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 九月が終わる頃。少しは自信を持って仕事が出来るようになっていた。水槽の中から水草を取ったり、魚や貝を掬って、気体を充填して梱包する作業にも慣れてきた。仕事を始めると何故か家事をする回数が増えた。前より料理をする日が増えた。食器を良く洗うようになった。掃き掃除だけでなく、掃除機をかけることもあったし、拭き掃除をする回数も増えた。精神科で仕事を始めたことを話した。働けるようになったきっかけを先生に訊かれて、慧くんのことを話した。話すと、自分は結局、男に頼ってしか生きれない気がして、自分はとても小さくて消えてもいい存在に思えた。


「えー来たの⁉︎」

 病院に行った次の日。瑠夏が男の子と一緒にAnuenueに来た。

「あたしが仕事の日は、誰とどこで遊ぶかメールしてって言ってるじゃん」

「ユースケくんが急に行って驚かそうって言うんだもん」

「今日だけだよ。今度はメールしてから来て」

「はーい」

 優介くんのママは元同僚だった。新しい小学校の初めての授業参観の日、懇談会が終わってから声をかけられた。葉山に来たばかりで仕事を探していた私は相談に乗ってもらい、同じ会社に入社して営業をしていた。今のアパートにに引越したときに親子で手伝ってもらったり、先週末はヒカリメダカをもらってくれると言って取りに来てくれた。金魚の餌のサンプルを優介くんに渡す。優介くんの部屋には朱文金しゅぶんきんとピンポンパールという金魚がいるらしい。金魚の餌をすり潰すとメダカの餌になる。というのは慧くんから教えてもらった知識だ。数少ない来客の一組が優介くんとママだった。夏祭りで掬った金魚の飼育セットを買いに来たらしい。神社の夏祭りがあったのは、ちょうど朱里たちとカラオケに行った日だ。朱文金やピンポンパールがいるような金魚すくいが来ていたのなら行ってみたかった。掬う自信がないから来年の夏祭りは優介くんファミリーと一緒に行こう。優介くんのパパは金魚を掬うのが上手らしい。その優介くんは店の外の金魚を一生懸命眺めていた。接客したらママと買いに来そう。瑠夏には他に好きな男の子がいるけれど、優介くんは瑠夏を好きなんじゃないかな。瑠夏はたまに好きな子と一緒に帰ってきたとか、学校で一緒にいっぱい遊んだとか、嬉しそうに話してくれるけれど、その子を家に連れてきたことはない。瑠夏には悪いけれど、少しほっとしている。瑠夏が好きな男の子は湘くんの友人の子供なのだ。その男の子、寧人ねいとくんのママとはたまに話す仲だったが今は気まずい。しかもうちのアパートは、寧人くんのパパが務める不動産屋が管理会社だった。そうでなければ湘くんが家に来ることも、ビオトープやモンステラを運んでもらうこともなかったかもしれない。湘くんのことを思い出すと今でも暗闇が心臓を覆う。でももう愛ではないのは確かだった。

「ルナちゃんのお父さん?」

「そうだよー」

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