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 瑠夏の父親はパチンコに狂っていた。生活費さえもクソ機械に吸い込ませていた。瑠夏にはとてもいい父親だったと思う。パチンカスなことと、働くのが苦手なことを除けば。あれ? 最低な父親だな。

 最後の日。同じ団地に住んでいた朱里ファミリーと出掛ける予定だったのに、男はものすごく機嫌が悪く、昨日の何万もの負けを取り戻しに行きたがっているのは明らかだった。どうして「取り戻す」などと思えるのだろう。私には金を「捨てに行く」としか思えなかった。一緒に出掛けないと言って金を要求してきたので、罵声を浴びせて男をブチ切れさせてしまった。ずっと以前から殴られたり首を絞められたり突き飛ばされたりしていた。その日も、瑠夏の前で男は殴りつけてきた。瑠夏は号泣していた。馬乗りになって首を絞める男の手に本気さはなく、痛みはあっても息が出来た。私は抵抗しなかった。痛みは瑠夏を泣かせてしまった罰だと思った。

 男は私の首から手を離してキッチンに向かった。部屋に入って来た男の手には包丁が握られていて私の方に向けられていた。私は出掛けるためにメイクをしている途中だった。瑠夏が見ていないことだけを祈っていた。包丁はぺらぺらのニットのワンピースを切り裂き、ワンピースの右下が見る見る赤く滲んでいった。男は私の財布を持って家を出て行き、私は救急車と警察を呼んだ。男は団地の敷地内に座り込んでいて、救急車を眺めていた。合った目を、私はすぐに逸らしてしまった。瑠夏が男に気付いて「パパ!」と呼んだ。一緒にいた警官が男に質問を始めた。「やってないよ」と言う男の声と「ゆっくり車の中で聞かせてくれんか」と警官が言う声が聞こえた。包丁で切られた傷はとても浅かった。「アイ」担架の上の私は男から名前を呼ばれた。男の方を見ることが出来なかった。

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