最後まであいつは笑ってた。

 アカネちゃんが轢かれそうだと知ったすぐ後に、お前は飛び出していってあの子を助けた。

 俺の声なんて聞かないで、俺はお前の走る後ろ姿を見てた。その後、走って行ったけど俺がどうこう出来るものじゃなかった。

 走っている中、目の前でハヤトが轢かれたのを見た。アカネちゃんはすぐにハヤトに近寄って、上体を抱きとめて泣いてた。俺は信じたくなくて、嘘だと思いたくて二人を呆然と見ていた。騒がしい声も俺の耳には入ってこない。ずっとリピートされる光景。それは紛れもないあいつが轢かれる場面で。嘘じゃないんだと俺に教える。

 意識が戻ったのか、口元が動いてた。あの子と話した後、ポケットからストラップを取り出して俺の方を向いた。

 ――笑った。

 告白するんだとすぐにわかった。

 影で見守るだけって言ったけど、どうしても見届けたくて俺はあいつの元へ歩いた。

 何でこうなるんだ。どうして。

 幸せな未来はそこにあったはずなのに、こんな形で壊されて、どれだけ神様は意地悪なんだ。

 俺に助けてやれる力があれば、良かったのに。

 ハヤトは告白した後、心底ほっとしたように良かったと言った。俺も嬉しかったけど、それを悲しみと悔しさで心の中がぐしゃぐしゃで、涙が止まらない。せめて、唇を噛んで声を出さずにしようとしたけど、漏れてしまう。

 俺たち二人にお礼を言って、やっぱり笑って。アカネちゃんが返事をした後、逝ってしまった。

 あいつには聞こえてたと思う。じゃないと、あんなに嬉しそうに笑えないだろうから。

 俺は名前を呼ぶことしか出来ていない。それが心残りだった。





 少し、期待していたのかもしれない。

 今の医学だったら、もしかしたらハヤトは生き返るんじゃないかって。また俺たちに笑顔を向けてくれるんじゃないかって。

 まったく無かった。

 救急車に運ばれて病院について、懸命な措置が取られたけどそれも虚しくハヤトは帰ってこなかった。

 まだ、話したいことだってあったのに。遊びたかったのに……おちょくったりだってしたかった。花見の約束もしたのにな。

 でも、俺が辛い以上にアカネちゃんが一番辛いんじゃないかと思う。自分を責めていそうだ。



「アカネちゃん」



 椅子に静かに座っていた彼女に、声をかけたけど返事は返ってこない。彼女を前にして俺は泣かなかった。泣いたら、彼女を責めそうな気がしてダメだった。



「私もっ、て……聞こえてたかな」



 ポロポロと、流れている髪の隙間から見えた雫。色々思う事はあるんだろうけど、そこが一番だよな。



「ちゃんと、返事、出来てたかな……っ」



 やっぱり泣き出す彼女を優しく抱きしめた。あいつじゃないけど、許してね。少しだけだから。



「大丈夫、聞こえてたよきっと。あいつ、嬉しそうだったから」



 だから、泣かないで。あいつもそう思ってる。

 それを言うのは酷だと思った。だから言わないで、彼女の気が済むまで泣かせた。子供みたいに泣く彼女は、本当にあいつが好きだったんだと、悲しいんだと訴えているようで。俺はそれにやられて、溢れ出る涙が止められなかった。

 家でひっそり泣く予定だったのにな。

 一度流れ出した涙は、止まることは無い。だから、せめてバレないように声を殺して泣いた。

 ハヤト、お礼を言うのは俺の方だ。お前がいなきゃ俺はこんなに呑気にいられなかった。

 お前とはまだ一緒にいる気でいたから、いきなりこうなってどうしたらいいかわかんねえよ。

 なあどうしたらいい?お前がいなくなったことで開いてしまった心の穴を、塞ぐ方法を教えてくれよ。喪失感が抜けてくれない。

 お前がいなきゃ、寂しいじゃねえか。

 俺は、小さく縮こまって俺のパーカーにしがみつく彼女に、声をかけた。少しでも落ち着いてくれるように。自分自身にも言える言葉を言っていた。



「大丈夫、大丈夫だから」



 責めないでとか、君のせいじゃないとか言ってはいけない。そんなのが俺の中で芽生えてて、その言葉は言わなかった。

 ただ、大丈夫の言葉を繰り返した。

 彼女の背中をポンポンと、子供をあやす時に使う行為を行った。静かな空間に俺たちの……主に彼女のだが、泣き声が響いている。



「大丈夫……だから、」



 お調子者の俺が泣いてどうすんだ。こういう時こそ笑わねぇとダメじゃんかよ。



「泣かないで」



 そんな無理なことを呟いた。

 あいつは今の俺を見たらどう思うだろうか。……きっと、笑うだろうな。




 ***




 彼がくれたストラップは、綺麗な花の形をしていた。

 暴走した車に気づいたのが遅かった。もうすぐそこまで迫っていて、それでも避けようと思えば避けれたんだと、今は思う。

 冷静になってみればそう判断できたし、動くことも可能だったと思う。でも、いきなりあんな場面に出会ったら、逃げなきゃとか考えるのは容易だったけど足はすくんで動けなかった。コンクリートから私の足が離れてくれなかった。

 死ぬんだって覚悟した。

 向かってくる車を見たくなくて、自分に当たる瞬間を見たくなくて、目を閉じようとした時に後ろから誰かの手によって引っ張られた。とっさの事だったから上手く反応できなくて、倒れてしまったけど助けてくれた人にお礼を……、目を開けた。

 ――どうして、ハヤトくんがいるの?

 そこにいるはずの私は、いなくて。私に代わって、いないはずのハヤトくんがいた。

 どうして、そこにいるの?

 疑問ばかり浮かぶ頭の中、一つ違うことが浮かんでいた。ハヤトくんが、轢かれてしまう。

 それももう遅くて、うすらに笑った彼は呆気なく轢かれてしまった。

 彼を轢いた車はそのまま電柱にぶつかって、幸いなことに他の人へと影響は少なく済んだ。

 悲鳴と、救急車を呼ぶ声と、騒がしくなった事故現場。震える足を動かして彼の元へ急いだ。座り込んで彼の上体を抱えて、血が制服につこうが汚れろうが関係なかった。ただ、目を覚まして「大丈夫だよ」と言ってほしい。

 この溢れ出す血の量を見れば、大丈夫じゃないことは明らか。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 私、まだ伝えてないのに。ありがとうも自分の気持ちも何もかも。

 せめて目を覚まして、お願い。あなたの声が聞きたい。

 数分後、ゆっくりと目を開けた彼の目に私が映された。涙でぐしゃぐしゃな顔だったと思う。目を覚ましてくれたことが嬉しかったけど、話す言葉はカタコトみたいで。長くはないことを知らされる。

 それでも彼は笑ってた。

 私の頬に彼の手が添えられた。



「……やくそく、そばにいてやれなくて……ごめん」



 初めて出会った時、彼が一人だった私に言ってくれた言葉。今でもあの時の感情を、嬉しかった感情を忘れてはいない。

 でもこうして謝るってことは、本人から宣告されているようで。そんなことないって言いたくても、口が思うように動かない。多分きっとわかってたんだ。彼のこの後の運命を。

 彼の告白も、号泣してたヒロさんがよかったなって言ったことも。ただ、見ていることしか出来なくて。すぐ返事がしたかったのに、涙と嬉しさと驚きと、彼の状況に言葉が出てこなかった。



「…私も……っ」



 言えたって思った時、遅かったなって痛感した。彼の瞼は閉じていて聞こえなかったんだと、早く言っていればとすごく後悔して。

 彼がなくなった病院の待合室でヒロさんに、答えれるはずのないことを言った。嘘でもいいから聞こえてたっていう答えが欲しかったんだ。



「大丈夫、聞こえてたよきっと。あいつ、嬉しそうだったから」



 ぐずぐす泣いてる私の隣に座って抱きしめてくれたヒロさん。自分も辛いはずなのに優しく私に答えてくれて、聞こえてたって言ったヒロさんは本気の顔をしてた。

 またそれに泣いてしまう。



「大丈夫、大丈夫だから」

「大丈夫……だから、」

「泣かないで」



 震えてる声と腕、鼻をすする音。泣いていることに気づいて、我慢していたんだなって直感でわかったんだ。

 一番大声で泣きたいはずなのに、優しいヒロさんは笑おうと、いつもの自分でいようと頑張ってたんだ。

 ハヤトくん、いたら返事してください。ヒロさんが泣いているんです。私には、どうすることも出来ないの。

 ハヤトくんに会いたいよ。

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