shou> おつかれ。あとで寄っていい? 


 あなたの家じゃないの? いつでも好きに出入りすれば良いのに。と思っても「わかったよ。待ってるね☺︎」みたいに返信する。数日間、朝置いては夕方片付け、していた委任状は未だに白紙だった。LINEしないと来れないくらいなら日中に来たら良いのに。そう思って願いを込めておいたのに。きっと本当に仕事が忙しかったのだろう。鬱状態で休職しながら海岸に出掛けている私なんてカスだ。

 あとでって、いつだ? 風呂も入れないじゃん、と思った私は取り敢えずメイクを直してネイルを整えることにした。ラグの上でペディキュアを直していると玄関で鍵が開く音がした。何て言おう……考える間もなくリビングの扉が開いた。

「こんばんは」

 ……って何だ。マジムカつく!

 ただいま、は絶対言いたくないのだろう。だったらさっきのLINEみたいに「おつかれ」で良いではないか。

「おちかれさま」

 ペディキュアを塗るこの姿勢といい、矢吹丈のカウンターのような挨拶といい、緊張し過ぎて噛んでしまった。多分聞こえていないと思うけれど。

 湘くんは入ってくるなり一台だけ残った水槽の前に立ち「持ってく?」と振り向いた。

 ……何てかっこいいんだろう何日振りだろう誰の家で寝ているんだろう私の声なんか聞きたくないだろう。

「引越し屋は水槽NGなんだって。ショウくんが持ってくと思ってたし……」

 ショウくんのエビだしショウくんが一生懸命増やしたんだし流木も水草もすごくいいしとか何とか。湘くんが呆れたように笑って、「え?」とか何とか言った気がするけれど、聞き取れない。湘くんはバケツにビーシュリンプを掬い始めた。ああこの子たちまで行ってしまう。私が毎日見つめ続けてきたエビちゃんとアフリカンランプアイちゃん。――「どう?」

 どうって? 何? 前よりかっこよく見える、とか? 惚れ直す、とか?

「どうって?」

 エビを掬っていた湘くんが振り返った。

「仕事。どう? 行けてるの?」

 行けてませんよ。診断書ですよ。私になんか話しかけたくないかと思っていましたよ。ま、湘くんにしてみれば今の静寂が気まずかったんだろうな。

「うーん」

 うん、だか、ううん、だか適当に答えて、湘くんの後ろに近付いた。湘くんの近くで何か話した。楽しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る