心にぽっかり空いたものは、埋められなかったけど。
「じゃ、俺は行こうかな」
「私も一緒にいい?」
「まだここにいなくていいの?」
「大切なものは私の中にもあるから」
「ははっ、そうだね」
それに、溢れてしまう記憶に泣いてしまいそうだから。最後にここに来れただけで十分。
「アカネちゃん、ありがとね」
「ヒロさんも。ありがとう」
「ははっ、照れるなぁ」
また、中庭の風景に目を移して笑うヒロさん。
私も隣で泣きそうになるのを堪えながら、笑う。
「またな、ハヤト!」
手を振って、私たちはそこから去る。去り際に彼の笑った姿が見えた気がする。
ちゃんと、いたんだ。
大切な時間。彼と過ごした時間が詰まったその場所に、私は別れを告げた。
忘れたりなんかしない。
彼が私に話しかけてきてくれた日のことを。
彼が私の隣にいてくれたことを。
彼が私を助けてくれた日のことを。友達を作らせてくれたことを。
彼が私を許してくれた日のことを。私を抱きしめてくれたことを。
二回目に私を助けてくれた時。私を好きだと言ってくれたこと。
沢山のことを。全部全部。置いていくことは出来ないから、したくないから。
私、ハヤトくんが好きです。
はっきりとハヤトくんには伝えられなかったけど、まだ口に出して言うことは緊張して言えないだろうから、待ってくれる?
「今度、三人で会おうぜ」
ヒロさんの、いつか会う予定に了承の意を伝えて、私たちはこの学校から去る。
ありがとう。私、ここにいて楽しかった。
ハヤトくんに会えた。ヒロさんに会えた。大谷くんたちに会えた。皆に、会えた。
色んな出来事があって、嬉しくなったり、悲しくなったり、関係が危なくなったり。それでも、今は楽しかったって思える。
「ありがとう」
小さく呟いて、桜舞う校門を抜けた。
ねぇ、ハヤトくん。今度三人で会う時までには、心の準備してくるから。その時はちゃんと、私の気持ち聞いてね。
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